「さてと」
緩んだ頬を締め直し、それはともかくということで。
「始めましょうか、料理」
「あはは、長くなっちゃったねえ、前置き」
「高次さんの好みがミステリアスなせいだぞー」
「俺かよー」
長かった前置きの合間にも話題になった通り、生徒二名の腕前は既にそこそこのもの。僕の好物でありながらも簡単なその料理程度なら、特に指示を出すまでもありませんでした。
先生としてそれはそれでどうなのよ、という疑問はこの際、無視しておきましょう。余力は残しておくべきですしね、いろいろと。
「はーい今日は豆腐の肉乗せだよー」
「知ってるけどな」
「これにじゃがいもとにんじんをどうにかこうにかしたら、高次さんの好物にもならないかな?」
「そんな無茶な」
高次さんの好物に「も」って、僕の好物であることは据え置きなんですかその料理は。
ということで、高次さんと同じような苦笑いを浮かべつつ――豆腐と肉と、にんじんとじゃがいも。一瞬「豆腐コロッケ」という料理名が頭をよぎりましたが、よく考えたらじゃがいもを使った時点でそれは豆腐コロッケではなく「豆腐入りのコロッケ」でした。
……いや待った。じゃがいもと豆腐を半々くらいの割合にしたらどんな感じになるんだろうか? 個人的に試してみようかな。
しかしそれはいずれそのうちということで、では。
『いただきます』
「どうですか先生、お味のほうは」
「そりゃもう好物ですから大変美味しいですけど、でもどれが誰の作ったものなのか判別できないんですよね。できたから評価が変わるってことでもないですけど」
「喜坂さんが作ってたとしても?」
「そもそも腕前で味が違ってくるような料理でもないですけど――うーん、そういうところは公平にいきたいですしねえ」
「おお、さすが好きでやってる人だね。こりゃ厳しいぞしぃちゃん」
「……実行できるかどうかは分かりませんけどね」
「というオチがつくことは分かってたけどね」
「…………」
「実行できなかったとしても、むしろ評価が厳しくなるってことも有り得そうだけどなあ。孝一くんの場合」
「あー、なんか分かるなあそれ。日向くんがそうなってるところ、容易に想像出来ちゃうっていうか」
「喜べこーちゃん先生、周囲からの信頼はバッチリみたいだぞ」
「そういう流れでしたっけ、今の。みんな笑ってますけど」
「まあまあ、そうなるにしたってしぃちゃん限定なんだし。というわけでしぃちゃん、どう?」
「んー。少なくとも、『厳しくされるのもそれはそれでいいかなあ』とは思いますけどね。まあ私の場合、自分の腕のほうがそれに見合ってないかもですけど」
「どうだこーちゃん!」
「なんでそこで楓が偉そうなんだろうか」
「今の発言を引き出したのはアタシの巧みな話術なわけですよ、高次さん」
「そうだったろうか……」
「栞さん」
「ん?」
「すっごい嬉しいですけど、でも、頑張って公平にします」
「ふふっ。うん、分かった」
『ごちそうさまでした』
お腹いっぱい胸いっぱい。今横になったら非常にいい気持ちで眠れそうな気がしますが、しかしまあ、そうはいきませんということで。
重ねた食器を台所に移し終えたならば、食後の休憩など無しに、予定されていた通りのことを。
「じゃあ、ここからは真面目にいかせてもらうけど」
『はい』
返事が被ったことに何の違和感も覚えないほど張り詰めたその真剣さは、ついさっきまでおちゃらけていた家守さんから。そういう人だというのは重々承知ですし、だからこそ僕も栞さんもこの人のことが好きなのですが、しかしそれでもやはり、事の始めにはそのギャップを意識せずにはいられません。
「明日の話――の、前にね。一つだけ、高次さんと話してたことがあるんだけど」
「なんですか?」
尋ねたのは僕でしたが、家守さんも高次さんも、見ていたのは栞さんのほうでした。ならば僕の視線もそちらへ流れるのですが、当人はそれらの視線が何を意味しているのか分からないといった様子でした。つまり、僕と似たようなものです。
僕が口にした言葉と同じ意味を持つ視線が栞さんから家守さんへ向けられ、ならばそれに応じて、家守さんが話し始めます。
「しぃちゃん、今の暮らしが始まってから四年になるでしょ?」
「え? あ、はい」
説明に入ることを促したのは栞さん本人です。しかしそれなのに、出てきた返事は虚を突かれたようなものなのでした。そうなってしまうほどに想定外の話題だったと、そういうことなのでしょう。
「それで、最近年を取り始めたんだよね。こーちゃんのおかげで」
「はい」
淀みなく頷く栞さんですが、視線は未だ変わらず。僕が絡んだことで明日の話との関連が見えたような気もしますが、しかしどう絡むのかはやっぱりまだ分かりません。
「そうしたほうがいいって話じゃなくて、あくまでも『望むならしてあげられる』って話なんだけどね」
前置き、ということになるのでしょう。
