(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十七章 前へ前へ 一

2009-06-19 20:44:47 | 新転地はお化け屋敷
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。
 昨日は庄子ちゃんと清明くんが遊びに来たり、その間にナタリーさんがえらくファンタジーかつ人間視点でのべっぴんさんな姿になったり、家守さんが唐突に婚姻届を出しに行って高次さんも「家守さん」になったりと、まーいろいろある一日でした。
「今日はないね、昨日みたいな水溜り」
「二日続けて夜中にだけ雨が降るってこともないでしょうからねえ」
 昨日はああでしたが、今日はこんなふうにのんびりしたものです。と言っても今日一日を語るには、まだまだ午前中なんですけど。
 そして現在、のんびりのんびり何をしているのかと言いますと、自転車でお買い物に出掛けているわけです。金曜日は大学のほうが午後からなので、それまでの時間潰しも兼ねていたりします。
 向かう先は、いつものデパート。彼女を連れて向かうにしては毎回代わり映えがなさ過ぎる気もしますが、その彼女さんがまるで気にしていないので、方向音痴な自分としては助かっていたりもします。
「ところで、昨日みたいに時間割が変わってるってことはないの? 大学の」
「それはないです。学生手帳も確認しましたから」
 重ねてになりますが昨日は本当にいろいろありまして、僕が知らないところで時間割の変更があったりもしたのです。しかしそういった予定は、臨時的なものでない限りは手帳に初めから書かれているもの。だから僕は今朝、出掛ける前に確認しました。
 今日は何もありませんでした。
 昨日はありました。
「なら、大丈夫だね」
 学校の掲示板を見るまでもなく情報満載の手帳を所持していてああなったということは、要するにそれをちゃんと見ていなかったというだけの話(まあ、学校の掲示板にしても同じことですけど)。大丈夫だねという無邪気な言葉を掛けられるのは、少々照れ臭かったりします。
「でも、変更って言っても講義が増えることはないでしょうしねえ。知らなくてもそうそう困るものじゃないと思いますよ? 空の教室でちょっと待ちぼうけ食うくらいで」
 知らない間に講義が増えて知らない間にすっぽかしていた、なんてことになったらそりゃあ問題ですけど、それはまずないですからねえ。強いて言うなら補講日がそれに当たりますけど、そうなればさすがに先生のほうから事前通告があるでしょうし――
「それでも予定はしっかりしてたほうがいいと思うよ?」
「そうですよね」
 すいませんでした。

 話をしながら昨日を振り返ったりなんだりしている間に、デパート到着。
「昨日通りかかった時にすればよかったんだけどね、買い物は」
「そのおかげでこの暇潰しがあるんですけどね」
「まあね」
 またも昨日の話ですが、ここより遠くのペットショップへ行ったのです。散歩のついでにナタリーさんの食べ物を買うのが目的だったのですが……あー、まあ、食べてましたよねナタリーさん。ごっくんと。
 気を取り直して――栞さんは取り直す必要もなさそうでしたけど――店内へ。
 買い物に来たからには大なり小なり食材を買っておきたいわけですが、それは帰り際でもいいでしょう。なんせ暇潰しがメインなんで、暫くうろうろするでしょうし。
 ――というわけで、うろうろした結果。
「あっ、亀だ」
 栞さんが覗き込んだのは言葉通りに亀でした。ただし、陶器ですが。
「甲羅の部分これ、蓋になってるんですかね?」
「小物入れになってるみたいだねー」
 そうそう大きいものでなく本当に小物しか入りそうにありませんが、そういった一品でありました。もういかにも男には似合いそうもない品物です。
「買いますか?」
「買おうかな? そう高くもないみたいだし――あ、お財布は持ってきてるよ」
 むう。ささやかながらプレゼントとしておこうか、という考えも無くはかったんですけども。なんせ最近料理教室のほうの給料も入って、懐はあったかいですし。
 しかし財布を持っていると宣言してくるということは、そういったつもりがあちら側には皆無だってことなんでしょう、恐らくは。とは言えそもそも栞さんが自分から僕に「これ買って」なんて言ってくる場面はまるで想像できないわけで、そうなると僕が自主的に買わない限りはこちらからのプレゼントなんて状況は訪れないわけで――。
