(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十二章 思い出の人 一

2009-01-19 21:23:07 | 新転地はお化け屋敷
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。今日も今日とて学業のほうがあったりするんで、起きたら即、朝食の準備です。
「早くこの立場を逆転させたいなー」
 明らかに台所へ立つ僕へ向けられた声が、居間のほうから。こんな朝一番に誰がこの部屋を訪れているのかと言うと――いや、わざわざ言うまでもないですかね。
「まあまあ、目玉焼きとハム焼くだけなんですし」
 そう言ってるそばから出来上がり間近な二つの目玉から、だんだんと起き抜けの胃袋をくすぐるような香りが。これも料理を作る上での醍醐味だよなあ、――なんてね。
 で、栞さんが何を不満に思っているのかと言うと、どうやらそろそろ自分一人で料理を作ってみたいそうなのです。しかし今回は僕が、栞さんが来る事を見越して二人前の朝食作り(と言っても目玉焼きとふりかけご飯、ついでに焼きハムですが)をしていたもんだから、この部屋へ着いた途端にその願いも断たれてしまったというわけです。
 料理に関して積極的になってもらえるのは、その先生として喜ばしい事なのですが……
「そうですねえ、じゃあ今日のお昼ご飯、栞さんに任せてもいいですか?」
「え、いいの?」
 いいも何も、断る理由がまずありませんから。焼き上がった目玉焼きに少々の塩と胡椒を降り掛けつつそんな返事を思い描いては見たものの、ちょっとした意地悪心からそれを口に出す事はなく。
 さあ次はハムを焼きましょうかね。

『いただきます』
「……献立、どうしよう。やってみたいとは思ってたけど、いざやるとなると何も頭に浮かばないよ。そもそも栞、自分だけで作れるものって何があったっけ?」
「晩ご飯ならともかくお昼なんですし、そんなに豪勢じゃなくてもいいですよ?」
「むー、それってあんまりヒントになってないような……」
「ヒントなんてあげません。今回ばかりは先生でなく、彼氏として扱ってください」
「やっぱりそうだよねー。栞だってそっちの扱いだから『一人でやってみたい』なんて言ったんだし。食べてみて欲しいもん、手作りのお料理」
「楽しみにさせていただきます、彼女の手料理」
「彼氏の手料理はこうやってちょくちょく食べてるんだけどなあ。しかも複雑な事に、これがまた美味しかったりしちゃうからなあ……」
「さすがに焼いただけの卵とハムじゃあ、味の差なんてないと思いますけど」
「作ったのが孝一くんってだけで美味しいと思っちゃうんだもん。すり込みだよ、もう」
「まあ何であれ、美味しいと思ってもらえるのなら悪い事じゃないんですけどね」

『ごちそうさまでした』
 という事で。
「冷蔵庫の中身とも相談しないと、だね」
「必要だったら買い物に行くのも全然構いませんよ。どうせ午後は丸々暇なんですし」
 そんな話が尾を引きつつも、他方体は登校の準備の真っ最中です。と言っても鍵だ財布だ鞄だを取りに隣の私室へ入っただけですが。
「じゃ、それはそれとして行きましょうか」
「それはそれとしておかないでよぉ」
 そこまで困ってしまうのなら無理をしなければいいのに、と冷静に思う一方、そこまで無理をしてくれるなんて、とも思ってしまう。もちろん栞さんからすれば、僕が栞さんの手料理を楽しみにしているからではなく、自分がそうしたいからそうしようとしているんだろう。なんたって、僕の真情を考慮している余裕があるようには見えないしね。
 しかしそれでも結果としては、僕が栞さんの手料理を食べる事になるのは間違いない。それはやっぱり嬉しい事だ、うん。

