(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十七章 事前準備 七

2014-02-19 20:43:57 | 新転地はお化け屋敷
「嬉しくもあるし寂しくもあるよな、子どもが立派に育つというのは。良く分かるぞ、その気持ちは」
「え? ええと、ということは――ええと?」
 成美さんの話に、ええとを二連発させるお母さん。ただその二つはそれぞれ、意味するところが違っているのでしょう。
「おっとしまった。大吾、そういえばまだ自己紹介をしていないぞわたし達」
「あっ」
 仕方がないと言えば仕方ないのですが、成美さんについての話に意識を持っていかれ過ぎていたようでした。というのはもちろん、成美さんと大吾に限らず。
 いやあよかった、お母さんが「成美ちゃんさん」とか口走らないで。栞が特例なだけであって、基本的にはちゃん付けを嫌っているようですしね成美さん。……まあ特例と言っても、許可を出したというよりは諦めたという感じらしいのですが。
「というわけで、怒橋成美だ。こいつの嫁になるまでは哀沢成美だったし、それ以前は名前というもの自体持っていなかったがな」
「怒橋大吾です」
 順番逆の方が良かったんじゃないかなあ、と思わざるを得ない大吾の普通っぷりではありましたが、まあ仕方がないところではありましょう。
 一方お母さんはお母さんで、何かにつけて普通でない話が出てきて気が休まるところがない、といった風情ではありましたが、ともあれ名乗られたのなら名乗り返します。
「怒橋さんは、お子さんが?」
「こいつとの子ではないがな――はは、お互い幽霊なのだから当たり前か。うむ、だから、子がいたというのは猫だった頃の別の夫との話だ」
 という話にはこれまた見るからに反応に困っているお母さんなのですが、しかしそこは成美さん、そういう反応も予め想定していたのでしょう。反応に困っているお母さんがそれでも何かしら言葉を絞り出そうとするその前に、自分からこんなことを言い始めるのでした。
「なに、気遣いは無用だ。その別の夫のことも子のことも、こいつは全て受け入れてくれているからな」
 で、となればその「こいつ」こと大吾もそれに続くわけで、
「なんだったらその前の旦那サンとも仲良くさせてもらってますしね。ちょくちょくここにも来てくれますし」
 とのことなのでした。
「すごい、ですね」
「ふふふ、そうでもなければ猫を嫁に迎えての夫婦生活など成り立たんだろうしな」
 大吾を褒められて満更ではなさそうな成美さんではありましたが、しかし恐らく、お母さんのそれは褒め言葉ではなかったのでしょう。どちらかといえば、驚嘆、というか。
「勘弁してくれ。あんまりオレばっかり持ち上げられたら、今度はオマエの話しなきゃならなくなるだろ。今さっき会ったばっかりな人の前でそれはちょっと」
「それもそうだな、済まん済まん」
 大吾は確かに凄いですが、しかし大吾だけが凄いわけではありません。それについての諸々は省略しますが、というわけで大吾、初対面の人に対して夫婦で褒めちぎり合うという罰ゲームのような何かは回避することにしたようでした。
「というわけなのでわたしとこいつの話はこれくらいにさせてもらうが、しかしお母上。実のところわたしが猫であることなど、このあまくに荘の中ではまだまだ序の口なのだ」
「なんと……」
 どういう意味においての序の口であるかを意識的にかそうでないのか説明しない成美さんではありましたが、しかしもはや、お母さんにとってはそんなことは些事でしかないようでした。初めて見ましたよ、「なんと」なんて言葉を誰かが口にしたところ。
「何するつもりだよオマエ」
「今日は土曜日だな、大吾」

 土曜日です。
「Nice to meet you Madam! Haaahahahahaha!」
「ひっ」
「もしかしたらもうコイツらから聞いてるかも――え? まだ言ってない? そう。俺様は土曜日担当! サタデー様だゼ~! ヨロシクぅ!」
「ひぃいぃいぃ」
 混乱、というかいっそ恐怖しているお母さんではありましたが、それでもなんとか差し出された握手には応えているのでした。握手と言ってもあちらは手ではなく茨ですし、なのでそんなトゲトゲしたものをぐっと握るわけにもいかないお母さんは、その先端を指先でちょんと摘んでいるだけではありましたが。
 というわけで、白くて大きな牙がずらりと並んだ口を持つお花ことサタデー登場です。
 となればもちろん他の102号室の皆さんもご一緒ではあるわけですが、インパクトではやはりサタデーがダントツなのではないでしょうか。蛇だって相当な筈なんですけどね、普通なら。
「んっふっふ、日向君が初めてここに来た時のことを思い出しますねえ」
「思い出すほど似てるってわけでもないような……」