基本的に真剣な話をする際の家守さんはその「望むなら」というスタンスを取っていることが多く、なのでそんな前置きがなくても何となくそうだろうとは思っていたことでしょう。そして僕達がそう思うことは家守さん自身も多分把握しているのでしょうが、けれど。
けれど、そんな前置きが間に挟まれたのでした。
「しぃちゃん、止まってた四年間分の年、取りたいと思う?」
栞さんは小さく声を上げましたが、しかし小さ過ぎて、それを頭の中で文字に変換することはできませんでした。驚きによるものである、ということだけは分かりましたが。
必要ないとも思える前置きを、敢えて入れるような話。確かにこれは、それに相応しいものと見て間違いはないでしょう。
当たり前と言えば当たり前なのでしょうが、栞さん、すぐには返事が出来ないようでした。すると、その様子を確認したような短い間を挟んでから、家守さんが話を続けます。
「明日のことに影響は出てくるだろうけど、それだけの話でもないからね、やっぱり。急かしはしないから、じっくり考えてくれていいよ」
「は、はい」
頷いた栞さんは動揺を隠し切れていませんでしたが、するとそこへ、高次さんがもう一言。
「もちろん日向くんと相談したって構わないからね。必要なら俺と楓は引っ込んどくから」
「あ……」
少しだけ、動揺が和らいだようでした。
「そうしましょうか」
栞さんの答えがどうなのかは一目見れば分かります。けれど言葉が続かないようだったので、僕から声を掛けることにしました。
「うん」
想定通りの返事。ならば一旦二人で私室のほうに、と立ち上がろうとしたところ。家守さん、苦笑いを浮かべながらこう言いました。
「ここの防音性は正直あんまりアテになんないから、アタシと高次さん、部屋まで戻っとくね。だからお手数だけど、答えが決まったら下に来てもらっていいかな? 後の話もそこですればいいし」
「分かりました」
手数を気にしているような話でないのは明確でした。ならばその提案は、進んで受け入れておくべきなのでしょう。
「どうしよう」
家守さんと高次さんが帰った後の栞さんの第一声は、それなのでした。
僕の意見を窺おうとしている、という感じではありません。本当にどうしたらいいのか分からないという、それはか細い声なのでした。
意見を出すより先に、僕は栞さんに寄り添いました。まずは栞さんの不安を和らげないと、僕にまでその不安が伝染してしまうような気がしたのです。
寄り添ったからといって何を言うでもない僕に、栞さんもまた、何も言ってはきませんでした。けれど無言のまま、上着の袖を掴まれていたりも。
手首を返してその袖を掴む手に指を触れさせたところ、栞さんの手は、掴む対象を袖から手へするりと移行させるのでした。
「……ありがとう。ちょっと落ち着いた」
十秒そこらでそう言ってきた栞さんは、こちらへ向けた顔をぱっと明るくさせるのでした。強がりが含まれていないというわけでもないでしょうが、取り敢えずはもう心配は不要でしょう。
「どうしよっか」
今度のそれは、僕の意見を窺おうとしているものなのでした。
とはいえ、今さっきあんな調子だったのです。落ち着いたからといって、即座に「自分なりの考え」が持てたというわけではないのでしょう。
それでまず僕に意見を窺うということは、栞さん、自分より僕の意見を重要視している――というのは、早とちりなのかもしれませんけど。
ところで、自分なりの考えの考えをまだ持てていないというのは、僕も同じだったりします。栞さんが持てていないというのは僕の勝手な推測ですけど。
「えーと、まずはやっぱり、なんでそうするかって話ですよね。四年分の年を取るにしても、取らないにしても」
家守さんの提案を受け入れるなら受け入れるなりの理由、断るなら断るなりの理由を、はっきりと持っておくべきなのでしょう。どちらのほうが正しいと言えるわけでない問題なので、尚更に。
「やっぱりそうなるよね」
若干口の端を緩ませつつ、栞さんはそんな返事。そして一方、僕がまだ何の考えも持っていないということについては、全く触れてこないのでした。だからどうだってほどのことでもないんでしょうけどね。
そんなことを考えている間に栞さん、顎に繋いでいないほうの手を当てて、「んー」と思案顔。
「じゃあ、私もこうくんもまだ『こっちのほうがいい』って意見はないみたいだし、両方とも考えてみよっか、そうする理由」
「意見を持つ前のほうが公平になるでしょうしね」
そうまでして公平にする必要はないのかもしれませんが、して損をするということでもありません。だったらば、やれることはやっておきましょうということで。
「まず確認。私はいま二十二歳なんだけど、年を取らなかった期間が四年だから、この身体は十八歳ってことになるね」
「はい」
確認完了。これもまた、必要はないにせよして損はない、という部類になるのでしょう。
「どっちからでもいいだろうけど、じゃあまずは四年分の年を取り戻す方から」
とのことなので、その通りに。身体の年齢が実年齢と同じく二十二歳のそれになるとして、そうしたほうがいい理由とは?