「悩んで頭の中がゴチャゴチャするくらいだったら、他の事考えませんか?」
「他の事?」
 眉間に皺が寄りそうな勢いの栞さんにそんな提案をしたのは、あまくに荘を出た辺り。上手い案が頭に浮かばない時って、どんなにうんうん唸ったって全然出てこないものですしね。まあ、調べたとかじゃないですけど。
「例えば、異原さんの事とか」
「ああ……」
 別にそれでなくともいいわけですが、一気に強張った感が抜けた栞さんの表情を見る限り、料理から意識を逸らすにはうってつけの話題だったらしい。
 異原さん。大学二回生であり、つまり僕の一つ上の先輩である、丸出しのおでこが印象的な女性。あの場合に特筆すべきはおでこそのものなのか、それともおでこが出るような髪型なのか、少々考えるところではある。
 また、僕から見れば接しやすい人柄である一方で特定の人物にだけは暴力的という、変わってるんだかよくあるんだか曖昧な人となりの人物でもある。口宮さんは今日も小気味よく殴られるんだろうか。
「一限めに同じ教室で、でも音無さんも一緒なんだよね? どうなるかなあ」
 そんな異原さんは昨日、幽霊が見えるようになったのです。僕と同じく。
 ――いや、彼女の場合は幽霊とそうじゃない人を見分けられるから、その点について言えば僕以上に、という事になるのだろうか。
 しかしともかく、今回その場には音無さんがおりまして、さてその場でそのまま幽霊談義を始めるのはどうなのかな、と。音無さんは幽霊が見えず、その存在自体、了解してはいないのでしょうし。
「むしろ逆に、どうにもならなかったりするかもしれませんね。見えるようになったからって、だから積極的に関わらなけりゃいけない、ってわけでもないんですし」
「うーん、まあ、そうなんだろうけど……」
「もちろん、僕としては関わって欲しいですけどね」
 栞さんの顔がしかめられるのを見て、そう付け加える。すると栞さんは「そうだよね」と表情を明るくするわけですが、僕が自分で落としてから持ち上げたような形になってしまったので、その明るさが少しだけうしろめたい。
「手、繋ぎましょうか」
「え? ――ああうん、いいよ」
 うしろめたく思ったところで身を引くか、それとも突っ切って振り切るか。僕が選んだのは後者で、しかしそれは栞さんからすれば唐突でしかない提案だったらしく、僅かの間だけ虚を突かれたような顔を向けられるのでした。
「わざわざ言ってくれなくたって、急に繋がれても怒ったりしないよ? 彼女なんだし」
「あはは、それもそうですね」
 彼女。現在僕が好きな女性。大多数の人から見えない存在ではあっても、僕にとってはただただ彼女でしかない。異性として一緒にいて欲しい、とただそれだけの、普通の彼女。
 だから、異原さんにも関わって欲しいなと思う。見えてさえしまえば普通の人と何も違わない人だし、何も違わない人達だから。

「二人分の持ち物が纏まってもこんなものか。くくく、実に寂しい部屋だな」
「入ってくるなり失礼だなテメエは。いいだろ別に、それで問題があるわけでもねえし」
「そうだぞチューズデー。そもそも、比較対照が楽の部屋だろう? 私室が倉庫代わりなあの部屋を基準にものを考えるな。それだと、誰の部屋でも寂しくなるだろうが」
「人間二人が住んでいるのはこの部屋だけなのだぞ? まあ、101号室も近いうちにそうなるだろうがね。それとも、お互いがいれば他には何もいらない、という話かね?」
「あまり五月蝿いと刺身を抜きにするぞ。それでもいいのか?」
「くくく。姑息な手段に出るというのは、痛いところを突かれたという事にもなるのかね」
「ふん。姑息だと認めるのは、効果的だという事にもなるな。……どうしたんだ今日は? 朝から来たと思ったら、やけに絡んでくるじゃないか」
「どうもしていなくとも、そのくらいの気紛れは誰にでもあるだろう? と言って、二人暮しを始めたというのは充分に『どうかした』の範疇だろうがね」
「……朝一から元気だな、オマエ等」
「む? ああ、すまないね大吾。わたしもこんな言い争いを求めてここへ来たわけではないのだがな」
「大吾には謝るか。――ふふん、ならばチューズデー、お前の狙いは」
「その通り、大吾だ」
「……先に言うか、貴様」
「くくく。お前に嫌味たっぷり言われるくらいならな」
「えーと、じゃあオレに用があるって事なのか?」