 102号室の皆さんがやってきた、ということで今日は家にいたらしい清さんもご一緒だったのですが、ご一緒になった途端に苦い思い出を掘り起こされてしまうのでした。
「こ、孝一はどんな感じだったんですか?」
 サタデーとの握手は止めないまま――恐らくは逆に止められなくなっているのでしょうが――お母さんが尋ねます。僕としてはもうこの時点で耳を塞ぎたくすらあったのですが、とはいえそりゃあそんな子どもじみた真似もできますまい、ということで大人しく聞かされに掛かるのですが、
「他の皆さんが幽霊だと知ってびっくりしていたところ、そこに後から来た私まで幽霊だと言われて、驚き過ぎて気絶なさっていましたねえ」
「それは、息子がとんだ失礼を」
「いえいえ、こちらこそ息子さんに怖い思いをさせてしまいまして」
 サタデーに驚いていた、というか現状驚き続けているお母さんに言われたくはないよ。とは、言えないのです。なんせお母さんは驚きこそすれ気絶まではしていないわけですし、じゃあ僕よりはずっとマシってことになるわけですしね。しかも相手が清さんかサタデーかという明確にも程がある差があったうえで、です。
 ほら清さん、ここで思い出すほど似てないじゃないですか僕とお母さんじゃあ。
「おっと申し遅れました。私、楽清一郎と申します」
 怒橋夫妻の場合はすっかり後回しになっていた自己紹介ですが、しかしそこはさすが清さん、きっちり持ってくるべきタイミングに持ってくるのでした。という思いを込めた視線を投げ掛けてみたところ、恥ずかしそうに笑みを浮かべたりそっぽを向いたりするその怒橋夫妻なのでした。
「日向さん」
 といったところで、足元から声が。そんな位置に来られる人は他にいない、ということでそりゃあナタリーさんだったのですが、はいなんでしょうか。
「私、出ても大丈夫でしょうか? びっくりさせてしまわないでしょうか、お母さんのこと」
 ああなんとお優しい。素敵ですナタリーさん。
「お母さん」
「あ、何?」
 清さんの自己紹介まで挟んだというのにここでようやくサタデーとの握手を解消できたお母さんだったのですが、でもごめん、もうちょっと頑張って。
「別に驚かせるのが目的じゃないから先に言っちゃうけど、今から蛇さんが出てきます」
「蛇!?」
 ああやっぱり視界に入ってなかったか。そりゃあ植物が自立歩行でウネウネしながらにじり寄ってきたらなあ。それにナタリーさん、多分すぐここに隠れたんだろうし。
「ただしその蛇さんはとっても、とっっても優しい女の子で、サタデーもそうだったけど人間と普通に会話ができます。なので、できたら驚かないであげてください」
「……頑張ります」
「はい」
 というわけで合図の意味も込めて再度足元のナタリーさんを見下ろしたところ、するとナタリーさん、その小さな頭をぺこりと下げてから、座卓向かいのお母さんの方を向き直りました。が、向き直ったところでその位置はまだ僕の足元。当然お母さんの視界には入っていないわけですが、それはひとまず横に置いておきまして。
 お辞儀。当然の如く、通常蛇が行う動作ではありません。ちょっとした感動がそこにはありました。
 ついでに、「となったらこりゃもうその相手がお嫁さんである大吾なんか凄いんだろうな」なんて、どうでもいいことを想像してしまったりもするのでした。もちろんそれは今どうでもいいことなんですけど。
 というわけでお母さんの方を向き直ったナタリーさんのその後ですが、細長い身体を縦に伸ばし、頭だけをちょこんと座卓の上に乗せるのでした。見える部分が大きかろうと小さかろうとお母さん視点における「そこに蛇がいる」という事実には何ら変わりがないわけですが、とはいえこれもやはり、ナタリーさんなりの気遣いなのでしょう。
 それに対する感想はもはや語るまでもないとして、しかしもう一つ。頭だけを座卓に乗せたその格好が、今の僕にはなんだかとても可愛らしく見えてしまうのでした。
「あの、ナタリーといいます。見ての通り蛇ですが、宜しくお願いします」
「ああ、こちらこそ。息子がお世話になっています」
 何故かやたらと英語を混ぜ込むうえこれまたやたらとテンションが高いサタデーは例外として、普通に会話ができるというのはやはり強いのでしょう。思ったほど怖がらない――というか逆に安心したようにすら見えるお母さんなのでした。
「私がここのお世話になり始めたのは日向さんより後なので、どちらかというと私がお世話になっている側なんです。前に住んでいた所からここまで連れて来て下さったのも、日向さんと栞さんですし」
「あら、そうなんですか」
 そういえばそうなんですよね、普段全く意識してませんけど。
 と、軽い自己紹介が済んだところで、僕はナタリーさんへ向けて腕を伸ばします。その動作の意味するところが何なのか、というのは百も承知のナタリーさんなので、「失礼します」とだけ言ってするするするっとその腕から肩まで這い上がってきました。
