(有)妄想心霊屋敷

ここは小説(?)サイトです
心霊と銘打っていますが、
お気楽な内容ばかりなので気軽にどうぞ
ほぼ一日一更新中

新転地はお化け屋敷 第五十八章 清算 五

2014-04-08 20:50:58 | 新転地はお化け屋敷
「それだとなんかアタシ不利だよなあ」
「何が?」
「アタシが実は強い人間だってことを伝えるのが高次さんの目的でしょ? でもこんな話ばっかりしてたらそりゃあいくらアタシでもちょっとずつくらい強くはなっていくんだろうし、じゃあ別に今この時点で強くなくたっていいわけで」
 なんせ時間制限がない。人生掛けて、なんて言っちゃってるわけだし。
「ああなるほど、そういうことにもなるかあ。後になってからじゃあ今この時点で強いっていうのは証明するの難しいだろうし……。そっかあ、そこまでは考えてなかったなあ」
 もしかしたら、なんて思ってたんだけど、どうやらそこまで考えてはいなかったらしい高次さんだった。
 が、考えていなかったからこそ、そんな想定外の事態に対しては対策を講じなければならなくなるわけで、
「よし前言撤回、可能な限り速やかに思い知らせてやることにしよう」
「えー!」
 えらいことになってしまいました。
「よく考えたら、いい女になってもらうってんなら若いうちの方がいいもんな」
「おうエロいエロい」
「っていうのも、そりゃあないってことはないわけだし」
 笑いながらそんなことを言いつつ、けれどその両腕は依然としてアタシをふんわり抱き留めるだけの高次さんだった。ないってことはない、というのに嘘はないんだろうけど、それにしたって大して重要視してはいないんだろう。それをどう評価するかは人によって意見が分かれるところなんだろうけど、アタシの場合はまあ、まずこの人を旦那に選んでるわけだし、じゃあ自然と答えは決まってくるわけで。
「とは言ってもまあタイミング最悪だけどな。自分で考えるって言った直後にやっぱ俺も出しゃばらせてくれって」
「いやいや、それこそ一生涯中ずっとくっ付いてるわけでもないんだしさ。後回しでいいよ、こっちのことは」
 今すぐ放してくれ、なんて言いたいわけでもないしね。なんだったらくっ付いてる間にでも一人で考えるくらいは――あー、いや、どうだろうかねそれは。なんか考え事とか始めちゃったらそれくらい察してくるし、それで話し掛けられたらお断りしようなんて思えないだろうしなあ。
「そう言ってもらえると有難いな、明日のことも考えると」
「まあね。それこそ、一生涯中ずっとくっ付かせてもらいますっていう契約みたいなもんなんだし」
 結婚式。籍は既に入れてあるので周囲に対する告知程度のものでしかないといえばないんだけど、それでも区切りの一つにはなるわけだしね。
「というわけで高次さん、アタシにくっ付くのに遠慮とかしないでよ?」
「はっは、実際こうしてくっ付いたら照れちゃうくせにな」
「それはもういいってばさ」
 肉体的な話じゃなくて情緒的な話だよどっちかと言えば。どっちかと言えば、でしかないけどさ。
「ん、じゃあ、真面目な話に戻るとして」
「何回行ったり来たりするんだろうねえ」
「そりゃもう何度でも」
 どちらがそれを必要としているかというとそりゃもちろんアタシなわけで、となると少々情けなくなったりもするけど、でも少なくとも高次さんはそんな思いをさせるためにこうしてくれてるんじゃないわけで。となれば、ね。
 で。
「この話はさすがに俺の口からでもあんまり聞きたくないだろうけどさ」
「ん?」
「被害者の方」
 相槌は打てなかった。というのは何も唐突な話についていけなかったわけではなく、というかむしろ逆で、ついていけ過ぎたからだ。瞬時に浮かんだ「そうだね」と「そんなことないよ」の二つが、アタシの中でせめぎ合いを始めてしまったからだ。
「大丈夫だよ」
 結局は、そのどちらでもない返事が出てきた。聞きたくないかそうでもないかはともかく、話をすること自体は大丈夫だよ、と。
「そっか」
 高次さんのことだ。その仔細までを、とは言わないまでも、こちらが迷いを生じさせたことくらいは察しているんだろう。短い一言ながら、その声色は慰めたり宥めたりする時のそれだった。
