(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十八章 ここにいない人の話 七

2012-07-12 20:53:27 | 新転地はお化け屋敷
「盗み聞きしてきたけど、質問には答えられないよー」
 目的をみんなに伝えてから席を立ったということなのでしょう。みんなの所へ戻るや否や、諸見谷さんはそんな宣言をしてみせるのでした。
 殆どの人はそりゃそうだと言わんばかりの笑みを浮かべていましたが、そんな中で一人だけ「えー」と不満そうにしている人が。それが誰かと言われれば口宮さ――あ、叩かれた。
 ともあれ。
 叩かれた口宮さんをかっかっかと笑い飛ばしながら諸見谷さんが向かったのは、何故か自分の席ではなく明くんが座っていた席でした。その明くんは今はそこから一つずれ、誰も使っていなかった席に座っているわけですが、はて僕達がトイレに行っていた間にどういう経緯があってこうなったのでしょうか。
「あらあ、愛香さんったら後輩いびり?」
「えらい失敬だなおい。自分の彼女をなんだと思ってんのさあんた」
 というのはもちろん冗談として、「うふふ」と笑った一貴さんはそれに続けて「で、お目当てはどっち?」と。
 明くんは岩白さんと隣り合った席に座っていて、そこに諸見谷さんが入り込んだということは、現在諸見谷さんは明くんと岩白さんに挟まれているわけです。どっち、というのはならばその両名を指しているのでしょう。
 僕もそんなふうに思いはしたのですが、けれど諸見谷さんは少々困り気味な笑みを浮かべてこう言います。
「いやあ、むしろ私がお目当てにされたみたいでねえ」
 その視線は岩白さんに向けられていて、そして岩白さんはその視線への返事かのようににっこりと首を傾けます。似合うなあ、そういう仕草。
「なんでこうなったのかはよく分かんないけど、まあ、それはそれとしていい気分だよねやっぱ。この子ちっこくて可愛いし」
 そう言った諸見谷さんの手は岩白さんへと伸びていき、その頭をわしわしと。岩白さんも岩白さんでえらく嬉しそうにしてらっしゃいますし、もちろんいいことではあるんでしょうけど、一体何があったら短期間にこうなってしまうのでしょうか?
「よく分かんないっていうのは?」
 尋ねたのは引き続き一貴さんでしたが、しかしどうやら分からないのはトイレに行っていた僕達だけではないらしく、周囲の方々も興味ありげな視線を諸見谷さんと岩白さんへ向けているのでした。ただ明くんと、あと霧原さんはそうでもないようで、意味ありげに頬を緩ませていましたが。
 明くんと霧原さん。……あれ、ということはもしかして?
「訊かれても困っちゃうんだけど……うーん、直前がどうだったかって言ったら、私、さっき小銭落っことしちゃってさ。それを岩白さんが拾ってくれたんだけど、そしたら急に」
 ああこれはもう確定なんだろうなあ。
 というわけで、岩白さんが小銭を拾ったんだそうでした。その時何を「食べた」のかまでは、さすがに分からないわけですけども。
「ああ、それならあたし達にも聞こえてたわ」
「あ、そう? いやあ、でもまあ私は私であんたらのほうが気になってたからね。盗み聞きしに行ったのはそん時で」
 おや。
「でももうそれも済んだわけだし、だったらあとはこの子といちゃいちゃし放題ってわけさ。ねえセンちゃん?」
「はい、愛香さん」
 おお、下の名前で呼び合ってる――って、諸見谷さんはともかく岩白さんは誰にでもそんな感じか。僕に対してもそうだし。
 で、です。それはともかく、小銭を落とした際の諸見谷さんが僕達を気にしていた、つまりは内緒話を気にしていたということは、小銭に収まっていた(という表現でいいんでしょうか)欲は、やっぱりそれに関連したものということになるのでしょう。