「珍しいね、孝さんの肩にいるところ」
「親愛の証っていうかね」
 すぐ横からそんなことを言ってきた栞に返したその言葉が本心なのは、そりゃあ本心以外でそんなちょっと恥ずかしいことは言わないであろうことから察して頂けると思うのですが、しかしだとすれば「お母さんにナタリーさんは怖くないと実証してみせるため」という理由で誤魔化せばよかったかなと、そんなふうに思わないでもないのでした。
 まあ、最初からそれを思い付いていたとしても実際にそうするかは五分五分ってところだったんでしょうけど。
「Hey孝一!」
 といったところで声を掛けてきたのは既に自明であるも同然な人物、いや植物でした。
「ん?」
「だったらそこはナタリーstyleで表現すべきだと思うゼ? その親愛の情ってやつをよ」
 とのことだそうなのでちょっと考えてみましたが、しかしナタリーsty――じゃなくてナタリーさんのやり方だとどうなるのか、僕には思い付くことができませんでした。今までに何かありましたっけ、ナタリーさんがそういうところを披露した場面とかって。
「というと、どうすれば?」
 そりゃまあ蛇と人間ではありますので場合によっては出来ることに差が出てきたりもするわけですが、とはいえ無茶なことをさせようとするサタデーでもないでしょう。ということで素直に尋ねてみたところ、
「そりゃオメーhoppeにchuだろ」
 …………。
 一瞬よく分かりませんでしたが、できればその一瞬が過ぎた後でもよく分からないままでいたかったところです。ほっぺは日本語だよサタデー。しかも俗語だし。チューは……あれ? どうなんだろう。
 とそれはともかく、だってみんなの前ならまだしも親の前でだなんてそんな。――と、自分でも気にすべき点を見誤っているような気がしないでもありませんが、でもそんなふうに思ってしまうんだから仕方がありません。なんだかんだで時々ありますしね、こういうこと。
「何あんた、普段そんなことばっかりしてるの?」
「なんで僕がしてるってことになるのさ」
 ナタリーstyleなんだってば。いやそのナタリーstyleで思い出したけど、ナタリーさんがほっぺにキスするのって親愛の情とかそういう話だったっけ? 確かお礼とかそういう……まあ近いと言えば近いけど、でもだからってそんな判定が微妙なものをよりによって僕の時に持ってこなくても。
 などとグダグダ悩んでいるふうを装っているのはもちろん躊躇いあっての時間稼ぎなのですが、しかしそうこうしているうちに。
 ちゅっ。
 というよりはぴとっという感じだったでしょうか、ともあれ何故だか僕の方がナタリーさんにキスをされてしまったのでした。はて、どうしてそうなったんでしょうか。
「え、ええと?」
「だって嬉しいじゃないですか、親愛の情だなんて」
 なんでもありなんですねナタリーさん。だからこそ、なのかもしれませんけどね。
「うーん、結婚したばっかりで旦那さん取られちゃわないように頑張らないとね」
 なんちゅうこと言い出すんですか結婚したばかりの奥さんが。
「口元ゆるっゆるよ孝一」
 はう。
「ではナタリーさん、今後も息子のことを宜しくお願いします」
「こちらこそ」
 直前の流れさえなければ特におかしなところもない挨拶だったのでしょうが、なんだか洒落にならない遣り取りに聞こえてしまって心臓バクバクです。隣の栞はくすくす笑っているので、ならばどうやら僕の心が邪なだけのようですが。
 といったところでお母さん、そんな僕を無視して次の方の話題に移ろうとしているようなのですが、
「ええと……」
 躊躇いがちな声と視線の向こうには、綺麗な姿勢でお座りをしている大きな犬。
「あ、ソイツは普通の犬です。喋らないですし幽霊でもないですし」
「というかこの場合、ジョン以外が全員幽霊だと言ったほうが紹介としては正しいのかもな」
 この中で唯一直接会話することができないジョンなので、大吾と成美さんがその紹介を引き受けます。今日が月曜日であれば、通訳の方がこの場にいたんですけどね。
 で、日頃その通訳の方を通してこちらのあれやこれやを理解している筈のジョンなので、
「噛んだり吠えたりはしないから大丈夫だよ」
「そ、そう?」
 ……まあ正直、マンデーさんの通訳がなかったとしてもこんな感じだったんでしょうけどね、ジョンは。根拠は一切ありませんけど。
「俺様達なんて、散歩の時に背中に乗せてもらってるくらいだもんなあ?」
「ふふ、はい」
 植物が散歩をし、しかもその際犬の背中に乗っているという話がお母さんの頭の中で映像としてどう再生されているのかは気になるところですが、それはともかくサタデー、なんでこっちに近寄ってきてるのかな?
