(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十三章 思い猫 二

2009-02-24 20:59:30 | 新転地はお化け屋敷
 ――そんなに長くもない説明が終わると、猫さんの隣に座っていたチューズデーさんが身を引く。意識したのかどうかは分からないけどその身を引いた先には大吾がいて、そしてその大吾は、チューズデーさんの頭から背中にかけてを数回、撫でていた。説明のお礼代わり、ということなんだろうか。
 一方で、成美さんは再び猫さんに手を伸ばす。すると猫さん、さっきは避けたものの今度は何の抵抗もせずその手に収まり、そのまま体を持ち上げられた。持ち上げた成美さんはそれからどうするか悩むように数秒だけ動きを止めて――猫さんを、自分の膝の上へ導いた。嬉しそうに、愛しそうに。
「今のだけで信じてもらえたのかよ? オマエが猫だった、なんて」
「話し掛けられても返事をしない時は、異論がない時なのだ」
 心配そうな口調の大吾にも、幸福感の溢れる成美さんの様子は変わらない。
「また会いたいとは思えなかったが、会えて嬉しいぞ」
 ……しかし、その幸福感が大き過ぎたのだろうか。猫さんの体をすっぽりと包む成美さんの両手は、小さく震えているように見えた。
「成美」
 そこへ、大吾が再度声を掛ける。
「オレはいいっつってんだろ」
 ほんの少しだけ叱り付けるような、しかしそれでも優しい声。
 どんな心情だったら、こんな不思議な声を出せるんだろう。
「――――!」
 声にならない声が上がる。聞こえないほど小さな声のはずなのに、聞いたこちらの心を締め付けてくるような叫び声が上がる。そしてその声を上げた成美さんは――
「……嬉しい、ぞ……すごく、すごく……!」
 嗚咽すら交えて腹の底から搾り出すようにそう語り掛け、自分より遥かに小さい彼を抱きかかえるように、その背を丸くした。猫さんの体は、成美さんの体とその肩から流れ落ちる白い髪に遮られて、完全に隠れてしまった。成美さんの表情も同じくその髪によって隠れてしまったけど、でも、見るまでもない。
 成美さんは、泣いていた。
「わたしはお前が嫌いな人間になったけど……! お前が嫌いな人間を、愛しているけど……! でも、それでもわたしは嬉しいんだ。またこうしてお前に会えるなんて……!」
 その人間の言葉は猫さんに伝わらない。そして、だから猫さんは返事をしない。
 だけど人間を嫌いらしい猫さんは、成美さんの腕から逃れようとはしなかった。そして返事と同時に、非難の声もまた、なかった。

「出会った同類が同じく幽霊だったとはしゃいではみたが、それどころではなかったね」
 暫く時間をおいて成美さんが落ち着き、丸まった背中がまっすぐになったところ、やれやれといった調子で溜息交じりなチューズデーさん。その溜息という仕草が様になるというのは……本人にとっては、追い討ちにしかならなさそうだけど。
「あ、そうですよね。哀沢さんと同じくらいの年なんだろうから……」
「はは、まあ、爺さんだな。……天寿を全うした、ということになるのだろうか? わたしと同じく。――ああいや、訊いてくれなくてもいいぞチューズデー」
「はん、訊けと言われても訊けやしないさそんなこと。ついさっき会ったばかりなのだよ? わたしは。知りたいなら楓君が帰ってくるまで待って自分で訊け」
 成美さんに対する時のチューズデーさんはいつもこんな感じなような気もするけど、それにしたってちょっとトゲが出ているような物言い。
「……そう、だな。家守が帰ってくれば自分で話ができるようにしてもらえるな」
 そんなナタリーさんに成美さんもちょっとだけ、声に蔭りを滲ませる。
「それにしても静かだね、その猫さん。……呼び方、猫さんでいいのかな?」
