(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十九章 結婚式 七

2014-05-15 20:56:48 | 新転地はお化け屋敷
「はーい」
 返事をしたのは四人の中でも一番がっかりしていた――唯一がっかりしていた、と言い換えても問題なさそうではありましたが――お父さんでした。実家と同じように考えるものでもないとは思いますが、普段来客の応対に出るのはお母さんの役目だったので、お父さんがそんな行動に出ること自体に多少の新鮮味を覚えてしまったりしないでもありません。
 まあ本人からすれば、がっかりしたからこそ行動に出た、ということではあるんでしょうけどね。
 というわけでその気だるそうな勢いのまま応対にも出てくれ、ついでに話を聞いて戻ってくる時も気だるそうな勢いのままだったわけですが、そうしてやっぱり気だるそうな勢いのまま気だるそうに報告するには、
「準備が整ったから来てくれってさ。ふう」
 とのことでした。やっぱりそういう話だったか、と僕はそんなふうに思ったわけですが、しかしどうやらお母さんは違ったようで。
「止めてくださいよ溜息なんて。今の今までだらだらしてたのに」
 実に手厳しいご意見でしたがしかし、お父さんはへらへらと軽薄な笑みを浮かべながら、さっきまで座っていた座椅子をぽんぽんと叩いてみせます。
「いや、これの座り心地が思ったよりよくて離れたくないっていうかな」
「何をおっさんみたいなこと言ってるんですか」
「俺おっさんだよ?」
 悲しいこと言わないでください。成人も近い息子がいてお兄さんぶられても困ると言えば困るわけですが、だからってそんな何の躊躇いもしがらみもなしにあっさりと。
 どっかに同じ座椅子売ってないかなあ、なんてぼやくお父さんを最後尾に引き連れ、僕達は部屋を出ました。いや別に三人がかりでお父さんを連行してるとかそういうわけじゃないんですけど、雰囲気的にというか。
 で、部屋を出たところではお知らせに来た仲居さんがそのまま待ってくれていたわけですが、しかしその整った和服姿の眼前に立ってみたところで、急にあることが気になり始めてしまう僕なのでした。
「着替えてきた方が良かったのかな、もしかして」
 というわけで未だ私服である僕なのですが、それについては「親の目の前で着替えるのは気が引ける」なんて反発したいお年頃的なことをこの年で言うわけではなく、単にすっぽかしていたというか、何も考えていなかっただけなのです。ううむ、考えた結果面倒臭がった、というほうがまだマシにすら思えるような。
「でももう行った先で着替えるんじゃないの? 花婿衣装に」
 そう言ってきたのは、当選者不在に終わった「目の前で着替えるのは気が引ける候補」に初めからエントリーすらされなかった栞さん。というのはどうでもいいとして、
「僕が花婿衣装に着替えるって話をしながら、実際想像してるのは自分の花嫁衣装って感じかな?」
 実にうきうきとしたいい表情をしている栞なのでした。僕の写真なんか見てる暇があったら、今のこの顔を写真に撮って残しておきたいくらいです。
「おお、すごい。――あっ、じゃなくて、いや、孝さんの花婿姿にも期待はしてるよ? そりゃあね?」
 それさえなければ適当に話を合わせたってことにもできただろうに、「あっ」とか言っちゃったら駄目だよもう。まあそれについてとやかく言うようだったらまず今の今まで私服で過ごしてないだろうし、だから別にどうでもいいというか、むしろちょっと可愛いとか思っちゃったりしないでもないんですけど。
「式の流れのご説明等ございますので、すぐにあちらのお召し物にお着替え頂く必要はございません」
 そんなふうに説明してくれる仲居さんでしたが、ちょっと頬が緩んでらっしゃるのはなんでしょうか。もしかして、思考が漏れ出てたりしてるんでしょうか僕。
 しかし僕がここで気にするべきは自分が恥ずかしいことになっているか否かではなく、すぐ花婿衣装に着替えることはないというのなら、それまでをこのまま私服で過ごすかスーツに着替えて過ごすかということなのでしょう。
「栞さん困らせてニマニマしてないで、着替えるならさっさと着替えてきなさい」
 どうやら恥ずかしいことになっているようでした。……いや、だからそれはいいんですけども。
「そうだね、せっかく用意してきたんだし」
 正装というのはそんな理由でするものではない気もしますが、とはいえ、まあまあ。
「スーツ姿にも期待してるからね」
 部屋への取って返し際に、栞はそんなことを言ってくるのでした。
 それを見て察するに、一応、嘘ということはなさそうで。