 教室に到着。異原さんの事は気になるけど、どうやら音無さんともども、まだ来てはいないようで。となればまずは、僕達より先に来ていたお友達とご挨拶。
「よっす、孝一。喜坂さんも」
「おはよう、明くん」
「おはようございます」
 日永明くん。僕と同じく幽霊が見える体質で、僕と同じく幽霊の知り合いがいたりもする、同学年の男性。彼について特筆すべきはやはり、その居眠り癖だろうか。今のところ講義中に寝ない事のほうが圧倒的に少ないという、試験とか大丈夫なんだろうかと心配せざるを得ない居眠りっぷりなのです。起こしたら起きてくれますけど。
 あと、彼女さんがよっぽど可愛いのか(と言うか実際に可愛い方なのですが)、そっち方面の話を振ると目に見えて機嫌がよくなる、という分かりやすい人でもあります。そしてそれは多分、僕も人の事は言えないんだと思います。
「土日に旅行に行くっての、どうだったんだ?」
 手短な挨拶が済んで僕達が席に付いた直後、待ち遠しかったとでも言わんばかりにそう尋ねてくる明くん。そう言えばそういう話になったんだっけ、前回会った時。
「管理人さんに縁がある人の家に行っただけなんで、旅行ってほどの事でもないような気はしますけど」
 くすくすと笑いながら、三人の真ん中に座った栞さんが答え始める。確かに、あれを旅行と言うのには違和感を禁じ得なくない事もないような。はて。
「でもやっぱり、楽しかったですよ。広いお家だったし、まあその、混浴とかもあって」
「……それ、旅館じゃないんですか? 混浴って」
「旅館もやってる家、って話だったんだけどね。だからまあ、旅行と言っちゃったら旅行になっちゃうのかも」
 入ったかどうかよりも混浴の存在自体に話が向き、あらぬ期待とともにそこへ入り込んだ身としては一安心。栞さんを間に挟んだこの並びじゃあ聞きにくい事柄でもあるだろうし、どうやら痛いところを突かれる心配はなさそうだ。
「明くんのほうはどうだったの?」
「俺のほうなあ」
 あの土日には明くんも、お友達数人と旅行へ行くという話だった。という事で何の他意もなく尋ねてみるわけですが、そこで何があったのか、あちらが返してくる表情は困ったような薄笑い。
「どこ行くとかどこ泊まるとかそういうの、全部女達が決めたんだよ。ほら、孝一と喜坂さんも前に会ってる奴等なんだけど」
「と言うと、明くんの彼女さんとそのお姉さんと――」
「広瀬さんでしたよね、双子で関西弁の」
 そうそう、と軽く頷く明くん。
 僕と同い年らしいのにかなり幼く見える明くんの彼女、岩白センさん。そして同様に同い年らしいのにかなり大人びて見える、センさんの姉で眼鏡の女性、岩白春菜さん。これまた同様に同い年で、二人揃って関西弁ながらもその印象はまるで逆な双子、広瀬明日香さんと広瀬今日香さん(失礼ながらどっちがどっちだったかは、記憶が曖昧ですが)。加えて僕が知っているのは持田寛さんという極端に大柄な男性ですが、まあ男性なので、今の話には関係がないのかもしれません。
「そういう時に一番張り切るのがどう考えても明日香だってのは分かってたんだけど……今日香がいるならそうそう無茶な事にはならんと思ってたんだがなあ」
 まるで「明日香さん」が無茶をして当然な人物だとでも言わんばかりな言い様。しかしそれで、広瀬姉妹のどっちがどっちだったか、思い出す事ができました。つまりそういう人が明日香さんで、そうでない人が今日香さんなのです。そのままですが。
 ――あ、そうそう。となると、持田さんの彼女は今日香さんになりますね。やっぱりこの話には関係ありませんが。
「どうなっちゃったんですか?」
 僕が思い付いた関係のない話にはやっぱり繋がらず、そのまま話の先を促す栞さん。
「全員同室ですよ。男女も何も区分なし。センがどれだけ人目を憚らないか分かってて、あんにゃろう」
 あらまあ。
「……憚ってはもらえなかったんですか?」
「ええもう全然、憚ってなんかくれやがりませんでしたともですよ。特に岩白姉とか明日香にそそのかされた時なんか――詳しくなんてとても言えやしませんけど、酷かったです」
 実に詳しく聞きたくなる話ですが、それは駄目だと先手を打たれたので、残念ですが諦めます。しかし明くん、憎々しさたっぷりな物言いの割には……。
「楽しかったみたいですね、日永さん側の旅行も」
「ま、やってる事自体は普段とあんまり変わらないんですけどね」
「変わらないから楽しかった、とかじゃなくて?」
「……痛いとこ突くなあ、孝一」
 でもまあ高校出てから全員で会う機会も減ってるしな、と苦し紛れの言い訳なのか単に同意しての発言なのか微妙な台詞を繋げる明くんは、実に楽しそうな表情なのでした。

