(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十三章 一晩越えて 十二

2013-06-05 21:00:30 | 新転地はお化け屋敷
「で、それはともかくこいつどうしようか」
「ひゃおっ!」
 ぽん、と肩に手を置かれた異原さん、飛び上がりかねないほど驚いてみせるのでした。いきなりのことだったってわけでもないと思うんですけどね、初めから隣り合って座ってるってこともあるんですし。
「しっかりしてくれよ、こうなったらもう兄ちゃんかお前頼りなんだから俺」
「あ、そそそうよね声聞こえないんだもんね幽霊さん達の」
 さっきまでその話をしていたというのにまるで今気付いたような反応でしたが、実際に今やっと気付いたのでしょう。
 というわけで僕か異原さんが頼りという場面なのですが、僕か異原参加という場面において、まさか口宮さんが僕を選ぶということはないでしょう。ならば必然、通訳は異原さんの仕事ということになるわけです。
「宜しくお願いしますね、異原さん」
 というふうに考えたのは何も僕だけではなかったようで、ナタリーさんからはそんなご挨拶がなされるのでした。
「はいっ」
 それまでの慌てっぷりからの落差がそうさせているのでしょうが、それに対する異原さんの返事はどこか力み気味なのでした。が、そこまで力を込めるような話でないというのは言わずもがなでしょう。通訳といっても二ヶ国語を使い分けろというわけでなし、誰かが言ったことをそのまま改めて口にするだけなんですしね。
 といったところで口宮さん、二人のそんな遣り取りにふんと鼻を鳴らしたりしつつ、
「んで俺らの目標がどうたらっていう話に戻すけど、目標にされる側からしたらどうよ? あるのかね俺ら、見込みとかって」
 なんとも口宮さんらしいというか何と言うか、なんの躊躇いもなく自分からその話に戻してくるのでした。それだけで既に異原さんの口の端が引きつっていたり頬がまた赤くなってきていたりするのですが、それについては異原さんの反応の方が一般的なのでしょう。程度についてはともかく、方向性としては。
 というわけで一応おさらいしておきますと、その見込みというのは僕が言った――というとなんだか自慢げに聞こえちゃいそうですけど――「どっちか片方だけがってことはもうない」という話です。明言されたわけではありませんが、異原さんが目標にすると言い出したタイミングからしてそれで間違いはないでしょう。
「される側って言ってもまだ全然、偉そうなこと言えるほどじゃないんですけど」
 される側、というのは僕と栞のことになるわけですが、ここで先に口を開いたのは栞なのでした。もしかしたら異原さんの通訳を見込んでということだったりするのかもしれませんが。
 異原さんの視線の動きに気付いた口宮さんは、見えていないながらも栞がいる方向へと目を向けます。
「誰でも自然とこうなるんだと思いますよ。一緒に暮らすってなったら何するにしても自分だけじゃなくて相手の都合も考えちゃいますし――って言ったらなんとなく格好よさげですけど、そうじゃなくて面倒臭いんですよね、いちいち自分と相手で別々に考えるのって。だから知らず知らずのうちに動き方が似てきたり、そうじゃなくても合わせようとしたりしちゃうっていうか」
 格好いいままで締めておいても良かったとは思いますが、しかしまあ確かに仰る通りではあるのでしょう。「二人」でなくてんでばらばらな「一人と一人」のままで同棲生活を送るというのは、そんな経験がない僕ですら物凄く面倒くさいものに思えてしまいますし。
 例えば僕と栞は二人とも自分で料理を作ることが出来ますが、だからといって自分の分は自分で作る、なんてことはそりゃあしないわけです。一人で作るにしろ二人で作るにしろ、一人前を二つ、ではなく二人前を作るわけです。そしてそうなれば当然、食事の時間は二人で一緒になるわけです。
 何も変に凝った例え話でなく普段わざわざ意識しないだけの当たり前な話として、そういうものなのです。もちろん、自然とそうなるというだけではなく、そうしたいからそうしているということだって多々あるわけですけどね。そりゃあ大事な人なんですし。
