(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第六章 月と太陽 四

2007-09-16 21:06:21 | 新転地はお化け屋敷
「あたしも久しぶりになるみん抱っこしたかったんだけどなぁ~。そういやなるみんさ、まだだいごんとはくっついてないの?」
「相変わらずだね。いっつもくっついてるけどまだくっついてないよ」
「それはどういう………?」
「孝治があたしに告白してくれる直前くらいの関係がずっと続いてんの」
「………また、嫌な記憶を引っ張り出してくるなあ。椛さんだって人の事言えないのに」
「嫌な記憶って言うか、あたしあーいうこそばゆい関係も好きだったし」
「若かったねえ。こんなのに『彼氏ができた』って言われた日にゃ、アタシ泣きそうだったよ」
「自分に彼氏ができなかったからぁ?」
「も、椛さん……」
「ふーんだ。アタシだって今じゃもう婚約者がいるもんねー」


「…………」
 今日の昼食、カップラーメンの湯沸し中。


「それにしても、こんなにすぐ来てくれるとは思わなかったよ。お店のほうとか大丈夫なの?」
「月曜はもともと定休日ですから大丈夫ですよ。父と母もいますし」
「その代わり、土曜に連絡貰ってからずっと仕込み地獄だったけどね。今日の分込みで。お義父さんお義母さんは自分達でやっとくからいいよって言ってくれたんだけどさ、やっぱそういう訳にもいかないじゃん?」
「へー。………こう言ってますが孝治さん、うちの妹はお役に立っていますでしょうか?」
「うわ、ひっどー」
「ええ、それはもう大助かりですよ。仕込みも随分さまになってきましたし、それにレジ係りとしても近所の子ども達に大人気なんです。僕なんか、その子達に道端で会っても『パン屋のおばちゃんの彼氏だー』って付属物扱いですから」
「あー。あいつらあれだけおねーさんと呼べって言っといたのにー。今度買いに来たらスタンプいくつか誤魔化してやろっかなー」
「え、いや椛さんそれはちょっと」
「冗談だってぇ。そもそもスタンプの数誤魔化せるほど沢山買わないじゃん。パン一個か二個なんだし」
「ふぅ、よかった」
「ふふふ、楽しそうだねぇ」


「…………」
 お湯を注いでから、「この時間の間だけで怪獣倒すってなかなか凄いよなー」とか考えながら出来上がりを待つ。


 ピンポーン。
「おりょ、誰か来た。ちょっと出てくるね」
「…………あ。孝治、パン出しそびれてるじゃん」
「あ、本当だ。いやー日向くんのあまりのそっくりぶりに驚き過ぎて、記憶からすっぽ抜けてたよ」
「発表は姉貴が食べた後だからね。そこは忘れないでよ?」
「うん。分かってる分かってる」
「おお、だいちゃん。どしたの? 表情的に何かお困りで?」
「いや、あのよ………ん? 客が来てるのか? 靴多いけどよ」
「あ、うん。椛とその旦那さんが遊びに来てくれてんの」
「旦那!? 椛サン、結婚してたのか!?」
「うん、ついこの間だけどね。その事でいろいろ忙しかったから、最近あんまり来れなかったってわけ」
「そ、そうか………でも、客が来てるなら今はいいわ。邪魔したな」
「いやいやそう言わずに上がってごらんよ。旦那さん、声は聞こえる人だからさ」
「ぬぅ……じゃあ、ちょっと上がらせてもらうかな」
「どうぞどうぞいらっしゃーい。いひひひひ」