「んな事のためにわざわざ朝っぱらから……。別に前もって言われなくても、断りゃしねえよそんなもん」
「まあそう言ってくれるな。大吾にとってはいつもの事でも、わたしにとってはそうそうない事なのだからね」
「って言われても、本当にいつもの事だしなあ。そりゃまあオマエが散歩について来るって、今まで全然なかったけどよ」
「もちろん、大吾が了承してくれるのは分かっていたさ。わたしが気にしていたのはむしろ哀沢のほうだね。まあ、そちらも問題はなかったようだが」
「……そこで何故わたしが気にされる? 何がどうなれば、お前の同行を断る事になるんだ」
「ははは、何を言う。今や大吾はお前だけのものも同然だろう? そのくらいの心配りはできるつもりさ、わたしとてな。……それとも、わたしなどは歯牙にも掛けていないかね?」
「――なるほど、そういう事か。大吾、ちょっと来い」
「へ? え、何だよ?」
「いいから」

「……なんで台所で立ち話なんだ?」
「あれだけ言われてまだ気付いていないか……。まあ、お前らしい」
「あれだけって、どれだけだよ? よく分かんねえけど、オレがオマエだけのものってやつか? まあ、何となく言いたい事は分かるような」
「いいや、お前は分かっていないさ。まずは耳を貸せ。小声にした程度じゃああいつの耳は逃がしてくれないからな」
「何なんだよ……?」
「――分かっていないからこその提案なのだが、お前、今日の散歩はチューズデーと二人で行け。ジョンとナタリーはわたしに任せろ」
「別にいいけど、小声で言うほどの事か? どうせその時になったら隠すも何もねえじゃねえか」
「今気付かれたら断られるかもしれないからな。その時になって初めて知らせて、断りようのない状況を作るのだ」
「……分かった。あんま分かってねえ気もするけど」

