(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十章 息抜き 一

2011-02-27 20:32:25 | 新転地はお化け屋敷
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。
『いただきます』
 本日の朝食は、ご飯、味噌汁、ハムエッグ、生野菜のサラダです。取り立てて紹介するほど珍しいものでもないのですが、しかし特筆すべきは、これらを作ったのが栞さんだということでしょう。
「このサラダ、本当に切って盛り付けただけなんだけどね」
「でもまあ、起きたばっかりの身としては嬉しいですよ。変に油っ気のある料理よりは胃に優しいというか」
 栞さんの謙遜にはそう返しましたが、しかしそれはともかく「起きたばっかり」という話です。
 朝食を作ったのが栞さんである以上、栞さんは少し前に起きたのですが、僕は本当にたった今起きたばかりなのです。布団から身を起こしてそのままこの食卓に着いたので、まだ顔すら洗っていません。
 寝ている僕を目覚めさせた栞さんの言葉、『こうくん、ご飯ができたよ』。……あの起こされ方は、是非またされてみたいものです。
 ――ただでさえ起きた直後で締まりのない顔をしているであろうところ、更ににやけてふやけて酷いことになりそうなので、回想はこれくらいにしておきましょう。
「勝手に作っちゃったから、こうくんの分はいいとしても、自分の分までつくるかどうかはちょっと悩んだんだけど……」
 自分の朝食を見下ろして、栞さんは言いました。僕と全く同じなそれらの献立は、悩んだ末に出した結論を明確に示しています。
「言いっこなしですよ、もう。そういうことは」
「だよね。私も、そうだろうなと思って」
 幽霊である栞さんは、食事をする必要がありません。しかしだからといってこの場所で、この状況で、そんなことを遠慮する必要は、それ以上にないわけです。
 僕と栞さんはそういう関係なんですし、そしてそれを昨晩、改めて確認し合ったのですから。
「うん、今のが最後。これからはもう気にしないよ、そういうこと」
 栞さんはそう言って、にっこりと微笑みました。ならばと僕も微笑み返し、栞さんの得意料理でありかつ僕好みの味であるところの味噌汁を一口、啜りました。
 当然、とても美味しいのでした。

『ごちそうさまでした』
 満腹というほどの量を食べたわけではありませんが、しかしそれでも、満足感はこれでもかというほど味わいました。そんな今回の朝食は、僕が思い描く「食事」というものの見本にすべき例である、とさえ言ってしまえるでしょう。まあ、あくまでも僕の個人的な考え方ではあるんですけどね。
「うーん……」
 満腹でもないのにお腹をさすったりしている僕の一方で、栞さんは何やら考えているようでした。自分一人で作った朝食でしたし、味に気になるところでもあったんでしょうか?