 ずぞろろろろろ。
「味気しないなぁ……」


「ん、孝一か………孝一!? え!? オマエ、椛サンとそんな」
「やぁだいごん久しぶりー。残念ながらこの人はこーいっちゃんじゃないよ」
「えっと、どなたか来られたんですよね?」
「うん。今アタシの後ろで大声出したのがだいちゃんこと怒橋大吾くんです」
「初めまして。月見孝治といいます」
「あ? え? っと、孝一……だよな? あれ、違うのか?」
「何から何までそっくりだけど、この人は月見孝治さんだよ」
「だからあたし、今はもう『月見』椛なんだよだいごん」
「そ、そうなんですか………失礼しました。オレ、怒橋大吾っていいます」
「だいちゃん、アタシがたった今紹介したのを無駄にしたね?」
「え? あ。…………し、仕方ねえだろこんな! テメエ知ってて言わなかったな!」
「いっしっし。びっくりどっきり大成功~」
「とまあ、本来ならこんな感じでここのみんなは仲良しなんだよ孝治」
「ふふふ、楽しそうだねぇ」
「………えーと、お久しぶりです椛サン」
「うん。元気してた? 聞くところによるとなるみんもしおりんも元気ないらしいじゃん、今」
「あーっと、喜坂の事はよく分かんねえんですけど、成美のやつは―――そうですね」
「あぁ~。その反応、まぁたなるみんと喧嘩したんでしょー。すぐになかった事になるって言ってもさ、ほどほどにしときなよ? 女の子は大事にしてあげないとぉ」
「はあ……」
「あれ? 怒橋くんって哀沢さんと仲好いんじゃないでしたっけ? さっき……」
「仲好しだよ。だいちゃんとなっちゃんの場合、仲好しだから喧嘩してるって感じかな」
「合ったばっかの人に妙な事吹き込むんじゃねえよ。大体テメエだってしょっちゅうちょっかい出してきてんじゃねーか」
「あれは二人の仲を取り持ってあげてるんだって」
「あぁ、ここになるみん連れて来たいな~。孝治、きっとびっくりするんだろうなぁ~。あ、でも声だけだから驚きも半減しちゃうかなぁ?」
「え、どうして? もしかして、また誰かにそっくりだとか?」
「勘弁してくださいよ椛サン……」
「そう? じゃあやめとこ。あたしは姉貴と違って鬼じゃないからね~」
「じゃあ鬼としてはどうしよっかなぁ」
「どうもすんじゃねえよ鬼畜女」


 味気のないラーメンで味気のない昼食終了。
 そしてふて寝開始。ごろごろ。


「あ、そうだそうだ。家で焼いたパン持ってきたんですよ。いかがです?」
「もちろんタダだよ~」
「おっ。これは嬉しいね。蒸しパンはあるのかな?」
「ちゃんとあるよ。姉貴、うちの蒸しパンお気に入りだもんね~」
「ぃやったね!」
「うちの蒸しパン?」
「ふっふっふ~。なんとねだいごん、あたしはパン屋さんに嫁入りしたのさぁ!」
「怒橋くんも、どうですか? えーと、こっちのほうにいるのかな」
「あ、はい。今ちょうど正面にいます。……もらってもいいんですか?」
「いいも何も、もともとみんな呼んで一緒に食べるつもりだったからね~。こっちのリュックの中身、全部パンなんだよ? 食べてもらわないと余っちゃうよ。ってわけで、御開帳~」
「おっほぉ~! こりゃ宝の山だね!」
「下のほうのは潰れちゃってるかもしれませんが、味の方は大丈夫ですよ」
「だいごん、何パンがいい?」
「種類は何があるんですか?」
「メジャーどころは揃ってるからなんでも言ってごらんよ」
「じゃあ、カレーパンってありますか?」
「オッケー、あるよあるよ。ど~こ~に~う~ま~つ~て~い~る~の~か~なっと。はい」
「ありがとうございます」
「姉貴も、はい。蒸しパン」
「ありがたくいただきま~す!」


 ああ、とても眠れやしない。夢の中に逃げ込めたらどれだけ楽か……いや、こんな状況で寝たら、夢の中でも同じ事で悩んでたりするのかもしれない。
 どうしようか悩んでいると、ふと学校で筋トレでもしようかなと考えてた事を思い出した。


「うお、これすっげえ美味いですね。カレーももちろんですけど、パン部分だけでもいけますよ」
「そう言ってもらえると作った側としても嬉しいですよ。僕にはもうパン自体が見えてないから、どこまで食べたのか分からないですけど」
「どーよ姉貴。お気に入りの蒸しパンは?」
「そんなの聞かれるまでもなく美味しいに決まってるって。椛と喋ってる時間がもったいないくらい美味しいよ。さすがだね、孝治さん家は」
「ふっふっふっふ~。実はその蒸しパン、一から十まで全部あたしが作ったんだよ~?」
「むぐっ!? げっほ、げっほ! ほ、本当に!?」
「そこまで驚く事ないじゃんよ~」
「本当ですよお義姉さん。お義姉さんを驚かせようとして、今日の早朝から頑張ってましたから」
「姉貴が蒸しパン選ぶのは予想済みだったからね~。どーよ? ちょっとは見直してくれたっていいんじゃないの?」
「こりゃまいったね。おみそれしました椛様」
「うむ、分かれば宜しい」
「頑張った甲斐があったね、椛さん」
「えっへへ~。孝治が毎日忙しいのに時間裂いて教えてくれたからさ、そのおかげだよ」
「………なんか、失礼かもしれませんけど孝治サンって本当孝一と似てますね」
「え? えっと、今ので? まさか、日向くんもパン屋さん?」
「いやいや、そんな事ないですよ孝治さん。だいちゃんもそれ以上は言わないこと」
「あん? あれって秘密の事だったのかよ?」
「あれぇ~。気になるなぁだいごぉ~ん」
「それよりも椛、アタシ最近料理始めたんだけどさ」
「へ!? マ、マジで!? 姉貴が!?」
「いや、だからそれが」
「だまらっしゃい!」


