(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十六章 蛇の道 六

2009-06-05 20:42:09 | 新転地はお化け屋敷
「お酒って変な飲み物ですよねえ。変な匂いがすると思ったら、飲んだ喜坂さんはずっとこうして気持ちよさそうですし」
 この状況で真面目な疑問を投げ掛けないでくださいナタリーさん。反応に困ります。
「むうぅ、孝一くんから離れないんだったら、栞がナタリーに抱き付いちゃうよぉ?」
「それはいいですね。じゃあ喜坂さん、お願いします」
「えへへぇ~」
 酔いが回った相手にまともな返事をするナタリーさん。妙な感じですが、そのおかげで僕はサンドイッチ状態から開放されたのでした。経緯を考えると、ここでナタリーさんにお礼を言うべきなのかどうか悩むところではありますが。
 こちらのそんな様子に、家守さんがぽつり。
「アタシもそろそろ飲もうかなあ、お酒」

 ――というようなもろもろがあって、
「くすん、くすん」
 どういうわけだか家守さん、座ったまま膝を抱えて丸くなり、肩を震わせています。
「酔ったらああなるんだよ、楓って。だから普段はあんまり飲もうとしないんだけど、まあ、今日は特別だしね」
 隣に座って肩を抱き寄せている高次さんから、そんな説明が。納得はできますがしかし、飲み始めてからこうなるまでが異様に短かったような。
「高次さぁん、アタシ、アタシ、幸せだよぉお……」
「うんうん、俺もだよ」
 高次さん、抱き寄せているその肩をぽんぽんと。どうやら家守さん、栞さん同様にすぐに酔っちゃうタイプなようです。
 そしてその栞さんですが、
「すう……すう……」
 膝枕で眠り込んでしまっています。誰の膝かと言ったら、まあ、僕なんですけど。
 そんな栞さんはともかくとして、お祝いの主役の一方が撃沈してしまったので、室内の空気がやや落ち着きを取り戻します。
「あれだけお酒で朦朧としてても、行き着く先は好きな人の近くなんだねえ」
「家守さんも栞さんもだもんねー」
 ナタリーさんと庄子ちゃん、僅かに残っている食べ物を頬張りつつ、のほほんと語らう観察結果。悪い話というわけではないのに、否定したくなるのは何故でしょう。
「庄子ちゃんは、そういう人っている? 好きな男の人って」
「えっ」
 否定するよりも前に、まさかの展開へ。
「いや、あたし、お酒はまだ飲めないし飲まないし」
「そこ訊いてるんじゃねえだろアホ」
「うっさい!」
 無粋な兄の腕の付け根側面へ、真っ直ぐなパンチが炸裂。あそこ叩かれると痛いんですよねえ、じわじわと来る感じで。
「べ……別にいいじゃねえか。オマエ今、そういうのっていねえんだろ?」
 殴られた箇所を押さえ、背中を若干丸めさえしつつ、兄が反論。確かに庄子ちゃん、以前そんなふうに言っていたような気もする。
「そりゃまあ、そうなんだけど……」
 本人も肯定。ならばナタリーさんの質問にもそう答えれば良かったんじゃあ、と思ってしまうのは、必然と言ってしまっていいことだと思います。
「じゃあそれでいいじゃねえか。なんでこんな、綺麗に殴られんだオレが」
「ア、アホとか言うからだ!」
「言わなかったら殴らなかったのかよ?」
「殴っただろうけど」
「…………」
 お兄ちゃん、とうとう臍を曲げてしまったようです。いつもならこういう場合はほぼ大吾が悪いのですが、これはさすがに同情を禁じえません。
「まあまあ庄子。それで結局、ナタリーの質問に対してはどうなのだ?」
 代わりに尋ねる成美さん。もちろん、こちらに対してパンチが向かうことはあり得ません。
 しかしそれでも、答え難そうではあるようです。自分が妙なことを言っているという自覚もあるのか、成美さんとナタリーさんの間で視線を泳がせ、体を縮こまらせてまでいるのでした。そして、
「あの、すいませんけど、ナタリーとだけの話ってことにしていいですか?」