 ――と、栞が今言った言葉を異原さんがそのまま繰り返している間にそんなことを考えてみたり。ああやっぱり料理が出てくるんだな、なんてことは自分では言わないでおきましょう。
 で、異原さんの通訳という名の復唱が終わったところで栞からもう一言。
「でも、誰でも自然とこうなるって言ってもやっぱり、それを目指すっていうのはいいことだと思いますよ。過程も質も変わってくるでしょうしね、ゴールが同じでも」
「難しい言い方するね」
 と、つい突っ込んでしまったのはこの僕。僕の声が口宮さんに聞こえているにしても尚、会話になっちゃうと通訳が大変だというのは分かってはいたんですけどね。
「難しいっていうよりは、ぼやかしたつもりだったんだけどね。人それぞれな話なんだからイメージばっかり固めちゃっても駄目だろうし」
「ああ、まあ、僕達と同じことしろってわけにもいかないしね」
 そう言った時の栞の厭らしい笑みったらもう、僕と同じことなんか誰が出来るんだと言わんばかりなのでした。そうですよね、異原さんを怒鳴りつけてる口宮さんって想像できませんし。逆はしょっちゅう見てますけど。
 というようなことを考えている間に異原さんから口宮さんへの通訳が終わり、すると異原さん、それに加えてこんな一言を。
「人それぞれって、どうなるのかしらね。あたしらの場合」
 尋ねた相手はもちろん口宮さんだったわけですが、しかし異原さんとしても、今尋ねたところで明確な答えが出てくるような話ではないということは分かっているでしょう。尋ねた以上は異原さんには明確な答えが出せていないということなのですが、だったら口宮さんだってそれと同じ筈なんですしね。
 というわけでその口宮さんの返事ですが、
「つーかそもそも今の話、一緒に暮らすってことが前提だったけどな。このまま付き合ってたらいつかはそうなるっつっても、まだ真剣に考えたことがあるわけじゃねえし」
「まあ、そうなのよね」
 いつかはそうなる、という台詞をさらっと口に出せるのもまた口宮さんらしいということになるのかもしれませんが、それはともかく。
 平然としている口宮さんに対して異原さんにはやはり若干の照れが窺えたのですが、しかしそれだけで済んでいるところを見る限り、このまま真っ直ぐ進んだ将来にでんと腰を据えている「口宮さんとの同棲」について、不安や抵抗は無いようなのでした。
「たださ、情けない話なんだけど」
 異原さんは言いました。
「おう」
「真剣に考えようとしてみたところで、中身のある想像はできそうにないと思うのよね今は。なんていうかこう、いかにも理想ばっかり寄り集めてみました、みたいな」
 それは確かにそうなのでしょう、と僕が納得してしまうのは失礼なのかもしれませんが、ともあれ確かにそうなのです。真剣に考えるとなれば、それは自分にとって都合のいいことばかりではなく、都合の悪いことについても考え抜かなければならないのです。付き合い始めた――正確には付き合い直し始めた、なのですが――ばかりでは、どんな都合の悪いことが起こり得るのかすら曖昧でしょうしね。
 とその時、異原さんの膝の上から成美さんがにやにやしながらこんなことを。
「その理想というのはあれか? 住まいを同じくした口宮とどういちゃいちゃしたものか、とかそういう話か?」
「そっ!――うです、けど、それだけじゃないですよねあはは」
 どうやらそれだけだったっぽい反応を示す異原さんでしたがしかし、横で見ている口宮さんには何の話やらさっぱりなわけです。
「向いてる方向からして成美さんだったんだろうけど、なんて?」
「……日向くん助けて」
 まあ自分の口からでは言い難いでしょうし、だからといって成美さんの目の前で通訳をわざと間違えてみせるわけにもいかないでしょうし、ならそうなりますよねそりゃあ。
 というわけで、今回は僕が通訳をしてみたところ。
「あー。まあでも、想像するのすら無理ってよりはマシってことで」
「ふん、いくらあたしでもそれくらいは」
「偉ぶるとこじゃねーけどな。今の話だけだとただのスケベだぞお前」
 最早顔を手で覆ってしまう異原さんなのでした。泣いてませんよね?