「やっぱり、そっちが本来の姿ってことになりますしねえ。そこまで大きく変わるわけでもないでしょうし、だから『姿』なんていうのはちょっと大袈裟かもしれませんけど」
「でもまあ間違ってはないんだし。うん、やっぱり一番重要なのはそこだろうね。本来の姿っていう」
死んでしまっていなければ、何をするまでもなく、どころか何をどうしようとも、その本来の姿になっていたんですよね。
頭に浮かんだそんな言葉は、けれど頭の中だけに留めておきました。
「こうくんのご両親に会うことを考えたら、どっちがいいかって言ったらやっぱりこっちになるのかな。本当に二十二歳なのかどうか疑われたら困るだろうし、だからって十八歳だ、なんて嘘を言うわけにはいかないし」
「そうなりますかねえ……」
それに対して異見が浮かびはしたのですが、しかしそれは年を取らない方の話をする時に、ということで。異見、ということはそういうことになるんですしね、この場合。
「それで栞さん、一応程度に訊いてみたいんですけど」
「なに?」
「特に理由もなんにもなしで、なんとなーくこっちのほうがいいなーとか、そういうのはありますか?」
なぜそんなことを訊いたのかといいますと、聞きたかったからです。当たり前ですが。
というのも、今みたいに理由があること前提で話し合いをしているなら、そういう意見って言い難いでしょうしね。特に栞さんだと、まず間違いなく言わないでしょう。言うにしても、話し合いが終わって結論が出た後です。結論に不満があるわけじゃないけどね、みたいな一言を添えて。
けれどこうして僕から尋ねたならば、誤魔化すようなことはされないと思います。なので、
「うーん、それすらないんだよねえ。ごめんね、優柔不断で」
というそんな返事は本心であると、僕はすんなり受け入れるのでした。
「そんなふうには思いませんけどね」
不断であるうちからこうしてきっちり話し合う姿勢を持てる人の、どこが優柔でありましょうか。むしろ答えてくれて有難う御座います。
「これがもし十年とか二十年とかだったら、こうでもないんだろうけどね」
「まあ正直なんか半端ですもんねえ、四年って」
子どもの身体であるなら四年でも大きく変わるのでしょうが、しかし栞さんは――こういう言い方をするとなんだかニュアンスが違ってくる気がしますが、もう大人の身体なのです。
そりゃあ法律では二十歳からが大人であり、十八歳と二十二歳じゃあそれを隔ててはしまっているわけですが、だからって二十歳になった途端に身体つきが変わるわけでもないんですし。そんなだったら僕、自分の二年後が怖いですし。
「私とはまた事情が違うけど」
栞さんが呟くように言いました。
「成美ちゃん、凄いなあ」
……ああ、確かに。十年とか二十年とかいう話ですらなく寿命も成長速度もまるっきり違う生物の、しかもそれでも確実に自分の年齢と釣り合ってはいない姿に、なっちゃったわけですしねえ。そりゃあ今ではもう大人の姿になれたりもしますけど。
「凄いからこそあんなにべた惚れなんでしょうけどね、大吾が。というか、怒橋兄妹が」
「あはは、そうかもね」
もちろんその一点だけに現れるような「凄さ」ではないのでしょうが、とにもかくにも、成美さんは凄い人なのです。凄い猫とも言えます。
「まあでも、感心してばかりじゃ駄目だってことで」
「こういう話で成美ちゃんと大吾くんが出てきたらいっつもそうなるよね、最後は」
仰る通り、いつもこうなっています。対抗心、と言ってしまうのは何か違和感がありもしますが、ただ感心するだけでなくそんな感情も持てるというのは、きっといいことなのでしょう。
ちなみに今の話。凄いと思った相手は成美さんですが、その凄さを受け入れている大吾もやっぱり凄いわけで、ならば僕だってそうありたいな、とは思うわけです。
「でもこうくん」
「はい?」
「私自身のことはどうだか分からないけど、少なくともこうくんはあっちの二人と同じくらい凄いと思うよ、もう」
「むう」
そんなことないですよ、という言葉が頭をよぎります。しかしそれはそれでどうなのかな、ということで、むうと唸るだけにしておきました。
自分自身のことは分からない、と栞さんは言いました。それは僕も同じで、僕だって自分のことは分からないのです。ということはつまり、自分の評価については自分よりも相手に出してもらったもののほうがより正確なわけで、だったら、栞さんの言葉を僕が否定するのは違うんじゃないかな、とそう思ったわけです。
「栞さんがそう思ってくれるんだったら、そういうことにしておきます」
「えへへ」
「でも栞さん」
「ん?」
「だったら栞さんだってもう凄いですよ、あっちの二人と同じくらい」
「んー……」
納得できない様子ながら、否定の言葉は発しない栞さん。つまり、僕と全く一緒なのでした。
けれど栞さんが内心でどう思っていようとも、僕の言葉は本心からのものです。そりゃあ成美さんの事情に比べれば随分と規模が小さいことで僕と話し合いをしてはいますが、それで成美さんより劣ると判断するのは早計というものでしょう。
僕なりの思考と言葉で簡潔にそれを説明するならば、誰かに頼るのは誰にも頼らないのに劣るのか、という話です。自分の、しかも根が深い問題について誰かに頼るというのはそれはそれで難しいことであり、だからこそ僕はこれまで何度も「僕を頼ってください」と言い続ける羽目になってきたわけですから。
「くすぐったいというか、落ち着かないというか」
凝った言い回しをしたわけでもなく、ただ単純に「凄い」と褒めただけなのに、栞さんはもじもじと身を捩らせているのでした。
同じことを言われた僕もそうすべきだったのだろうか、なんてことを一瞬考えてしまいましたが、非常に気持ち悪かったので取り消しておきました。これが例えばオカマっぽい先輩こと一貴さんなら、普段からそんな感じなんですけど。
「……ええと、話、進めよっか。次は年を取らない方だね」
あ、そうでした。その話をしてたんでした。
なんて口走ったら、さすがに怒られるでしょうか?
