張り合って更に撫で返すというのも不格好な気がしたのでこちらの手は引っ込め、そのまま甘んじて撫でられていたところ、
「どうなんだろうねえ」
手は止めないまま、栞が何やら問い掛けてきました。
「孝さんが変な人だったからなのか、それとも孝さんが言うように私が強かったってことなのか。なんで私は、自分を『殺せた』んだろう?」
…………。
「どっちか片方ってことはないんじゃないかな、やっぱり」
「だよね」
「もっと言えば」
「ん?」
最初の返事は予想していたらしい栞ですが、その後にまだ続きがあるというのは予想外だったようで、髪を撫でる手がそこで一旦止まるのでした。
「個人個人の話ですらないと思うよ。月並みだけど、二人の相性っていうか。……栞、多分だけど、一貴さん達とか道端さん大山さんのことも含めて言ったんじゃない? 今の話」
「まあ、そうだけど」
だよね。
「僕達が上手くいったからって、別に僕達がやったことが他の人の模範になるってことはないと思うんだよね。大吾と成美さんなんかを見ても、あっちは喧嘩しないように努力してるわけだし」
「喧嘩なんかしちゃったら人魂出ちゃうしね。……まあ、それだけが理由でもないってことなんだろうけど」
「そうそう」
人間と猫。一緒になるならいろいろと「落とし所」というものを探さなくちゃいけない。――というのも理由の一つではあるんだろうけど、でも何より、そういう付き合い方があの二人には合っているということなんでしょう。
付き合い始めるまでは口喧嘩ばっかりしてたんだし、というのはちょっと意地悪な見方かもしれませんが。
「簡単に言えば」
「簡単に言えば?」
「栞は僕の一番だけど、他の人の一番じゃないってこと」
「…………」
照れたようでした。いや、要点は後半の方なんですけどね?
「なんて当たり前な」
「でしょ?」
ここまで簡単にしちゃうともはや語るべき部分すらありませんが、ともかくそういうことです。
しかし当然、実際はそれだけで済ませられるような簡単な話でもないわけで。
「その『一番の人』が幽霊相手にどうこうできる人だなんて、それこそ滅多にないことなんだろうけどね」
「そういう意味では私、孝さんと知り合ったのが幽霊になってからで良かったかな。初めから幽霊だって分かっていて好きになってくれたから、どうこうしてくれたし」
「あんまり言いたくないけど、こっちとしても運が良かったかな。そこはやっぱり」
幽霊になる前に知り合いたかった、というのは、もちろんこれまでと変わらずそう思うわけですが。
……いや。栞の今の格好を踏まえれば、これまで以上に、ということになるでしょうか?
「栞」
「ん?」
「最後にもう一回、思いっきり抱き締めていい?」
患者服姿の栞。もちろんそれは普段と服が違うというだけのことで、ならばこんなことをしても特に意味はないわけですが――でも、しっかり感じておきたかったというか。
傷跡の跡に触れることと、それは恐らく同じような意味を持った行動なのでしょう。
「ん。いいよ」
患者服がどうのこうの、というこちらの意図を察しているのかどうかは分かりませんが、栞は快くその頼みを受け入れ、そしてこちらへ腕を広げてみせてくれました。
…………。
抱き締めて、抱き返されて。そうして抱き合っているうち、心地よさに眠くなってきたのかそれともそろそろ体力が尽き始めてきたのか、目が霞んできました。すると、
「それでもやっぱり」
意図せずに、ということになるのでしょう。勝手に喋り始めた自分の口を僕は止めませんでした。というか、止めようという気にすらなれませんでした。自分の体温と、あと栞の体温もあってか、頭が上手く働いてくれないのです。
「実際にこの服を着ていた頃から、傍にいてあげたかったよ……」
「うん」
これまでだって同じようなことは思ってきましたし言ってもきましたが、けれど今回の場合、それは熱にやられて弱音を吐いてしまった、ということになるのでしょう。なんせ僕、あまりにも唐突ながら、泣きそうだったのです。