「口宮さんはどうですか?」
 とここで、ナタリーさんでした。
「って、口宮さんに直接尋ねても駄目なんですよね」
 というわけで異原さんによる通訳が間に挟まれるわけですが、口宮さん、スケベ呼ばわりされた意趣返しと言わんばかりに嬉々としていたのでした。もちろんながらナタリーさんにそんな意図はあるわけがなく、なので通訳としては問題アリなものだったんでしょうけどね。
 まあしかし口宮さんからしてもそこらへんは察せられるだろう、ということでそれはともかく口宮さんの返事なのですが、
「そりゃお前、俺だってもちろんそういうことは考えるけど」
「けど?」
 意趣返しの意趣返しが、というようなことを想像したのでしょう、顔だけでなく身体全体をやや強張らせる異原さんだったのですが、
「想像の中だからって好き勝手にってわけにはいかねえかな。できるだけ気ぃ遣ってやりてえし」
 ちょっと前の「目標立てちまったんならそれに向けて動かないと」という話からなのでしょう、なんだか普通に優しい口宮さんなのでした。
 ちなみに好き勝手というのが何についての話なのか、気を遣ってやりたいというのがどんなことを指しているのかは、もちろんながら追及したりはしないでおきます。ね。
「あー、あたし一人だけ馬鹿みるパターンだわこれ」
「俺はみさせられるまでもなく馬鹿だしな」
 そういう話じゃないんでしょうけど、少なくとも異原さんはふっと笑みを溢すのでした。
「よし決めた」
 ふっと笑った異原さん、その調子に乗っかってということなのか、溢した笑みを溢し切らないままに何やらお決めになったようでした。そしてそれと同時に、その手で口宮さんの手を掴んでいたりも。
「サボりましょう四限。デートよデート」
「サボ――って、俺が言ったらぶっ叩いてくるくせにな」
 ほんの一瞬だけ異原さんの言っていることが分からなかったらしい口宮さんでしたが、しかし分かってしまえば特に反対もしないのでした。してませんよね? これ。
「で、この手ってことはあれか、今からってことか」
 言って、繋いだ手を軽く持ち上げてみせる口宮さん。普段ならここで照れているのであろう異原さんですが、しかし自分からそうしたということもあってか、今回は調子を崩しません。
「そのつもり。まああれよ、四限サボるっていうのはついでみたいなもんで、見えなくなったあんたがここに残ってたらやっぱり気を遣わせちゃうだろうしっていう」
 ついででサボるってどうなんですか、という話はまあ横に置いておきまして、まあ確かに気を遣うということはあるかないかと言えばそりゃああるわけです。が、しかしだからといって逆に気を遣い返されるほどのことかといいます――。
「野暮なこと言うなよ大吾」
「言ってから言えよ」
 まだ何も言っていないどころか言おうとすらしていなかったように見える大吾へ、異原さんの膝の上から何かを制しに掛かる成美さん。言わずもがな、「引き留めようとするな」とそういうことなのでしょう。
 ――気を遣い返されるほどのことではないのですが、しかしまあそれよりはこちらのほうが優先されるべきなのでしょう、やっぱり。
「ありがとうございます、成美さん」
「なに、これくらい膝抱っこの礼としてはまだまだ足りんくらいだよ」
 膝の上でそんな話をされたら、ということで異原さんから礼の言葉が出てくるわけですが、しかし実際に礼という単語が出てきたのはむしろ成美さんの方からなのでした。成美さんにとっての膝抱っことは、果たしてどれほど価値のあるものなのでしょうか?