「年を取る方の話をしてた時に思ったんですけど」
「なに?」
栞さん、意外そうな表情。
年を取らない方の話をしようとした途端に前の話かよ、みたいに思われたのかもしれません。けれどこれはそういうことではなく、飽くまでも年を取らない方の話です。
「うちの親に合う時のことを考えたら年を取る方がいいかな、って言ってましたよね? でも僕、年を取らない方もそれはそれでいいんじゃないかなって」
ここで少し間を取って栞さんの反応を窺ってみますが、無言を以って話の先を促されるのみでした。ふむ、では意を決して。
「そういう話をする頃にはもう、栞さんはうちの親からも見える状態になってるでしょうけど――それでもやっぱり、幽霊であることはきっちり理解されてるわけですよね」
「うん。というか、してもらわなきゃならないんだけどね」
「ちょっと酷いこと言っちゃいますけど、いいですか?」
返事には少し間がありました。が、それでもきっちり「うん」と。怒っているように見えるくらい真剣な表情で。
話を取り止めて思いっきり抱き付きたい、なんてのは止しておきましょう。
「何も知らない人からしたら異常事態なんですよ、幽霊がいるって。しかも目の前にいるって。だったらいっそ『幽霊だから最近まで年を取らなくなってた』っていう更なる異常事態を見せ付けたほうが、むしろ自然だったりするんじゃないかな、と」
「そっか、それはあるかも」
真剣な表情を解除しつつ、そう言って頷く栞さん。それで息を詰まらせていたということか、その一言を発する際、まるで溜息を吐くような息使いなのでした。
「でもまあさっきも話してたことですけど、四年の差でそこまで大幅に見た目が変わるわけでもないですから、大して異常にも見えないでしょうけど」
付き合っている僕ですらこんなことを言ってしまうというのに、僕の親なんてそもそも栞さんと会うのは明日が初めてなのです。初対面の相手について十八歳か二十二歳かなんて、深刻に考えるほうが変といえば変なのかもしれません。
けれど栞さん、やや強い口調でこう返してきます。
「意味があるかもしれないってだけでも充分だよ。明日は、それくらい大事な日なんだから」
これには納得せざるを得ませんでした。
しかし納得したら納得したで、また別の問題が。そしてそれに気付いたのが僕だけということもなく、それについて先に口を開いたのは栞さんでした。
「でも、だとしたら結局どうしようか? どっちもいいところがあるってことだよね、年を取るのも取らないのも」
「そうなんですよねえ」
どちらかを選ばなければならないのですが、どちらにも選ぶ理由があると。しかも今の段階で、僕と栞さんの気持ちはどちらに傾いているわけでもないと。ならばここはもう一押し、既に挙げたもの以外のいいところを探すべきでしょうか。
「あ、そうだ」
「おっ」
栞さんが何か思い付いたようです。この流れなので、僕と同じようなことを考えていたのではないだろうか? と期待を持ってみますが、いかがでしょうか。
すると栞さん、眉間に皺を寄せかねない勢いの気難しい顔になりつつ、「あー、いやでも、あんまり関係ないかなあやっぱり」と吐き捨てます。
「まあ一応話してみてくださいよ」
聞いてから判断すればいいことですし、と軽い気持ちで先を促してみました。
「明日のこととか、他の誰にどうとかじゃなくて、こうくん相手のことなんだけど」
「僕ですか」
そりゃまあ栞さんに関することですから、僕に何かしらの影響があったって不思議ではありません。というか明日のことがあるせいでこれまでそちらに意識が向きませんでしたが、むしろ僕こそ最大の影響を受ける人物ということになるのでしょう。今更理由を語るまでもなく。
しかしはてさて、どういった影響があるだろうと考えてみても、具体的に思い付くわけではありません。というわけで栞さん、張り切ってどうぞ。
「ちょっとでも若いほうがいいのかなって」
ちょっと待ってみました。
が、言葉が続けられる様子はありません。
「……いや、その理由が聞きたいんですけど」
つまりは四年分の年を取らないほうがいい、という話なのでしょうが、いま重要なのは「どうしてそうなる」という部分なのです。
「…………」
「栞さん?」
「やらしい意味で」
「……おお」
なるほど、理解しました。一瞬で理解できてしまいました。そうですよね、それだって一緒に暮らすうえでは重要な問題ですよねやっぱり。――が、しかし。しかしですよ栞さん。
あまり僕を甘く見ないで頂きたいものです。
「ええと、じゃあ今のに対する返事ですけど、いいですか?」
「うん」
「まだ酷い言い方になっちゃいますけど、ぶっちゃけ、そんなのどうでもいいです。四歳程度年が上下したところで何がどうなるってことはないです、絶対に」
最低限それが酷い言い方であることは自覚していたので、一息で言い終えてしまいます。ただでさえひどい言い方なのにネチネチとした調子だったら、それこそ本当に嫌がられてしまうでしょうし。
……しかし一息で言い終えたからといって、嫌がられないという保証があるわけではありません。
栞さんは黙っていて、しかも真顔。そんな様子につい、軽薄にも「怒らせちゃいましたか?」と怒らせたかもしれない本人である僕が尋ねてしまいました。
「えっ?」
すると栞さん、真顔状態を解除。どころか、座ったまま飛び上がりそうなほど驚いた様子なのでした。
「あっ、いや、そっか。怒ってもいいところだったかな、今の言われ方じゃあ」
「怒られたいわけじゃないんで、そうですとは言いませんけど……」
「あはは、いや、あんまりはっきり言われ過ぎて混乱しちゃって」
混乱したと。ならばつまり、僕の返事は全く予想していなかったものだったのでしょう。ううむ、それはそれでこちらとしては心外なのですが、怒ったかどうかを心配してみせた手前、あまり強くは言えそうにありません。