 栞さんが亀の甲羅をパカパカしている間にそんなことを考えていると、
「あら」
 と声。それはもちろん栞さんの言葉ではなく、近くを通り掛かった主婦層の方だろうなと思ったのですが、しかしどこか聞き覚えのあるような。
 聞き覚えがあるということでその声を振り返ってみたところ、
「あら」
 ともう一度声。聞き覚えがあるからには見知った顔がそこにあったのですが、
「あ、同森さんのお兄さん」
 こちらを向いていたのは主婦層の方ではなく僕と同じ大学生、しかも同性でした。
「うふふ、奇遇ねえこんな所で会うなんて」
 まあこの人に限っては、同性であるということはあんまり関係ないのかもしれません。大学の先輩である同森哲郎さんのお兄さん――同森一貴さんは、そういうお人であらせられるのです。
「日向くん、今は一人なのかしら? それとも喜坂さんもご一緒で?」
「あ、一緒です」
「おはようございます」
 亀の甲羅から手を離していた栞さんが頭を下げます。が、その動作も言葉も一貴さんには届きません。同森一貴さんはそういうお人でもあらせられるのですがしかし、その割には幽霊、ひいては栞さんの存在をあっさりと信じてくれた、という過去があったりもします。過去というほど昔の話でもないですけど。
「おはようございます、喜坂さん。ごめんなさいねえ、せっかくの楽しいショッピングにこんなのが登場しちゃって」
「いえそんな、私は何とも」
「むしろ歓迎、だそうです」
 ちょっとした意訳を入れつつ、通訳を。結果栞さんは照れ臭そうに頬を緩ませ、一貴さんは口に軽く手を添えて「うふふ」とエレガントに微笑むのでした。
 男であることを考慮に入れても「似合うなあ、その仕草」なんて考えてしまう以上、一貴さんは綺麗な人なんでしょう。高めの身長に線の細い体付きからしても。まあ、あくまで男ではありますけど。
「ところで、そこの亀さんの蓋が急に出てきたのは、喜坂さんが触ってたってことでいいのかしらね?」
「あ、そういうことです」
 そういうことなのですが、
「……あの、全く驚いた様子が見受けられませんが」
 幽霊のことを知っているとは言っても、ここまで冷静に分析できるほど慣れたというわけではない筈なのです。今のように「幽霊が触れているものは、幽霊が見えない人から見えなくなる」という現象を目の当たりにして、目の当たりにしたことをこちらに気付かせないほど受け流して、僕との会話を続行していられるなんてことは。
「それはほら、突然オカマに声を掛けられて、でも快く受け入れてくれたあなた達にだって、言えることでしょう?」
「は、はあ……」
 器の大きい人――いや、奇妙な造詣の器を持った人、のほうが今僕が感じた印象に近いだろうか。幽霊のこともあっさりだったしなあ、この人。
 とそこへ、その幽霊さんから一言。
「そこで頷くのは失礼じゃないかな、孝一くん」
 ――あっ。
「いえいえ、そんなことないですすいません」
「あらそんな、うふふ」
 頷いたことに加えて内心で思っていたことも失礼千万だったので、割と真面目に頭を下げる。しかしそれでも一貴さん、笑顔を崩さないのでした。
 なんだか余計に立つ瀬がないので、次の話を持ってこよう。
「――ところで一貴さん、今日は何を買いに?」
 場所がデパートということで、無難極まる質問から。
「ああ、まさに今いるここが目的地よ。今日はちょっと彼女と会うんで、プレゼントでもと思ってね」
 そういえばこの人、彼女いるんだっけ。……と先日聞き入れた情報に行き当たるまでには、若干の時間を要しました。男の人に彼女がいるという単純な話にも関わらず、頭が混乱をきたしてしまったのです。
「そこの亀さんなんかいいかなーなんて思ったら、覗き込んでた男の人が見知った人でねえ。しかも突然背中の蓋が現れて、二度ビックリよもう」
 いやだから、まるで驚いた様子なんてなかったんですけど。僕の顔見て「あら」とは言ってましたけど、それくらいで。
 ……待てよ? 驚いた驚いてないはいいとしてこの話、一貴さんはこの亀に目を付けたってことになるのか。ううむ、栞さんも同じく、なんですけど。
「一貴さんの彼女さんも、こういうものが好きなのかな?」