「しっかりやれよ異原。応援しているぞ」
「はい」
 実際にそうなのかどうかはともかく、彼女の側からは馬鹿扱いしている彼氏。そんな共通点もあって、ということなのかどうかは分かりませんが、どうやら入れ込むところがあるらしい成美さんなのでした。
 となれば異原さん、嬉しそうな返事とともに成美さんをそれまでよりちょっとだけ強めに抱き締め――片手は口宮さんと繋いでいるのでもう一方の腕だけで、ですが――たりもするのですが、すると成美さんはその腕の中からこんなふうにも。
「まあ、相手が口宮ならわたしが何を言うまでもないとは思うがな」
 馬鹿だけと悪い奴ではない。
 どころではなくて。
 恐らくはそんなところも重ねているのかもしれません。笑いながらそんなことを言ってみせる成美さんは、口宮さんの名前を出しながらもその視線では自分の夫を捉えていたのでした。
「そうですかね?」
 一方、そんな成美さんを背中から抱きかかえている異原さんの視線はもちろん口宮さんを捉えているわけですが、
「そうなんでしょうね」
「うむ」
 口宮さんの何を見、何を思ったのか、成美さんの返事を待つことなく納得してしまうのでした。
「反応し辛え」
 異原さんの立場で見れば微笑ましい話なのでしょうが、口宮さんの立場からすれば具体的なところをすっ飛ばされたもどかしい話ではあるわけで、ならば珍しく表情を歪ませながらそんなふうに溢すのでした。
 となればそれにとって返すのは異原さんなわけですが、
「すぐ二人だけになるんだから今ここでしなくてもいいわよ。恥ずかしいし」
 恥ずかしいから止めてくれ、という話ではあるのですが、しかしある意味では開き直ったその言い方。なるほど、それくらいなら大丈夫になったってことですね異原さん。
 それと口宮さんが珍しく表情を歪ませたというのはきっと無関係じゃないんだろうなあ、なんてふうに思いつつ、けれどそれは「心配」に分類されるようなものではなかったので、口にはしないでおきました。
 良かったですね、口宮さん。
「じゃあ、行きましょうか」
「ん。サボる講義の荷物がそのままってのはなんかかったるいけど」
「あはは、確かにね」
 これまた珍しく口宮さんに同意した異原さんは、その口宮さんに先んじて玄関へと向かい始めるのでした。
「んじゃナタリーさん、行ってきます」
「行ってらっしゃい。うんと優しくしてあげてくださいね」
 それを異原さんに通訳させるつもりなんですかねナタリーさん。
 とまあそれはともかく別れ際にそう言って、口宮さんが差し出した指に鼻先を軽く擦り付けるナタリーさんなのでした。
「や、やや、優しくしてください」
 そういうことだけどちょっとそうじゃないです異原さん。

 優しくしろって言われてもなあ。
 つーわけで、なんか講義サボってデートなんだそうで。止むに止まれぬ事情とかならともかくデートって、特に理由もなくただダルいからっていうのとどっちが悪質なんだろうか。
「なにボーっとしてんのよ」
「ボーっとはしてねえけど」
 由依はご機嫌そうだった。これまでにも手を繋いで歩いたことくらいはあるけど、その手の振りが若干いつもより大きいような気もするし。
「お前が張り切り過ぎてるからそう見えるだけだろ」
「デートで張り切らなくていつ張り切るっつうのよ」
「ああ、それはそうかもな」
 まだまだただデートというだけで張り切る程度の段階、なんてふうに言えたりするのかもしれないけど、まあ俺達が自分から気にしにいくようなことでもないだろう。
「どんなふうに見えてるのか知らねえけど、俺も一応張り切ってるし」
「そうなの?」
「そらそーだろ」
「そっか。ふふ」
 それだけのことで嬉しそうにされると困る。もちろん喜んでもらえるのはこっちとしても嬉しいことではあるけど、それに対してどう反応すればいいかというのが、未だにはっきりさせられていないからだ。
 いや、未だに、というほど長くもないか。方針転換をしようと決めたのはついさっき、兄ちゃん達の部屋でのことなんだし。それまでの俺だったら、なんか冗談の一つでも返して由依をからかって終わり、だったんだろう。