「十……八! 十……九! 二…………十! ぶっへぁ~!」
 取り敢えず、腕立てをしてみた。その結果、準備体操レベルの回数でバテてその場に潰れた。


「で、パンどうしよっか? 無理してみんなに集まってもらうのもアレだし」
「じゃあこっちからお裾分けしに伺うのはどうかな。僕達明日には帰っちゃうんだし、一度は挨拶しておきたいし」
「じゃあオレ一緒に行きますよ」
「おや、だいちゃんの割に親切だね」
「部屋に帰るついでだっての。ずっとお邪魔してるのも悪いしな」
「うーん、だいごんは相変わらずだねぇ。思った事すぱっと言っちゃうんだから」
「……やっぱ、そうですよね」
「あれ? なんかウィークポイント突いちゃった感じ?」
「あらら。はいはい、これ以上突かれる前にさっさと行っちゃって。椛はアタシが抑えつけとくから」
「なにさぁ人を猛獣みたいにぃ~」
「ふん。じゃあ、邪魔したな」
「行ってきます」
『行ってらっしゃーい』


 喉が渇いたので、お茶を飲む。運動した後の冷えたお茶は体に染み渡るようでいつもより美味しく感じられた。
 さて次は何をしようかな。


「あ、一階は他に誰もいないですよ。隣の清サンは留守だし、あとの二部屋は空き部屋になってるんで」
「そうなんですか。じゃあ二階は……」
「階段上って二つ目の部屋がオレの部屋です。そこ以外は全部いると思いますよ。ちなみに一番奥以外は全員幽霊です」
「あ、じゃあ一番奥が日向くんですね? それじゃあまずは、一つ目の部屋からですね」
「…………孝治サン」
「はい?」
「一つ目の部屋のヤツって身長が低いんですけど、その事気にしてるからあんまり触れないでやってください。あと態度がデカイと思いますけど本人に悪気はないんで、できれば見逃してやってください」
「えっと………はい。分かりました。と言っても、僕には姿が見えないから身長の方はあんまり分からないかもしれないですけど」
「…………」
「優しいんですね、怒橋くんは」
「………そんなんじゃねーです」


 暫らくの後、またも僕は床に寝転がっていた。今度は仰向けで。
「スクワットって………意外としんどいものなんだなぁ………」
 記録、五十回。これは明日、筋肉痛かもしれない。


「こんにちは」
「―――何の用だ日向? それに……お前まで………」
「あ、いえ僕は」
「この人は孝一じゃねえ。今、ヤモリんとこに椛サンが来ててな。椛サンの旦那さんだ」
「何!? た、確かに少し前、日向の叫び声が二重奏で聞こえた気はしたが……本当なのか? まるで同一人物じゃないか。それに、椛と結婚とは」
「どっちも本当だ」
「初めまして。月見孝治といいます」
「あ、わ、わたしは哀沢成美だ。これは御丁寧にどうも」
「いえいえ。それで、僕の実家がパン屋をやってまして。宜しければいくつかいかがですか?」
「ん。えっと――だな」
「孝治サン、リュックもうちょっと下でお願いします」
「は。……あ! す、すすすすみません!」
「いや構わないさ。そうか、初めてわたしを見た割には丁寧な話し方だと思ったが、声だけなのだな。それなら仕方ないさ。それに、もうその手の事を気にするのは止めにしたからな」
「…………ちっ」
「じゃあ二つほどいただくよ。ありがとう」
「は、はい……」