 で、それを食べた岩白さんが急に諸見谷さんに懐いた(という表現でいいんでしょうか)ということは、その欲の内容は――。
 彼氏と、その今は亡くなってしまった前の彼女の話。それに対して建前だけでなく前向きな、人を惹き付けるような感情を持てるというのは、実践するとなると並々ならぬことなのではないでしょうか。
 さてところで、明くんと霧原さんは岩白さんが諸見谷さんに懐いた原因を把握していることでしょう。が、しかし、それが「欲を食べたから」ということであることは把握できても、それが「どんな欲だったのか」は知りようがないのです。なんせ、内緒の話に纏わるものなんですし。
 ということはそれを知り得るのは僕と、あと深道さんの二人だけということになります。
 僕の視線に気付いた深道さんは、口の端を持ち上げてみせました。
 少しの間、この「知っているのは二人だけ」というしょーもない優越感に浸っておくことにしましょう。どの道、今ここで説明するわけにはいかないんですしね。

 そういやそうだったっけ、と自分で思ってしまえるというのは割と悲しいことなのかもしれませんが、
「えー、今日はわざわざ僕の結婚報告のためにお集まりいただき、ありがとうございました。大したことしてない――どころか奢ってもらっちゃったりなんかしちゃいまして……」
「あら。日向くん、それは言いっこなしだってばあ」
「かっかっか、いっそ嫌がらせだと思ってもらって結構だよ。なんかそっちのほうが収まり良さそうだし」
 たとえ良くてもその納め方はどうなんでしょうかと思わされざるを得ませんでしたが、しかしそれはいいとしておきましょう。
 というわけで以上、結婚発表会なのでした。一貴さんの内緒話に付き合った僕と深道さん、あと一貴さん本人と諸見谷さんにとっては、そちらのほうが十台だったような気がしないでもないですが――いや、発表した本人だからそう思うだけなのかも? うーん、そうだといいなあ。
「大したことしてねえってんなら今からでも俺になんか奢ってくれるとか」
「あんたマジぶっ飛ばすわよ」
「冗談に決まってんだろ」
 ということが分かり切っている口宮さんに対して冗談か本気かはともかく即座に怒った顔になれる異原さんもなかなかに凄いのでしょうが、実際に叩くなり殴られるなりすることもあるというのに平然としていられる口宮さんは恐らくそれ以上なのでしょう。
 などと思っていた僕のもとへ、その口宮さんが握った手を伸ばしてきます。
「つーわけで、まあ、俺からもこんくらいは」
 握った何かを渡そうとしていることは分かったので、その下へ手で受け皿を作ります。
 するとそこへ落ちてきたのは小銭でした。ひいふう……えー、百二十円でした。
「何買うか指定してるようなもんじゃないの……」
「なんもしねえよりゃマシだろ。つまりはお前よりマシってことだな」
「なっ!? あたしがあんたより!? 冗談じゃないわよふざけんじゃないわよ!」
 あのー、一応お礼を差し挟む余地くらいは与えてもらえると……。
「はい日向くん! これあたしから!」
「わ、わ」
 財布に手を突っ込んだ異原さん、金額なんて確認せず掴み取れるだけ掴み取った小銭をじゃらじゃらと百二十円の上に被せてきました。えーと、えーと、ひいふう……。
「じゃあワシからも」
「あの……末長くお幸せに……」
 じゃらじゃらぱさり。
「うーん、俺今月わりとピンチなんだけど……ああ! ちょっと瑠奈さん!」
「いーじゃないの私自分の財布持ってきてないんだし。後で返すわよ」
 ぱさりじゃらじゃら。
「となったら俺もだよなあ」
「ほあぁ……」
「セン、涎出てるぞ」
 ぱさりぱさり。
 えーと、取り敢えず、結構な金額になってしまいました。小銭、財布に入り切るかなあ……?