すると栞はそんな僕の頭を撫で、そしてそのまま、頭を自分の胸へと抱き込んできました。
胸。要するには、傷跡の跡へ触れさせるようにして。
「私だって、あの頃から傍にいて欲しかったよ」
「…………!」
「だから今、孝さんがそんなふうに思ってくれることが嬉しい。――駄目かな? そういうことにしておいたら」
僕は首を横に振りました。それですら最早弱々しい動きだったのですが、しかし横に振った頭の位置が位置なので、栞には伝わったようでした。視界の外から「ふふっ」と、笑い声が漏れてきたのです。
……僕は、僕達は、道端さんや大山さんの例とは違って、ここまで上手くやってこれました。そしてもちろん、これから先も上手くやっていくつもりです。
――が、でもそれは、最良の展開というわけではありません。当たり前ですが、栞が既に死んでしまっているという時点で、それが最良なんかであるわけがないのです。栞は死にたくなんてなかったし、僕だって栞に死んで欲しくなんかなかったのです。今からではどうしようもないことだ、というだけであって。
最良でないのなら、これは誰かに胸を張って話すようなことではないのでしょう。話してはいけない、とまでは言いませんが、それこそ今の僕のように、弱気な語り口で話すようなことなのでしょう。
栞の言葉を借りるなら、傷跡の跡のことを打ち明けてくれたあの夜、栞はもう一度死にました。その死んだ栞がどれほど悲しい人物であったにせよ、僕にとっては今の栞と同じく、愛する女性だったのです。
「ごめん、栞」
「ん?」
「寝ちゃうまでこうしてたい」
「それくらい。むしろ、こっちからお願いしたいくらいだしね」
触れていたい。今ここで僕を抱いてくれている栞に対しても、今はもうその栞の胸の内に思い出としてあるだけの栞に対しても、僕はそんなふうに思ったのでした。
「孝さん」
僕の名前を呼んだ栞は、けれどそれ以外何も言いはしませんでした。
ならば何もなかったのでしょう。愛しげなその口調以外に、含むところは何も。
最良の展開ではなかったにせよ、誰かに胸を張って話すようなことではないにせよ、けれどそんな展開の結果として今この瞬間、こんなにも想われているということについてだけは、胸を張らざるを得ないのでした。
終わりよければすべてよし、とは言いませんが、けれどこれはこれで上々な人生なのでしょう。一番大切な人と、最後だけでも一緒に笑えているならば。
「どうなんだろうねえ」
手は止めないまま、栞が何やら問い掛けてきました。
「孝さんが変な人だったからなのか、それとも孝さんが言うように私が強かったってことなのか。なんで私は、自分を『殺せた』んだろう?」
…………。
「どっちか片方ってことはないんじゃないかな、やっぱり」
「だよね」
「もっと言えば」
「ん?」
最初の返事は予想していたらしい栞ですが、その後にまだ続きがあるというのは予想外だったようで、髪を撫でる手がそこで一旦止まるのでした。
「個人個人の話ですらないと思うよ。月並みだけど、二人の相性っていうか。……栞、多分だけど、一貴さん達とか道端さん大山さんのことも含めて言ったんじゃない? 今の話」
「まあ、そうだけど」
だよね。
「僕達が上手くいったからって、別に僕達がやったことが他の人の模範になるってことはないと思うんだよね。大吾と成美さんなんかを見ても、あっちは喧嘩しないように努力してるわけだし」
「喧嘩なんかしちゃったら人魂出ちゃうしね。……まあ、それだけが理由でもないってことなんだろうけど」
「そうそう」
人間と猫。一緒になるならいろいろと「落とし所」というものを探さなくちゃいけない。――というのも理由の一つではあるんだろうけど、でも何より、そういう付き合い方があの二人には合っているということなんでしょう。
付き合い始めるまでは口喧嘩ばっかりしてたんだし、というのはちょっと意地悪な見方かもしれませんが。
「簡単に言えば」
「簡単に言えば?」
「栞は僕の一番だけど、他の人の一番じゃないってこと」
「…………」
照れたようでした。いや、要点は後半の方なんですけどね?
