(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十九章 希望と予定 八

2011-02-03 20:37:25 | 新転地はお化け屋敷
「まあでも、だからっつって料理の腕を上げようってことにならなかった辺り、そう大したもんでもなかったんだろうけどね。今でもたまに薄味ってことなんだし」
 それは言葉通りに自分へのフォローなのか、それとも一貴さんへのフォローだったのか。――なんてことを思いつつ、でもそこまで尋ねるようなことはしないんですけどね。この状況で僕が料理について何か言ったら、料理の腕を上げるように強要してるようなもんですし。
 そりゃあ料理好きとしては身近な人が料理の上達を目指してくれると嬉しいんですけど、だからってこっちからそうしてくれって言うのもなあ。なんせ僕のは「趣味」だもんで、まずは自発的な関心から始まってもらわないと、どうもこう……。
「んー、とは言ってもそろそろ状況が状況だしなあ。不評なのを放っておくわけにもいかんかね」
 言ってる間に自発的な関心を持ってくれたらしい諸見谷さんですが、はてその状況とはなんのことなのでしょうか?
「状況っちゅうのは何のことです?」
 そりゃまあ僕でなくとも気になるわけで、同森さんが質問。他全員の視線も諸見谷さんへ集中しますが、一貴さんだけは、分かっているらしき顔でした。
「そりゃあれだよ、私は君のお兄さんと一緒になるつもりだからさ。たまに手料理を振舞う、どころか毎日私の手料理を食べさせるわけだから、不味いものを不味いまま放置しとくってわけにはねえ」
 単語が出たわけではありませんが、それはつまり同棲とか結婚とか、そういう話ということになるのでしょう。それについて僕は栞さんとのことを思い返してしまうわけですが、それは今いいとして諸見谷さん、もう一言。
「ああそうそう、一緒になるつもりっていうのは、希望でなく予定としてね。そういう話はもう通してあるからさ、通すべき人達には」
「それなんですが」
 家族である以上、同森さんもその「通すべき人達」に含まれていたのでしょう。質問を重ねる際、驚いたような様子はまるでありませんでした。
「こっちの親はいいとしても、よく諸見谷さんのご両親はこの兄貴を受け入れてくれたもんですね」
 この兄貴の「この」が何を指しているかを考えるに……まあ、言いたいことは分かります。冷たい言い方にも聞こえますけど、そうならざるを得ないということでもあるんでしょう、やっぱり。
 しかし諸見谷さん、そんな表面上の冷たさを「かっかっか」と笑い飛ばします。
「まさか忘れることはないと思うけど哲郎くん、このオカマは正確に言うとオカマもどきなんだよ。うちの親と会ってる時までもどき続けるってこたあないさ、さすがにね」
「ううむ……もちろん分かってはいますが、どうにも不安が……」
「ま、そりゃあ『一生を共にする』なんつう大層なことを誓い合うわけだからね。別に私にも一貴にも限らず、誰だって多少の不安くらいはあるもんだと思うよ。――ただ哲郎くん、残念ながらその不安は諦めるしかないねえ。誰に何言われても、私が折れるようなことはもうないだろうからさ。私からすればそんくらい魅力的なんだよ、君のお兄さんは」
 兄である一貴さんへなら意見も出来ましょうが、そこに諸見谷さんの気持ちが関わってくると、そうもいかなくなってしまうのでしょう。それ以上は何も言わない同森さんなのでした。
「いい弟じゃないさ、こんなとこまで心配してくれるなんて」
「でしょう? うふふ」
 そう笑いながら一貴さんがポテトを一本摘んだ時、そのポテトが震えているように見えましたが、しかしそれは見間違いだったかもしれません。確かめる気も、あまりありませんでした。どっちでもいいのです、そんなことは。
「――まあ、一つ言えることは」
 にわかに静かになったところへ響いたその声は、異原さんのものでした。
「あたし達、人のこと心配してられる場合じゃないってことだわね。哲郎くんは除くとして」
「俺とお前は分かるけど、音無まで巻き込むのかよ」
 ぼ、僕はどうなんでしょうか口宮さん。
「巻き込ませてもらうわよ。あんたと二人だけって不安だし」
「で……できればそうさせてください……。一人は……不安ですし……」
 利害が一致したのかなんなのかよく分かりませんが、そういうことになったそうです。ところで僕は。
「あの、僕は?」
 あんまり気になったんで尋ねてみました。すると、
「日向くん? どっちかっていうと心配する余裕のある側なんじゃないの?」
 なんじゃないの? と最終的な判断をこちらに振られてしまいましたが、そうなんでしょうか? 僕、余裕のある側なんでしょうか?