 なんのかんのと土曜日曜の話をして、数分経過。そろそろ一限開始のチャイムが鳴るかなー、なんて思ったりするものの、はて何か重要な事を忘れているような?
「あっ、来たよ孝一くん」
 え? 何が来ましたか栞さん?
 という事で栞さんの視線の先、この教室の出入り口を見てみるのですが、さて今まさにそこから教室内へ入ってきた二人組は――
「ん? あの二人が何か……って、どっちも見覚えあるな」
 どうして忘れてなんかいたんだと苦笑している間に明くんがその二名、言うまでもなく異原さんと音無さんを見詰めながら、目を細める。
「ああ思い出した、どっちも孝一の知り合いなんだよな。学園祭の時に会ったわ」
 この教室で会った事があるというのは今と同じ状況だからわざわざ言うまでもないという事なのか、それとも忘れているのか。まあどちらにせよ、チャイムを一つ勘違いして慌てたところを笑われた、なんて話はわざわざ持ってくる事もないだろう。
「そうそうその二人。それで、えー、明くんに話があるようなないようななんだけど」
「……なんだそりゃ?」
 全ては異原さんの意向次第とは言え、明くんからすれば首を傾げるのも無理はないであろう呼び掛け。その異原さんの意向を確認してから呼び掛ければよかっただろうにと自省してみるものの、しかしもうどうにもなりません。言っちゃいましょう。
 とは言え内容が内容なので、栞さんを挟みながらも声は落とす。
「異原さん――あの前歩いてるおでこな人なんだけど、昨日、幽霊が見えるようになったんだよ」
「マジでか」
「マジですよ」
 小声で返した明くんに、栞さんまで小声で言う。しかし栞さん、あなたが小声になってもまるで意味はないんですよね。と言って問題があるわけでもないですけど。
「て言うかこれって、いきなり見えるようになったりするもんだったのか」
「そういうものらしいね」
 というのは昨日の話もあるし、四方院さん宅で会った木崎さん――背中に刺青のあの人の話でも、ある日突然「死んだ筈の人が目の前に現れて」というあの話でも、そうだった。要は、僕だってつい最近まで知らなかったということだ。
「まああの人の場合は、うちの管理人さんがそうしたってだけだけど」
「……急に凄いな、その管理人さん。いや、俺等の『見えてる』ってだけでも、もう凄い事なのかもしらんけど」
 木崎さんの顔と背中を思い出した事で身の回りの幽霊事情の平和さに感謝しそうになりつつも、明くんの話にこくりと頷いておく。僕達とは次元も方向も違う凄さを抱えている人だっているけど、僕達だってそれなりには凄い状況にいるのだ。あくまでもそれなりには、だけど。
 それにしても、さすがは明くん。凄いなの一言で片付けてくれるのは、こちらとしてもありがたい。説明とかまでしようとしたら大変だし。そして今この場で明くんへ向けるべき説明は、栞さんの口から。
「それでまあ、あっちから幽霊について何か話してくるようだったら、乗ってあげようって話なんです。おせっかいかもしれないけど、やっぱり戸惑ってたりするかもしれないですし。だから……日永さんも、もし良かったら」
「ああ、そういう。そりゃ全然構いませんけど、でも大した事なんて言えませんよ俺」
「ありがとうございます」
 このタイミングでお礼を言ってくる栞さんに、ひくりと口の端が持ち上がる明くん。構わないと口にしたとは言え、半ば強引に押し切られたも同然な形だった。
「えーと、じゃあ何にせよ、この講義が終わったらという事で」
 今読んで来ようかとも思ったものの、いつのまにか先生が教室にご到着なさっていたのでした。まだチャイムはギリギリ鳴ってないけど、それでも動き辛いのは何なんでしょう?

「今から行くのか?」
「昼には散歩だろう? 今できる事は今済ましておこうと思ってな。では、行ってくるぞ」
「……そこまでして済まさなきゃなんねえもんでもねえだろうにな、刺身食うのなんて」
「ははは、なら大吾の分は無しだな。これまでのようにわたしと哀沢の二人で頂くとしよう」
「いや、それは駄目だ。オマエ等が食うってんならオレも食うぞ、絶対に」
「ふ、立派な食い意地だね。哀沢の事も、それくらい意地を張ってやれよ?」
「またそんな無茶苦茶な展開かよ。なんで食い物のとこからそういう話になるんだ?」
「そりゃもう、二人共同のものになったこの部屋の中にいる限りは、その事ばかり気にせざるを得ないからね。常に気にしているからには、どんなところからでもそんな話に繋げてみせるぞ」
「みせなくていいっつのそんなもん。……なあ、なんで急に一緒に散歩とか言い出したんだよ? いっつもなら本当に成美と刺身食うだけだったのに」
「さっきも言ったろう? お前はもう哀沢の――くくく、またこういう話になるのだが、いいのか?」
「……何言ったってそういう話に持ってくってんなら、どうせ逃げ道なんかねえだろが。二人して黙りこくってんのもヤだしな」
「そうか。くくく、では遠慮なく」