 僕の心配をよそに、栞さんは嬉しそうにしていました。目の前の品物よりも今ここにいない趣味が合いそうな人、であるようです。
「彼女さん、こういうのが好きなんですか? 栞さ――えー、喜坂さんは、結構買い集めてたりするんですけど」
「んー、そうねえ」
 頬に手を当てて首を傾げる一貴さん。しかしもう、動作については何も言いますまい。似合うし。
「この亀さん、あんまり高価じゃないでしょう? というか、ぶっちゃけ安物よねえ?」
 言われて値札を見てみると、そこには四百円との表示が。事前にも見てはいたのですが、仰る通りに安物です。
 僕の部屋に置いてあるリアルな熊ならまだしも、この亀はデフォルメされた可愛らしいもの。妥当かどうかはともかく、似合っている値段ではあります。
「そういうのが好きなのよねえあの人。値段はお安く、それでいて良さげな物っていうね。『値段そのものを買ってるみたいで高級品は嫌いだ』だそうよ」
 男っぽい人だなあ、なんてついつい思ったりした後、目の前の男性を改めて意識してしまったり。女っぽい人なんだもんなあ。
「値段に釣り合う中身があれば高級品でも構わないそうだけど……正直言って、博打に近くなっちゃうものねえ。知識があるわけでなし、センスに自信があるわけでもなし。怖くてそっちには手が出せないわ」
 ほうと溜息をつきながら、しかし最低限の笑顔は保ち続ける一貴さん。言うまでもなく女性らしい笑みではあるのですが、笑顔を保ち続けていることそれ自体については、男らしい女らしいとはまた別の話なのでしょう。
 常に笑顔ということで思い出されるのは、あまくに荘で最年長の、眼鏡のおじさん。――なのですが、一貴さんと清さんでは、何となく受ける感じが違うような。
 しかしそれとはまた別に、
「あの、一貴さん、ちょっと思ったんですけど」
 もう一つ疑問が。
「何かしら?」
「四百円のこの亀が『値段に釣り合う中身』って基準を満たしてるとすると」
「うんうん」
「例えば高級品で四万円のバッグがあったとして、それがこの基準を満たそうとすると、単純計算でこの亀の百倍の中身を持ってなきゃならないってことなんでしょうか?」
「そうなるわねえ。でも、そんなの無理でしょ? 一口に百倍って言っても、それって実際すんごい差だし」
 可愛らしくデフォルメされていて、小さめではあるものの小物入れとして使用でき、そして小さいからこそ置き場所に困らず、気軽に替えてしまう陶器製の亀。デザインの好みが合うとしたなら結構な「中身」を伴いそうなこの商品の、百倍の中身を誇るバッグ。
 どんなだそれ。
「どれだけ高値がついても、バッグはバッグだもの。バッグっていう品物に相当の価値を見出してる人でもないと、なかなかねえ」
 もちろんこれは一貴さんがそう思っているという話ではなく、あくまで一貴さんの彼女さんの言い分。なので、せっかく保っている笑顔がちょっと曇ります。
「大変そうですね」
「まあでもそのおかげで、四百円のプレゼントで喜んでもらえそうなんだけどね」
 ちょっと曇っていた笑顔、即座に復活。もしかしたら、曇らせたのは演技だったのかもしれません。
 ――いや、ちょっと待て。
「あの、その亀、実は喜坂さんも狙ってたところなんですけど……」
「ね、狙ってたって言い方はどうなんだろう?」
 突っ込みを入れられてしまいましたが、まあ誤解をされるような表現でもないでしょう。ということで、突っ込みを入れられた事実を一貴さんに伝えるのはパス。
「あら、そうだったの? ううん、やっぱり女の子うけするみたいねえ。あたしの目に狂いはなかったわ」
 いえあの、そういう話でなく。でもおめでとうございます。
 一貴さん、亀を手に平にひょいと乗せ、しなやかな足さばきでレジへ向かう。見事なまでにこちらの言い分を受け流されてしまったせいか、二の句を告げようにも告げられない雰囲気に。二の句を告げるべき口は、あわあわしているばかりです。
「すいませぇん、これなんですけど」
 カウンターにコトリと置かれる陶器の亀。しかし店員さんは、その亀よりも目の前の男性が気になっているようでした。動きは小さくとも喋り方はそのままですからねえ。
 ちなみに僕ですが、もちろん気にするのは亀です。買われてしまいます亀が。
「二つ欲しいんですけど、これ以外にも置いてあります?」
 ん?