「おや、日向くんはこっち側なんだ? なんて、私に余裕があるかって言われたら疑問なんだけどね」
 そう言ってまたかっかっかと笑う諸見谷さん。そしてうふふと一貴さん。となると、僕はどう笑えばいいのでしょう?
「彼女がいるって話は知ってたけど――ふうん、こういう扱いを受ける程なわけか」
「あ、いやあ、僕自身としてはどうも……」
 と否定してみても、それに諸見谷さんの値踏みするような眼差しは止めるほどの効力はなく。そしてちょっと落ち着け僕、ここはドキドキするような場面じゃない。
 実際の自分の彼女だって年上なわけですが、しかしこう、年上の魅力というものを持ち合わせている人かどうかと問われれば答えは否なわけで、だから何と言うか、どうやら僕には耐性が備わっていないようでした。……いや別に、諸見谷さんとしては年上の魅力とやらを振り撒いてるつもりなんて全然ないんでしょうけどね? ただ僕をじっくり見てるってだけで。ああ、あと栞さんについてももちろん、「だからこそいい」ということで。
 年上の魅力。考えてみれば家守さんもそれに近いんでしょうけど、あの人のはわざとらしいというか――いや、それを向けるのが僕の場合は「わざとらしい」でなく、確実にわざとですしねえ。なんせそういうのは間違いなく意地悪をしてる場合なんですし。
 意地悪な大家さんのことを考えている間に僕は落ち着きを取り戻すことができ(それはそれで失礼な話なんでしょうけど)、そしてその間に諸見谷さん、眼鏡の奥の視線を普段のそれに戻りました。
 しかし諸見谷さん、一貴さんと向かい合う位置に座るのは良いとして、だからって僕の隣に来ることはないんじゃないでしょうか? 一貴さんと逆の位置に座っていれば……いくら耐性がないとはいえ、テーブルを挟んだ位置からの視線であれば、ここまで緊張させられることもなかったでしょうに。
「お疲れ様、日向くん。うふふ」
 などという言葉を掛けてくる一貴さんは、ならば僕の胸の内を察してしまっていたのでしょう。それに対して「ん? 何のこと?」と言っている諸見谷さんは、ならば一貴さんとは逆で何も気付かなかったということに――いや、どうなんでしょうね。
「ちょっぴりやきもち妬いちゃうわねえ。あたしのこと、あんな目で見てくれないもの。愛香さん」
「あんな目?……うーん、リクエストなら応じたいけど、自分でそれがどんな目か分かってないんじゃねえ。日向くんを疲れさせるような目だってことだけは分かってるけど」
 それだけ分かられているというのも何だか気恥ずかしい話ですが、まあそれはいいとして。
「あ、あの……でも……」
 おずおずと声を上げたのは音無さん。おずおずしてなくてもおずおずした声だったりしますが、それはともかくおずおずと。
「目っていうなら……諸見谷さんが眼鏡を外したところって、じっくり見れるのは一貴さんだけなんじゃあ……?」
 目の表情と眼鏡のオンオフでは少々話が別のような気もしますが、言われてみれば確かにその通り。レンズの度にもよるでしょうけど、割と違ってくるんでしょうしね。
「あら。見たいってんならこんなもん、別に一貴以外にだっていくらでも見せるよ?」
 そう言いながら諸見谷さん、実際に眼鏡を外そうとしますが。
「駄目よ駄目よ愛香さん。せっかく静音ちゃんがこういう話を振ってくれたのに、即効で無に帰しちゃうなんて」
 一貴さん、全体的にくねくねしながらそれを阻止しようとします。
「それに、愛香さんが良くてもあたしは惜しいわ。今言われて初めて思ったことだけど」
「そうかい。かっかっか、そういうことなら仕方ねえ」
 というわけで諸見谷さんの眼鏡は、キャストオフを免れました。個人的には眼鏡を外したところを見たかった、というのはもちろん内緒です。
 特定の誰かにだけ、という話。諸見谷さんの場合、それは言われて初めて納得したというものではなく、以前から自分でもそう思っていたという部類のものになるのでしょう。諸見谷さん自身、お金にケチだという側面は一貴さんにしか見せない、なんですしね。
「みんなはどう? あるのかしら、自分しか知らない恋人の一面というか、そういうものって」
 一貴さんから場の全員へ質問が。僕の場合は――正確には自分だけというわけではないけど、入院していた頃の栞さんの胸中とか、あの辺りはまあ、そういうことになるんだろう。今後誰かに話すようなことは、もうないんだろうし。
 けれどもこの場でそんな話ができるわけもなく、なので周囲の様子を窺ってみることに。すると皆さんそれぞれ何かしらは思い付いているようで、言えることはあるけど言い難い、というようなもごもごとした雰囲気を醸し出していました。
「あらあらうふふ、何かしらねえ。まあ、言えないからこその『自分しか知らない一面』なんでしょうけど」
 そりゃやっぱり、そうなのでしょう。僕だって思い付いていながら言えないんですし。
 そんな皆さんを暫く眺めてから、諸見谷さんが言いました。
「ありきたりなところを挙げるとしたらあれかね、二人だけの時は普段ないくらいデレッデレ、みたいな」
 異原さん口宮さん同森さん音無さん、全員揃ってびくりと肩を震わせました。
 ……まあ、よくあることだからこその「ありきたり」ということで。
「ふ、二人だけの時は常にってわけじゃなくてですね!」
 異原さん、そのフォローに何の意味が。
「そそそそれに別にアレとかコレとかまだそういうアレじゃないですし!」
 意味がないどころかもはや意味が分かりません。ほぼ指示語オンリーじゃないですか。
「落ち付け頼む」
 口宮さん、気の毒に。
「ええとね、異原さん」
 異原さんが慌て、それに対して口宮さんが沈んだ表情になるのはいいとしても、どういうわけかそうさせた諸見谷さんが気まずそうな顔に。ここまでの反応は想定していなかったということでしょうか?