 というわけで「被害者の方」の話だけど、誰の、何の、というのは、語るまでもないだろう。アタシがこの世から追放しあの世に送ってしまった人達、つまりはかつての「友達」のことだ。
「方達、だね。正確には」
「ああすまん、そうだな」
 一人ではなかった。もちろん、一人だったら罪は軽かったなんてことを言いたいわけではないし、そしてそれ以前に、
「高次さんが謝るようなことじゃないよ」
「いや、こういう余計な遣り取りを挟ませたってとこをな。……寂しいこと言うなよ、あんまり」
 そう言って、抱き留める腕に少しだけ力を加える高次さん。いつもならそこから感じるのは温かさとか優しさだったんだけど、でも今回感じたものは、出てきた言葉の通りのものだった。
「ごめん。そうだよね、ここまで来て」
 結局、こちらからも謝ることになってしまった。ここまで来てしまったら、来てもらってしまったらもう、放っておいてくれと突っ撥ねるのは子どもじみた我儘にしかならないのだろう。アタシの問題は、もうアタシ一人の問題ではなくなっているのだ。互いの人生を預け合った時点で。
「うん」とアタシの謝罪を受け取った高次さんは、やや時間を掛けて腕から力を抜いた後、「それで」と。
「時々会いに行ってるんだろ? その方達に」
 勝手にこの世から追放されてしまった友達らは、ならば何処へ行かされてしまったのかというと、追放したのが「この世から」である以上は「あの世」なのだった。そして、仕事先だけでなくここでも何度かしたことがあるように、霊能者は――と言っても皆が皆ではないけど――自由にあの世へ行くことができる。
 とはいえその「自由に」というのは霊能力のほうに制限がないというだけの話であって、実際には「あちら側」の規則にも則らなくてはいけないので、やりたい放題できるわけではないんだけど。と、それはともかく。
 自由であろうが無かろうがあの世に行くことができるというのなら、この件について、アタシがそこを訪れない理由はない。というわけで、無言ながら高次さんの質問には首を縦に振る。
 ただし、無言で済むのはそこだけだ。
「全員ではないけどね、もう」
「……そっか」
 かつては友達を友達だと思っていなかったアタシだ、「まだ友達でいてくれた」なんて言い方をするべきではないのだろう。あちら側へ謝罪しに行き、そこで改めて友達になり直してくれた人が、何人かいた。そしてその人達には、今でも時々会いに行っている。
 一方で、当たり前な話だけど、完全に切れてしまった縁もある。そもそも当時のアタシからしてそれを縁だなんて思っていなかったので、むしろ今縁が残っているほうが奇跡に近い……いや、人の厚意を奇跡だなんて言うべきではないんだろうけど。
「『もういい』って言ってもらえるまでは通い続けたけどね、その人のところにも」
「うん」
 もういい。それが許しの言葉だなんてふうにはアタシも思ってはいない。そもそも許されるだなんて初めから思っていなかったし、だからそこで引き下がったわけだけど、でも少なくとも、謝罪の意思があることに嘘偽りはないと、それだけは伝わったと思う。思いたい。
「楓、怒るかもしれないけど」
「ん?」
「そういうことできるだけでも凄いんだぞ、結構」
「…………」
 珍しく高次さんの読みが外れ、怒りが湧いてくることはなかった。
 それどころか、何も湧いてこなかった。何一つ。
「そりゃもちろん、悪いことしたんなら謝りに行くのが普通ではあるけどな。でも『普通』の通りに行動するって、案外難しいもんだぞ。お前だけじゃなくて、お前が普通だと思ってる人達にも」
「もし実際にそうだったとしても」
 高次さんの話が間違っているとは言わない。どころか、多分その通りなんだと思う。でも、それでも。
「それ認めちゃったらいろいろ終わりでしょ、アタシ」
 後ろ暗いものを抱えていない人達が言うなら分かる。でも実際に頭を下げなきゃならない、地面に額を擦り付けなきゃならない人間が、その理屈に納得するわけにはいかないのだ。
 と、何も湧いてこなかった空虚な心でそう言い返すアタシだった。
「分かってる」