「あ、は、はい。ございます」
 いくら何でも店員さん、動揺し過ぎだとは思いますが、それはそれ。仕方ない。
 ――そりゃそっか、棚に陳列してある分だけしか置いてないってことはないか。売り物の絶対数が少な過ぎるもんねそれだと。

「え、あたしに亀さん横取りされると思ってたの?」
「お恥ずかしい限りで……」
「うふふ。まあまあ、彼女絡みとなったら、冷静な判断ができなくても無理はないわよ」
 と言われても慌てていたつもりはなく、つまりは冷静でありながら冷静な判断ができてなかったってことでしょうか。余計にお恥ずかしい。
 ちなみに、栞さんも恥ずかしそうにしていました。横取りというほど積極的なものではないのかもしれませんが、それなりに思うところはあったようです。
 ――それはともかく。
 在庫を引っ張り出してもらうために「二つ欲しい」と言っていた一貴さんですが、当然こちらのぶんの代金はこちら持ちです。
 栞さんのお財布から出ていった、四百円。できれば僕が払いたかったというのは、まあ、しつこいですね。
「ところで今更だけど日向くん、大学のほうはどうなってるの?」
「ああ、今日は午後からなんです。それで昼までの時間潰しがてら」
「まあ、そうよね。あたしも同じようなものよ、大学に向かうついで。電車降りてすぐだしね、ここ」
 そう言えば同森さん――ムッキムキの弟さんは、自宅からの通いだって前に聞いたっけ。となれば、一貴さんもそうなんだろう。多分。

 一貴さんと栞さん、それぞれが一つずつ亀を購入し、その後。
「日向くんって、一人暮らしなんだっけ?」
「あ、はい」
「それでこんなお買い物ってことは――」
 こんなお買い物というのがどんなお買い物かと言うと、食材です。その中でも現在は野菜コーナーを見ているのですが、
「日向くん、ちゃんと自炊してたりするの? それともそれ、喜坂さんの分?」
「ああ、えーと、自分の分ってことになりますかね。これでも、料理にだけはそこそこ自信がありまして」
 他に取り柄がない、とも言う。
「あらあ、これは感心ねえ。あたしとてっちゃんなんて、ずっと親に頼りっきりで」
 てっちゃんというのは同森哲郎さん、つまり弟さん(それでも僕からすれば年上ですが)。兄弟揃って親に頼りっきりだと一貴さんは言いますがしかし、それは別に卑下するようなことではないんじゃないでしょうか。……なんて思ってしまうのは、照れ隠しなのだろう。一応は、料理ができるという点を取り柄だと思っているわけだし。
「――そんなあたしの目だから見当違いな感想なのかもしれないけど、随分と多くない? 篭の中身。意外と大食らいなのかしら」
 そう言われてしまう篭の中身は、そろそろ「中身」に収まりきらなくなりそうな量。しかもこのあと肉も買う予定なので、もしかしたら二篭めの手配も考慮しないといけないかもしれません。そしてもちろん、こんな量を一人で食べ切るわけではありません。
 答える前に栞さんを見遣ると、一貴さんが一緒だということで口数は少なくなっていましたが、楽しそうな微笑みを返されました。
 やや照れ臭い気もしますが、事情を説明。始めは三人、今では四人で、毎晩の夕食を迎えていると。
「それはますます感心ねえ、お金を出すに値するほどなんでしょう? 料理の腕も、先生としても」
「先生のほうは分かりませんけどね。一緒に作ってるだけですし」
 そんなことないよ、と栞さんから言ってもらえたのは、それを期待して言ったという部分ももちろんあります。だからと言ってまるっきり嘘ってわけでもないんですけどね。