「でもこうくんのことだから、悪い意味じゃないんでしょ?」
「そりゃそのつもりですけど――あはは、さすがに、そういう納得のされ方っていうのは照れ臭いです」
言ったことの内容がどうあれ、僕だから大丈夫。嬉しいことは嬉しいですし、そう思ってもらって問題ないという程度の自負はありますが、それでも積極的に肯定はし難い話なのでした。
なんてことを考えつつも僕の頬は思いっきり緩んでいるのですが、けれどもしかし、栞さんはそれに比べれば随分とマシなのでした。ちょっと照れている様子は窺えますが、それだけです。
「きっちり説明して欲しいな、さっきああ言ったのがなんでなのか。なんで、『何がどうなるってことはない』なのか」
「十八歳だろうが二十二歳だろうが、それが栞さんであることには変わりないからです。その時点でもう、なんというか、そういう際のそういう気分は上限値までいっちゃってるわけで」
尋ねられたので、答えてみました。
もちろん二十二歳の栞さんについてはまだ見たことすらないわけで、だったら「二十二歳だろうが」という点は想像でしかないのですが、それでも断言できます。断言できる理由とまで言われたら具体的な証拠は何もありませんが、僕がどれだけ自分のことを好いているか、把握していない栞さんではないでしょう。
さて、こっちは顔が爆発しそうですがどうでしょうか栞さん。
「分かった」
あっけないくらい、返事は短いのでした。それで事足りるからということなのでしょう。
緩んだ頬を締め直し、それはともかくということで。
「始めましょうか、料理」
「あはは、長くなっちゃったねえ、前置き」
「高次さんの好みがミステリアスなせいだぞー」
「俺かよー」
長かった前置きの合間にも話題になった通り、生徒二名の腕前は既にそこそこのもの。僕の好物でありながらも簡単なその料理程度なら、特に指示を出すまでもありませんでした。
先生としてそれはそれでどうなのよ、という疑問はこの際、無視しておきましょう。余力は残しておくべきですしね、いろいろと。
「はーい今日は豆腐の肉乗せだよー」
「知ってるけどな」
「これにじゃがいもとにんじんをどうにかこうにかしたら、高次さんの好物にもならないかな?」
「そんな無茶な」
高次さんの好物に「も」って、僕の好物であることは据え置きなんですかその料理は。
ということで、高次さんと同じような苦笑いを浮かべつつ――豆腐と肉と、にんじんとじゃがいも。一瞬「豆腐コロッケ」という料理名が頭をよぎりましたが、よく考えたらじゃがいもを使った時点でそれは豆腐コロッケではなく「豆腐入りのコロッケ」でした。
……いや待った。じゃがいもと豆腐を半々くらいの割合にしたらどんな感じになるんだろうか? 個人的に試してみようかな。
しかしそれはいずれそのうちということで、では。
『いただきます』
「どうですか先生、お味のほうは」
「そりゃもう好物ですから大変美味しいですけど、でもどれが誰の作ったものなのか判別できないんですよね。できたから評価が変わるってことでもないですけど」
「喜坂さんが作ってたとしても?」
「そもそも腕前で味が違ってくるような料理でもないですけど――うーん、そういうところは公平にいきたいですしねえ」
「おお、さすが好きでやってる人だね。こりゃ厳しいぞしぃちゃん」
「……実行できるかどうかは分かりませんけどね」
「というオチがつくことは分かってたけどね」
「…………」
「実行できなかったとしても、むしろ評価が厳しくなるってことも有り得そうだけどなあ。孝一くんの場合」
「あー、なんか分かるなあそれ。日向くんがそうなってるところ、容易に想像出来ちゃうっていうか」
「喜べこーちゃん先生、周囲からの信頼はバッチリみたいだぞ」
「そういう流れでしたっけ、今の。みんな笑ってますけど」
「まあまあ、そうなるにしたってしぃちゃん限定なんだし。というわけでしぃちゃん、どう?」
「んー。少なくとも、『厳しくされるのもそれはそれでいいかなあ』とは思いますけどね。まあ私の場合、自分の腕のほうがそれに見合ってないかもですけど」
「どうだこーちゃん!」
「なんでそこで楓が偉そうなんだろうか」
「今の発言を引き出したのはアタシの巧みな話術なわけですよ、高次さん」
「そうだったろうか……」
「栞さん」
「ん?」
「すっごい嬉しいですけど、でも、頑張って公平にします」
「ふふっ。うん、分かった」
『ごちそうさまでした』
お腹いっぱい胸いっぱい。今横になったら非常にいい気持ちで眠れそうな気がしますが、しかしまあ、そうはいきませんということで。
重ねた食器を台所に移し終えたならば、食後の休憩など無しに、予定されていた通りのことを。
「じゃあ、ここからは真面目にいかせてもらうけど」
『はい』
返事が被ったことに何の違和感も覚えないほど張り詰めたその真剣さは、ついさっきまでおちゃらけていた家守さんから。そういう人だというのは重々承知ですし、だからこそ僕も栞さんもこの人のことが好きなのですが、しかしそれでもやはり、事の始めにはそのギャップを意識せずにはいられません。
「明日の話――の、前にね。一つだけ、高次さんと話してたことがあるんだけど」
「なんですか?」
尋ねたのは僕でしたが、家守さんも高次さんも、見ていたのは栞さんのほうでした。ならば僕の視線もそちらへ流れるのですが、当人はそれらの視線が何を意味しているのか分からないといった様子でした。つまり、僕と似たようなものです。
僕が口にした言葉と同じ意味を持つ視線が栞さんから家守さんへ向けられ、ならばそれに応じて、家守さんが話し始めます。
「しぃちゃん、今の暮らしが始まってから四年になるでしょ?」