 高次さんは言った。怒るかもしれない、なんて最初に言っていた以上、本当に分かっているんだろう。分かっていて今の話をしたんだろう。
 ともすれば、そのことにこそアタシは怒ったかもしれない。けれど、そうはならなかった。それはただただ、高次さんが高次さんだったからだ。アタシを無為に怒らせるなんて、そんなことをこの人がする筈がないからだ。
「だからお前は、自分の目を通して自分が強いとは思わないでいい。そう思っちゃいけないっていうお前の言い分は、全くもって正しいんだから。――ただ周りの人、少なくとも俺にとってお前は強い人間なんだって、それだけは分かってくれ」
 自分の目と、世間や高次さんにとって。
「客観的に考えろとか、そういうこと? それって」
 視界の外ではあったけど、身体に伝わってきた感覚で、高次さんが頷いたのが分かった。そしてそれが分かったところで、高次さんは再度、アタシを抱いている腕に力を加えてきた。今度は、本当に力強く。
「お前ならできる筈だからさ。感情より理屈を優先させるお前なら」
 他人の真似で人格を塗り替えたアタシなら。と、少し苦しくなるくらいにこちらを抱き締めながら、高次さんはそう言ってくる。
「……難しいよ、それ」
「それも分かってる」
 これもまた初めから分かっていて言ったことだと、高次さんはあっさり認める。認めて、認めたうえで、アタシにならできる筈だという言葉を訂正したりもしなかった。
 もちろん、アタシだって分かっている。難しくて行き詰まるようなことがあれば、その時は高次さんが手を差し伸べ、胸を貸してくれるということは。今までずっとそうしてくれてきたし、これから先もそうしてくれるであろうことにだって、一点の疑いもない。
「凄いよね、高次さんは」
 これまで散々、自分の思いとは正反対に褒められ続けてきたアタシは、ここでようやく褒める側に回った。
「ん?」
「自分が抱えなきゃいけないって分かってるアタシのこと、自分からどんどん重くしてる」
 例えばアタシが高次さんの望み通りに強くなったとして――いや、正確には今既に強いということをしっかり認識して、ということになるのか。そうなったとして、じゃあこの重さが消えて軽くなるのかと言われれば、そんなことはないんだろう。
 アタシが抱えている問題は、解決すれば綺麗さっぱり消えてなくなるというものではない。ということはつまり、重さはそのまま、でもその重さに自分が引きずられることはなくなる、というだけのことだ。
 高次さんが抱えてくれるアタシは重いままなのだ。ずっと。
「潰れちゃわない? そのうち、重くなり過ぎて」
「はっは、できるもんならやってみろ。人一人どころか家まるごと背負ってる人の弟だぞ、これでも」
 …………。
 これでも、なんてよく言うよね。体格だけならお兄さんよりよっぽどゴツいくせに。それに中身の方だって、少なくともアタシは、負けてるなんて思ってないし。
「それが大切なものだったら潰れてでも支えるよ。何も兄貴だけが特別凄いんじゃなくて、人間、そういうふうにできてるもんだ」
「――そっか」
 そうまで言うんだったら、心配なんかしないでおこう。潰れてでも抱え続けてくれるというのなら、せめて余計な重さを加えないようにしておこう。高次さんがアタシを大切だと思ってくれているように、アタシにとっても高次さんは大切なんだから。
「あー、でも乳がでかい分やっぱり重いかもなあ」
「ここでそれ持ってきちゃったら比較対象が家になっちゃうでしょうが」
 と、少し前に宣言した通りにこういう展開も挟んでくる高次さん。こんな話に対する感想としては可笑しいかもしれないし、それを抜きにしても今更な話だけど、本当に大切にしてくれてるんだなあ、なんて。
 でもまあそれにしたって家はどうかと思うけど、というのはともかく、
「分かったよ、高次さん。難しいのも、それでアタシが重くなるのも分かってて支えてくれるって言うなら、全部お任せします。だからむしろ、少しくらいは重くなれるように頑張ってみるよ」
 もちろんさっきも思ったように、余計な重さは加えないようにしながら、ということになるし、だからこその宣言でもあった。こう言ってしまったからにはもう、高次さんに全てを任せてしまうことそれ自体については、不安も遠慮も持つわけにはいかなくなったんだしね。