「大吾がわたしのもの、か。そうなるまで待ってくれていたという事なのだろうな。……ふん、要らぬ世話だ」

「明くん、起きて起きて」
「寝て……ねえ……」
 そりゃ寝てはいないけども。
 悩み事でもあるかのように頭を抱えて前のめりかつ今にも意識が夢の彼方へ飛んでいきそうな生気のない目をした明くんに呼び掛けたのは、先生が手元の資料やら何やらを片付け始めた、講義の終わり際。ギリギリとは言えここまで寝ずにこれて良かったね、明くん。ノートは若干ミミズがのたくったようになってる箇所があるけど。
「はい、じゃあ今日はここまで」
 何気なく言っているふうでも、広い教室内の全員に行き渡っているんだから実際にはそこそこ大きい声なんだろう。こういう教室ではマイクを使う先生もいたりするけど、しかしそれは少数派。やっぱり大変なんだろうなあ、先生って。
 ――なんてどうでもいい事を考えている場合ではなく(多数の先生方には悪いけど)、講義が終わったのなら迅速に動かなくてはならない。なんせ、放っておけばそのまま出て行ってしまう異原さんと音無さんを呼び止めなくてはならないからだ。
 まあ実際にはそんなに大層な事でもないんですけどね。
 という事で、
「異原さん、音無さん」
「あら、おはよう」
「おはようございます……」
 僕が同じ講義を受けていたというのは承知のうえだったんだろう。こちらから急に声を掛けた割には、お二人とも特に驚く様子もなく。
「おはようございます」
 挨拶を返す僕の隣には、栞さんが佇んでいる。明くんにはまだ席で待ってもらっておいて、異原さんの意向次第で登場してもらうかどうかを決める、という算段だ。要は友人の友人同士を紹介するというだけの話なのに幾分回りくどいとは思うけど、まあ、仕方がない。
 という事でまずは異原さんの意向だけど、音無さんも一緒にいるこの状況でどうしたものか、と考え始めたところ、
「喜坂さんも、おはようございます」
 想定外な挙動を見せる異原さん。
「へ? あ、お、おはようございます?」
 想定外だったのは栞さんも同じくだったようで、たじろぎながらの疑問系な挨拶という、妙なものを披露してくださるのでした。
「……由依さん、わたしをからかってるとかじゃ……ないんですよね……?」
 相変わらず表情が読めない、と言うか前髪に隠れてほぼ見えない音無さん、見えない誰かに挨拶をした異原さんへ、そんな反応。しかしそちらにしても想定外と言うか、そこまでではないにしても予想と若干違うようなと言うか。前もって何か言い含められていたという感じだろうか?
「ないわよ。まるまる昨日話した通りだわね。まあ、こんな人多い所で大っぴらに言えはしないけど」
「…………」
 憑き物が落ちたかのようなさっぱりした顔で言い放つ異原さんに、音無さんは顔をしかめて押し黙る。と言って、しかめたかどうか確認できるのはそのむっつりと閉じられた口元だけですが。
 むっつりと閉じられた口は次にこちらを向き、むっつりとした雰囲気はそのままに、僕へ質問を投げ掛けてきた。
「……じゃあ、日向さん。今ここに……本当に、彼女さんがいるんですか? わたしに見えてないだけで……」
 異原さんが言った「喜坂さん」が僕の彼女であるのを知っているのはともかくとして、こんなに人が多い所でとたった今異原さんが言ったにも関わらず、な内容。それはつまり、まだ信用していないという事だろう。その「まだ」というのがいつを基点としているのか、正確には分かりませんが。


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