 空気を察したうえで敢えてそうしているのか、それとも自然体なだけなのか、いつも通りの明るい調子で栞さん。しかし調子はともかく、この猫さん、ここまで一度も声を発していません。静かどころの話じゃないです。成美さんは泣きさえしたというのに。
「わたしの知る限りこいつは飼い猫ではないから、名前はないな。単に猫でいいぞ」
「……んー、どうもそれじゃあしっくりこねえな」
「はは、そうかもしれんが仕方ないだろう大吾。実際、名前などないのだから」
「いや、そういうこっちゃなくて……」
 成美さんが泣いたとあっては、大吾としてもいろいろ思うことはあるんだろう。まさか何も思わないということもないだろうし。――しかし、何を思ったのかまでは分からない。今大吾が言いたいこともはっきりしないし、そもそもそれが成美さんが泣いたことと関連したことなのかどうかすら。
 普通に考えればただ猫さんの呼び方をどうしようというだけの話なんだから、関係ないように思える。だけどその対象が時々妙なことを言い出す大吾とあっては、正直予測がつけられない。
「じゃあ、どういうことなのだ?」
「いや……だって、オマエの旦那サンだろ? 名前がないからって呼び捨てはちょっとなあ……。だからっつって『猫サン』ってのもなんか……」
「あれ、猫さんって駄目かなあ?」
「いやいや、喜坂がそう呼ぶってのは別に文句ねえんだけどな。あー、その、オレだし、成美だし……えー、上手く説明できねえけど、なんとか察してくれ頼む」
 予測がつかないと思ったら、本人ですらしっかりと把握できていなかったようで。
 でも、なんとなくは分かるような。
「大事な人の大事な人は大事にしたい、ということでしょうか?」
「あ、そ、そういうことです。多分」
 非常に分かりやすい清さんの分析に、こくこくと操り人形のように頷く大吾。
 いろいろと考えてからなら、僕を含めた他の誰にでも、同じようなことは言えたんだろう。だけど、それをさらっと出してしまうのには感心せざるを得ない。
 それにさらっと出された側からしても、長々と考えられた末に出されるよりはそちらのほうが楽なのだろうと思う。いろいろと。多分。
「つーわけでオレ、『旦那サン』な」
 でも大吾、それってどうなの?
「……しかし、今もそういう間柄だというわけでは……」
「泣きまで入ったのによく言うよな」
「むむぅ」
 確かに泣いていたのは事実なので、成美さんからすれば反論に困るという面はあるのだろう。だけどやっぱり……それはどうなんだろう、大吾。だって言ってみれば、大吾だってその旦那さんっていう立場に――少なくとも、それに近い位置にはいるんだし。
 しかしそれは僕達が言うことでもないのかな、なんて思って指摘するのは避ける心積もりでいた、そんな時。
「あの、怒橋さんもその『旦那さん』なんじゃないんですか?」
 こういう疑問はお手の物、な方だと最近気付き始めたナタリーさんからそのものズバリなご質問が。
「んなっ!? いや、オレはまだそこまでは!」
「でもあの、旦那さんってういのは、つがいの雄のほうのことですよね? じゃあ怒橋さん、哀沢さんの旦那さんってことになるんじゃないんですか?」
「そ、そりゃそうかもしんねえけど」
「哀沢さんを基準にした場合で考えたら、そちらの猫さんと何が違うわけでもないと思うんですけど。好き合ってる――と言うか、愛し合ってるんですよね?」
「……いや、でもなあ……」
 成美さんを困らせたばかりの大吾、今度は自分が困らせられてしまう。まあ成美さんとは別の女性からなんですけど。
 とは言えしかし、そうなる気持ちは分からないでもない。ズバズバと訊きたいことを訊いてしまうナタリーさんの言葉通り、愛し合うということがその条件であるとするなら、それは僕と栞さんにだって言えることだと思うし――いや、もう「言えることだ」と断言すべきなのだろう。だけどそれでも、自分が栞さんの旦那さんであるのかと問われたら、きっと答えに困るんだと思う。困る理由からして見当が付かないんだけど、だけどやっぱり困るんだと思う。