「あ、ありがとうございます皆さん」
 遠慮しようにもお札はともかく小銭の方はもはやどなたがおいくらだったのかさっぱりなので、そこは省いておきました。したところで一度出したお金を引っ込める人もいないんでしょうけども。
 ともあれこのまま両手が塞がっていてはお金を財布に収めることもままならないので、それらを一旦テーブルの上にどざーっと。
「かはは、これはこれで嫌がらせみたいなもんかの」
「最初の俺だけで済ませときゃ普通に良い行いで済んだのにな」
「微妙な行いの間違いよね?」
「い、いいじゃないですかそこは……って、わたしもその一員ですけど……」
 いえいえもちろん良い行いですよ、と言いたかったのですがしかし、「ふんぐっ」なんて力み声を上げながらギッチギチの財布をなんとか閉め切ろうとしている奴にそんなことを言われても全く以って説得力などあろうはずもなかったので、それが済んでからということにしておきました。果たして済ませることが物理的に可能なのかどうかは、残念ながら不明なんですけどね。
「デートが一回消滅しましたよ瑠奈さん」
「な、なによ。お札だったし、払った金額はあんたのほうが上でしょ?」
「百円玉と五百円玉ばっかりピンポイントにお掴みになられたようで……」
「げ、ごめん。――いやいや違う違う、後で返すって言ってんでしょうが」
 デート費用が折半だとしたらどっちの損失になっても変わりないような気がしますが、そこは言わないでおいたほうがいいのでしょうか。
 とそこへ、不意に耳打ちをしてくる人が。
「すまん、センが金盗ろうとしてる不審人物にしか見えんことになってるから、食わせてやってもらえんだろうか」
 というわけで明くんだったのですが、見れば、岩白さんが僕の財布へ熱い眼差しを向けていたのでした。せっかくなんとか閉まったところでしたがそういうことなら仕方がない――と思ったら、開けようとしたその手を止められます。
「いや、財布くらいならそれ越しで大丈夫だから」
「あ、そうなの?」
 そんな軽い反応をしてしまえる自分に割と驚きましたが、そういうことなんだそうでした。
 というわけでギッチギチの財布を岩白さんにパス。
「わ、わー、凄く重いですー」
 ギッチギチになった財布の重さに興味を持った、という装いをしたらしい岩白さんでしたが、それはそれは棒読みもいいところなのでした。
「あと美味しいですー」
「素直過ぎるだろ!」
 ……まあ、それだけを聞いて何が起こっているか把握する人なんているわけがないので、大して問題ではないんですけどね実際。

 他に何もなければこのまま暫く雑談なんかをしていても良かったのでしょうが、けれど今回は家の方にお客さんも来ているということで、そろそろお暇することに。
 で、一応は主役である僕が帰るというなら、ということで全体が解散の流れになったところ、思い付くことが一つありました。いや、まず忘れてはいけないことのような気もしますし、なんで忘れてたんだということでもあるんですけど。
「あのー、最後に一ついいでしょうか」
 そうしてみんなに声をかけたのは、学食を出た後。皆が皆正門から出るとは限らず、ならばもうここから行き先が分かれ始めるので、ギリギリのタイミングなのでした。危ない危ない。
 解散の流れになってからここまで多少のタイムラグがあったのですが、その間僕が何をしていたかというと、電話です。家守さんと栞にちょっと確認しておきたいことがありまして。
 ともあれそれが済んでみんなに声をかけた僕は、集まった視線に対してこんな話を持ち出しました。
「日時とかはまだ全然決まってないんですけど、えーと、結婚式挙げようかっていう話が出てまして……」
 友人を招いてもいいでしょうか。
 家守さんにも栞にも、電話口で僕は同じ質問をしたのでした。意味するところはそれぞれ若干違ってるんですけどね。
「あ、じゃあ俺行く」
 確認を取ったとはいえあっちからすればいきなりな話だったよなあ、なんて思いもあってやや躊躇いがちな口調になっていたところ、まだこちらが話し終えていないというのにもう手を挙げている人がいました。