「ってわけで今は孝一にride on!」
「なんでよ」
 ジョンの話と同じくナタリーさんと同じ所へってことなんでしょうけどね。それにしたって膝の上とか、それこそナタリーさんと同じく肩の上とかで良かったでしょうに、
「それだと乗るってより合体だな」
 という大吾の指摘が適切かどうかは分かりませんが、顔を雁字搦めにされ頭からサタデーを咲かせることになった僕なのでした。うーん、この目耳鼻口の機能を阻害しない絶妙な巻き付き具合。どうせならもっと他に気の利かせ方があるでしょうに。
「まあお母さん、ここは僕のことを気にせずジョンを撫でてやってみるとか」
 というのは別にこちらから勧めるようなことではなく、なので勿論、間を持たせるために無理矢理話を持ってきただけのことです。今のこの状態、見詰められても出てくるのは恥ずかしさばかりなのです。
「ふわふわで気持ちいいですよ」
 僕のそんな心中を察してかそうでないのか、栞も続いてジョン撫でをお母さんに勧めます。あまくに荘において成美さんの髪と双璧を成す撫で心地を誇るジョンではあるので、なら僕もその点を重視してお勧めしたということにしておきましょう。
「ええと、じゃあ……」
 それでもやっぱり多少はおっかなびっくりだったりもしましたが、しかしこちらの勧めに応じる姿勢を見せたお母さん、息子の無残な姿から目を背けてジョンの方を向き直ります。
 するとそこはさすがジョン、呼ばれるまでもなくその時点でお母さんの方へゆっくりと近寄り始めるのでした。マンデーさんの通訳を介しているうちに人間の言葉を把握してしまった、なんて言われても嘘だと断じられそうにはないほどのお利口っぷりです。
「……あら本当、ふわふわねこの子」
 毎度のことにいちいち大仰な感想を浮かべている間に、お母さんの手がジョンの頭に伸びていました。となるとジョン、これまた毎度のことながら、気持ち良さそうに目を細めて尻尾をぱたぱたさせ始めます。初めて会った相手でも何の問題もありません。
「しっかりお手入れしてくれてる人がいるもんねー、ジョン」
「ワフッ」
 ジョンに向けられた筈の栞の言葉でしたが、しかしそれにはどこか意地悪っぽさが込められているように感じられ、そして座卓の向こう側では大吾が俯いているのでした。
「うちでも飼ってみようかしら。孝一がこっちに来てから、家がちょっと広いのよねえ」
 まさか栞が言っているのが大吾だとは知らないお母さんは――同じ部屋から来たということもあって、まず間違いなく清さんだと思ったことでしょう――大吾の様子のおかしさに気付くことなく、そんな話をし始めるのでした。
 なんだか申し訳ない気分になってしまうのは何なんでしょうね。別に僕が悪いという話じゃないのはもちろんなんですけど。
「家の中で飼うってことになると、よっぽどしっかり躾けなきゃいけませんけど……」
 ジョンという理想形を見せ付けておいてなんですが、ということなのかもしれません。一方でそんなことを言う大吾も、何故か申し訳なさそうにしているのでした。もちろんそうだったとしても大吾に非があるわけじゃない、というか非なんてどこにもないわけですけどね。
「ふふふ、さすがだな。口を出さずにはいられないか」
「一応、知識はあるわけだしな」
 栞がそうしたように成美さんからも横槍を入れられてしまう大吾でしたが、奥さんに対してはさすがに堂々とした対応を見せるのでした。まあ黙っていればスルーできた栞の時とは違う、というのもあってのことかもしれませんが。
 で、そうなるとこうなります。
「あら? じゃあ、この子のお世話って?」
「……僕がやってます」
「ワフッ」
 まるで肯定するかのようなタイミングでジョンが小さく吠えてみせると、お母さんは「あらあらあら」とほくほく顔になるのでした。
 が、しかしそれ以上は何を言うでもなく。ということはつまりこういうことかと辺りを付けた僕は、お母さんに向けてこんな質問をしてみました。
「もうちょっと怖い人だと思ってたとか?」
「…………まぁさかそんな失礼なこと」
 なるほど、僕の母親ということですねこれは。
 そんな僕たち親子の遣り取りに当の大吾は苦笑いでしたが、しかし一方成美さんは、何故か誇らしそうにしているのでした。いやそりゃあ厳密には褒めてるんですけど、それでいいんですか?