「え? あ、はい」
説明に入ることを促したのは栞さん本人です。しかしそれなのに、出てきた返事は虚を突かれたようなものなのでした。そうなってしまうほどに想定外の話題だったと、そういうことなのでしょう。
「それで、最近年を取り始めたんだよね。こーちゃんのおかげで」
「はい」
淀みなく頷く栞さんですが、視線は未だ変わらず。僕が絡んだことで明日の話との関連が見えたような気もしますが、しかしどう絡むのかはやっぱりまだ分かりません。
「そうしたほうがいいって話じゃなくて、あくまでも『望むならしてあげられる』って話なんだけどね」
前置き、ということになるのでしょう。
基本的に真剣な話をする際の家守さんはその「望むなら」というスタンスを取っていることが多く、なのでそんな前置きがなくても何となくそうだろうとは思っていたことでしょう。そして僕達がそう思うことは家守さん自身も多分把握しているのでしょうが、けれど。
けれど、そんな前置きが間に挟まれたのでした。
「しぃちゃん、止まってた四年間分の年、取りたいと思う?」
栞さんは小さく声を上げましたが、しかし小さ過ぎて、それを頭の中で文字に変換することはできませんでした。驚きによるものである、ということだけは分かりましたが。
必要ないとも思える前置きを、敢えて入れるような話。確かにこれは、それに相応しいものと見て間違いはないでしょう。
当たり前と言えば当たり前なのでしょうが、栞さん、すぐには返事が出来ないようでした。すると、その様子を確認したような短い間を挟んでから、家守さんが話を続けます。
「明日のことに影響は出てくるだろうけど、それだけの話でもないからね、やっぱり。急かしはしないから、じっくり考えてくれていいよ」
「は、はい」
頷いた栞さんは動揺を隠し切れていませんでしたが、するとそこへ、高次さんがもう一言。
「もちろん日向くんと相談したって構わないからね。必要なら俺と楓は引っ込んどくから」
「あ……」
少しだけ、動揺が和らいだようでした。
「そうしましょうか」
栞さんの答えがどうなのかは一目見れば分かります。けれど言葉が続かないようだったので、僕から声を掛けることにしました。
「うん」
想定通りの返事。ならば一旦二人で私室のほうに、と立ち上がろうとしたところ。家守さん、苦笑いを浮かべながらこう言いました。
「ここの防音性は正直あんまりアテになんないから、アタシと高次さん、部屋まで戻っとくね。だからお手数だけど、答えが決まったら下に来てもらっていいかな? 後の話もそこですればいいし」
「分かりました」
手数を気にしているような話でないのは明確でした。ならばその提案は、進んで受け入れておくべきなのでしょう。
「どうしよう」
家守さんと高次さんが帰った後の栞さんの第一声は、それなのでした。
僕の意見を窺おうとしている、という感じではありません。本当にどうしたらいいのか分からないという、それはか細い声なのでした。
意見を出すより先に、僕は栞さんに寄り添いました。まずは栞さんの不安を和らげないと、僕にまでその不安が伝染してしまうような気がしたのです。
寄り添ったからといって何を言うでもない僕に、栞さんもまた、何も言ってはきませんでした。けれど無言のまま、上着の袖を掴まれていたりも。
手首を返してその袖を掴む手に指を触れさせたところ、栞さんの手は、掴む対象を袖から手へするりと移行させるのでした。
「……ありがとう。ちょっと落ち着いた」
十秒そこらでそう言ってきた栞さんは、こちらへ向けた顔をぱっと明るくさせるのでした。強がりが含まれていないというわけでもないでしょうが、取り敢えずはもう心配は不要でしょう。
「どうしよっか」
今度のそれは、僕の意見を窺おうとしているものなのでした。
とはいえ、今さっきあんな調子だったのです。落ち着いたからといって、即座に「自分なりの考え」が持てたというわけではないのでしょう。
それでまず僕に意見を窺うということは、栞さん、自分より僕の意見を重要視している――というのは、早とちりなのかもしれませんけど。
ところで、自分なりの考えの考えをまだ持てていないというのは、僕も同じだったりします。栞さんが持てていないというのは僕の勝手な推測ですけど。
「えーと、まずはやっぱり、なんでそうするかって話ですよね。四年分の年を取るにしても、取らないにしても」
家守さんの提案を受け入れるなら受け入れるなりの理由、断るなら断るなりの理由を、はっきりと持っておくべきなのでしょう。どちらのほうが正しいと言えるわけでない問題なので、尚更に。
「やっぱりそうなるよね」
若干口の端を緩ませつつ、栞さんはそんな返事。そして一方、僕がまだ何の考えも持っていないということについては、全く触れてこないのでした。だからどうだってほどのことでもないんでしょうけどね。
そんなことを考えている間に栞さん、顎に繋いでいないほうの手を当てて、「んー」と思案顔。
「じゃあ、私もこうくんもまだ『こっちのほうがいい』って意見はないみたいだし、両方とも考えてみよっか、そうする理由」
「意見を持つ前のほうが公平になるでしょうしね」
そうまでして公平にする必要はないのかもしれませんが、して損をするということでもありません。だったらば、やれることはやっておきましょうということで。
「まず確認。私はいま二十二歳なんだけど、年を取らなかった期間が四年だから、この身体は十八歳ってことになるね」
「はい」
確認完了。これもまた、必要はないにせよして損はない、という部類になるのでしょう。
「どっちからでもいいだろうけど、じゃあまずは四年分の年を取り戻す方から」
とのことなので、その通りに。身体の年齢が実年齢と同じく二十二歳のそれになるとして、そうしたほうがいい理由とは?