「む? ああ、全然構わんぞ」
「私とだけ?」
 急な話ではあるものの、それを嫌がる理由は特になく。というわけで次はその内緒話を行う場所ですが、ここが101号室であり、つまりは家守さんの部屋であるということで、
「それから家守さん、隣の部屋を使わせてもらっても――」
 尋ねる庄子ちゃんですが、
「うぅうぅ、高次さぁん、アタシ、アタシぃ……」
 高次さんの腕にひしとすがり付いている家守さんは、庄子ちゃんの言葉がまるで耳に入っていない様子。しかしそんな様子だからこそ、好きな人どうこうなんて美味しそうな話にこの人が食いついてこなかったという面もあるんですけどね。
 ともかく、高次さんがその代わりに答えます。
「ああ、うん、好きに使ってくれていいよ庄子ちゃん。聞き耳立てる輩がいないか、こっちで見とくからさ」
「ありがとうございます」
 聞き耳立てる輩の候補に自分が含まれていないことを願うばかりですが、ともかく庄子ちゃんはそれを受けて、どうして自分だけなのかと不思議そうなナタリーさんを引き連れ私室へと。
「本当にいないんだからな、今のところは」
 さて。口調からして誰宛なのかすぐに分かる台詞を残した、庄子ちゃん。その手でふすまが閉じられたその後。
「いねえんだったら何話すんだっての。わざわざ部屋変えてまで」
「しかしだ。もしあれが嘘で、本当はそういう相手がいたとして、ならどうして嘘をつくんだ? わたしの勝手な印象ではあるが、そういう話に奥手なやつではないと思うんだが」
「まあねえ。楓の悪ノリがあったにしても、あんなごっついキスシーンを眺めてたわけだし。さすがに照れてたし、俺も照れてたけど」
「嘘ではなく本当だったとして、ではナタリーに何を話すんだ、という話になりますねえ。それに、どうしてナタリーだけなのかという点も。まあ、ナタリーとしては嬉しいんでしょうけどねえ。好きな人がいるにせよいないにせよ、そういう話を聞きたがってましたし」
「うーん、だからナタリーさんだけってことなんじゃないですか? 知られたくないことだけど、知りたがってるナタリーさんだけならなんとか、みたいな気持ちで」
「ぷっくぷっく」
「ワウゥ」
 ――結局、みんなして気にしまくりです。聞き耳の立てる立てないなんて、こうなってしまったらあまり関係がないような気もします。
 しかしそれでもやっぱり、ふすまの向こうでどんな話がされているのかは気になるわけです。当然、開き直って聞き耳を立てるなんてことはできませんけど。そしてもちろん、
「ごめんなさい高次さぁん、ごめんなさいごめんなさい、アタシやっぱりやり過ぎだったよねぇ」
「すう……すう……」
 酔っ払いは話し合いに不参加です。

「えっとね、ナタリー。初めに言っちゃうけど、好きな人っていうのは本当にいないの」
「あ、そうなんだ。てっきりその、『実はね』みたいな話かと思ってた」
「あはは、ごめんね期待させちゃって。ナタリー、今、こういう話に興味があるんだよね?」
「うん。って言ってもあの、恋そのものに興味があるってだけで、好きな相手がいるってことじゃないんだけど」
「じゃあ、あたしと同じだ」
「ふふ、同じだね」
「……同じなんだけど、でもちょっと違うのかなあ、やっぱり」
「ん? 違うの?」
「好きな人っていうのはいないけど、気になる人はいるっていうかね」
「気になる人――っていうのはつまり、好きになりかけとか、そういうこと?」
「そんな感じ、かな。兄ちゃんと成美さんとか、あそこまで相手のことを気に掛けてるってわけじゃなくて、だから、まだ好きってわけじゃないと……思うんだけど」
「へえ。そっか、好きな相手って言っても初めから好きなわけじゃないもんね。好きになってからの話の前に、好きになるまでの過程だってあるんだね」
「あはは、考えてみりゃあ当たり前のことなんだけど、なんせ人の話聞くばっかりだったからさ。それで今、ちょっと戸惑ってるところかな」