「は、はい」
「今異原さんが言ったようなことって、これまでにもちょくちょく訊いてるんだよね。異原さんだけに限らず、それぞれ恋人さんとはどんな感じだい、みたいな」
「えーと、はい……?」
「その時だって異原さん、まあ全く慌てないってわけじゃないけど、今ほど大慌てじゃあなかったと思うんだよね。――ってことはさ、大慌てするような何かがあったのかなって」
「あっ」
「まあ、それが何かまでは訊かないけどね」
 何かがあったと言われた異原さんは一瞬で顔を真っ赤にさせ、そして諸見谷さんが話を締め括ったところで、その赤い顔のまま、俯いてしまいました。
 僅かな間ながら、場全体に間が生じます。そしてそれを僅かな間で済ませたのは、口宮さんでした。
「でもまあさっきのアレだのコレだの言ってたやつ、嘘ってわけじゃねえですから」
 指示語ばかりで何を言っているのか分からなかった異原さんの言葉を挙げて、あれは嘘ではなかったと。「アレ」とか「コレ」とかが何を指しているのかという説明は一切ありませんでしたが、むしろなかったからこそ、口宮さんが何を否定しているのかは自明でした。誰もが考えてしまうようなことを指している、ということなのでしょう。
「ごめんね、口宮くん」
「いえ、こいつがドジ踏んだだけですから。そうじゃなけりゃただの笑い話で済んでましたって」
 引き続き気まずそうな顔のままで諸見谷さんが謝りましたが、口宮さんはむしろ笑みさえ浮かべながらそう答えました。それは憎まれ口になるといえばなる言い方なのでしょうが、しかしそんなことを言いつつ口宮さんの手は、異原さんの頭をぽんぽんと優しく叩いていました。
 そうともなれば異原さんはただ俯いているだけというわけではなく、横目で口宮さんのほうを見、しかしすぐにまた俯いてしまうのですが、
「……ありがとう」
 小さな声で、そう言っていました。トーンからしてわざと小さくした声らしかったので、ならば聞こえなかったことにはしておきましたが。
 そして異原さんはその直後、身体にバネでも入ってるんじゃないかというくらいに勢い良く背筋を張りました。
「うっし、もう大丈夫。えーと、急に凹んじゃってすいませんでした」
 あれを凹んだと言うのかどうかは悩むところで、そうだとしてもそれを「急に」と言うならそこから立ち直ったほうがよっぽど急でしたが、まあともかくそういうことで、事態はノーカウントということに相成りました。
「こっちこそごめんね」
 口宮さんに続いて異原さんへも謝る諸見谷さんでしたが、今度は気まずそうにではなく、柔らかい表情なのでした。
 いつもだったら笑い話で済むところが、少々深刻になってしまったと。今の出来事は纏めるとそういうことになるのですが、しかしそうなった理由を考えるなら、歓迎すべき事態だったりするのかもしれません。「アレ」とか「コレ」ではなかったにせよ、それ以外に何かしらの進展があったということですしね、異原さんと口宮さん。
 ……というようなことをわざわざ考えてしまうのは、異原さんと口宮さんの過去を知っているからというところも、あるにはあるんでしょう。以前にも付き合っていたことがあって、でもその時は駄目になってしまったという。
「あ、あの……でもやっぱり……それが普通、ですよね……? 好きな人と二人きりになったら誰だって……大なり小なりは……」
「そうよねえ。むしろ、そうならないほうが変だわね。自分で言うのもなんだけど、なんせあたし達、まだ付き合い始めたばっかりなんだし」
 という音無さんと異原さんの遣り取りは当然、諸見谷さんが言った「二人だけの時は普段ないくらいデレッデレ」という言葉に対してのものなのでしょう。そしてまあ、概ね仰る通りでもあるんでしょう。初めのうちはそうでもなかったのに後からデレッデレになるというのも、ないとは言い切れませんが不自然に思えますし。
「ですよね……」
 異原さんの言葉ににっこりと微笑んだ音無さんはその後、嬉しそうに同森さんのほうを向きました。
「…………」
 同森さんは照れていました。
 ともなれば、放っておかないのは一貴さんです。
「てっちゃんは大なのかしら? それとも小なのかしら」