「ねえこうくん」
「なんですか?」
「今日一日は、どんなふうに過ごしたらいいんだろう?」
「へ?」
 意外な質問についつい頭の悪そうな返事をしてしまいましたが、意味がいまいち分からない辺り、本当に頭が悪いのかもしれません。
 今日一日、と栞さんは言いましたが、しかし今日って特別に何かありましたっけ? 祝日……とかでもない筈ですし。今日も大学ですし。だったら何か約束とか……も、ないと思いますけど……。
「ああ、あはは、いきなりこんなこと言われたらそりゃあそんな反応になるよね」
 こちらの困惑っぷりを察してくれたようで、栞さんは照れたように笑っていました。けれどそれでこちらの困惑が解消されるわけではないので、ならばもう少し話を聞かせてもらいましょう。
「昨日はほら、『ずっと一緒にいたい』って、お互いそんな日だったでしょ? だから昨日は一日中、一緒にいられない時でも気持ちが浮付いててさ。……それがなくなっちゃって、じゃあ今日はどうしたらいいんだろうって。もちろん普段からそんなこと考えてるわけじゃないんだけど、昨日が昨日だったから、さ」
「なるほど、言われたら僕も気になってきちゃいましたね」
「ああっ、ごめん」
 謝られるようなことじゃないのは、まあ栞さんも冗談っぽく言ってるんで指摘することでもないでしょう。
 ならばそれはいいとして、気になったからには、それについてそれなりの解答を出しておきたいところです。どんなふうに過ごそうかという意見がないにせよ、少なくともモヤモヤしたまま過ごしたくはないですしね。
 ……モヤモヤ? そういえば、なんとなく自分の顔からもそんな感じが。
「洗面所行くついでに考えてみます。まだ顔洗ってないの忘れてました」
 そんなに時間が経ったわけでもないのに、すっかり頭から抜け落ちていました。原因はまず間違いなく朝食なんでしょうけどね。

 食器を台所の流しに置いておき、そのまま洗面所へ。歯を磨き、顔を洗い、気になるようであればヒゲを剃る。今ここですべきことはその三つなのですが、どうやらヒゲについては省いても良さそうでした。ただまあ、やって損があるわけでなし、気にならずとも剃ったほうが良くはあるんでしょうけどね。要は単に面倒なだけです。
 ともかくまずは歯を磨こうと歯ブラシに手を伸ばすと、そこには栞さんの歯ブラシが一緒に並んでいます。
 そうたくさん経験があるわけではないですが、他の誰かの家に泊まることになった場合、こういうものはコンビニか何処かで買ってくるか、もしくは歯磨きそのものをしないでおいたりするのではないでしょうか。
 それでいて今ここに栞さんの歯ブラシがあるというのは、まあ単に「隣の部屋だからすぐ取りに帰れる」、というのが理由ではあります。実際、昨晩パジャマなんかと一緒に取りに帰ってましたし。
 ――と、それは分かっているのですがしかし、パッと見た感じ、歯ブラシが並んでいるというのは生活を共にしている感溢れるというか、まあともかく、いい気分にさせられる光景なのでした。
 ならばそのいい気分のままで歯磨きを開始したのですが、
「ひゃわふへ」
 じゃなくて、と歯ブラシを突っ込んだ上に歯磨き粉で泡だらけな喋りづらい口で、鏡に映る自分へ突っ込みました。今考えるべきはそれじゃないだろう、と。それもいいかもしれないけど、と。
 今日一日はどんな感じで過ごそうか、と栞さんと話していたではありませんか。洗面所に行くついでに考えておく、とも。だったらそれを考えるべきでしょう、鏡の中の僕も若干真面目そうな顔になってることですし。
 さて、そもそもの議題である「今日一日はどんな感じで過ごそうか」ですが、そんなことをわざわざ考えてしまうのは、さっき栞さんも言っていた通り昨日の「今日はずっと一緒にいたい」があったからです。
 ならばまあ、その昨日のことをいろいろと思い返してしまうのですが――どうでしょうか、今日も昨日みたいな日にしてみるというのは、単純ながらそう悪くない案だと思います。別にああいうのは一日のみに限定しなければならないってこともないんですし。