 腕と足がいっぱいいっぱいな状態にも関わらず、ここで不意にトイレに行きたくなった。既に学校で二回も行ってるのに今日は随分代謝率がいいなあ。
 何はともあれ立ち上がると、膝ガクガク。生まれたての小鹿というのは正にこの事か。
「ぬっ! あおっ!」
 足を踏み出すたびに膝から崩れ落ちそうになりながら、今日三度目のトイレへ。


「さっきは失礼な事しちゃったなあ。はぁ……」
「そんな気にする事もないですよ。アイツもああ言ってましたし。で、ここはオレの部屋なんで飛ばしまして、と」
「次の人は気をつけるところとか、あったりするんですか?」
「いえ、喜坂は特に。今なんか機嫌悪いみたいですけど、そんな他人にいきなり当たるようなヤツでもないですし」
「身長は……」
「普通ですよ」
「そうですか……って、あぁ。玄関で会ったあの人か。あとはもう日向くんだけなんだし」
「なんだ、もう会ってたんですか」
「はい。それでは、気を取り直したところで」


「そういや姉貴さ、タバコは? いっつも四六時中吸ってたじゃん」
「あぁ、止めた。それで今はこっちにお世話になってる最中だよ」
「あー、タバコっぽいやつ………なんていうんだっけ、そーいうのって」
「ん? 禁煙補助剤?」
「いや、そーいう事じゃなくて――まあいいや。それにしても姉貴がねぇ~。料理始めたり禁煙してみたりさ、なんかあったの?」
「別に? どっちもお嫁入りの準備って事でふと思い立っただけだよ」
「あららぁ~? 健気だねぇ。帰りをじっと待ってる事もそうだけどさ、姉貴ってあの人が絡むと急に女らしくなるよね~」
「そう? 自覚は全然ないんだけど」
「猫被ってもすぐばれちゃうよ? 一緒に暮らし始めるとさぁ」
「う~ん、そんなんじゃないんだけど……もしかしてそれ、体験談だったり?」
「ぎっくー」


「はい………あ、こ、孝一くん………?」
「ああいえ、僕は」
「ご、ごめんね」
「え? あの」
「本当にごめんなさい!」
「あ、おい喜坂? ……なんだアイツ。引っ込んじまいやがった」
「…………な、何がどうなってるんでしょうか?」
「いや、オレにもさっぱり………お」
「ご、ごめんなさい。孝一くんじゃなくて、椛さんと一緒にいた人ですよね? えっと、お名前は確か……」
「初めまして――いや、入口で会ったんですよね。僕は月見孝治といいます」
「し………えっと、わたしは喜坂栞です」
「えー、実は僕、この度椛さんと結婚させて戴きまして。夫婦ともども、宜しくお願いします」
「え!? わわ、びっくりしたぁ。椛さんが………おめでとうございます!」
「ありがとうございます。それで、実家で作ったパンを持ってきたんですけどいかがですか?」
「あ、ありがとうございます。どれでもいいんですか?」
「どれでも何個でもどうぞ。在庫一層セールなもんで。あ、もちろんタダですよ?」
「オレもさっきもらったんだけどよ、めちゃくちゃ美味かったぞ。なにせ孝治サン、パン屋やってるそーだからな」
「へぇ、そうなんですか! じゃあ……これとこれとこれ、いただきますね」
「はい。どうぞどうぞ」
「ところでよ、喜坂」
「なに?」
「よくこの人が孝一じゃないって気付いたな。どっか見分けられる箇所とかあんのか?」
「え、いや、だって服が違うし」
「おお、なるほど。も一つところでよ、喜坂」
「なに?」
「成美は二つだったぞ。パン」
「…………!」
「あ、いえいえどうかそんなお気になさらずに。こちらとしてもできればたくさん食べていただきたいですから」


「で、何がどうばれたの? お姉さんに正直に言っちゃいなよ」
「りょ………料理以外の家事がてんで駄目なところが、あっという間に……」
「いや、よくそこで猫被る気になったね。どう考えてもすぐにばれるじゃん」
「だって孝治がさぁ、『家庭的な女の子っていいよねー』とか言うからさぁ~」
「………それってさ、自分の好みの話じゃなくてあんたへの皮肉なんじゃないの?」
「やっぱそうだったのかなぁ~。こういうのって普段の振舞いでばれちゃうもんなのかなぁ~」
「今はどうなのさ? お義母さんにまかせっきりなんて事ないよね?」
「パン作りよりも先にそっち頑張ったさぁ! もう滅茶苦茶恥ずかしかったんだからさぁ!」
「よしよしどうどう。頑張った頑張った」
「姉貴みたいに嫁入り前に準備しとけばよかったよ……」