「難しそうだねえ。中途半端な位置みたいだし」
「そうなんだよねえ。中途半端だから、その人に対してどう動いたらいいのかよく分からなくって。……情けないなあ。同い年の友達とかでも、彼氏持ちなんてけっこういるのに」
「うーん、早ければいいってものでもないと思うけどなあ。急いだからって相手がいないんじゃあ、何にも意味がないし」
「まあ、それもそうなんだけどねー」
「ところで庄子ちゃん、その気になってる人ってどんな人なの?」
「えっ。――いや、その」
「ああ、もちろん私が知ってる人ってことはないんだろうけどね。でも、気になるな」
「…………」
「やっぱり怒橋さんみたいな人? 庄子ちゃん、とっても仲良しだし」
「いや……」
「ああ、それとも哀沢さんみたいな人かな。哀沢さんのことも好きだよね? 庄子ちゃん」
「それはそうなんだけど、そうじゃなくて」
「うーん、やっぱり誰かに似てるってことはないのかな。そうだよね、それだったらその人を好きになっちゃいそうだし。じゃあ、少なくともここの皆さんと似てるってことはないのかな」
「……あのね、ナタリー」
「うん」
「楽くんなんだけど」
「うん?」
「楽くん」
「えっと……つまり、清さんの息子さんの?」
「いや、本当に、まだ好きってほどのことじゃなくて、ちょっと気になってるだけなんだけどね。あの、今日一緒にジョンの散歩したんだけど、水溜りの水が跳ねてきた時に庇ってくれてさ、それで……まあ、それだけのことなんだけど」
「帰ってきた時にジョンさんがちょっと濡れてたあれのこと?……あれ、でも、庇ってくれたってことは庄子ちゃんもなの?」
「うん。さすがにジョンとあたしの両方は、ちょっと無理があったみたいだけど」

 こうやって外でわいわいやっていたところで、話の核心に迫れたりしないのは当たり前。
 ということで、次第に話題は逸れていきます。
「ところで大吾。もし庄子が嘘をついていて、好きな男が本当にいたとしよう。お前はそれについてどう思う?」
「どう思うって何だよ。オレがどう思ったって何にも関係ねえだろ?」
「ああ関係ない。だがそれでも、お前が兄としてどう思うのかを聞いてみたいのだ」
 ぶすりと黙り込む大吾。しかし聞いている側としては、気になる質問。ふすまの向こうへの聞き耳は立てられませんが、聞き耳を立てるまでもなく聞こえるこちらの話には耳を傾けましょう。
「……何を答えりゃいいんだ、例えば」
「そうだなあ。やはり、心配したりするかどうか、ということになるか? 大事な妹だしな」
 大事な妹、という部分に眉をひそめる大吾でしたが、そこへ不満を言うでもなく。どうやら結構真面目に考えているようです。
「大人しく心配されるようなヤツじゃねえだろありゃ。殴られる光景が目に浮かぶっつの」
 真面目に考えた結果はこれなんですけどね。
「心配するようなことはない、ということか?」
「しても殴られるだけだってのに、なんで心配なんかしてやらなきゃなんねえんだよ」
「ふむ。なるほど、心配するようなことがないくらいに信用している、ということか」
「なんでそうなるんだよ」
 恐らくは成美さんが言った内容で正解なんでしょう。それを毎度の如くに「素直になれない大吾フィルター」へと通した結果があんな言い方になった、というだけのことで。
「変な男なんかな、寄ってきたところで蹴り飛ばすに決まってんだろがアイツは。オレがされてる仕打ち見てりゃ分かんだろがそれくらい」
 ぶっきらぼうに言い放つ大吾に成美さん、ぷるぷると肩を震わせます。
「わたしが言ったことと何も変わらんぞ、それ。くくくく」

「そうなんだ。惜しかったみたいだけど、優しいね」
「うん、まあ、そうなんだけど」
「あれ? それだけじゃない感じ?」