「大か小かの基準が分からんし、それが分かっていて自分がどっちだと判断付けられたとしても、言うわけないじゃろうがこんなところで」
 大か小かのどちらかである、ということは否定しなかった同森さん。しかしそれについては、さっきの話で「誰でもそうである」という共通の認識が生まれたせいか、誰も指摘はしないのでした。一貴さんですら。
「基準ねえ。そんなの、自分の感覚で判断しちゃっていいと思うわよ? だって、どうせ他の誰かなんて関係ないじゃない。てっちゃんと静音ちゃんだけの話なんだし」
 それは確かにそうなのでしょうが、その二人だけの話を大っぴらに公表させようとしている、ということにもなりませんかね一貴さん。いや、万が一にも同森さんが話してくれるというならそりゃやっぱり聞きたいので、口に出して突っ込みはしませんけど。
「ああ、静音ちゃんと比べて大か小かってことだけは言えるわね、そういうことになると」
 当たり前ではあるのでしょうが同森さんが答えあぐねていたところ、一貴さんからもう一言。まあ、理屈で言えばそういうことにはなりましょうが……。
「そ、それは……多分、イメージされる通りなんじゃないかと……」
 同森さんは引き続き答え難そうにしていたのですが、そこで意外にも音無さんが、返答役を買って出るようにして答えるのでした。
 イメージされる通り。音無さんがどういうイメージをされていると想定しているのかは不明ですが、僕のイメージだと音無さんが大で同森さんが小、ということになります。いや、音無さんが人並み以上に甘えっぽいというイメージがあるわけではなく、逆に同森さんにそういうイメージが乏しいという話ではあるんですけど。
「ま、哲郎がデレデレしてるっつうのは正直気色悪いしな。つうか、音無の骨が折れちまいそうだ」
「前のほうは別に否定せんが、後半はなんじゃいそりゃ。お前の言うデレデレってのはプロレスごっこか何かなのか?」
「プロレスとは言わねえけど、ただ抱き付いただけのつもりがさば折りっぽくなるとか」
「そうか、ならお前で試してみようかの。男同士で抱き付くのはさすがに変じゃから、頭を撫でてやろう」
「あっ、おい止め」
 というわけで同森さんの手が口宮さんのプリンみたいな色をした頭へ伸びたのですが、
「ぐ、ご、あ、あ、あ……!」
 もちろん撫でるだけで済むわけがないということで、見事にアイアンクローが炸裂したのでした。なんですぐさま反撃ができる隣の席の人にそう躊躇なくちょっかいを出せるんでしょうね、口宮さん。
 しかしまあ普段から逞しい同森さんの腕ですが、力が入ると更に筋肉が盛り上がり、加えて血管が浮き出てもいて、同じ男の目からしても感心すると同時に、口宮さんの安否が心配になってしまいます。こめかみ辺りの骨にひびが入ったりしてませんでしょうかね。
「も、もちろんわたしの時は……こんなじゃないですからね……?」
 さすがにそこを疑う人はいないと思いますよ、音無さん。
 ちなみに、暫くして剛椀によるアイアンクローから解放された口宮さんは虚ろな目をしていたのですが、すると異原さんから今度こそ偽りなしに頭を撫でられていました。ただし、「馬鹿ねえ」という痛い言葉付きで、ですが。
「さて、ここまでは冗談として」
 周囲の遣り取りに軽く笑っていた一貴さんですが、しかしそこで話のトーンを切り替えてきました。口宮さんのみ冗談では済んでないみたいですが、まあそれはいいでしょう。
「どうかしら静音ちゃん、うちの弟はちゃんと彼氏してあげられてるかしら?」
「まだ言うか」
 同森さんは眉をひそめましたが、
「幼馴染二号としてよ。てっちゃんとはもう『別の意味で』ってことになっちゃったけど、あたしにとっても大事な人なのよ? 静音ちゃんは」
 一貴さんのその言葉に、言い返す言葉は出てこないようでした。
 そして、ならば問い掛けられた音無さんが答える番ということになるのですが、
「はい……それはもう、しっかりと……」
 こういう時は照れたり慌てたりせずにまっすぐな返事が出来るというのは、音無さんのいいところの一つ、ということになるのでしょう。僕がそれを見つけてもあまり意味はなかったりしますが。