 そんなことを考えている間にもシャコシャコと歯磨きは続き、そして同時に昨日のことを思い返す思考も引き続きます。そしてそのうち、昨日の記憶がある場面に差し掛かりました。
「…………」
 やっぱり昨日みたいなのは止めておこうか。ついさっきの自分の意見を取り下げて、僕はそう思いました。
 僕に抱き付き、不安だと、怖いと、涙を流した栞さん。普段ならそんな不安に負けはしない栞さんがああなったのは僕が傍にいたからで、ならば、また同じようなことになるのは避けた方がいいかな、と。
 もちろん僕はあの時不安も恐怖も、そして涙も、受け入れていました。そういうものを晒してくれたことを嬉しいとすら思いました。今だってそれは変わらないのですが、しかしだからといって、積極的に栞さんを悲しませたいと思うわけではありません。頼られるのが嬉しいというのも、結局はその後に笑ってもらえるから嬉しいんですしね。
 ――それを踏まえて、ならば今日はどうしようかという話に戻ります。

「歯磨きに力入れ過ぎて、気が付いたら歯茎から血が出てました」
「ああ、ちょっと長いなとは思ってたけど。こうくんのことだから、考え事に集中しちゃってたんじゃないの?」
 大正解です栞さん。なんとなく恥ずかしいのでそうだとは言わないでおきますけど。
「それはともかく、考えてきました。今日はどうするかっていう」
「あ、誤魔化した」
「いや、誤魔化すようなことじゃなくないですか? 歯茎から血が出たくらいのこと」
「ふふ、じゃあ誤魔化さなかったらいいのに」
 ああ、こりゃもう駄目だ。予想どころか確信してるなあ、栞さん。それが間違ってればまだ何とでも言うんだろうけど、正解されちゃうとなあ。
「……すいません、正解です」
「やった」
 小さく喜ぶ栞さんは非常に可愛らしかったのですが、しかし口の中に薄く広がる血の味を思うと、諦めておいたほうが良さそうでした。何をとは言いませんが。
「話を戻しますけど、考えてきました。今日はどうするかっていう」
「うん」
 話を戻すからといって全く同じ台詞を繰り返すことはなかったのでしょうが、それはともかく。
「買い物でも行きませんか? あんまりいろいろなこと考えないで、気楽ぅに」
「気楽ぅに?」
「気楽ぅに、です」
 発音はどうでもいいんですが、気楽にというのは重要です。昨日のように「一緒にいたい」と強く思いながら一緒にいるのもいいけど、そんなこと考えずにのんびりするのもいいんじゃなかろうか、と思ったわけなのです。
「昨日の逆ですね、要するに」
「ああ、そういうことかぁ。……そうだね、それいいかも」
 言葉と言葉の間にふと、その表情に僅かな陰りを見せた栞さん。さっきの僕と同じように、昨日泣いてしまったことを思い出したのでしょうか? 他にそんな顔をするような理由は思い付きませんし、ならば、そういうことなのでしょう。
「ただまあ、今日は四限まで講義があるんで、行くにしても四時以降になっちゃいますけど」
「それは全然構わないよ。私なんか、好き好んで講義に交じってるわけだし」
 学費というものを納めて学生をやってる身としては、「僕だってそうですけど」と言わなければならない場面なのでしょうが……なかなか、そうはいきませんよね。やっぱり。
 とまあ、そんなことはどうでもよくて。
「じゃあ最後に、もう一個だけ訊いてみますけど」
「なに?」
「二人で行くか、大吾達も誘ってみるか、どっちがいいですか?」
 などという選択肢を今の時点から頭に浮かべるのは、声を掛ければまず間違いなく一緒に来てくれるという認識があってのことです。
 話の起点が昨晩のこと――僕と栞さんの極々プライベートな一幕だったので、ならばここは他の人を巻き込まずに二人で行くべきだったのかもしれませんが、一応の確認ということで。
「うーん、どうかなあ。迷っちゃうなあ、正直」
 迷うということは、どちらにも魅力を感じているということなのでしょう。「二人で行くべきだったかも」なんて思っていた僕とは少々違うようでしたが、もちろんそれについてどう思うということはありません。