「やっぱり、そっちが本来の姿ってことになりますしねえ。そこまで大きく変わるわけでもないでしょうし、だから『姿』なんていうのはちょっと大袈裟かもしれませんけど」
「でもまあ間違ってはないんだし。うん、やっぱり一番重要なのはそこだろうね。本来の姿っていう」
死んでしまっていなければ、何をするまでもなく、どころか何をどうしようとも、その本来の姿になっていたんですよね。
頭に浮かんだそんな言葉は、けれど頭の中だけに留めておきました。
「こうくんのご両親に会うことを考えたら、どっちがいいかって言ったらやっぱりこっちになるのかな。本当に二十二歳なのかどうか疑われたら困るだろうし、だからって十八歳だ、なんて嘘を言うわけにはいかないし」
「そうなりますかねえ……」
それに対して異見が浮かびはしたのですが、しかしそれは年を取らない方の話をする時に、ということで。異見、ということはそういうことになるんですしね、この場合。
「それで栞さん、一応程度に訊いてみたいんですけど」
「なに?」
「特に理由もなんにもなしで、なんとなーくこっちのほうがいいなーとか、そういうのはありますか?」
なぜそんなことを訊いたのかといいますと、聞きたかったからです。当たり前ですが。
というのも、今みたいに理由があること前提で話し合いをしているなら、そういう意見って言い難いでしょうしね。特に栞さんだと、まず間違いなく言わないでしょう。言うにしても、話し合いが終わって結論が出た後です。結論に不満があるわけじゃないけどね、みたいな一言を添えて。
けれどこうして僕から尋ねたならば、誤魔化すようなことはされないと思います。なので、
「うーん、それすらないんだよねえ。ごめんね、優柔不断で」
というそんな返事は本心であると、僕はすんなり受け入れるのでした。
「そんなふうには思いませんけどね」
不断であるうちからこうしてきっちり話し合う姿勢を持てる人の、どこが優柔でありましょうか。むしろ答えてくれて有難う御座います。
「これがもし十年とか二十年とかだったら、こうでもないんだろうけどね」
「まあ正直なんか半端ですもんねえ、四年って」
子どもの身体であるなら四年でも大きく変わるのでしょうが、しかし栞さんは――こういう言い方をするとなんだかニュアンスが違ってくる気がしますが、もう大人の身体なのです。
そりゃあ法律では二十歳からが大人であり、十八歳と二十二歳じゃあそれを隔ててはしまっているわけですが、だからって二十歳になった途端に身体つきが変わるわけでもないんですし。そんなだったら僕、自分の二年後が怖いですし。
「私とはまた事情が違うけど」
栞さんが呟くように言いました。
「成美ちゃん、凄いなあ」
……ああ、確かに。十年とか二十年とかいう話ですらなく寿命も成長速度もまるっきり違う生物の、しかもそれでも確実に自分の年齢と釣り合ってはいない姿に、なっちゃったわけですしねえ。そりゃあ今ではもう大人の姿になれたりもしますけど。
「凄いからこそあんなにべた惚れなんでしょうけどね、大吾が。というか、怒橋兄妹が」
「あはは、そうかもね」
もちろんその一点だけに現れるような「凄さ」ではないのでしょうが、とにもかくにも、成美さんは凄い人なのです。凄い猫とも言えます。
「まあでも、感心してばかりじゃ駄目だってことで」
「こういう話で成美ちゃんと大吾くんが出てきたらいっつもそうなるよね、最後は」
仰る通り、いつもこうなっています。対抗心、と言ってしまうのは何か違和感がありもしますが、ただ感心するだけでなくそんな感情も持てるというのは、きっといいことなのでしょう。
ちなみに今の話。凄いと思った相手は成美さんですが、その凄さを受け入れている大吾もやっぱり凄いわけで、ならば僕だってそうありたいな、とは思うわけです。
「でもこうくん」
「はい?」
「私自身のことはどうだか分からないけど、少なくともこうくんはあっちの二人と同じくらい凄いと思うよ、もう」
「むう」
そんなことないですよ、という言葉が頭をよぎります。しかしそれはそれでどうなのかな、ということで、むうと唸るだけにしておきました。
自分自身のことは分からない、と栞さんは言いました。それは僕も同じで、僕だって自分のことは分からないのです。ということはつまり、自分の評価については自分よりも相手に出してもらったもののほうがより正確なわけで、だったら、栞さんの言葉を僕が否定するのは違うんじゃないかな、とそう思ったわけです。
「栞さんがそう思ってくれるんだったら、そういうことにしておきます」
「えへへ」
「でも栞さん」
「ん?」
「だったら栞さんだってもう凄いですよ、あっちの二人と同じくらい」
「んー……」
納得できない様子ながら、否定の言葉は発しない栞さん。つまり、僕と全く一緒なのでした。
けれど栞さんが内心でどう思っていようとも、僕の言葉は本心からのものです。そりゃあ成美さんの事情に比べれば随分と規模が小さいことで僕と話し合いをしてはいますが、それで成美さんより劣ると判断するのは早計というものでしょう。
僕なりの思考と言葉で簡潔にそれを説明するならば、誰かに頼るのは誰にも頼らないのに劣るのか、という話です。自分の、しかも根が深い問題について誰かに頼るというのはそれはそれで難しいことであり、だからこそ僕はこれまで何度も「僕を頼ってください」と言い続ける羽目になってきたわけですから。
「くすぐったいというか、落ち着かないというか」
凝った言い回しをしたわけでもなく、ただ単純に「凄い」と褒めただけなのに、栞さんはもじもじと身を捩らせているのでした。
同じことを言われた僕もそうすべきだったのだろうか、なんてことを一瞬考えてしまいましたが、非常に気持ち悪かったので取り消しておきました。これが例えばオカマっぽい先輩こと一貴さんなら、普段からそんな感じなんですけど。
「……ええと、話、進めよっか。次は年を取らない方だね」
あ、そうでした。その話をしてたんでした。
なんて口走ったら、さすがに怒られるでしょうか?