 しかしそこへ、「ふふ」と含み笑いが一つ。
「ナタリー、勘弁してやってくれ。目の前でそんなに虐められると助け舟を出したくなってしまう」
 そう微笑み掛けた成美さんは、次いで膝に座らせた猫さんへ視線を落とし、ふわりとその背中を撫でてから言う。
「猫だ人間だと関係なく、そういうことは本人の口から本人の言葉で聞きたいからな」
「んー……そう、ですね。すいませんでした」
「こいつは……」
 ナタリーさんのお詫びを聞き入れた成美さんは、しかしそちらへの反応をまるでしないまま、猫さんの両脇を抱えて顔の高さまで持ち上げる。
「こいつはまだそう思ってくれているのだろうか。とうの昔に別れたわたしを、まだ愛してくれているのだろうか。わたしを、妻だと……」
 当然ながら、猫さんから返事はない。そしてその返事をしない猫さんを見詰め続ける成美さんからは、それがチューズデーさんへの通訳の依頼であるという意思は感じ取れなかった。
 尋ねようと思えば今すぐにでも尋ねられるのにそうしようとしないのは、つまり、「本人の口から本人の言葉で聞きたい」ということなのだろうか。家守さん達が帰ってくるまで待って、会話ができるようにしてもらってそれから、ということなのだろうか。
「……すまない皆、先に部屋に戻らせてもらうよ。こいつと一緒に」


 成美さんが部屋に戻ると言った時、大吾が「何を急に」と――ここは、止めに入ったという表現を使うべきなのだろうか? とにかく、成美さんを呼び止めた。すると成美さんは「もちろんお前にも来て欲しいぞ、大吾」と柔らかく柔らかく答え、そうして大吾も、一緒に102号室を出ていったのでした。
 そして、102号室のその後。
「いやあ、まさかの展開でしたねえ。まさか哀沢さんの元夫がやってくるとは」
「元、という感じではなかったがね。大吾も言っていたが、泣いてさえいたのだから」
「でもまあ大吾くんもいるんだし……うーん、どうなんだろ?」
「大吾本人はそれでもいい、みたいな感じでしたけどねえ」
「ワウゥ」
 話題はもちろん今出ていった彼女らについて。当人達がいなくなった途端に全員揃って口が開き始めるのは、まあ、そういうものなんでしょうということで。
 そして当然、口を開きやすいだとかの区分がない(いや、あるにはあるのかもしれないけど)人も、それに合わせて口を開く。
「でもあの、旦那さんって、一人だけじゃないと駄目ってものでもないと思うんですけど」
「まあ、実際はそうなんですけどねえ。しかし――んっふっふ、人間はそうでもないのですよ。と言っても世界中どこの人間もそうだ、というわけでもないのかもしれませんがね」
「じゃあ、好きな男性が二人いるような場合はどうするんですか? えーと……さっきの哀沢さんみたいに」
「どちらか一方を選びますねえ。もちろんそれは、女性に対する男性も同じですが」
「どうしてですか? どっちも好きなのに、無理して一方だけを選ぶなんて」
「社会のルールがそうだから、としか言えませんが……そうですねえ、人間は不器用ですから、複数の相手を同時かつ平等に愛する、ということができないのかもしれませんね」
「そうなんですか」
 唐突とも言えるタイミングで人間全体についての愛を語る清さんの発想には、虚を突かれたと言うか……正直言って、驚いた。
 しかしそれよりも、「複数の相手を同時かつ平等に愛する」ということがまるで当たり前であるかのようなナタリーさんの素っ気無い受け答えは一層に。「そんなの人間じゃなくても無理だと思います」だとか、そういう話にはならないらしい。
「ただその代わり、無理して選んだ一方については目一杯愛しますがね。――とまあ、これも全ての人間に言えることではないのかもしれませんが、少なくともこのあまくに荘の方々については……んっふっふ」
「そこでこっち見られると困りますよ、清さん」
「あれ? 孝一くん、困っちゃうんだ?」