 …………。
 で、じゃあその方向転換に則るならこの場はどうするんだという話になるんだけど。
「由依」
「ん?」
「可愛いな。笑った顔」
「んっ!?」
 何か違うような気がする。由依の反応はいつもと似たようなもんだったけど。
「あっ、えっ、急にそんなこと言われてもかか可愛いとかちょっと」
 繋いでいる手が熱くなってくる。どころか、じんわりと汗ばんですら。そりゃあ人間の身体はそういうふうに出来てるんだろうけど、それにしたって反応が早過ぎかつ顕著過ぎるような気がしないでもない。こいつの場合、そういうところも面白いんだけど。
「なんていうか……まあ、慣れてこうぜお互い。こういうの」
「お互いってあんた、そっちは平然としてるくせに」
「平然と言うような台詞じゃなかったろ今の。要するにこっちはこっちで不慣れってことだよ」
「そ、そう? そうね、たしかにちょっとくらい照れながら言う方がむしろ普通なのかもしれないし」
 まあ俺達が普通を語るっていうのも可笑しな話ではあるんだけど。
 と、そういった話はこれくらいにしておいて。
「そんでこれ、どこに向かってるんだ? つーかそもそもいきなり飛び出してきたけど、なんかあったのか? やりてえこととか行きてえとことか」
「なんもなし! 勢いだけ!」
「さいで」
 まあ目的地があるんだったら最初にその話になってたろうし、だから初めからそんなことだろうと思ってはいたけど。
 世に聞くデートというものはどこ行って何して飯はあそこで、とか一から十までルートを決めてからやるものらしいけど、どうやらうちの彼女についてはそういうものを求めてはいないらしい。というのはなにも今回に限らず、これまで付き合ってきた経験からの話として。
「取り敢えず買い物でも行く?」
「いきなり言われてもそんなに持ち合わせねーぞ今」
「いいのいいの、適当に歩き回るだけでも」
 どうもこう、気が休まるというか気が抜けるというか。まあ彼女相手にガチガチに緊張するってのも変な話だけど。
「それでいいならこっちとしても気が楽だけどな」
「でしょうとも。逆に何か変える状態だと困るでしょうしね、あんたの場合」
 さすがによくお分かりで。目的の無い買い物は苦手、というかはっきり言って無理なんだよな俺。別に金が勿体無いとかそういうんじゃないけど、どれを手に取ればいいのか考え込んじまうっていうか。
「そういうの察してくれるのは有難えけど、俺に合わせてたらお前がつまんなくねーか?」
「自分からやり始めといてつまんないってことはないでしょうよ。そこまで尽くすタイプってこともないと思うわよ、あたし」
「そりゃそうか。普段からぶん殴られてるんだもんな俺」
「そうそう」
 それに付随するあれやこれやはともかく、居心地が良いな、とは思う。だからこそ初めに付き合った時の失敗があったんだろうけど、それでもやっぱり、これはこいつの長所で有り続けるんだろう。――というのはもちろん、俺にとっての、ということではあるんだろうけど。自分で言うのもなんだけど、殴られて居心地が良いって奴もそうそういねえんだろうし。
 で、長所で有り続ける、調書で有り続けさせるということは、いつまで経っても「初めに付き合った時の失敗」が付き纏うことになるわけで。
 方針転換。
 今日、というかついさっき決めたそれは、そこからの脱却という意味もあってのことだった。
「なあ由依」
「なに?」
「真面目な話すんぞ」
「え? ああ、どうぞ」
「俺やっぱ滅茶苦茶好きだわ、お前のこと」
 真面目な話だと予め言っておいたからだろう、由依はこれまでの用に慌てたりはしなかった。
 というか、慌てないように必死になって自分を抑え込んでいた。顔はみるみる赤くなるし、横一文字になった唇はどう見ても全力で閉じてるし、繋いでいる手にも痛いくらい力が入ってるし。