「うふふ、喜坂さん、今『そんなことない』みたいなこと言ってるんじゃない?」
「…………」
「当たったみたいねえ」
 さすがに、分かり易かったでしょうか。分かり易いから僕も期待できたわけですし。
「それにしても、今の話を聞いたぶんだとお隣同士の付き合いが深いみたいねえ、日向くん達のアパート。毎晩一緒に夜ご飯だなんて」
「そのことには、随分助けてもらってますね。いろんな面で」
「そうでしょうねえ。ちょっと想像してみただけでも、とっても楽しそうだし」
 自分でもそのことは充分に把握しているのですが、他の人から言われると、なんだかそれ以上に嬉しくなります。ということで、そのための準備であるあところの買い物を続行。
 やっぱり二篭めが必要になりました。

「すいません、持たせてしまって」
「なんのなんの、これでも男ですから」
 あまくに荘前。買い物篭ふたつ分の食材はビニール袋(大)三袋分になり、一貴さんにうち一袋を持ってもらったのです。一貴さん本人から持たせるように勧められた面もあるのですが、それは言いっこなしでしょう。
「それに、あたしに合わせて歩いてもらっちゃったんだもの。これくらいは」
 駅から大学までは歩きの一貴さん。その歩みに合わせて荷物と栞さんを乗せて自転車を走行させるような芸当はできないし、できたところで歩いたほうが確実に楽なので、からからと手押しです。まあ、大した距離でもないですしね。
「喜んでもらえるといいですね、亀」
「そうねえ。うふふ、楽しみだわ。――それじゃあ日向くん、喜坂さん、今日はどうもお邪魔しました」
 家に着いたばかりのところでお邪魔しましたと言われるのも妙な感じですが、そういうことなんだそうで。
「すいません、時間ギリギリにしちゃいまして」
「いいのよお、あたしが言わなかったんだから」
 大学の話。僕の講義は三限からで、昼過ぎから。しかし一貴さんは二限からで、十時四十分から。そして現在は十時半。まさにギリギリなのです。
 せっかく買い物中に料理の話も出たので、お昼をご一緒しませんかと誘おうとしていたのですが、残念ながらそうはいきませんでした。二限が終わってからまた来てくださいっていうのも、面倒な話ですしね。
「それじゃああたしに邪魔されちゃった分、お昼までどうぞごゆっくり。じゃあね、お二人さん」
 箱に収められているとは言っても割れ物なので、鞄に入れるのは躊躇われるんでしょう。亀の小物入れが入った小さな箱を片手に、一貴さんは大学へ向かってしまいました。

「呼んでくれればよかったじゃないか、それだけ荷物が多くなるのなら」
 外での一貴さんとの会話が耳に届いたのか、202号室前を通りかかったところで台所の窓の向こうには成美さん。恒例の散歩の準備ということなのか既に猫耳を出した大人の姿ですが、僕と栞さんが持つビニール袋を見て、やや不満そうな顔をしています。
「毎度呼べとまでは言わんが、一応、そういうのはわたしの仕事なんだからな」
「いや、すいません。何をどれだけ買うかは店に行ってから考えるほうなんで、まさかここまでになるとは自分でも」
 冷蔵庫の中身とも相談になるので一度に買う量はまちまちですが、しかし今回がこれだけの量になっているのは、ご覧の通り。平謝りもいいところです。
「いいじゃねえか別に。仕事増えて欲しいのか?」
 成美さんの後ろからはそんな声。誰とまでは言いませんが、恒例の散歩を執り行う人物です。そんな人物なので、
「毎日しっかり働いているお前に言われたくはないぞ。じゃあ逆に、減って欲しいか?」