「うーんと、まあ、ね。あたしはその、水を跳ねさせた車に文句言ったりしたんだけど、楽くんはそうでもなくてさ。迷惑掛けられたのにニコニコしてて、あたしが濡れなかったことに安心してたり、逆にジョンがちょっと濡れちゃったことを残念がってたりしてたんだよね」
「へえ、ますます優しい人だね」
「優しい――あー、あたしはそういうんじゃなくて、危なっかしいなあって」
「危なっかしい?」
「怒るべき相手のことを全く気に掛けてなかったんだよね。優しいって言うんなら、優し過ぎるって言うかさ。まあ水が掛かったってだけなんだから、大袈裟な物言いなんだけど」
「あれ? でもそれって、気になる理由に入るの? どっちかっていうと良くない部分に入りそうな気がするんだけど」
「いいところばっかりだったら、一気に『好き』にまでなってたりするのかもね。でもあくまで『気になる』ってだけだからさ、良いのも良くないのもごちゃ混ぜなんだよ。多分だけど」
「へええ。でもやっぱり、総合して良い人だとは思ってるんだよね?『好き』の前の『気になる』なんだし」
「……そりゃまあその、そうなんだけどね」
「えへへ」
「な、なに?」
「ねえ庄子ちゃん、抱き付いていい?」
「え、何でそうなるの?」
「お礼、かな。うん、いいお話を聞かせてもらったお礼」
「ええ、そんなにいい話だったかなあ。わけ分かんなくなってごちゃごちゃ言ってただけのような気がするんだけど。いや、自分のことなんだけどさ」
「だって私、わけ分かんなくなることすら知らなかったんだもん」
「そこは個人差だと思うんだけどなあ」
「そうだろうけどね。でも、そういう一例だって貴重な情報だと思うよ?」
「……ナタリーがそう言うんなら、そうなんだろうね。その貴重な一例があたしの話ってのが、なんていうか、気恥ずかしいけど」
「気恥ずかしい話なのに聞かせてくれて、ありがとう」
「ナタリーは変に弄り回してこないからねえ。初めからそうだろうなって思ってたから、ナタリーに話すのには抵抗がなかったんだと思う。だから、あたしからもありがとう。話したら何だかすっきりしたかな」
「それじゃあ、抱き付いていい?」
「うん、いくらでもどうぞ。あたしからも抱き付き返しちゃうから」

「お邪魔しましたと、ごちそうさまでしたと、お幸せに」
 ナタリーさんとの秘密の会話を終えて出てきた庄子ちゃんは、それから間を置くことなく、そんな台詞を残して帰っていきました。初めの二つは全員へ向けてでしょうが、最後の一つは――誰宛てなのか、言うまでもないですね。
「絶対、絶っっ対、幸せになろうね高次さん。嫌なこといっぱいあったけど」
 本当なら発音全てに濁点が付いていそうな声だったのですが、家守さんはそんなふうにして、庄子ちゃんの言葉を引きずっているのでした。そんな調子でも重ねてお酒を飲むものですから、初めのうちはしがみついていただけだった高次さんを、今ではゆさゆさと揺すっているありさまです。
 そしてそうであっても涙腺は緩みっ放しのようで、涙を流し相手の肩を揺すりながらのそんな台詞は、ドラマか何かのワンシーン、という言葉を連想させるのでした。通りの悪いがらがら声と赤くなった顔と周囲の酒臭さを除きさえすれば、という条件付きですが。……「さえ」で済ませられるほど些細な条件じゃないですねこれ。
「もうなってるよ楓。でも俺、酒に加えて揺れにまで酔いそうなんだけど。頭痛くなってきた」
 揺すられながらの発言なので、声そのものもゆわんゆわんと前後に揺すられています。そしてこんな遣り取りは、もう何度目になるのか数えてもいません。
 庄子ちゃんが帰ってしまってからもう、結構経ってるんですけどねえ。何度も何度もお疲れ様です高次さん。そう思いはしたものの、それを口にするとなるとこちらの膝の上で無防備な寝顔を晒しているもう一人の酔っ払いさんについて言及されてしまいそうなので、思うのみに留めておいて。ああもう、可愛いなあ。