 みんなを廊下で待たせているということもあって、さっさと着替えて部屋を出ます。ちなみに、じゃあ他にも何かあるのかと言われれば、同じくみんなが廊下で待っている以上は話し相手がいないから、ということも多少は。
 先に起きて僕が寝ている間に朝食の準備をしてくれていたということでもない限り、基本的には栞と同じタイミングで着替えるのが起床後お決まりの流れになってますしね、最近は。とはいえ、だからって着替えの最中にまで話し相手を求めるほど自分はお喋り好きだったろうか、なんてふうにも思わなくはありませんけど。
「ネクタイ曲がって――ない、ね」
「曲がってたとしてももう手遅れでしょうが、ここで直してもらったって」
 両親をさておくとしても仲居さんの前に出ちゃってるわけだしさ。ということで、部屋を出た途端に栞が妙なことを言ってくるのでした。あしらった後で確認するというのも、なんだか随分と扱いが酷いような気はしますけど。
「それではご案内致します」
 お待たせしましたと言うタイミングを逃してしまいましたが、にこにこと業務に戻ってくれる仲居さん。スーツに着替えて礼儀を欠くというみっともない事態は、しかしそのおかげで随分と精神への負担が軽減されたのでした。
 もしあの笑みが実は「にこにこ」ではなく「くすくす」だったりすると随分と話は変わってしまうわけですが、それについては考慮しないでおくことにしましょう。
「似合う?」
 集団の足が進み始めたところで、ネクタイが曲がっているかどうかを気にしてくれた(ということにしておきましょう)栞に、一応そんなことを尋ねてみます。大学の入学式の時にも一度この格好は披露しているわけですが、とはいえその時とはいろいろと状況が変わっているので、ならばそこからくる差にも期待して改めて、というか。
「うーん、あんまり」
 期待通りでした。いや本当に。分かってましたもん、自分でも。
「やっぱり孝さんは台所に立ってる時が一番さまになってるかなあ」
「それ服装の話じゃなくない?」
 だったらこの格好で台所に立ってみようかとも思いましたが、もちろん却下しておきました。そんなことしたらクリーニング費用がどれだけ掛かることやらですし。
 仲居さんは再びにこにこしていました。

「あれ、一旦外に出るのか」
 お父さんがそんな言葉を口にしたのは、僕達一行がここへの到着直後にも通った四方院家の玄関――宿泊施設として捉えるなら入口と言ったほうが正しいのかもしれませんが――に、到達した時のことなのでした。
「式場まではお車にお乗り頂くことになります」
 栞だったら到着までどこをどう通ってどこに着くのか秘密にしてるんだろうなあ、なんて思わないでもないですが、しかしそこはそりゃあ仕事でやってる仲居さん。勿体ぶることなくあっさりと、僕達が靴を履いている横で説明をしてくれます。
「車? じゃあ家の外――って、はは、そりゃそうか。いくらなんでも結婚式場が家の中にあるなんてことは」
「いえ、敷地内でございます。裏手の御山の頂上付近に」
 お父さんは、開けた口を塞ぐことも忘れてお母さんに驚愕の視線を向けるのでした。何故そこでお母さんなのかはよく分かりませんでしたが、とはいえまあ、そうなるくらいの衝撃を受けたという点については理解もできます。というのは単に結婚式場が家の敷地内にあるというだけのことを指しているわけではなく、今の仲居さんの説明だと、裏にある山がこの家の敷地内に収まっている、ということになるからです。
 ……いや、なるからですというか実際その通りなのですが、その点について一切注目せず当たり前のように語られてしまったというか何と言うか。「実は裏の山も庭の一部なんですよこれが」というような一言が挟まれていればまた違ったんでしょうが、仲居さん、というかこの四方院家の人であることを鑑みれば、そういうことは言えないんでしょうねやっぱり。無論、口調がどうとかの話ではなくて。
 で、さて。
 車に乗っての移動ということで僕達は再度駐車場に移動し、そしてさすがにここまで案内してくれた仲居さんが運転もこなすということはないようで、初めから待ってくれていた黒服さんに案内役を引き継ぎます。
 想像するに随分とやりにくそうですが、法律的な制限とかってどうなんでしょうね。和服での車の運転って。
「そういえば他のみんなとは別行動なのかな?」
 来た時とは別の人だった黒服さんにそれぞれ軽く会釈をしながら車に乗り終えたところ、栞が言いました。
「孝さんが着替えてる間も、誰も出てこなかったんだけど」
「どうもお待たせしちゃいまして」
 卑屈になってみせたところ、栞が浮かべたのは苦笑い。どうやらそういうつもりではなかったようで、とまあ、それくらいはこっちも分かってはいたんですけどね。
「他の人も一緒に来て練習してるとこ見られちゃうんだったら、もうそれを本番にしてしまえばいいんですしねえ」
 僕と違って栞の期待に沿う回答をしたのはお母さん。
 なるほど、確かにそういうことにもなりましょう。集まってもらうのが赤の他人ならともかく身内や知り合いである以上、式の進行についてちょっとした失敗があったとしても、それくらいは笑って済ませてはもらえるわけですしね。となれば逆に言って、練習をするとなれば他の人の目に入らない所で行うのが道理ではありましょう。
 で、そのお母さんの回答については黒服さんから「お母様が仰った通りです」と。
 若い男性に褒められて、ということなのかどうかは分かりませんが、少々得意げにしてみせるお母さん。しかしその一方で僕はというと、この話題とはまた別のところについて思いを巡らせるのでした。奥様ではなくお母様。そうか、基準は僕と栞なんだなあと。
「あれが……今いるこの庭と地続きってことなのか……」
 一方でお父さんは、どうやら周囲の会話が全く耳に入ってらっしゃらない様子でした。あれ、というのは前方にそびえている山を指したものなのでしょうが、海挟んでるわけじゃないんだからそりゃ地続きではあるでしょうよとか、もう「あれ」より「それ」のほうがしっくりくるくらいまで近付いちゃってるけどねとか、突っ込みたいところがあるにはありましたが、これ以上責め立てるのもなんだか不憫に思えたので、そんなあれこれは引っ込めておくことにしました。
「凄いですねえ」
 そんな僕に対してお母さんは素直にお父さんに同意してみせたのですが、しかし言葉の上では同意していても、その中身には随分と差があるようでした。どう見ても何かしらのショックを受けているお父さんに対して、お母さんはこう、旅行先で綺麗な景色を見た時のような、というか。
「全くだ……」
 その差というのは別に僕の考え過ぎから生じたものではなく、誰の目にも明らかな類いのものだと思うのですが、しかしお父さん自身はそれに気付いていないのか気付いていて対応する余力がないのか、同意したお母さんへ更に同意を重ねるのでした。
 こういうのってやっぱりあれなんでしょうか。一国一城の主、というか世帯主として、自分の家やら何やらと比較してしまう、みたいな。ということなら僕だって栞と一緒になることで同じ立場に立った筈ではあるのですが――うーん、やっぱり比較に持ち出すのがアパートの一室となると、ということなんでしょうか、そもそも比較する気にならないんですよね。
 それ以前の話として、世帯主としての自覚が弱いということかもあるのかもしれませんが……しかしまあそれはともかくとして、こんな僕でも一応の世帯主であるということで、それについてちょっと考えることがないではないのでした。
「今訊くようなことじゃないかもしれないけどさ」
「ん?」
 両親に向けての発言だったつもりですが、返事はお母さんからのみでした。とはいえお父さんも、視線だけならこちらへ向けてはいるんですけどね。
「僕と栞、いずれは実家に戻って欲しいとかってある?」
 今現在あまくに荘に住まわせてもらっている僕、というか僕達ではありますが、これから先もずっとそうであるとは限らないわけで、だったらお父さんのように――と、これは飽くまで僕の勝手な想像から出てきた話題なんですが――少なくとも眼前の景色と比較したくなる「我が家」を持つことになるかもしれないわけです。今の時点でそれを否定なり肯定なりする材料はないわけで……いや、それというのは、ただ単にこれまで全く考えてこなかったってだけのことなんですけどね。
 ともあれそういうわけでの、今の質問です。実家に住むということであれば当然、余所に自分の家を建てるなり借りるなりする必要はないわけですし。
「もしそうなるとしても、そんなの今から気にするほど近々の『いずれ』じゃないわよ」
 という返事はお母さんから、そりゃまあふと思い付いて尋ねただけではある以上、そこまでシビアに考えて欲しいとはこっちだって思っていないわけですが、それにしたってお父さんと一言の遣り取りもないままとは。
「そうね、私とお父さんがおっさんおばさんからお爺ちゃんお婆ちゃんになるくらい経ってからの話、かしらね」
 とはいえお父さんのことを全く考えていないというわけでもないようで、そんなふうにしてお父さんの名前を出してもくるお母さんなのでした。というかお母さん、ちょっと前お父さんに「おっさんみたいなこと言うな」なんて言ってたのに、あっさり自分をおばさん扱いしちゃってるけどいいのそれ?