 首を傾け少しの間悩んでいた栞さん、答えを出すまでに三十秒ほど掛かりました。会話の中でということになると、割と長く感じる時間です。
「みんなと行きたいかな、私は」
「ですか」
「うん。気楽にって、昨日とは逆にって話だったでしょ? こうくんと二人だと、結局昨日みたいになっちゃうかなって」
 なるほど、それはそうかもしれません。ありがちなパターンですしね、意識しないでおこうとすればするほど意識してしまうというのは。例えば、怖い映画を見た後に眠れなくなるとか……ただまあ、それが幽霊ものだったりすると、もうそこまで怖がることはないんでしょうけど。
「じゃあそういうことで。昼に一回帰ってきた時にでも、大吾達に声掛けてみましょうか」
 別に今すぐ声を掛け手に行っても問題はないのでしょう。これまでだって、何度かそういうことはありましたし。
 ならばどうして「今から」を避けたのかといいますと、これまた昨日の話が原因なのです。昼を過ぎても散歩のお呼びが掛からない、と202号室を訪ねてみたところ、まだ寝ていた成美さんと大吾を飛び起きさせてしまったという。
 まあ今からにせよ昼時にせよ、声を掛けるのはどちらでも同じだし、だったらあまり気にしないでおこう。そんなふうに思っていたところ、
「ん? こうくんは?」
 栞さんが不思議そうな顔をしていました。
「僕? 何がですか?」
「何がって、二人で行くかみんなと一緒かって話。今のだと、私の意見だけで決まっちゃった感じだけど」
「ああ……」
 栞さんの意見で決定ということにしたからには、僕もそれに同意だと思ってもらえそうなものですけどねえ。なんてことを考えないでもなかったのですが、しかし栞さんと違う意見を持っていたのは事実なので、そんな調子合わせもなかなかしにくいのでした。
 ただここで一つ救いなのは、栞さんが本音をぶつけられる相手だということです。
「正直、僕は二人で行くほうに傾いてたんですけどね。でも栞さんの意見を聞いたら、ぐうの音も出なかったというか、完膚なきまでに納得させられたというか」
「うーん……本当にいいの?」
「いいんです。納得してるのはいま言った通りですし、『どうせ買い物が終わったらまた二人きりなんだし』なんて小賢しい見通しもあったりしますし」
「言われてみれば、確かにね。うん、納得してもらえてるならしつこくは言わないよ」
 無事に納得していることを納得してもらえたようで、栞さんは一転して朗らかな表情に。
「でも、こうくん」
 けれどその表情は長く続かず、しかしだからといってまた苦い顔になるわけでもなく、ならばどうなったのかと言いますと、
「買い物が終わったら二人だけって言うけど――今だって、二人だけなんだよ?」
 甘い表情、甘い声。そんな雰囲気を纏った栞さんは、僕に擦り寄るようにしてきました。
 それで驚くのは変なのでしょうが、しかしいきなりのことだったので、その点についてだけ、ちょっと驚いてしまいました。
 そして僕に擦り寄っていた栞さんが、僕のそんな心情に気付かないわけもなく。声も表情もすっと普段通りにさせつつ、こう言ってきました。
「二人で行く方に傾いてたっていうのはやっぱり嬉しいし、そう言われたら私だってそんなふうに思うしね。だったら今だって二人だけなんだから、見過ごすのは勿体無いなって」
 要らぬ説明をさせてしまったな、と反省をしておくべきなのでしょう。二人きりを望んだのは僕で、ならば栞さんが今こうして甘えてきているのだって、「僕のその望みに応じてくれている」ということなのですから。
「栞さん……」
「謝るのは駄目だよ、先に言っちゃうけど」
「……じゃあ、ありがとうございます」
「ふふ、それはそれで変だけどね」
 などという締まりのない遣り取りを経て、僕は栞さんと唇を寄せ合いました。
 直前の締まりのない遣り取りと同様、キスをしている今の雰囲気にも、どこか締まりがありません。ですが今日は「気楽ぅに」過ごすのが目標なので、ならばむしろこれが正解なのでしょう。