「任せろ。――うん、やっぱり格好良いな楓は」
「どっちかっていうとアタシの台詞だと思うけどね、それ」
 支える側と支えられる側のどちらが格好良いかと言ったら、それこそ普通に考えて。
「今回はアタシの話だったけど、高次さんだってちゃんと自覚するんだよ? 自分が凄くて強くて格好良いってこと」
「ん? はっは、そりゃ難しそうだなあ」
「大丈夫、その件だったら今度はアタシが支えてあげられるから」
 まだまだ頼りないかもしれないけどね。と、その頼り甲斐を得るためにも、できるだけ早いうちに。……うむ、具体的な目的があるっていうのはいいことだ。俄然やる気が出てきた。
 で、やる気が出てきたところでまずは何をすべきだろうか。
 何をすべきだろうか、なんて言ってもこれはアタシの内情についての話なので、だったら何かしら行動を起こすのが必ずしも正解だというわけではないんだろうけど――しかしそれでも、思い付くことが一つあった。今日はそういう日、というかそういう日の前日なわけだしね。
「高次さん、早速だけど」
「お、なんだ?」
「友達に旦那様を紹介したいんだけど、どう? 婚約者がいるとか、海外から帰ってきたら結婚する予定とかは話してあるから、急ってこともないと思うし」
 自分が不幸にさせた相手に対して自分の幸福を報告するというのは、世間一般で考えれば常識から外れた行いなのかもしれない。でもそれは結局のところ、その不幸にさせた相手がそう思って初めて、ということではあるし、そう思わないでくれるところまで縁を持ち直せた、とも思う。
 であるならば、事後報告になってしまうことこそをアタシは避けるべきなのだろう。あんなことがあってもアタシを友達だと言ってくれた人達に対して、引け目を持つのは当然としても、それを表に出したりはすべきでないのだろう。
 自分の強さを自覚しようとしているのなら、そんな弱さは乗り越えていくべきだ。
 というような考えあっての提案である以上は、幸せな報告だからといって不安や恐れがないわけではもちろんないけれど、
「分かった。ご一緒させてもらうよ」
「ありがとう」
 それを受け止めてくれるこの人が、一緒であるというのなら。

「全然関係ないんだけど、なんていうかさ」
「ん?」
 用事を終え、あまくに荘101号室に帰宅。とは言っても、身体はずっとここにあったわけだけど。……誰かに見られたら事件だよなあ。厳密には違うとは言っても、魂が抜けてるんじゃあ死んじゃってるようなもんなんだし。
 というような心配は、別に今更するようなことでもないんだけどね。
「行って何をするかを別にしたら、車でどっか出掛けるよりこっちのほうが気楽だよね」
「はっは、準備とかいらないしなあ」
 あの世に行くことができる、とだけ聞いたらどえらいことのように聞こえるけど、それが特別でも何でもなくなってしまっているアタシ達からすれば、そんな感想を持ってしまうようなことなのだった。当然、だからって気楽に考えるわけにはいかないんだけど――ねえ? いま高次さんが言った通りに準備なんかいらないし、しかもどこからでも行けちゃうわけだし。
「でもまあそれはともかく」
 と、高次さん。あちらに行っている間そのままの体勢、つまりは壁にもたれかかって床に座っているアタシの肩を、軽く抱き寄せながら本題へ入るのだった。
「思ってた以上に良い人達だった、とか言っても大丈夫か?」
 刺のない言い方をしつつ、それでも大丈夫かどうか確認を取ってくる高次さん。実際には、嫌味の一つでも浴びせられるかも、くらいは思っていたんだろう。
「あはは、どうぞお好きなだけ」
 そんな刺のない言い方に対しては、こちらからも同じような返事を。
 まさか友達になり直してくれるなんて思っていなかったアタシは、ならば高次さん以上にみんなの厚意を期待していなかったということになるので、今の高次さんの言い方に文句を付ける立場にはないのだった。――という刺を、今この場では引っ込めておいて。
「よかったな、明日来てくれるって」
「……うん」