「なんて当たり前な」
「でしょ?」
ここまで簡単にしちゃうともはや語るべき部分すらありませんが、ともかくそういうことです。
しかし当然、実際はそれだけで済ませられるような簡単な話でもないわけで。
「その『一番の人』が幽霊相手にどうこうできる人だなんて、それこそ滅多にないことなんだろうけどね」
「そういう意味では私、孝さんと知り合ったのが幽霊になってからで良かったかな。初めから幽霊だって分かっていて好きになってくれたから、どうこうしてくれたし」
「あんまり言いたくないけど、こっちとしても運が良かったかな。そこはやっぱり」
幽霊になる前に知り合いたかった、というのは、もちろんこれまでと変わらずそう思うわけですが。
……いや。栞の今の格好を踏まえれば、これまで以上に、ということになるでしょうか?
「栞」
「ん?」
「最後にもう一回、思いっきり抱き締めていい?」
患者服姿の栞。もちろんそれは普段と服が違うというだけのことで、ならばこんなことをしても特に意味はないわけですが――でも、しっかり感じておきたかったというか。
傷跡の跡に触れることと、それは恐らく同じような意味を持った行動なのでしょう。
「ん。いいよ」
患者服がどうのこうの、というこちらの意図を察しているのかどうかは分かりませんが、栞は快くその頼みを受け入れ、そしてこちらへ腕を広げてみせてくれました。
…………。
抱き締めて、抱き返されて。そうして抱き合っているうち、心地よさに眠くなってきたのかそれともそろそろ体力が尽き始めてきたのか、目が霞んできました。すると、
「それでもやっぱり」
意図せずに、ということになるのでしょう。勝手に喋り始めた自分の口を僕は止めませんでした。というか、止めようという気にすらなれませんでした。自分の体温と、あと栞の体温もあってか、頭が上手く働いてくれないのです。
「実際にこの服を着ていた頃から、傍にいてあげたかったよ……」
「うん」
これまでだって同じようなことは思ってきましたし言ってもきましたが、けれど今回の場合、それは熱にやられて弱音を吐いてしまった、ということになるのでしょう。なんせ僕、あまりにも唐突ながら、泣きそうだったのです。
すると栞はそんな僕の頭を撫で、そしてそのまま、頭を自分の胸へと抱き込んできました。
胸。要するには、傷跡の跡へ触れさせるようにして。
「私だって、あの頃から傍にいて欲しかったよ」
「…………!」
「だから今、孝さんがそんなふうに思ってくれることが嬉しい。――駄目かな? そういうことにしておいたら」
僕は首を横に振りました。それですら最早弱々しい動きだったのですが、しかし横に振った頭の位置が位置なので、栞には伝わったようでした。視界の外から「ふふっ」と、笑い声が漏れてきたのです。
……僕は、僕達は、道端さんや大山さんの例とは違って、ここまで上手くやってこれました。そしてもちろん、これから先も上手くやっていくつもりです。
――が、でもそれは、最良の展開というわけではありません。当たり前ですが、栞が既に死んでしまっているという時点で、それが最良なんかであるわけがないのです。栞は死にたくなんてなかったし、僕だって栞に死んで欲しくなんかなかったのです。今からではどうしようもないことだ、というだけであって。
最良でないのなら、これは誰かに胸を張って話すようなことではないのでしょう。話してはいけない、とまでは言いませんが、それこそ今の僕のように、弱気な語り口で話すようなことなのでしょう。
栞の言葉を借りるなら、傷跡の跡のことを打ち明けてくれたあの夜、栞はもう一度死にました。その死んだ栞がどれほど悲しい人物であったにせよ、僕にとっては今の栞と同じく、愛する女性だったのです。
「ごめん、栞」
「ん?」
「寝ちゃうまでこうしてたい」
「それくらい。むしろ、こっちからお願いしたいくらいだしね」
触れていたい。今ここで僕を抱いてくれている栞に対しても、今はもうその栞の胸の内に思い出としてあるだけの栞に対しても、僕はそんなふうに思ったのでした。
「孝さん」
僕の名前を呼んだ栞は、けれどそれ以外何も言いはしませんでした。
ならば何もなかったのでしょう。愛しげなその口調以外に、含むところは何も。
最良の展開ではなかったにせよ、誰かに胸を張って話すようなことではないにせよ、けれどそんな展開の結果として今この瞬間、こんなにも想われているということについてだけは、胸を張らざるを得ないのでした。
終わりよければすべてよし、とは言いませんが、けれどこれはこれで上々な人生なのでしょう。一番大切な人と、最後だけでも一緒に笑えているならば。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます