(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十七章 ふつうなひとたち 三

2008-08-15 20:56:03 | 新転地はお化け屋敷
「ああ、それは」
 言いかけたのは異原さん。しかし、
「四百円」
 口宮さんがずいっと手を伸ばしてくる。途端、異原さんの顔がビキビキと引きつり始めた。なんとなくパターン通りな流れとは言え、今度は何なんでしょうか?
「そんなにしなかったでしょうが! って言うかなんであんたが要求してんのよ払ったのあんたじゃないでしょ!? ……って、そうじゃなくて!」
 話の内容は実に明快だったのですが、しかし結論としてはそうじゃないそうです。
 じゃあ何なんですか、という話になるものの僕にそれが分かる筈も無く、なので財布を取り出そうと正座から僅かに腰を上げてポケットに手を突っ込んでいるという中途半端な姿勢のまま、異原さんを見遣る。ちょっと足が辛いような気がしなくもないですが、さて如何に。
「うう、値段の話なんかしたら言い出し辛いじゃないのよ……。ここは格好良く『先輩からのおごり』って事にする予定だったのにさあ」
 あ、それはありがた――もとい、恐縮な話ですね。
 というわけでもちろん、その話に対して「それでお願いします」なんて反応はできやしません。ケチってジュース抜きにまでした挙句に代金踏み倒しだなんて、それこそこっちが格好つきませんからね。自分に対して。
「そんな、いいですよ。四百円に満たないくらいなんですし」
「まーそりゃそうなるんでしょうけどね……。ああもう、情けなさ倍増だわよ全く」
 テーブルに肘をつき、そこから伸びる手で顔を覆い、見るからにがっかり感が満載な異原さん。そこまでされると断った事に後ろめたさを感じてしまいますが、
「かはは」
 僕と同じくそれを見た同森さんはしかし、愉快そうに笑うのでした。
「そういう事らしいから日向君、よければ話を飲んでやってくれんかの? なに、四百円に満たない値段で『先輩の面子』を売ってやると思ってくれればいいわい」
 そんな軽い口調で言われてしまうと、強く断わりを入れるのが難しいようなそうでないような。と言うかその話に納得しておごってもらう事にした場合、なんだか恩着せがましくなってしまいませんかね?
 言われて持ったのがそんな感想だったもんで、口から出たのは「はあ」とどっちつかずな返事のみ。……しかし同森さんは。
「よしよし」
 え? それってどういう反応ですか? もしかして、僕が頷いたという事になってたり?
「それで、じゃ。先輩から後輩へのおごりという話なら、もう一人の後輩も放っとくわけにはいかんの。のう音無?」
「え……? あ、いや……そんな……」
 なるほどそれはその通りで、同森さん達から見た後輩は僕だけじゃあない。食べた事がないもんで商品名は思い出せないけど、トマトが挟み込まれてるっぽいバーガーを受け取った音無さんだって僕と同じ一回生だ。
「まあまあそう言わずに。で、いくらじゃた?」
「ろ……六百三十円、です……」
 尋ねられたら嘘はつけない無視できないという性分なのか、どう見ても答えたくて答えているのではない様子で渋々値段を告げる。そして同森さんは「そうかそうか」と取り出した灰色の財布を覗き始め、
「あー、十円玉がないの。――ほれ、六百五十円。釣りはいらんぞ」
「え……あの、でも。……うう、ありがとうございます……」
 拒否しようとはしたのか両の手の平を同森さんに向けはしたもののしかし、結局その手はゆるゆると前へ差し出され、同じく差し出された六百五十円をちゃりちゃりと受け取るのでした。
「ほれ見ろ、今の哲郎みたいな感じで四百円っつったんだよ俺は」
「あんたのは年下からお金ふんだくろうとしただけでしょうが。『お釣りはいらない』を他人に要求するなってのよこの馬鹿」
「そもそも日向君から出る金なんじゃから、おごりでもなんでもないしの」
 元々いくら支払うべきだったのかは知らないけど、まあ今の話だと三百五十円から四百円の間って辺りなんだろう。僕だって別に、金額だけで考えれば「お釣りはいらない」でも全然大丈夫なんですけど――ただ、そうするべき場面とはやっぱり違うような。
「あ、あの……食べませんか、そろそろ……」
 おっと。


「あっ。お帰り、みんな」
「おや、もう帰ってきていたのか。――ただいま、喜坂。お仕事ご苦労様」
「オレだってその仕事の帰りなんだけどな」
「あっ。あ、ありがとうございました怒橋さん。昨日もこんなふうに連れて行ってもらったのに」
「はは、気にするなナタリー。どうせ毎日やってる事なんだしな」
「オマエが言うなよ。間違ってはねえけど」
「にこにこ」
「ワウ」
「あはは。……ああ、それでね。ちょっと話しておかなきゃな事があるんだけど」
「ん? なんだよ?」
「今、孝一くんの大学のお友達が来てて――」
「ちょっと待て喜坂。話の途中で悪いがお前、目が赤いぞ? それになんだか目の周りも……泣いていた、のか?」
「え? あ、あー……ちょっと、ね。でももう何ともないから」
「そうか」
「おいおい、何ともねえって事ねーだろ。孝一はどうしたんだ? 人が来てるって、こっちはほったらかしかよ」
「あ、大吾くん、そうじゃなくて」
「止めておけ怒橋。わたし達は事情を知らないし、それにあの日向だぞ? お前が考えているような事を故意にする筈が無いだろう。な、喜坂」
「うん。もうちゃんと――なんて言ったらいいのかな、えーと、慰めてもらったし。……あはは、胸張って言う事じゃないねこんなの」
「まあ、オマエ自身がいいっつうならそれでいいんだろうけどよ」
「なんだ、まだ不満か? じゃあお前なら慰めた後どうすると言うのだ。喜坂が……いや、例えとしてここは『わたしが』という事にしてみるか。わたしが『もうそれでいい』と言っているのに、それ以上お前はどうすると?」
「どうもしねーけど、暫らくは一緒にいる」
「なっ。……ま、真顔で返すな馬鹿者。そこはなんだ、ムキになって頓珍漢な反応を見せてくるところだろうが」
「んな事言われたって、オマエが訊いてきたんじゃねえか。『オレならそうする』ってだけの話にムキになるも何もあるかよ」
「……なんだか、複雑そうですね。人間のつがいって」
「ワウ」
「こくこく」
「あはは、……なんでこうなるのかなあ」


 ゴミ箱にガスガスと突っ込まれる五人分のゴミ。それまで空同然だったのに、見た目だけで言えばあっと言う間に満杯だ。押し込んだらもうちょっと入るだろうけど。
「御馳走になりました」
「あ、わたしも、ご馳走様でした……」
 自分の部屋でこの台詞を言うのもなんだか妙な感じだけど、代金を立て替えてもらったんだから言わねばなるまい。という事で、後に続いた音無さんと同じく、先輩方に対して頭を下げる。
「いやあ、こっちこそ無理矢理おごらせてもらったみたいになっちゃって。本当にこの馬鹿が余計な事言うから、ねえ?」
「いちいち絡んでくんなよ」
「こっちの台詞だわよ」
 両者ともに呆れ返っている感じだったけど、それでも両者ともに「たまには身を引いておこう」というような考えにはならないらしい。別の知り合い、と言うか二つ隣と三つ隣の部屋の二人も、付き合うようになった今でもこんな感じで言い合う事があるけど、あれってなんでなんだろう? 異原さんと口宮さんだって、付き合ってるとは言わないまでも普段一緒に行動してるって事はやっぱり仲は良いんだろうし――なんて、こう言ったら否定されるんだろうけどね。
「こらこら、先輩の面子はどうしたんじゃ。後輩の家に上がり込んでまで口喧嘩は――」
「あ。や、まあそれもそうね。それもそうなんだけど」
 おろおろと両者の間で視線――と言っても前髪に隠れて目が見えないから判断基準は顔の向きなんだけど――を行ったり来たりさせる音無さんと、きっちり止めに入る同森さん。たまーに音無さんが意を決して同森さんの役を取っちゃう事もあるみたいだけど、基本的にはこれがこの四人のいつもの流れらしい。
 集団の中でそれぞれに決まった動きがあるとなると、もしかしたら僕もそのうちこの集団の中で決まった役割を持ったりするのかもしれない。それはもちろん今後も付き合いが続いたら、という前提があっての話だけど。
 さて。恐らくは頬がややにこやかな事になっているであろう僕は、そんな事を考えながら同森さんに突っ込まれて困った表情の異原さんを眺めていた。すると、
「いや、口喧嘩じゃのうて痴話喧嘩かの?」
 引き続き開いた同森さんの口からどえらい発言が。
「ななっ!?」
 そんな事を言われれば案の定、異原さんは動揺を見せる。同森さんが言った事は冗談だとは思うし、本当の意味で痴話喧嘩だという事もないんだろう。こんな事を言われたら、実際のところがどうあれ何かしら反応を見せる人が殆どだと思う。だから別に、異原さんが驚いたからと言って「怪しい」だなんて事は思わない。思わないけど、
「……………」
 口宮さんの方へ目を遣った異原さんの表情が急激に冷めたのは、しかも馬鹿にしているとかそういった類の「冷めた」ではなく真に感情が失せていったその人形のような顔は、少しだけ気になった。
 しかしそれも、目が再び同森さんの方へ向く頃には。
「なーに言ってんのよ哲郎くん。あんまりふざけた事言ってると、同じような事言い返しちゃうわよ? ね、静音」
「な、な、な……! ななな何を言ってるんですか由依さん! どうして、急に、わたしが……!」
 忙しく同森さんと異原さんの間で視線を往復させ、声を荒げ、さっきの異原さん以上の動揺を見せる音無さん。それに対し、
「そうじゃぞ異原。なんで音無が出てくるんじゃ?」
 本気で分かってなさそうな同森さん。その言葉が放たれた途端に音無さんの動きがビタリと停止したのは、一体全体どういう意味があってなんでしょうか。
「またまた、分からない振りなんかしちゃって。いくら何でもそこまで間抜けさんじゃないでしょ? 下手なラブコメじゃあるまいし」
「さて、何の事やら」
 ああ、しらを切ってるだけなのか。そうですかそうですか。
 ……何て言うか、ちょっと複雑な気分だなあ。前に好きだった女の人がこういう話に巻き込まれるのって。あくまでも好き「だった」なのに、何なんだろうね一体。
「本っ当、アホばっかだな」
 もし僕が高校時代の音無さんを好きでも何でもなく、ただの隣の席の女の子、ぐらいに思っていれば、口宮さんみたいにこうやってばっさり切り捨てられたんだろうけどなあ。いや、アホとまでは言いませんけど。


「賑やかそうだな、隣」
「どうしてそう不満そうなんだお前は。良い事じゃないか、友人と話が盛り上がるのは」
「そりゃそうだけどよ」
「あの、大吾くん、栞は全然気にしてないよ。……いや、それはやっぱりちょっとくらい寂しいような気もするけど、こんな事で我侭言ったら駄目だと思うし」
「そうか? だってオマエは、孝一の――」
「そうだけど、孝一くんと付き合ってるけど、だからって何でも言えるってわけじゃないと思うよ」
「怒橋、それくらいにしておけ。言いたい事も分かるが日向は幽霊じゃないんだ。幽霊相手の付き合いと生きている者相手の付き合いが相容れないのは分かるだろう?」
「……そりゃ、まあな。悪い喜坂、仕事切り上げさせたうえに、家に上がらせてもらってまでこんな話」
「ううん。ありがとう、大吾くん。話をしたらちょっと元気が出たよ」
「話をしたら元気が……あの、哀沢さん」
「ん? なんだナタリー」
「哀沢さんはもしかして、怒橋さんのそういうところが好きだったりするんですか? つがい……では、ないんでしたっけ。えーと、なんて言ったらいいのか分からないですけど」
「また突然とんでもない事を訊いてくるな。――確かに、怒橋と一緒にいて落ち込むような事なんぞは滅多に無いが……腹を立てたりが殆どだしなあ」
「にこにこ」
「ワフッ」
「ふふ、サーズデイとジョンに笑われてるよ成美ちゃん」
「……サーズデイはともかく、ジョンは無理があるだろう。と言うか、笑うなお前達」
「言葉が無理でも雰囲気で大体分かるもんなんじゃねえのか? つーか、無理があるって言っときながら笑うなって何だよ。無理だっつうなら気にすんなよ」
「それはそうなのだが……」
「あ、言葉が無理でもっていうのはありますよね。私、ついこの間まで人間の言葉は駄目でしたけど、それでも世話をしてくれた人間達は好きになれましたし。お爺さんお婆さんとかお手伝いさん、それに動物園の方達も」
「こっちからしてもジョンの機嫌とかはなんとなく分かるしねー。ジョンがお利口さんだからっていうのも、あるかもしれないけど」
「ワンッ!」
「ふふ。……あ、言葉が通じる間柄でもこういうのってあったりするんでしょうか?」
「え? どういう事?」
「ぷく?」
「例えば、好きだと口では言わなくても好き合っていて、その事をお互いしっかり認識している方達とか」
「……おい、ナタリー。それは誰の話だ?」
「え? 哀沢さんと怒橋さんの話ですけど……何か変でしたか?」


「なあ、今、犬が吠える声がしなかったか?」
 異原さんがにやにやし、同森さんが憮然とした顔で腕を組み、音無さんが俯いて縮こまる。同森さんに攻め立てられた異原さんの反撃から生じたこの背中がむず痒くなるような空気の中、それを呆れたような顔で眺めていた口宮さんが口を開いた。
「ああ、裏庭で犬飼ってるんですよここ」
 というのはもちろんジョンの話で、口宮さんの言う声は僕にも聞こえた。
 ジョンは一人でいる時は殆ど吠えたりしないので、という事は誰かが傍にいるんだろう。もしかしたら、栞さんを含め全員が集合していたりするのかもしれない。ただ一つ、気になるのは――
「裏庭ぁ? んー、どっちかっつーと裏っつーより隣から聞こえてきたような」
 分かってます。それは僕だって分かってますよ口宮さん。
「あはは、隣は空き部屋ですよ? まさかそんな所にジョンがいる筈……。ああ、その犬の名前なんですけどね、ジョンって」
 なんでまた栞さんの部屋になんか!
「ま、そうだよな」
 もしここで誰かがベランダの窓から裏庭のジョンを確認しようとしたら、僕の嘘はあっさりとばれてしまっていた事だろう。だけどここまでに作り上げられていた部屋内の雰囲気のおかげか、そういった動きを見せる人は一人もなし。ふう。
「えーと、ここって他には大家さんだけしか済んでないって言ってたわよね? じゃあ、犬の飼い主はその大家さんって事になるのかしら?」
「あ、はい、まあ」
 できればさっさとジョンの話題からは遠ざかりたかったけど、そう仕向けられる程の話術が僕にある筈もなし。話を振られるままに受け止めるしかないって言いますかね。
 ああ、でも実際ジョンの飼い主って誰になるんだろう? 可愛がってるのは誰か一人と言わずに全員こぞってだし世話をしているのは大吾だけど、やっぱり家守さんが飼い主って事になるんだろうか? それとももしかしたら清さんが言い出したりとか? 大吾が動物好きなのはもちろんだけど、自分から「犬を飼いたい」って言い出してるのはちょっと想像しにくいしなあ。
「こう言ったらなんですけど……ちょっと、寂しい感じですよね……他に住んでるのが大家さんだけだって……」
 話が他に移って落ち着いたのか、さっきまで小さくなっていた音無さんがいつもの調子を取り戻す。まあ、取り戻すと言うにはちょっと安定感に欠ける調子ではあるけど。