 流れとしては唐突でもないだろうに、その話が出てくると、ついつい声が震えてしまった。みんなが厚意、というか好意を持って接してくれているのはもうとっくの昔に知っているんだから、今更そこで感激なんて、するほうがおかしいんだろうに。
「いきなり料理の注文数が増えるってのは、料理長達に申し訳ないとこだけど……まあ一般客が来るのも想定はしてあるわけだし、あの人に怒鳴られるのは小さい時から慣れてるしな」
 いやその時は一緒に怒られるけどね。という冗談半分の返事が、口から出てくることはなかった。
 明日。結婚式。に、みんなが来てくれることになった。しかもそれはこちらから頼んだわけではなく、あちらから提案してくれる形で。
 こんなアタシの結婚を祝ってくれるために、わざわざ。
「駄目だ高次さん、今日アタシ、こればっかり」
「駄目ってことはないだろ。俺しかいないんだぞ今」
 よく我慢したな、と、みんなの提案からずっと堪えていたのなんかお見通しで、高次さんはまた傍についていてくれた。実家の時に引き続き、今日だけで二度目だ。一度目でスッカラカンになったと思っていたのに、涙袋というものはどうやら枯れるものではないらしい。

「でもまあ」
 ぐずぐずと鼻を啜るのも収まってきたところで、高次さんは笑みを浮かべながらこう言った。
「仕事で慣れてると思ってたけど、さすがに結婚を祝われるっていうのはな。中身が大人だってのは分かってるんだけど」
「あはは、やっぱり?」
 幼い頃のアタシの友達だったというからには「みんな」もそれと同程度の年齢でしかなかったわけで、そして幽霊である以上、身体の年齢はそこで止まったままだ。もちろん、今でも。
 高次さんが言うように、霊能者なんてやってると外見と年齢が一致しない人なんていくらでも会うことになる。しかしそれでもやはり、さっきのは慣れだけでどうにかなるものではなかったようだ。直接の友人であるアタシは、そりゃあそんな感覚はなかったけど。
 まあ、あったとしてもとても表には出せないんだけど――というのはやはり、みんなに対する罪の意識からだ。直接的な話ではないのであまり自虐が過ぎるのもどうかとは思うけど、この世に留まり続けていれば、もしかしたら年を取り始めるようなこともあったかもしれないからだ。旦那さんや奥さんを通してそうなったしぃちゃんやせーさん、妹さんを通してそうなっただいちゃんやなっちゃんのように。
 生きている人と愛し合う。たまに訪れる霊能者以外、あの世に生きている人なんかいないわけで。……「友人」以上は無理なのだろう、アタシには。こればっかりは自虐でもなんでもなく。
「なあ楓」
 思い描いた内容から少し気分が落ち着いたところ、それに合わせて、ということではないのかもしれないけど、高次さんも落ち付いた口調で切り出してくる。
「ん?」
「あんなことがあったのに――って言っても俺は話に聞いただけなんだけど、それはともかくとして――あそこまで良くしてくれるっていうのは、もちろんあの人達がそれだけ良い人達だってことではあるんだろうけどさ」
「うん」
「それだけお前のことが好きだったんじゃないかな。今だけじゃなくて、昔から」
 そういう話だろうというのは、相槌を打つ前からなんとなく分かっていた。分かっていたけど、だからといって。
「きっついね。だとしたら」
 それもまた、「みんながそれだけ良い人達だった」ということにもできるんだろうけど、でもそれだけで済ませようとするのは少々強引だろう。
「言っとくけど、実はあの頃のアタシもみんなが好きだった、なんてことは有り得ないよ」
 それはアタシが一番よく知っている。ということはつまり、そんなつもりはなかった、というかそんな発想が持てるほどまともな人間じゃなかったアタシは、だというのに人から好かれるような振舞いをしていたということになる。
 ……なんて恐ろしい話だろうか。
「俺も今更そこをひっくり返すつもりはないよ。俺にこのことを打ち明けてくれたお前に、それにあの人達にだって、それは失礼だしな」
 そんな恐ろしい想像を、気軽ではないにしろさらりと頭に描けるのは、この人のこの頼り甲斐があってのことなんだろう。最初の頃は感謝し、付き合いが長くなるとそれがだんだん親愛の情に移り変わってきたわけだけど、でも今日からは、それがアタシの目標でもある。