「年を取る方の話をしてた時に思ったんですけど」
「なに?」
栞さん、意外そうな表情。
年を取らない方の話をしようとした途端に前の話かよ、みたいに思われたのかもしれません。けれどこれはそういうことではなく、飽くまでも年を取らない方の話です。
「うちの親に合う時のことを考えたら年を取る方がいいかな、って言ってましたよね? でも僕、年を取らない方もそれはそれでいいんじゃないかなって」
ここで少し間を取って栞さんの反応を窺ってみますが、無言を以って話の先を促されるのみでした。ふむ、では意を決して。
「そういう話をする頃にはもう、栞さんはうちの親からも見える状態になってるでしょうけど――それでもやっぱり、幽霊であることはきっちり理解されてるわけですよね」
「うん。というか、してもらわなきゃならないんだけどね」
「ちょっと酷いこと言っちゃいますけど、いいですか?」
返事には少し間がありました。が、それでもきっちり「うん」と。怒っているように見えるくらい真剣な表情で。
話を取り止めて思いっきり抱き付きたい、なんてのは止しておきましょう。
「何も知らない人からしたら異常事態なんですよ、幽霊がいるって。しかも目の前にいるって。だったらいっそ『幽霊だから最近まで年を取らなくなってた』っていう更なる異常事態を見せ付けたほうが、むしろ自然だったりするんじゃないかな、と」
「そっか、それはあるかも」
真剣な表情を解除しつつ、そう言って頷く栞さん。それで息を詰まらせていたということか、その一言を発する際、まるで溜息を吐くような息使いなのでした。
「でもまあさっきも話してたことですけど、四年の差でそこまで大幅に見た目が変わるわけでもないですから、大して異常にも見えないでしょうけど」
付き合っている僕ですらこんなことを言ってしまうというのに、僕の親なんてそもそも栞さんと会うのは明日が初めてなのです。初対面の相手について十八歳か二十二歳かなんて、深刻に考えるほうが変といえば変なのかもしれません。
けれど栞さん、やや強い口調でこう返してきます。
「意味があるかもしれないってだけでも充分だよ。明日は、それくらい大事な日なんだから」
これには納得せざるを得ませんでした。
しかし納得したら納得したで、また別の問題が。そしてそれに気付いたのが僕だけということもなく、それについて先に口を開いたのは栞さんでした。
「でも、だとしたら結局どうしようか? どっちもいいところがあるってことだよね、年を取るのも取らないのも」
「そうなんですよねえ」
どちらかを選ばなければならないのですが、どちらにも選ぶ理由があると。しかも今の段階で、僕と栞さんの気持ちはどちらに傾いているわけでもないと。ならばここはもう一押し、既に挙げたもの以外のいいところを探すべきでしょうか。
「あ、そうだ」
「おっ」
栞さんが何か思い付いたようです。この流れなので、僕と同じようなことを考えていたのではないだろうか? と期待を持ってみますが、いかがでしょうか。
すると栞さん、眉間に皺を寄せかねない勢いの気難しい顔になりつつ、「あー、いやでも、あんまり関係ないかなあやっぱり」と吐き捨てます。
「まあ一応話してみてくださいよ」
聞いてから判断すればいいことですし、と軽い気持ちで先を促してみました。
「明日のこととか、他の誰にどうとかじゃなくて、こうくん相手のことなんだけど」
「僕ですか」
そりゃまあ栞さんに関することですから、僕に何かしらの影響があったって不思議ではありません。というか明日のことがあるせいでこれまでそちらに意識が向きませんでしたが、むしろ僕こそ最大の影響を受ける人物ということになるのでしょう。今更理由を語るまでもなく。
しかしはてさて、どういった影響があるだろうと考えてみても、具体的に思い付くわけではありません。というわけで栞さん、張り切ってどうぞ。
「ちょっとでも若いほうがいいのかなって」
ちょっと待ってみました。
が、言葉が続けられる様子はありません。
「……いや、その理由が聞きたいんですけど」
つまりは四年分の年を取らないほうがいい、という話なのでしょうが、いま重要なのは「どうしてそうなる」という部分なのです。
「…………」
「栞さん?」
「やらしい意味で」
「……おお」
なるほど、理解しました。一瞬で理解できてしまいました。そうですよね、それだって一緒に暮らすうえでは重要な問題ですよねやっぱり。――が、しかし。しかしですよ栞さん。
あまり僕を甘く見ないで頂きたいものです。
「ええと、じゃあ今のに対する返事ですけど、いいですか?」
「うん」
「まだ酷い言い方になっちゃいますけど、ぶっちゃけ、そんなのどうでもいいです。四歳程度年が上下したところで何がどうなるってことはないです、絶対に」
最低限それが酷い言い方であることは自覚していたので、一息で言い終えてしまいます。ただでさえひどい言い方なのにネチネチとした調子だったら、それこそ本当に嫌がられてしまうでしょうし。
……しかし一息で言い終えたからといって、嫌がられないという保証があるわけではありません。
栞さんは黙っていて、しかも真顔。そんな様子につい、軽薄にも「怒らせちゃいましたか?」と怒らせたかもしれない本人である僕が尋ねてしまいました。
「えっ?」
すると栞さん、真顔状態を解除。どころか、座ったまま飛び上がりそうなほど驚いた様子なのでした。
「あっ、いや、そっか。怒ってもいいところだったかな、今の言われ方じゃあ」
「怒られたいわけじゃないんで、そうですとは言いませんけど……」
「あはは、いや、あんまりはっきり言われ過ぎて混乱しちゃって」
混乱したと。ならばつまり、僕の返事は全く予想していなかったものだったのでしょう。ううむ、それはそれでこちらとしては心外なのですが、怒ったかどうかを心配してみせた手前、あまり強くは言えそうにありません。
「でもこうくんのことだから、悪い意味じゃないんでしょ?」
「そりゃそのつもりですけど――あはは、さすがに、そういう納得のされ方っていうのは照れ臭いです」
言ったことの内容がどうあれ、僕だから大丈夫。嬉しいことは嬉しいですし、そう思ってもらって問題ないという程度の自負はありますが、それでも積極的に肯定はし難い話なのでした。
なんてことを考えつつも僕の頬は思いっきり緩んでいるのですが、けれどもしかし、栞さんはそれに比べれば随分とマシなのでした。ちょっと照れている様子は窺えますが、それだけです。
「きっちり説明して欲しいな、さっきああ言ったのがなんでなのか。なんで、『何がどうなるってことはない』なのか」
「十八歳だろうが二十二歳だろうが、それが栞さんであることには変わりないからです。その時点でもう、なんというか、そういう際のそういう気分は上限値までいっちゃってるわけで」
尋ねられたので、答えてみました。
もちろん二十二歳の栞さんについてはまだ見たことすらないわけで、だったら「二十二歳だろうが」という点は想像でしかないのですが、それでも断言できます。断言できる理由とまで言われたら具体的な証拠は何もありませんが、僕がどれだけ自分のことを好いているか、把握していない栞さんではないでしょう。
さて、こっちは顔が爆発しそうですがどうでしょうか栞さん。
「分かった」
あっけないくらい、返事は短いのでした。それで事足りるからということなのでしょう。
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