 お金ラッシュの時といい、今日はなんだか色々と乗り気ですね、口宮さん。
「できたら平日がいいな。講義サボる口実になるし」
「んなこったろうと思ったわよ!」
 移動中だったせいか今回は蹴りでした。別れ際までお疲れ様です、異原さん。
 口宮さんの言葉が冗談半分なのか冗談全部なのかは、まあともかくとして。
「今日うちに来てるお客さんっていうのも、それ関係の人なんですよ。式用の衣装の寸法取りに」
 ――もうさすがに全員分取り終わってると思うけど、どうだろう。出来れば帰る前にもうちょっとくらい顔を合わせたいところではあるんだけど。
 そんなことを考えていたらば、今度は音無さんから声が掛かります。
「えっと……そういうのって、家まで来てもらえるものなんですか……?」
「あー……うーん、普通はそうじゃないかもしれないですけど、言ってしまうとその人達も霊能者関係の人なんですよね。その、まあ、お嫁さんが幽霊なもんで」
「あ、そっか……そうですよね……」
 そうですよね、と音無さんは言いますが、だからといって言われなくても察しが付くというのは、やはりなかなか難しいところなのでしょう。
「それと、あまくに荘に住んでる他二組のカップルも同時に式を挙げるってことになってまして。そのうちの一方なんか、両者ともに幽霊ですからね。会ったことありましたよね? 音無さん達」
「お二人とも……というと……」
「猫の人とその旦那さんじゃな。えー、哀沢さんと怒橋さんじゃったか」
 覚えていてもらえて何より。なんせ、会ったと言っても見えなかったわけですしね。成美さんは耳出してましたけど(だから猫の人という覚え方だったのでしょう)、大吾については。
「今はどっちも『怒橋』ってことになりました」
「おお、そうなのか。――ということは、もしまた会うことがあったら間違わんようにせんとな」
「ふふ、そうだね……」
 覚えてくれているとはいってもまだ一度会っただけなのですが、どうやら二人のことは悪からず思ってくれているようです。うむ、いい気分。
「はーい。猫の人ってどういうことですかー?」
 諸見谷さんでした。
 一貴さんは校内鬼ごっこの司会として初めて会った時に成美さんとも会っていますがその時はまだ幽霊どうのなんてまるで知らない時期、深道さん霧原さんも会ったことはないですけどもしかしたら明くんとかから伝わってたりするかもしれない、なんてことを考えるといろいろややこしいのですが、けれどまあ「一人だろうが複数だろうが今ここで説明するなら同じことか」ということで、あんまり気にせず説明を始めることにしました。

 終わりました。
「そりゃ確かに猫の人としか言いようがないね……」
 さすがの諸見谷さんも困惑を隠せない表情なのでした。いやまあ、何がどう「さすが」なのかは自分でも分かりませんけど。
「まあともかく、日時が決まったらまた連絡頂戴よ。口宮くんじゃないけど、行けそうなら行かせてもらうからさ」
「はい、その時はぜひ」
 口宮さんではないそうでした。そりゃそうですよねやっぱり。
 そしてその諸見谷さんの言葉には(口宮さんどうこうは抜きにして)他のみんなも言葉なり表情なりで続いてくれました。もちろんのことそれらに向けては感謝と喜びを表しつつ――さて、これで最後の用事も完了です。

 大学を出てからも向かう方向が同じというのは駅に向かう同森さん兄弟だけなのですが、今回はそのお二人もそれぞれの彼女さんに同行するとのことでした。自分でいうのもなんですが、まあ今回集まってもらったのが結婚の話題ということで、それぞれで語り合いたいこともそりゃああろうというものなのでしょう。
 ということで、一人だけの帰り道。寂しくなんかありませんとも。
 ……ともあれ……。
「ただいまー」
 あまくに荘の敷地内に入ったところで帰宅の挨拶をしてみますが、もちろんのことそこに誰もいない以上は返事が帰ってくることもなく。でもいいのです、それで紛れるものもきっとあります。