「一つだけ、お願いしてもいい?」
 キスを終えると、栞さんはそう尋ねてきました。その頬は緩み、そして薄くながら赤みがかっているのですが、しかしその言葉からは、不思議と意を決したような思いが感じ取れました。
「なんですか?」
「『あんまりベッタリしないようにしよう』っていういつもの約束だけど――土曜日までは、無しってことにしてもらっていいかな」
 どうして土曜日なのか、というのは訊くまでもありません。
 そして同時に、どうしてその約束を無しにして欲しいかというのも、訊くまでもないのでしょう。
「本当なら、昨日の時点で言っておくべきだったんだろうけど」
 僕が思考を巡らせている間に、栞さんはそう付け加えました。ベッタリし始めたのは今ではなく昨日からだから、ということなのでしょう。
 ベッタリしないように、という約束を無しにするということは、つまりベッタリしたいということです。
 普段から意味もなくベッタリするのは宜しくなかろうということで作った約束でしたが、しかし今の栞さんの頼み方を見ていて、「意味もなく」だとは思えないわけで。
 そして何より、
「僕からもお願いします」
 情けない話かもしれませんが、不安なのは栞さんだけではないのです。
「……ありがとう、こうくん」
「ただ、今日の『気楽ぅに』のほうは、できれば有効にしておきたいなーと思いますけど」
「うん、それはもちろん」
 お礼を言われて「どういたしまして」とはいきませんでしたが、ともかく話は纏まりました。土曜日まではベッタリしつつ、今日は気楽に過ごします。
 気楽にベッタリ、というのも妙といえば妙な話ですが、まあ矛盾しているというほどのこともないでしょうし、だったらなんとかなるでしょう。

「よし、じゃあ気楽に大学に行こう」
「行きましょう行きましょう」
 気楽に、という言葉を付ければオッケーというわけでもないのでしょうが、取り敢えずそんな無粋な指摘はしないでおきました。何事もまずは形から、なんて言いますしね。
「気楽に手を繋ぎたい」
「どうぞどうぞ」
 というわけで、道路に出る辺りで手を繋ぎます。気楽にとは言っていますが、いつものことでもありました。
 しかし、その直後。
「……突っ込みは?」
「あれ、した方が良かったですか?」
「うん、さっきからとんでもなく恥ずかしい」
 恥ずかしいと言ってはいる栞さんでしたが、しかしその表情はいっそ悲しそうですらありました。突っ込まれること前提で言った台詞が普通に受け入れられてしまうとなると、まあ、そんな顔にもなりますでしょうか。
「いやあ、気が利きませんで」
「まあ、それが気楽ってことなのかもしれないけどね。深く考えずにぽやんぽやんしてるっていうか」
 それはつまり栞さん、部屋を出る辺りから僕はぽやんぽやんしていたというわけですか。ぽやんぽやんしていたというのがどういう様子なのか、曖昧なイメージでならともかく、具体的にはちょっと分かり難いですけど。
「こうくん、いつもは深く考えちゃう方だから、結構新鮮かも」
 栞さんは何やら嬉しそうでした。だったら今日の僕はこんな感じでいいのでしょう――と言いたいところではありますが、
「自分としては、普段と変えてるつもりはないんですけど……」
「そうなの? ふふ、でもまあいいよ。私も深くは気にしない。気楽に過ごすんだしね、今日は」
 嬉しそうだった栞さんは、加えて楽しそうでもありました。だったらやっぱり、今日の僕はこんな感じでいいのでしょう。あとはそれがどんな感じなのかを掴めばいいだけの話なんですし。
 いつもより繋いだ手の振りがちょっと大きいかな、などということを感じつつ、大学到着までの五分間を、気楽に過ごしました。

「お、今日は喜坂さん一緒か」
 隅っこの席からこちらを振り向いた明くんは、まずそんな感想を持ったようでした。
 特に理由もなくたまたま一緒だというならともかく、明確に「今日は一緒にいよう」と決めてこうなっているわけで、それを考えると少々照れ臭かったりしないでもありません。