 ところで、本当にそうだったなら確かに寂しかったりするのかもしれない。それを踏まえて「もし僕が幽霊の見えない体質だとしたらそうなっていた」という事を考えると、安堵の溜息すらついてみたくなる。
 もう一つところで、確か音無さんはここに来る前に――
「いやいや、もしかしたら幽霊さんがいたりするのかもしれませんよ? 周囲の評判通り」
「やや、や……止めてくださいよ……」
 目論見通り、お化け屋敷と言う評判を怖がっていた節のある音無さんはさっきまでとは違った意味で体を縮こまらせる。
「ああ、それとは関係無いだろうけどここに来てからずっと首の辺りがピリピリしてるわね。もしかしてあたしのこれっていわゆる霊感ってやつだったりなんかしちゃったりして?」
「なわけねーだろ馬鹿かお前」
「冗談に決まってるじゃないのよ!」
 ……何か今、物凄く話が核心に迫ったような気がしましたが、口宮さんのおかげで気のせいという事で済ましておけそうです。危ない危ない。
「かはは、だとしたら日向君が幽霊って事になるからの。日向君がいるといつもなんじゃろう? それ」
「まあ、そうなのよね」
 冗談だとは言っていたものの、そうではないという証拠を突き付けられると名残惜しかったりするらしい。口宮さんに対して高ぶらせた怒りはどこへやら、急にしんなりしてしまう異原さんなのでした。
 でも、その証拠って間違ってるんですよね。正確には僕じゃなくて、いつも僕と一緒にいる幽霊さんに反応してるんですよね。まさか幽霊の存在自体を知らない人達がそんな可能性を考えつけるとも思えないですけど。
「うーん……という事は日向さんが……何か特別なんですかねえ……」
 僕に反応しているという話になるのならそういう展開になるのも当然で、手の先まで隠れたコートの長い袖を口元に当て、音無さんが呟く。どっちかと言うと音無さんのほうが外見からして特別な感じもしますけど、それは今更言いっこなしでしょうか。
「言っちゃ悪いかもだけど、そうは見えないわねえ」
 いえ、それでいいです。後ろめたい事も隠し事も何にもない純真まっさらな大学一回生ですよ僕は。
 しかし「そうは見えない」という言葉通りに、異原さんが言っているのは外見から受けるイメージの話であって、しかも知り合って間もないのだから僕という人物像を丸々掴んでいるわけじゃあない。という事で、
「日向くん、趣味は?」
 などというあんまり関係無さそうな話にも。いや、首ピリピリの原因を知ってるからそう思えるだけなのかもしれませんけどね。
「一応、料理なんかをそこそこ」
「あら、本当に? それは料理が得意って話に受け取っても?」
「いいと思いますよ。自慢じゃないですけど……いや、やっぱり自慢です」
 ちょっと胸を逸らせてみる。鼻高々ってやつですよ、決してピノキオ的な意味ではなく。
「へええ、それは羨まし――じゃなくて、凄いわねえ」
「男の人で料理が得意って……なんだか、格好良いですよね……」
 でへへ。――だとか実際に口から漏れてしまいそうなくらいの嬉しい状況。これくらいの事で舞い上がれるというのはこれまでの女性との交友関係の希薄さを表しているような気がしなくもないですが、しかも希薄と言ってもその希薄な中にお付き合いしている女性がいたりもするのですが、それでも嬉しいものは嬉しいです。男ですから。
「逆に料理が出来ねえ女って大分イメージ悪いよな」
 刹那、びしりと凍り付く女性二名。
 ……口宮さあん。
「あ……あんたにしては芯に響くような事言ってくれるじゃないの……」
「哲郎さんも……そう思いますか……? 女で料理が出来ないのは駄目ですか……?」
 暫らくの間を置いてようやく動き始めると、それこそ幽霊みたいによれよれとうなだれる異原さんと音無さん。なんだか不気味ですらあります。
「い、いや、ワシは別にじゃな」
 ムキムキの同森さんも気圧され気味です。ムキムキ関係無いですけど。
「けっけっけ」