 で、さて。四方院さん宅からのお客様がまだいるのなら101号室へ、そうでなければこのまま204号室へ、ということになるのですが、まあどちらにせよそれを確かめるために101号室に行かないと――。
「日向ー」
 101号室へ向かい始めた僕を、その101号室の台所の窓から呼ぶのは大人バージョンの成美さん。えらくタイミングよくそこにいましたね、と一瞬そう思ったりもしたのですが、けれどきっとさっきの「ただいまー」が聞こえて出てきたということなのでしょう。結構恥ずかしいですとも。
 けれど成美さんの方は全くそんなことを気にしているふうではなかったので、こちらもそれっぽさを装いながらそちらへ歩み寄りました。
「木崎さん達、まだ?」
「いや、少し前に帰ってしまったな」
 成美さんがまだここにいるということは、という予想を立てていたこともあって、それは少々残念な報告なのでした。
「ふふ、残念そうな顔をしている暇はないぞ」
「へ?」
「嫁の面倒を見てやってくれ。ちょっと落ち込み気味だ」
 へ? と再度心の中で繰り返したところ、成美さんは部屋の奥を振り返りながら続けます。
「まだ中に残っているが……部屋で二人になったほうがいいのではないかなあ、と、わたしはそう思う」
「えーと……何かあったんですか? いえ、何もないのにそんなことにはならないでしょうけど」
 落ち込んでいるということであれば、少なくともその「何か」がいいことでなかったのは確実でしょう。しかも今の、部屋に戻って二人になったほうがいいという提案からすると、相当に――。
「いやなんだ、そこまで深刻な話ではないのだがな? わたしだって今こうして平気なわけだし――ええとだな、まあなんというか、道端と大山の話にショックを受けたようだな」
「話? 道端さんと大山さんの?」
「うむ。幽霊が苦手になった原因の話だ」
 ……ああ。そうか、その話になったのか。
「もう一度言うが、そこまで深刻な様子ではないからな? 日向からすれば気遣われ過ぎるのもいい気はしないだろうから、軽めに頼むぞ」
「分かりました」
 そう言われれば言われるほど深刻そうに聞こえてしまいますが、そこは栞の様子が深刻なのではなく成美さんが栞へ向ける心配が深刻なのだということにしておきましょう。
「ありがとうございます成美さん、心配してもらっちゃって」
「なに、お前に伝えたのがわたしだったというだけのことだよ。心配したというなら皆が皆を心配していたのだろうしな」
 話の内容は分かりませんが、しかしまあ、その光景は容易に想像できました。幽霊についての暗い(のは間違いないでしょう、やっぱり)話を、幽霊とそれに関わりのある人達が聞いていたわけですしね。しかもその全員が仲良しとなれば、そりゃあ。
「ちょっと待っていろ、呼んでくる」
「お願いします」
 深刻ではないにせよさすがにそれはちょっとどうなのか、ということにはなるのかもしれませんが、心配するどころかむしろいい気分で成美さんの背中を見送る僕なのでした。
 栞が出てきたのは、その成美さんの背中が見えなくなった直後でした。成美さんが声をかけた様子もなく、ならば恐らくは僕と成美さんの会話に気付いて成美さんが戻るのを待っていたのでしょう。
「お帰りなさい、孝さん」
「うん。ただいま、栞」
 成美さんの言葉通り、その表情からしてそれほど深刻な様子でもなさそうなのでした。ショックを受けたと言っても、笑顔がちょっと躊躇いがちになっている程度です。
「部屋戻る?」
「うん。今出るね」
 一応は本人の意思を確かめてみたところ、あっさりと頷く栞。どうやらさっきの成美さんの話は、予め栞にも伝わっていたようでした。
 お邪魔しました、と言いながら玄関を抜け出てきた栞は、軽く笑いながらこう言います。
「心配掛けちゃったみたいだね。孝さんと話がしたいなあ、なんて思いながらぼーっとしてただけなんだけど」
「まあ、そんなに深刻じゃないとは成美さんも言ってたし。僕と話がしたかったっていうなら丁度良かったってことで」
「そうだね」