 他の奴ならともかく、由依がそうするのには一体どれほどの労力が必要なのか。それを考えると余計な口を挟む気にはなれなかったし、それに何より、待たされている時間が心地よくて仕方がなかった。なんだったらもう暫くこのままでいたいと思ったくらいだ。
 でも今言った通りに俺は由依が滅茶苦茶に好きで、だから、その時々に思う「ああしたいこうしたい」なんて、簡単に塗り替えられてしまったりもする。
 手の震えが収まったところで、由依はこう返してきた。
「だったらあたしはそれ以上に好きだから。あんたのこと」
 このままでいたい、なんてのが一瞬で掻き消えたのは言うまでもないだろう。
「今」よりも「その先」。こいつとだったら俺は、ずっとそんなふうに思うことができるんじゃないだろうか。そしてそう思うことができれば、「今」にしがみついてしまった初めに付き合った頃のような失敗は、もう。
「大好きよ、優治」

 はっちゃけたところでそういう話ばかりし始める。
 というようなことは全くなく、むしろ俺達はそれから暫く黙ったままになるのだった。とはいえそれは気まずさから来るものではなくて、俺は、それに由依だって、その間いい気分で過ごせたんだけど。
 目が合う度に微笑み合ってみたり、なんてことについては柄にもなく――自分で言うようなことじゃないような気もするけど――幸せってこういうもんか、なんて思ってしまったりするほどだった。
「なあ由依」
「ん?」
 このまま黙っているのももちろんいいけど、こういう雰囲気だからこそ話せることというのも多分あったりするんだろう。そんなふうに考えてみた俺は、暫くぶりに由依の名前を呼んでみる。
「たまにはお前んちじゃなくて俺んち来てみねえか? 買い物終わってからの話だけど」
 料理の練習の付き添い、という名目で最近はちょくちょく由依の家に上がらせてもらっている俺。でも逆にその名目でしか上がらせてもらってない以上、由依が俺の家に、ということは今まで殆どないのだった。
 いや、殆どない、というのもちょっと違うだろうか。だったらどう表現すればいいのか――まあ少なくとも、付き合い始め直してからはまだ一度もない、というか。
 あの頃と今を分けて考えるべきかそうでないのか。そういったことについても、俺達はまだ何の結論も出せていないのだった。
 という話はともかく、由依は少し緊張したような表情になった。自分でそうさせておいて何だけど、勿体無い、なんて。
「あたしは構わないけど、というかできるんだったらそうしたいけど……でも大丈夫? おじさんおばさんとか」
 それは単に「親に会うのは緊張する」というだけの話ではないのだろう。
 一度駄目になった相手。
 俺が由依の家にお邪魔する時も、それがあってか今のところは親の目につかない時間を選んでいる。時間にかなり自由が利く大学生でもなければなかなかできないことではあるんだろう。
「この時間だったらどっちもいねえだろうけど、いたとしても大して問題じゃねえようちは。そこらへんは知ってると思うけど」
「まあ、そうなんだけど」
 一度駄目になる前は何を気にするでもなく普通にお互いの家に出入りしていたのもあって――駄目になった理由を考えればむしろ気にしなさ過ぎたんだろうけど――俺も由依も、お互いの両親のことを知らないわけではなかったりする。この子にしてあの親あり、なんて子である俺が言うのも変な話かもしれないけど、俺の親は由依の両親ほど駄目になったことを気にしていない。
 無関心、というわけではないけど、淡白なのだ。いろんなことに対して。
「だからあとはお前がどうするかって話なんだけど」
「そこは大丈夫。さっきも言ったけど、行けるなら行きたいわよあたし」
「そっか」
 親だけが気にしている、ということはないんだろう。由依自身だって気にしている筈だ。それでもこうしてそれを表に出さないように振舞ってくれるというのは、礼を言いたいというか頭の一つでも下げてみせたいというか、それらを通り越して今この場で抱き締めたいというか、そんなふうにまで思う。


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