「それは……まあ、まあ」
 すごすごと引き下がらせられてしまうのでした。
 仕事好き、というのとはまた違うような気もしますが、ここのみんなはそれぞれの役割について、積極的なのです。もちろんそれは大吾だって。
「ということだ。手が足りない時は呼んでくれよ、日向」
「了解しました」
「うむ。……ところで、喜坂のそれは何だ? 袋の中身とはまた違うようだが」
 ビニール袋の所持数は、僕が二袋、栞さんが一袋。僕はその二袋だけで両手が塞がるわけですが、栞さんは空いた一方の手に掌大の箱を持っています。
「今日もまた買ってきたんだよ、動物の置物」
 そう言って栞さんが箱を開くと、中には亀。なのですが、成美さんは怪訝そうな顔。
「いつもだったら、実物に近いものを買っていなかったか? 今回のこれは随分とこう、愛嬌があると言うか……」
「今までのだって愛嬌あるよう」
「ああすまん、そういう意味ではなかったのだが」
 言われてみれば確かに、栞さんの部屋へお邪魔した時に見せてもらったコレクションは、どれもリアルな造りのものでした。そしてそのうちの一つが僕の部屋に飾ってあったりもします。ちょっと怖い熊が。
「好みが変わったとかじゃないんだけど、たまにはいいかなって。ほら、背中が蓋にもなってるし」
「ほう、置物ではなく入れ物だったのか。何を入れるのかは知らんが」
「あはは、栞もそれはまだ決めてない」
 まあ、そういうものでしょう。なんせ小物入れですから。
「無計画なことだな。……しかし、それがあってのお前の部屋か。ううむ、わたしもそういう買い物の仕方をするべきだろうか? 二人で一つの部屋に住んでいるのに部屋自体が寂しくてな。まあ、お前の部屋と比べてという話だが」
「それは大吾くんと相談してもらわないと」
「もちろんそのつもりだ。ということで大吾、どうだ? 部屋にものが増えるのは」
「いきなり言われてもなあ。オレだってそういうの不慣れだし」
 慣れ不慣れの話でもないような気はするけど、言いたいことは分かる。なんせ似合わないし。――いや、貶してるとかそういうことでなく。ちなみに、成美さんだってあんまり似合わないし。――いや、貶してるとかそういうことでなく。
「んなことよりもオマエ等、これから散歩ってとこだったんだけど、時間あるんだったら一緒に行くか?」
「あ、うん」
「もちろん行くよー」
 大吾の側から誘ってもらえるとは思いませんでしたが、まあ、話題逸らしのつもりだったんでしょう。とは言え、大吾から誘われようが誘われまいが、そういう話にはなってたんでしょうけどね。
 さあ、それでは一旦荷物を置きに戻りましょう。

 ということで。
「おはようございます、皆さん」
「いい天気だねえ。おかげでジョン君のふさふさ加減も二割増しだよ」
「ワンッ!」
 ジョンと、ジョンの背中に乗っているナタリーさんと、ジョンの体毛のどこかに埋もれているフライデーさんが合流。体全部を覆われていたらふさふさ加減がどうこうとかいう問題ではなさそうな気がしますけど、どうでしょうかフライデーさん。
「んっふっふ。では、行ってらっしゃいませ」
「行ってきます、清サン」
 お見送りの清さんへ大吾が返事をし、みんなもそれに続いて、さあ出発。
 午前中だけで二度も出掛けるということにはなりますが、気にすることではないでしょう。フライデーさんではありませんが、いい天気ですし。


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