 僕と話がしたい、ということはつまり、ショックを受けたというよりはいろいろ考え込むことがあったということなのでしょう。そういうことなら何ら問題はありません。慣れっこですからね、お互いに。

 ただいま、と二人立て続けに帰宅の挨拶をしたところで、さあさあ我が家に到着です。学業はともかく友人に会っていたことを指して「疲れた」とは言いませんが、けれどやっぱりふっと一息吐きたくなったりもしないではありません。そりゃあ、なんたって自宅なんですし、それに同時帰宅とはいえ奥さんもいるわけですしね。
「お茶持ってこようか?」
「あ、お願い」
 何はともあれまず荷物を片づけよう、と私室へのふすまに手を掛けた僕へ、栞からそんな提案が。ちょっとしたこととはいえ、有難い気遣いです。
 ――で。
「それで、道端さんと大山さんの話っていうのは?」
 私室から出ないまま受け取ったお茶を飲み干したところで、座卓の向かい側で頬杖を突いている栞にそう尋ねてみます。気のせいかもしれませんが、お茶を飲む様子をえらくまじまじと覗き込まれていたような。
「あ、もうしても良かった?」
「ん?」
「いや、ちょっとお疲れかなって」
 なるほど覗き込んでたのはそれでか、というのはともかくとして。
 うーむ、まあ、疲労があるというのは確かですが。出してもらったお茶も殆ど一気飲みだったし、というのは果たして関係ありなのかどうか。
「大丈夫だよ」
 疲労の話になったついでに結婚報告の話も手短にしようか、とも思ったのですが、よくよく考えればその結婚報告の途中に一度家守さんと栞へは電話で連絡を入れているわけで、だったら話を遮ってまで改めて語るようなこともないかな、と。
「そう? じゃあ――と、その前に」
「ん?」
「似たような話はこれまでにも何度かしてるけど、一個質問。孝さん、もし幽霊になる前の私と知り合えてたとしたら、その場合もやっぱり好きになってくれてた?」
 ああ、幽霊になる前っていうのがキーワードなんだろうなあ。当たり外れはともかく頭の片隅でそんな予想を立てられる程度には、確かに何度かしたような話なのでした。
「そりゃまあね。幽霊になる前の栞を知ってるわけじゃないから、絶対とは言えないけど」
「だよね。私からだってどうだったか分からないし、じゃあやっぱり絶対とは言えないんだけど」
 一般的な感覚としては、真実がどうあれここは絶対と言い切っておくべき場面なのでしょう。けれど僕はそうしませんでしたし、栞はその返事を笑って受け止めてくれます。自分達の関係がそういうふうにして成り立っているというのは――まあしかし、今になって振り返るようなことでもなかったりするんですけどね。
 というわけで振り返るまでもないことを振り返っていたところ、「それでね」と栞。その一言は、それまでより少しだけトーンが下がっていました。ならばもちろん、それに続く話も同じく。
「道端さんと大山さんは、そうじゃなかったんだって」
「…………」
「道端さんは家族が、大山さんは恋人が、幽霊になったら人が変わっちゃったって」
「そっか」
「割とあっさりしてるんだね、反応」
「分からないでは……ない、からね」
 それから少しの間栞は黙り込み、そしてそれは僕も同様だったので、その間周囲は静まり返るのでした。
 けれどそれは、少なくとも僕にとっては、気まずい雰囲気という類いのものではありません。単に少々の間、思い出に浸っていただけのことです。
「栞の場合は胸の内に……傷跡の中に押し込んでたものを、その人達は外に向けちゃったってことじゃないかな。要するには」
「私も、多分そういうことなんだろうなって」
 それは、栞の傷跡の跡がまだ傷跡だった頃の話。と言って、これもまた今更詳しく語るようなことではないのですが。
 そんなことができる人だと知ったから、僕は栞をそれまで以上に好きになりました。
 ――ということであれば当然、できない人だって大勢いるのです。できる栞が好きだと、特別なのだと、そう言うのであれば。


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