「まあ今に限って言えば孝さんの方がよっぽど怖いし」
「そうそう、痛くないの? それ」
 栞に言われた瞬間にはなんのことかと首を捻りたくなったのですが、しかしそれに続くお母さんの言葉で思い出しました。顔面ぐるぐる巻きなんですよね今の僕って。
 で、痛くないのというのはもちろん、そのぐるぐる巻きにしてきているサタデーの茨のことなのでしょう。茨というからにはもちろん、表面がトゲだらけなわけで。
「いや、なんかそこら辺の力加減は随分融通が利くみたいで――」
「こんなふうにな!」
「ひおわっ!?――あ、あひひひひはははは止めて止めて止めてへへへははは!」
 それまで僕の顔だけをその巻き付き範囲にしていたサタデーの茨でしたが、明らかに長さを増して僕の上半身にまでその範囲を広げ、更には僕がいま言った「融通が利く力加減」をもって、茨のトゲで上半身をくすぐりまわしてくるのでした。
「ケケケ、俺様とのfirst contactも思い出したかよ?」
 も、ってことは清さんと初めて会った時に気絶したっていう話が出てきたことに対抗心を燃やしちゃったんだね? 迷惑千万だよ?
 などと冷静ぶっている間ももちろん大声を張り上げ続けているわけですが、
「うわあ……」
 あまりの声量に自分のものながら笑い声がやかましくて他の音が聞き取り難い中、しかしそんな見てはいけないものを見てしまったかのようなお母さんの声だけはばっちり耳に残ってしまったのでした。ああ、どうしてこんなことに。
 ――で。どれだけの間その状態が続いたのか僕には正直よく分からなかったのですが、周囲の様子を窺う限りはそう長く時間を取っていたわけでもなかったのでしょう。まあそんなに長くやられ続けてたら死んじゃいますしねあれ。いや本当に。
 あとついでに、位置的にそのくすぐりの刑に巻き込まれていたであろうナタリーさんはしかし、どうやら何の被害もなかったようなのでした。いやあ本当に器用だねサタデーは。
「そういえば怒橋君、今日のお散歩はまだでしたよね?」
「え? あ、ああ、そういえば」
 僕を助けるつもりだったらくすぐられてる最中に言ってただろうしなあ、なんてついついそんなふうに考えを巡らせてもしまうのですが、それはともかく清さんが大吾に毎日のお仕事に取り掛かるよう促します。
「今日は久しぶりに私もご一緒させてもらいましょうかねえ、んっふっふ」
 今日は外出していない、どころか今こうして一緒にいる以上、そんな参加表明はするまでもないことではあったのでしょう。しかしだったらそれは何の意味もなかったのかというとそういうわけでもなくて、
「では行くか?」
「おう」
 今すぐ出発する、という流れを作り出すことになるのでした。
 そして当然、今回ばっかりは僕達は不参加ということにも。

「ああ、なんだかこの部屋が凄く広く見えるわ……」
 みんなが去った後、そんな何気に家守さんに対して失礼な言葉を漏らすお母さんでしたが、もちろんのこと本人にそんな意図はなかったことでしょう。まあ最初は誰だってそうなりましょうとも。
「ここに住んでるとしょっちゅうなんですけどね、今みたいなことって」
「賑やかでいいわねえ」
「その最中はあんまり羨ましそうにしてなかったけどね、お母さん」
「家が広いから犬買おうかな、なんて言うような人間にはちょっと刺激が強過ぎたわね、確かに」
 あらまあもっともらしいこと言っちゃって。実際そういうことでもあるんだろうけど。
「将来的にそっちに戻ったほうがいいとかってある?――ああ、真面目な話ってわけじゃなくて」
 思い付いた話題がぽろっと口を突いてしまいましたが、慌てて付け足した一言の通り、別にそこまで深く考えての発言ではありませんでした。そしてどうやらあちらもそれは把握してくれたようで、
「大丈夫よ、そんなこと言ってる間に弟か妹が産まれちゃうんだから。ワンちゃんも合わせたらむしろあんたがいた時より増えて四人家族よ?」
 とのお返事を頂くことに。
 それに続けて「本当に飼うとなったら次の子が産まれてくる前の方がいいのかしらね?」なんて言ってもいるお母さんでしたが、しかしその一方で僕は、あと栞も、それこそ深く考えるべき話題を頭に浮かべているのでした。


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