「だとしても、ちょくちょく会いに来るくらいはしてくれよ」
 僕が懸念したことにはまるで触れないまま、お父さんはそんなふうに。とはいえそれくらいは僕だってわざわざ言われるまでもなくするつもりだけど、なんて思ってはみたのですが、
「弟だか妹だかに『この人誰?』なんて言われたくないだろ?」
 ……そうでした、そういう事情もあるんでした。二人目を産んでもらう(なんて言い方も大概ですが)という話自体を忘れていたわけではありませんが、いや忘れられるわけがないのですが、「親に会いに実家を訪れる」という発想はあっても「弟もしくは妹に会いに実家を訪れる」という発想はなかったのです。もちろんのこと、どの道随分と先の話にはなるわけですけど。
 というわけでそう言われてしまった際の自分を想像しつつ苦い笑みと共に頷いてみせるわけですが、するとそんな僕の隣では栞も困ったような笑みを浮かべるのでした。
 が、しかしどうやらその笑みは、僕のそれと似たようなものではあっても同じものというわけではないようです。行くあてのなさそうなというか、他に対応のしようもなく笑ってこの場を乗り切ろうとしているというか、困っているというよりは焦っているというような。
 実の兄弟と義理の兄弟という違いこそあれ、この話においての立ち位置は僕と変わらないだろうに――なんて思ってしまうようでは、駄目なのでしょう。
「その弟か妹も、見えるようにしてもらわないとね」
「当たり前でしょう」
「お前と同じで初めから見えてたりしてな」
 何の話かは言うまでもなく。
 本人の意思に関係なく、どころか生まれる前からこんな話をされてしまうというのは、その是非とはまた別のところで理不尽な話ではありましょう。しかしそのことは、それ以前の「両親に二人目を産んでもらう」という話からして、僕が進んで強いていると言おうと思えば言ってしまえるわけです。もちろん両親だってそれを了承するに際して鑑みたのが僕の事情だけということはないのでしょうが、だからといって、僕が責任逃れのためにそれを持ち出すのは筋違いでしょうしね。
 ――ここまでして初めてこちらが抱えるその「事情」は解消されるわけで、故に僕は、ここでも引き続き強いるわけです。いずれ生まれてくる僕の弟か妹には、幽霊を見られるようになってもらうと。世間一般とは違うものが見えてしまう人生を送ってもらうと。
「ありがとうございます」
 嬉しそうな、でも嬉しそうなだけでもない笑みを浮かべながら、栞は両親に深々と頭を下げてみせました。するとそれに対してはお母さんが「はい」とだけ受けてから、それに続けて「でも」とも。
「栞さんがお礼を言うようなことではありませんよ。四人全員に事情があって、それぞれがそれぞれの最善を考えた結果がこうなったってだけなんですから」
 栞のためではない――より正確を期すなら、栞のためだけではない、ということでしょうか。そこはさっき僕が持ち出すのを避けた話なのでしょうが、二人目の子どもを産むというのは当然、両親が望んでそうするという部分もあるわけです。それに、
「最初にあるのは栞さんがうちの息子を選んでくれたってことですし」
 というお父さんの言葉通り、今頭を下げた栞だって、逆に下げられる立場でもあるわけですしね。
 しかしそれにしたって、栞との関係をそんなふうに捉えてくれていることについて、それこそ僕のほうから頭を下げたくなってしまいそうです。選んでくれた、だなんて。
 ……栞に比べて僕の扱いが悪いだけ、とは言いますまい。
「あとはまあ、そうだな」
 まだ何かあるらしいお父さんでしたが、これ以上何か言われたら栞より先に僕の感情が極まってしまいかねないところです。
 が、
「あんまり後ろでこんな話されてても運転手さん困るだろうし、今はこの辺で」
 実にごもっともなその話に、僕も栞も笑うしかないのでいた。
 ちなみに、そうして表情を明るくさせた栞はその後、目的の結婚式場に到着するまでずっと――といっても数分程度のことではあったのですが――僕の手を握ってもくるのでした。となれば僕からも、指と指の間にある婚約指輪の感触を確かめたりもしながら、その手を握り返すのでした。
 まあ、僕も同じく泣かされかかっちゃったわけですしね。

「お待たせ致しました。こちらの建物に式場がございます」
 やっぱりこの建物がそのまま式場って扱いにはならないんだな、とまあその辺りは前回来た時にこの目で確かめたことではあるので、ともかくとしておきまして。
 なんせ大きい建物なので言われる前から視界に入ってはいたのですが、駐車スペースに車を停めたところでそう説明してくれる運転手さん。いえいえこちらこそお待たせ致しまして、とさっきのお父さんの発言からそんなふうに思ってしまわないでもありません。