「そう。うふふ、良かったわ」
「ただ、できれば……」
「あら?」
「……あ、いえ、なんでも……」
 何か言い掛けた音無さんですが、その言葉を飲み込んでしまいました。文脈からして同森さんへ何かしらの要望があるということなのでしょうが、はて。
「なんじゃ?」
「あ、あとで言うから……」
 同森さん本人へも言えないようでした。あとで、と言うからには今は言えないというだけで、つまりは周りに誰もいない時に、ということなのでしょう。
「話は変わるけど」
 話を変えたのは諸見谷さん。どうやら音無さんへの追及はしないようですが、ついさっき異原さんが落ち込むようなことがあったばかりで慎重になっている、ということなのかもしれません。ならば、さっさと話題を変えてしまえば安心です。
「音無さんって一人暮らしなんだよね? 料理の話の時にも出てきたけど」
「あ、はい……」
「哲郎くんを呼んだことはあるのかい? その今住んでるとこに」
「ひゃいっ……!?」
 飛び上がらんばかりに驚く音無さんでした。しかし何をどうするというわけでなく、ただ部屋に招き入れたことがあるかというだけの話で、どうしてそこまで?

「ごめん。ホントごめん。なんか今日ダメだ私」
 つまるところ、音無さんが同森さんに言おうとしていたのは「自分の部屋に来て欲しい」ということであって、諸見谷さんはそれをズバリ言い当ててしまったのでした。
 少し前の異原さんのこともあってか、随分と落ち込んでしまったご様子です。
「い、いえ……たまたまですし……」
 とは返しつつ、音無さんは音無さんで顔を上げられないようです。まあ、上げても下げても口元しか見えないのは変わりないんですけど。
「なあ、ちょっと気になんだけど」
 そんなところへ普段の調子で話し始めたのは口宮さん。これはさっきの諸見谷さんと同じく――とはいえそちらは失敗に終わりましたが――話題を変えようとしているのでしょうか?
「お前と哲郎、幼馴染って言うくらいなんだったら、今住んでる部屋はともかく実家のほうには出入りしてるんだろ?」
 あんまり話題が変わった様子はありませんし、幼馴染だからと言って必ずしも家に出入りしているというわけではないんじゃないでしょうか。
 というわけで訊いている側としては非常に危なっかしいのですが、意外にもそれで音無さんの顔が上がりました。やっぱり口元しか見えませんけど。
「ええと……小さい頃はよく……。最近だと、このあいだ実家に戻った時に……」
 このあいだというのは、少し前に互いのご両親に付き合い始めたことを報告すると言っていた時のことを指しているんでしょう。さすがにみんなの前で話していたことだけあって、今になってそれすら恥ずかしがったり、というようなことはないようです。
 すると口宮さん、やおらに腕を組んで言いました。
「それが問題ねえんだったら、別に今住んでるとこに呼ぶのだってそう気張るようなことでもなくねえか? どっちも同じ自分の家なんだし。つーか俺だったら、親に会わす方がよっぽどキツいぞ」
 理屈としては分からなくもない話でしたが、
「あんた一人暮らしなんてしたことないんだから、静音がどう思うかなんて分かりっこないじゃない。偉そうに言ってるけど」
 当然といえば当然なのか、異原さんからそんな突っ込みが入りました。ならば口宮さんは「んなもん、お前だって」と言い返し始めるのですが、それを遮るようにして、音無さんは言いました。
「でも、そうですよね……。実家のほうだったら……私の部屋にまで来てもらっても、それは別に普通だって感じですし……」
「そ、そうなの?」
 驚いたのは異原さん。それを見て隣で得意げにしているのは口宮さんですが、果たしてその態度は妥当なのかどうか――というのは、まあいいとして。
「逆にてっちゃんの部屋とかあたしの部屋とかだって、普通に入れちゃうわよねえ? 静音ちゃん」
 そう言われてしまうと「はい」としか答えられないような気がしましたが、しかし実際に「はい……」と答える音無さんに、無理をしている様子は皆無なのでした。


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