 いや、別にやましいことがあるわけじゃないんですけどね。好きな女性が複数、というのはちょいと思うことアリでしたけど、それだって少し前に一対一で叱られたばかりですし。
 大丈夫ですよ、大丈夫。愛だとかが顔を出した話をこっちに振られるのが恥ずかしいってだけです。
「じゃあ、喜坂さんは目一杯なんですか?」
「えっ。えー、そう思ってもらって不都合はないって言うか……あはは」
 ほらほら、栞さんだって積極的に肯定できなくて笑うしかないんじゃないですか。
 目の前の分かりやすいサンプルに「やっぱり不器用ですねえ」と清さんが笑えば、「そうみたいですね」とナタリーさん。しかし、
「でもそれは、人間のいいところでもあると思うんですよねえ」
「そうなんですか?」
「まあ、私が言うと自画自賛になってしまうのですがね。んっふっふ」
「ワウゥ……」
 ぐったりと横になったまま、欠伸を噛み殺したような唸り声。どうやらジョンは眠たくなってしまったようです。
 そうだよね、わけ分かんないもんね。

「人間嫌いだってのは、知らなかったぞ」
「わざわざ言うことでもないと思ってな。こうしてまた会うことになるとも思っていなかったし。……それより、大吾」
「なんだよ?」
「聞かせてもらっていいか? さっき、ナタリーに尋ねられていたこと」
「そんなオマエ、旦那サンの前で――って、そうか。オレ等の言葉なんて分からねえんだよな」
「そうだぞ。だから今なら、わたし以外誰の耳にも入らない。……だが、そうだな。質問を変えてみようか」
「変える?」
「ああ。大吾、わたしは、わたしがお前の妻であると思ってもいいのだろうか?」
「ああ、いいぞ。……そういうのも含めて一緒に住むってことにしたんだけど、やっぱあれだな、なかなか大っぴらには言えねえな、こういうこと」
「おおっぴらに言う必要なんかないさ。わたしに向かってはっきりとそう言ってくれるだけで、充分だよ。――ありがとう大吾、とても嬉しいぞ」
「でも、ああいや『でも』じゃねえな別に。オマエ、旦那さんの妻でもあるだろ? 今でもそうやって、大事そうに抱いてるんだし」
「そのわたしを後ろから更に抱いてくれているというのは……それを許してくれている、と受け取ってもいいのだろうか?」
「オレが許す許さねえの話じゃねえだろ。それでもどっちかって訊かれるんなら、許してるんだけどよ」
「優しいな、お前は」
「そんなんじゃねえよ。ぶっちゃけ、オマエが旦那サン抱いてるのにちょっと嫉妬しただけなんだっつの。オレだって、その」
「ふふ。それを聞いても、前言は撤回できそうにないな」
「…………あー、にしても旦那サン、本っ当無口だな。ここに着いてからまだ一回も喋ってねえじゃねえか」

「一度に複数の相手を愛せない、か。ふむ、ではその点、今の哀沢はどうなのだろうね? 意図せずその相手が複数になってしまった現状を、どう整理付けているのだろうか」
「え? でもあの、哀沢さんって人間じゃないんですよね?」
 チューズデーさんの疑問へ、ナタリーさんが重ねて疑問を投げ掛ける。「人間じゃない」というフレーズからはどうも悪口めいたものを感じてしまうのですが、事実としてそうなのだから、この場合はそう感じ取ってしまうこちらが間違っているということになるのだろう。それに、そのフレーズを口にしたナタリーさん自身が人間じゃないんですし。
 ということで、そんな問題は発生すらせず話題続行。
「元々はね。だがわたしはもう、あいつを人間として見ているのだよ。傍から見ていても大吾一筋だろう? そこらの猫や――もしかしたら大吾と同年代の孝一君だって、恋人候補になり得るだろうに」
「ぼ、僕ですか?」
 思わず、自分の顔を指差してしまったり。
「おや残念、わたしは候補外でしたか。んっふっふっふ」
「で、でも、それは栞、ちょっと困っちゃうよ?」
 いやいやお二人、もしもの話ですから。実際には成美さん、大吾一筋なんですから。特に栞さん、本当に困った顔しないでくださいよ。ちょっと心が揺れてしまったことに罪悪感とか、感じちゃうじゃないですか。