 代わりの考え事というわけでもないのですが、庄子ちゃんが帰ってから暫く経ったということで、僕自身についてもそろそろ時間を気にするべき頃合だろうか、なんて思案してみます。お祝いとは言え、本日結婚したばかりのお二人。当人同士だけの時間というものも作るべきなのでしょう、敬愛親愛を混在させている隣人として。
 もしかしたら単なるお節介なだけのような気もするうえ、当人同士だけと言ってもその一方がすっかり正体を無くしている現状。その点を鑑みるにあまり良い案ではないのかもしれませんがしかし、取り敢えずはそんなふうに考えてみたところ、「んっふっふ」と声が。
「そろそろお暇しましょうかねえ。もうじき、酔った勢いということでは済ませられないような話が飛び出してきそうですし」
 自分だってお酒を飲んでいるのにも関わらず、まるで酔っているような気配のない清さん。するりと立ち上がって僕と同じ行動に出ようとしているようですがしかし、そうなるまでの過程は僕とやや違うようです。
 時間でなく、家守さんの口ぶりを考慮して。確かに「嫌なこといっぱいあったけど」は、今初めて出てきた言葉なのでした。その前の「幸せになろうね高次さん」は、その高次さんに頭痛を生じさせるほど繰り返されていますけど。
「じゃあ、僕もそろそろ」
 思い至るまでの過程は違えど、結論は同じ。なのでその結論に乗っかろうとし、すやすやと膝枕真っ最中の栞さんの肩を担――いでみても全く目を覚ましてくれないので、もうおんぶにします。歩いてもらえないんなら、肩を担いだところで引きずることになるだけですし。
「じゃあ大吾、わたし達もそうするか」
「そうだな」
 こちらの二人も、そろそろ、と考えていたんでしょう。すっと話に乗ってきます。
 しかし一人だけ、すっと乗ってこない人が。
「あ、あの……」
 一人とは言っても、人間の姿であるのは本日限り。そんなナタリーさんが、ここでおずおずと申し出てきました。
「清さんとサーズデイさんはお部屋に戻ってからでもお願いできるんですけど、その、怒橋さん」
「オレ? なんだ、どしたよ」
 呼ばれた大吾はとぼけた表情ですが、その隣で成美さん、小さな嘆息とともに微笑んでいるようです。
「楽とサーズデイと大吾への話だというなら、抱き付きたいという話だろう」
 ――なるほど確かに。女性とジョンは何の問題もなく、そして僕と高次さんはいろいろあって、もう抱き付かれ済みですもんね。思い出したいような思い出してはならないような、妙な気分になる記憶ですけど。
「お願いできませんか? このままお部屋に戻ったら、怒橋さんに会うのはもう、明日になっちゃいますし」
 平坦なとまではいかなくとも、真剣に名残惜しそうな表情に比べれば抑えられた、声の感情。しかしそれは抑えているわけではなく、ただそういう癖があるというだけの話なのでしょう。もちろん僕でなくともそれは分かっているので、
「いや、そりゃそうだろうけどよ……」
 気の毒そうな表情になる大吾。気の毒そうなということは、断るつもりなのでしょうけど。
「いいさ大吾、受けてやればいい」
 しかし、「断るつもり」の原因たる成美さんは、そんな一言を。
「いいのかよ?」
 そうなれば大吾の表情は和らぐのですが、しかしそれでもやっぱりまだまだ乗り気というわけではなさそうです。成美さんがいいと言ってもこちら側の気持ちが、ということなのでしょう。同じ男として、よく分かります。
「酔っ払い二人を見ていてな、少し気が変わったのだ。『みっともないものにすがっていたなあ』とな」
 成美さんがそう仰るので、改めて酔っ払いさん二人へ意識を向けてみる。つまりは僕の背中の上でぐっすり眠り込んでいる栞さんと、高次さんに絡み続けている家守さん。その二人を指してみっともないと言うならともかく、みっともない「もの」。
 それが何かと考えるならば、栞さんに対しての僕と、家守さんに対しての高次さんというところから、推測は容易でしょう。自分で推測してしまうというのもむず痒い話ですけど。