 が、しかしそれが妙な話だというのは考えるまでもないでしょう。たとえ居心地を悪くさせてしまっていたとしても待たせたと言うのとは違うだろう、というような話以前の問題として、どうやらここからも引き続きこの人のお世話になるみたいですしね。車に乗った時のように引き継ぐ人がいるわけでもないみたいですし。
 というようなことを車を降りたその場で確認し終えたところ、
「孝一は栞さんと一度来たことがあるんだったわよね?」
「うん。と言っても、その時はちらっと見ただけだったけど」
「ちらっとって、わざわざここまで連れてきてもらってなんでだ? まさか自力で歩いて山登ってきたってわけでもないんだろう?」
「あんまりじっくり眺めてると感極まっちゃいそうだったんで、そういうのは本番の日まで取っておこうってことになったんです。ああ、あと、そりゃあ車で送ってもらいましたよその時も」
「あら、お馬鹿さんには付き合わなくていいんですよ栞さん」
「うーん、その言い方だと話の一部じゃなくて俺自身がお馬鹿扱いされてるような」
「どう捉えるかはあなたの判断にお任せしますけどね」
 などと家族四人(ほぼ二人みたいなものですけど)の談笑が始まってしまうのですが、しかし当然ながら、式場に足を踏み入れた後ならともかく駐車場で足を止めてまで話すようなことではありません。今度こそ本当に黒服さんをお待たせしてしまっています。
 ……というようなことを頭に浮かべてしまったからには黒服さんに軽く頭を下げる程度のことはしつつ、引き続いて案内をお願いします。
 さてさてそういうわけで外見は体育館っぽいその建物に入り、これまた体育館っぽい通路を経て、僕と栞は二度目、両親は初めて式場に足を踏み入れることになったわけですが、
「うわあ……!」
 と、そう声を上げまでして感激したのは栞なのでした。いやまあ、二度目とはいっても所詮はたったの二度目なわけで、それに前回来た時より飾り付けが増えているようにも思いますし、だったらそんなふうになるのは別におかしいという程のことではないのかもしれません。が、それにしたってこう、初めて来た両親との対比というか何というか――うん、だからここは栞がどうという話ではなくて、もうちょっと何かリアクションあってもよかったんじゃないかなお父さんもお母さんも。
 というようなことを目でなく耳だけで判断したのは、しかしどうやら間違いだったようでした。声を上げたのが栞だったので僕はそちらを向いていたわけですが、するとその栞が、何やら黙ったまま僕の袖をちょんちょんと引っ張ってきます。
 そっちを向いてるんだからそんなことしなくても用がありそうなことくらい分かるよ――なんて野暮なことを言うよりも先に栞の視線が「両親の方を見ろ」と訴え掛けていたので、ならばと今度は逆に黙って袖を引っ張ってきたことを考慮に入れ、静かにかつ最小限の動きでちらっとだけそちらを窺ってみます。
 と。
「…………」
 お父さんは目頭を押さえ、お母さんはそのお父さんの肩にすがりついていました。
 どうしたのか、なんて疑問が浮かぶほど僕も馬鹿ではないつもりですが、しかし僕達をここまで案内してくれた黒服さんの所在に気を回すまでには、少々の間を要したのでした。
 で、その少々の間を経て確認した黒服さんの所在ですが、僕達が今いる式場――この場合は式室とでも言ったほうが伝わり易いのかもしれませんが――の、外なのでした。
 とはいえそれは、僕達とそう離れているわけではありません。なんせ僕達は式場に一歩踏み入った場所で足を止めてしまったわけで、つまり黒服さんとは、部屋の敷居を跨いで一歩分の距離しか離れていないわけです。
 ……が、しかしそれでも、その一歩分の距離というのは大きな一歩でもあるのでしょう。敷居を跨いだすぐ向こう側にいたとしても、今この部屋にいるのが僕達四人、日向家の四人だけだということに、変わりはないんですしね。
 こういう仕事に携わっている以上はこういう場面に何度も立ち会っていて、だからそうしてそこに立ってくれてるんだろうな、と頭の中に賛辞を巡らせつつ、しかしそれを言葉にはしないまま、僕は小さく頭を下げました。
 僕があちらの所在を確認したこと、その後そうして小さく頭を下げたことはもちろん黒服さんも気付いています。なので僕のその動きを受けて、黒服さんはそこから更に横へ一歩、こちらの視界に入らない、もしくはこちらを視界に入れない壁の向こう側へと。
 ありがとうございます。


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