 今回ばかりはぐうの音も出ないといった感じの異原さんを見て、厭らしく笑う口宮さん。音無さんは恐らくただ巻き添えをくっただけなんでしょうけど……まあ、どうなんでしょうね料理が出来ないっていうのは。
 今となっては「料理が出来る」ほうに属していると言ってもいいんじゃないかと思える我が料理教室門下生のお二人。だけど初めはやっぱり何も出来ない何も知らないだったわけで、でもだからと言って女性としてどうこう、なんてのは思わなかったけどなあ。そもそも料理って、とんでもなく専門的なものを作ろうとしない限りは特別な技能だとかはいらないし、男も女も関係無いものだと思うし。
 ああ、でもそうか。自分が料理をするからかついつい忘れそうになっちゃうけど、大体の家庭では料理をするのは女の人なんだよねえ。男は外に働きに行くだろうし。最近はそうでない例も増えてきてるってたまに聞くけど、男女が逆転するって程でもないしね。
 ――そう言えば、家守さんは結婚した後どうするんだろう? 料理を始めるきっかけは旦那さんのためだって話だったけど、やっぱり仕事のほうからは身を引いたりするんだろうか? 確か、旦那さんも同業者だとか言ってたし。
「気を取り直して質問続けさせてもらうわよ!」
 おっと。
「うーん、趣味ときたら次は……」
 大声を出して半ば無理矢理に態勢を整えた異原さんは、質問すると言った割にその内容を考えていなかったらしい。どうやら「取り敢えず話を変えたい」だとかそういった考えだったようだ。
「日向くん、彼女っていたりする?」
 え。
「えーと、あー、そうですね……」
 いると言えばいます。でも、その女性は人によっていたりいなかったりな人なもんで――いや、でも特定の人物を指して彼女がいるかどうかじゃなくて、あくまで「彼女」という存在を僕が得ているのかどうかという話なら、
「います、一応」
 やっぱりその人が幽霊だという事もあって、言い訳じみた単語がついつい最後にくっ付いてしまう。実際、言い訳にもなってないんだけどね。
 あとそれから、昔好きだった人の前でこういう話は、という面もあるにはあるのかもしれない。本当にあるのかどうかはあやふやだし、あったとしても我ながら引きずり過ぎだろうとは思うけど。
 ……しかし僕のそういった色々な考えは、
「ふーん、やっぱりそうなんだ」
 思ってもみなかった異原さんの反応の前に一瞬で沈静化。
「あれ? 僕、その話した事ってありましたっけ?」
「いえね、日向くんの友達から聞いた事があって。日永くんだったっけ? あの若葉祭の鬼ごっこで一緒になった時に」
 若葉祭。と言えば先週の土日に大学であった祭りで、その時に商品のケーキ目当てであるイベントに参加。それがその鬼ごっこだったというわけです。なんでだか参加は二人組でだったので成美さんと組ませて頂きましたが。
「そうだったんですか」
 どこがどうなって鬼ごっこ中に彼女がいるかどうかなんて話になるのかは分からないけど、どうせたった今自分でも「いる」と言ってしまったんだからその事を異原さんが鬼ごっこの時に知ってようが知るまいが、結果は同じ。ならまあいいか、と区切りを付けて、
「でもまさか、彼女がいるかどうかなんてポイントに反応してるとは思えないんですけど。異原さんの首のピリピリ」
 話の主題は僕の彼女ではなく、異原さんの首のピリピリが僕の何に反応しているのか、についてだ。……いやまあ、僕の彼女に反応しているという点では、彼女が主題なんだろうけど。
 すると異原さん、「あはは」と笑ってみせる。
「正直言って、今してる話はそれを口実にした日向くんのプロフィール調査だから問題無いわよ。あたしのこれは『わけ分かんないもの』って事で決着しちゃってるし」


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