「そう、困るのだよ栞君。それが人間的な恋愛感だ。わたしもそのおかげで今日、ただの散歩で要らぬ気を遣わせる羽目になってしまってね。――ああ、深くは突っ込まないように」
 今日の散歩? と言うと、成美さんと大吾が別々に……。二人だけで出掛けたとかならともかく、それがどうして恋愛感? いやまあ、突っ込んじゃ駄目だそうですから突っ込みませんけど。
「しかし栞君、こうは考えられないかね? 栞君自身が好いている孝一君なのだから、他の女性から好かれてもおかしくはない、と」
「え……、う、うん。自分が好きなんだからそりゃあ、否定はできないけど……」
 うう、貶されてるわけでもないのにこの場を逃げ出したくなってきた。
「そちらが人間以外の持つ恋愛感だね。自分が惚れた相手が他多数の異性からも惚れられるというのは、むしろ誇らしいことなのだよ。それだけ魅力的だということなのだからね」
「ライオンが作るハーレムなんかは、そのまんまですねえ」
「そうなのかね? ふむ、それはわたしも知らなかったが」
 チューズデーさんは知らなかったようですが、ライオンの、と言うと、群れのトップに一匹の雄がいてその周りには複数の雌が――というあれでしょうか。確かにまあ、よっぽど魅力的な雄じゃないとそうはならないんだろう。魅力の基準は荒事の強さだったりするのかもしれないけど、でも魅力は魅力だ。
 ――困った顔しなくても大丈夫そうですよ、栞さん。僕なんか絶対にそんな器じゃないですし。群れのトップを自分に置き換えることすらできませんし。想像付かないですし。
「ではナタリー君、哀沢がそういうことを良しとするように見えるかね? 自分が大吾以外の男に手を出したり、逆に大吾が自分以外の女に手を出したりすることを」
「……見えない、ですね。でも、どうしてそうなったんでしょう? 今がそうだとしても、やっぱり元々は猫だったのに」
「さてね。人間として生活するうちにそうなっていったのか――はたまた、猫として生きていた頃から既にそうだったのか」
「猫だった時から、ですか?」
「何事にも例外は存在するものなのだよ、ナタリー君。考えてみたまえ、人間の厄介になって生活しているというわたし達の生き方だって、動物全体からすれば例外だろう?」
「まあ、そうですけど……同じ話として考えていいんでしょうか? それとこれって」
「どちらも例外ではあるが、どちらも悪いことではないのさ。悪いことでないなら、わざわざその在り方を疑うこともないと思うがね。見たままを信じてやって不都合があるわけでもなし」
 その言葉に、いつもなら誰かとの会話中には身動き一つしないナタリーさんが視線を若干ながら落とす。どうやら、反論ができないようだった。
 するとそこでチューズデーさん、黒くしなやかな尻尾を、一くねり。
「さて、これもまた例外的な考え方だろうかね?」

「……でもよ、成美」
「どうした?」
「オレはオマエのことめちゃくちゃ好きだし、オマエに『自分は妻なのか』って訊かれたら『妻だ』って答えられるくらいには――その、愛してる。それは絶対曲げたりしねえんだけど、でも現実に、オレってまだガキなんだよ。二十歳にすらなってねえ。いやまあ、二十歳から大人だってのも、こっちのルールでしかねえんだけど」
「ああ」
「実際にガキなオレでも、ちゃんとオマエの夫になれるんだろうか? その……旦那サンはやっぱ大人なわけで、オマエだって旦那サンとの間に子どももつくってちゃんと育て上げた大人だし……オレ、旦那サンと同じ位置に立てるんだろうか?」
「不安か?」
「不安ってほどでもねえんだけど……実際の旦那サンが目の前にいると、やっぱな」
「そうか。ならそれは、わたしも同じだ」
「オマエも? なんでそうなるんだ?」
「日曜の夜にも話したが、生きていた頃、わたしは一人の男しか愛せなかった。自分がそういうやつなのだという自覚もあった。幽霊になった今でもそれは変わっていない。――だが今、こういう状況になると、それが揺らいでしまうのだ。お前もこいつも、どちらも同じだけ愛しているのだ、わたしは。どちらか一方なんて選べない。そんなわたしでも、人間であるお前は――」
「言わなくていい。それ以上は」
「…………」
「そりゃあオレは人間で、オマエは――人間として一年暮らしたっつっても、猫だ。だから違うルールで動いてるってところはある。でもそれって、相手にまで押し付けるもんじゃねえだろ? オレが変えていいもんじゃねえだろ、そんなでっけえこと」
「そう、なんだろうか」
「さっきも言ったけどオレまだガキだし、本当のところなんて全然分かってねえんだろうけど、子ども産んで育てたっての、すげえと思うんだよ。尊敬してる。それに、寿命まで生きたってのも。――オレがオマエの猫の部分を認めなかったりしたら、その辺のことも全部認めないってことになっちまうだろ。オマエが猫として生きてた時間を全部、そんな……。オレ、そんなの絶対嫌だから」
「大吾……」
「だからオレ、オマエがまだ旦那サンのこと愛してるってのも受け入れる。受け入れてえんだ。――はは、ちょっと悔しいけどな」


「そろそろですかね、家守さんと高次さん」
「だろうね」
 八時前。もうすぐ、晩御飯を準備し始める時間。ということはつまり、そういうことなのです。
 本日は料理教室以外にも用事があったりするので、その気になれば連絡をとって早めに帰ってきてもらうこともできないではなかった。だけど、その用事がある当人達からそう頼まれたのならともかく、外野でしかない僕達が勝手に執り成すことでもないだろう。それに、家守さんの仕事の予定を捻じ曲げるということでもあるんだし。
 とういことで現在、通常通りの時間に帰ってくるはずの生徒さんと、恐らくは今日もその生徒さんに連れられてここへ来るであろう高次さんの帰りを、もう一人の生徒さんと待っているのです。
「晩御飯より先に大吾達の用事ですよね? やっぱり」
「だろうね。……あ、でも、もしからしたら」
「もしかしたら?」

 暫くののち、栞さんのもしかしたらは、もしかしたのでした。
「いや、オレはいいんだけど、旦那サンはいいのか? 人間嫌いだって――」
「実際に顔を合わせた人間まで無条件に毛嫌いするほど、愚かしい男ではないさ」
 てな感じで、203号室の面々がゲストとして我が204号室へ。加えて、
「いやあ、すいませんね日向君。お呼ばれして頂いちゃいまして」
「えっと、猫さんとお話できるようになるっていうのは、私もですよね?」
「もちろんナタリー君もだよ。わたしと話しているのと同じことだね」
 そんな感じで102号室の皆さんにもおいで頂いて、まあつまりは全員集合なのです。と言って、それほど珍しいことでもないんですけどね。
 しかしそれでもやっぱり「これで料理教室でない日が二日連続かあ」なんて、家守さんに頼んでもらったピザやらポテトやらを広げている間、ついつい頭の隅に浮かんだり。食材的に全員分の料理を用意できそうになかったんですねこれが。昨日が鍋だったもんで。
 いや、別にいいんですけどね。ピザ美味しそうですし。
『いただきます』
 ……食事のほうはこれでいいとしまして。
 ピザの宅配を待っている間にできることはやってしまおうということで、猫さんに人間の言葉を遣えるようにする(もちろん本人の意思確認のうえで)というのは、実のところ既に家守さんによって実行済みなのです。
 が。
「にしてもまあ、本当に無口だねえ」
「寡黙な男かあ、多分俺にゃあない要素だねえ」
 意思確認に際する家守さんとの手短な会話以降、猫さんはやっぱり何も言いません。なので僕達は未だ、猫さんの口から日本語を聞いていないのでした。ピザ美味しいです。


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