 素直に頑張ろうと思えるのは、想像以上に気分がいいものだった。罪の意識を原動力とした努力とは、やっぱりいろいろと違っているんだろう。
「少し前にもしたろ、お前は勿体無いって話。これもその一つだなって、それだけのことだよ。人から好かれる素養はあるのに、自分が人を好きじゃないっていうな」
 自分がどう弱いのかを理解しているのにその改善を諦めている、だったかな。少し前の話っていうのは。と、いうことであるのなら。
「両方とも解決しちゃってるけどね」
 人を好きじゃないっていうのは過去の話だし、その「少し前の話」にしたって、誰かさんのおかげで今はもう。
「ってことならアタシ、今はもう勿体無いところはないってことかな?」
「俺が知ってる範囲ではな」
 む、予想外に釣れない返事。
「自分も含めて、人のことを一から十まで全部把握するなんてのは無理な話だしなあ。と、それっぽいことを言ってみるけど、正直俺よりお前の方が分かるんじゃないか? そういうの」
「うーん、まあ、ね」
 特に、自分も含めて、という辺り。
 今からすれば信じられない話だけど、「あの頃」のアタシはそれが悪だと知ったうえで悪だったわけではなく、悪だと知らずに悪だった。知らなかったからこそ、それが悪だと気付くことが更生への転機になり得たわけだ。
 自分のことを把握していなかった。この場合で言うなら、自分が悪人だということすら。
 ……というのは極端な例として、とはいえそういうことが起こり得るのであれば、普通の人にだって多少なりともそういうことは起こり得るのだろう。
 身近な例を挙げるとするなら――おおそうだ、こーちゃんとか、しぃちゃんと付き合うまで自分があんな怒鳴り声上げるような性格だって知らなかったらしいし。
 知らないまま付き合ったのに、でもそのおかげでしぃちゃんが救われたっていうんだから、人の縁って不思議なもんだよね――とまあ、こっちから思いを馳せるまでもなく、あっちはあっちでいちゃいちゃしてるんだろうけどね今。
 というわけで、あっちがあっちならこっちはこっちで。
「だから、生涯掛けるのはそっちにするよ俺。生涯掛けて、お前のことをお前よりも把握し切ってやろうと思う」
「キシシ、『アタシにアタシが強いってことを思い知らせる』っていうのは短期的な目標になっちゃったもんねえ」
「おう、それだって収穫の一つだったんだぞ。それを生涯掛けずに済ませられそうなくらい、お前は俺が思ってたよりずっと強かったんだってな」
 さっきまでは褒められることで逆に後ろ向きになったりもしてたけど、ここまでくるともう、いくらアタシでも笑ってしまう。本当、口が減らないなあこの人は。
「…………」
 アタシのことを知りたいと言った高次さんだけど、その高次さんが綺麗さっぱり洗い流してしまったものが一つだけある。それは弱いアタシ――ではなく、自分は弱いと、弱くないといけないと思い込んでいたアタシだ。
 もちろん、まだまだ高次さんが言う「アタシの強さ」を理解し切ったわけじゃない。というか、さっきの高次さんの話を踏まえるなら、それもまた理解し切れるものではないんだろう。
 でも。
 でも、それでも、少なくともアタシはもう弱いだけの人間ではない。過去の過ちやその頃の自分の弱さが消えることは決してないけど、だからといってそこに自分を閉じ込めておく必要はない、ということを知ることができた。後悔や自責の念に紛れ込んでいた不必要なまでの自虐心を、高次さんが清算してくれたおかげで。
 そして、強くなるだけではないんだろうけど、それを切っ掛けとして今後何かしら変わっていくであろうアタシのことを、高次さんはもっと知りたいと言ってくれた。これから先ずっと、生涯を掛けて。
「高次さん」
「ん?」
「愛してる」
 強いところやそうでないところ、それどころか弱いところまで。アタシ自身すら知らないところまでアタシのことを全部知りたいって言うんだったら、どうぞ隅々まで知ってみやがれ。それくらいの勢いと気持ちと、あとまあ今そう言ったからには愛なんかも詰め込めるだけ詰め込んで、アタシは高次さんの胸に飛び込んだ。


コメントを投稿