「おはようございます、日永さん」
「おはようございます」
 栞さんはどうもそうではないようですけどね。挨拶も、そして明くんの隣に座るのも、躊躇いなんて全くなさげでしたし。
「いやあ、喜坂さんに隣に座ってもらえると目が覚めるな、やっぱり」
「講義が始まるまではそりゃ覚めてるでしょ」
 それまでどんなに覚めていても、講義が始まると途端にまぶたが重くなってくる。明くんはそういう人なので、今の時点で目が覚めるかどうかなど何の意味もないのです。
 ――という理屈はともかく、栞さんに色目使わないでよ、なんてことも思わないではありません。しかしそれは思っただけであって、本気の色眼である筈もないのです。そりゃあ明くん、それこそ頭に浮かべるだけでちょっと目が覚めるような彼女がいるわけですし。
 更に言えば、本気でないにせよ色目を向けてしまうほど栞さんは魅力的だ、なんてふうに考えることもできるわけです。もちろんこちらも考え過ぎなのですが、考え過ぎだと分かっているなら、そうして勝手にいい気分になっていても問題はないでしょう。
「……そ、そんなことないですよ。私が隣に座ったくらいで」
 僕が長々と考え事をしていられるほどの間を空けてそう答えたのは、すっかり照れている様子の栞さん。しかしだからといって嫌がっているふうでもなく、むしろまんざらでもなさそうというか。
「これまでだって、栞さんが一緒の時でも滞りなく寝てましたもんね。目が覚めるなんてとてもとても、それでどうにかなるなら毎回起こしてる僕の苦労はないわけで」
「おお、なんかえらい攻撃的だな孝一」
「所謂ジェラシィというやつです」
「はは、そりゃすまんかった」
 もちろんそんなものは冗談で、だから明くんも笑っているのですが、
「え? え?」
 しかし栞さんだけは、慌てた様子で僕と明くんを交互に見遣るのでした。
 そしてそんなことをしている間に、先生が入室。ならば明くん、目を空けていられる時間はもう長くないのでした。

「冗談だったにせよ、さすがに格好悪いな……」
 とてつもなく気だるそうにしながら、明くんは呟くように言いました。僕と栞さんが隣にいて独り言もないでしょうし、だったら本人は呟きのような声量にするつもりはなかったのでしょうが、強烈な眠気のせいでもう体力が尽きかけているのでしょう。首から上がふらふらしてますし。
「ここでビシッと起きてられりゃ、喜坂さんに格好が付けられたんだろうけどなあ」
「で、でも日永さん、少なくとも寝てはいませんし。頑張って起きてたじゃないですか」
「ど……努力点、有難く頂戴しておきます……」
 弱々しいスマイルを最後に、明くんは机に突っ伏してしまいました。
 どう見てもそれは力尽きて眠ってしまう体勢でしたが、だがしかし。
「ああ、駄目だよ明くん。せめて次の教室に行ってから寝ないと、寝過ごして欠席になっちゃうよ?」
 僕の木曜日の時間割は、一限から四限まで。対して明くんは一、二限だけなので、次さえ頑張れば後は好きなだけ寝れるのです。そういうこともあって尚更、だったら今は頑張ってくれと、そう思わずにはいられません。
 すると明くん、頭を机から離さないまま、ごろりと横に転がすようにしてこちらを向きました。痛そうかつちょっと怖かったのですが、しかしそうして表れた表情は嬉しそうに微笑んでいます。
「二限……休講だったんだよ、俺……」
 おめでとう。本当におめでとう。
 それだったらそれだったで、「だったら尚更こんな所で寝ないで家に帰ってちゃんと横になればいいのに。もう講義ないんだし」という意見が浮かばないでもなかったのですが、重い頭を支える必要がなくなって幸せそうにしている明くんを見ていると、そんなことすら言えなくなってしまうのでした。
 次にこの教室に入ってくる人達は、机に突っ伏している明くんを見て「誰だあれ」なんてことにもなるのでしょう。ですがどうか、彼を静かに寝かせてあげてください。


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