「言い換えれば、大人気ない、だろうか。ナタリーがそんなつもりでないのも、大吾にそんなつもりがないことも、分かっているというのにな。――大吾にそれを向けるのはまあ、ナタリーが言うところのつがいとして、当たり前の話だ。だが、そのとばっちりを第三者に向けるのはみっともない」
 少し前には人間特有の感情云々と語っていた成美さんが、その人間の酔っ払っている姿を見て改心。……いや、この場合は改心というほどのことでなく、単に考え方を変えたというようなことになるのでしょうか。好きな相手を独り占めしたいという感情自体は変わらないんでしょうし。
 言うなれば、「ちょっとやそっとじゃ独占状態は解消されない」という自信でしょうか? 今はまだ自信を持つという考え方を持ったというだけで、本当に自信を持ったわけではないのかもしれませんけど。
 成美さん、ここでぐいと胸を張ります。ついでにふふんと鼻を鳴らしさえしてから、
「夫婦になった際の祝い事に使うらしいウェディングドレスとかいうものが似合うんだそうだからな、わたしは。ならば、それが似合うに足る中身も必要だろう。というわけでナタリー、わたしは何も言わんぞ」
 これはまた、随分とどっしり構えた新婦さんだことで。ウェディングドレスがどんなものか知らないにしても、似合うと言われて相当に嬉しかったんでしょうねえ、これは。なんせ結婚のお祝いに使うものだということは、分かっているんですから。
「そういうことならまあ、オレも別に構いはしねえけど」
 そうは言うものの、まだ構っていることが顔に出ている大吾。
「そうですか? 良かったです。じゃあ」
 一方、構っている顔に構わないナタリーさん。ということで、
「いつも散歩に連れて行ってくれてありがとうございます、怒橋さん」
 むぎゅう。
 ただ単に抱き付きたいというだけでなく、そうする理由もあったようで。大吾もそのことに後ろめたさを軽減されたのか、僕のように慌てたりはせず、堂々と抱き付かれているのでした。
 そして成美さんも、微妙に引きつり気味であるように見えなくはないですが、しかし笑顔でそれを横から見ているのでした。

「ぐっ……! こ、これは、想像以上に……!」
 あまりにファンタジーな外見のために外出禁止ということで、101号室の壁をすり抜けて直接102号室へ帰ったナタリーさん。満足そうな微笑みを浮かべたまま壁に埋まっていくその様子を見届けたのち、僕達も各自の部屋に戻ろう、ということになったのですが、
「なんだ、それは喜坂が想像以上に重いということか?」
「そ、そうは言いません。言いませんけど」
 二回の住人である僕が自分の部屋に戻るということは、階段を上らなくてはなりません。ただし、酔っ払って眠り込んでしまった自分の彼女を背負ったままで。
「変わってやろうかってのも、やっぱ抵抗あるしなあ。さっきのナタリーのと同じような話っつっても」
「それでもわたしからは何も言わんがな」
 一歩二歩先を上っている二人から、いろんな意味での余裕を見せ付けてくるようなお言葉が。
 さっきのナタリーさんと同じような話。
 栞さんは眠っているもんで、だったら当然その全体重を僕の背中に預けているわけで、だったらまあ、同じような話だというのも間違いではないんですけどねそりゃ。
「ただ日向、転んで落ちて怪我をするくらいなら――」
「いえ、頑張れます」
 男女の対格差があるにしても、僕と栞さんで身長はほぼ同じ。となれば、体重だってそんなに違わないんだろう、違っても一、二キロくらいのものだろう、と思う。失礼な話かもしれないけど。
 それでも足が全く進まないということではないので、一歩一歩を確実に進んでいけば、いずれは階段も終わって自分の部屋にも――。


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