 足が痛い。腕も痛い。トイレに行っただけでいっぱいいっぱい。そんな僕はまたしても、床に寝転んでいるのでした。
「腹筋背筋なら、まだ……」
 言った直後に馬鹿らしくなったのでさっさと諦め、ついでにごろりと寝返りを打つ。
「…………」
 ごろり。
「…………」
 ごろり。
 ……どうやら僕は楽しいらしい。そのままごろごろ転がり続け、ついには壁にぶつかってようやくストップ。「このまま逆回転で引き返そうかなー」と思ったその時、チャイムが鳴った。まさか栞さんじゃないだろうし、誰だろう?
 部屋の出入口まで転がってから立ち上がり、そこからは歩きでほぼ台所と一体化してると言ってもいい玄関へ。言うまでもない事だけど、足はガクガク。更に言うまでもない事だけど、実はドアの向こうにいるのが栞さんだったりしないだろうかと淡い期待も抱きつつ。
「はーい」
「あ、さっきはどうもー」
「おお……二人並ぶとまたスゲエな……」
 がっかり。
 と首を垂らした所、孝治さんの胸元には何やら口を紐で絞るタイプのリュックが。随分な大きさですけど、これからお出かけですか? あ、もしかして家守さんがまた遊びに行きたいとか言い出したんですか?
 すると孝治さん、その場でリュックの口を開け出す。その開いた先から大層魅惑的な香りが! いや、ちゃんと一個ずつ包装されてるから実際は匂いなんてしないんだけど、見るからに香ってくると言うかそんな小麦色なパンの群れ。
「これ、僕の実家で作ったパンなんです。宜しければいくつかいかがですか?」
 実家で作ったパン。しかし、ただのお菓子作りのレベルでないのは一目瞭然。
 まずはその形。ただ単に焼いてプックリ膨らんでいるだけではなく、伸ばしたり捻ったりロールさせてみたりとついつい手を伸ばしたくなるような工夫が凝らされている。ただ作ろうと思っただけの素人が、捻り三日月のクロワッサンなど量産できるであろうか? いや、それは無理であろう。しかし、パンの群れからは確かにその捻り三日月が二つ、その手の込んだ造形をあらわにしているのだ。
 次にその焼き加減。先程リュックの口から覗いたパンを見た際に、包装されているにも関わらずまるで香ばしさが伝わってくるように感じたのは、パンの形よりもこの焼き加減によって生じた小麦色によるところが大きい。もちろん一言に小麦色と言ってもパンの種類によって、更には同じパンでも一部分毎にその濃さは様々だ。しかしそれは気をつけて細かいところまで見ての話。結局パンの集まり全体を見れば、その色は小麦色一色だ。しかしその一色があまりにも見事に食欲をそそるものだから、ついつい見とれて………
「あの、日向くん?」
「はっ! あ、すいませんあまりにも見事なパンだったのでつい……」
 「いくつかいかがですか?」とリュックの口を差し出されてからどのくらい眺めていただろうか? 少なくとも、会話が途切れてしまう程度にはこうしてトリップしていたらしい。
「ほー、さすがはウチ唯一の料理人だな。食う前からそういうの分かっちまうのか」
 珍しく大吾が感心した様子。
 いやぁ~、そんな褒められるほどの事もないと思うけど。……実際、今のじゃただのパンマニアの変人だし。大吾だけならまだしも、孝治さんを前にしてなのでちょっと恥ずかしかった。いやまあ別に僕はパンマニアじゃないけどさ、さっきまでそんなに食欲なかった筈なのに今無性にパンが食べたい気分になってるほど美味しそうなんだもの。ところでクリームパンはありますか?
 気持ちが体より随分先走りながらも好きなパンを注文しようとしたところ、それよりも前に孝治さんのほうから話し掛けてきた。大吾と同じく感心した様子で。
「日向くん、料理が得意なんですか? 凄いなあ、僕なんてパン以外はまるで駄目なんですよ。あ、僕の家、手作りのパン屋やってましてね」
 ああ、やっぱり。あのレベルのパンだったら一個一個の包装じゃなくてスーパーのビニール袋に詰められてたとしても、作った人がただ者じゃないのは分かりそうですよね。
「いえ、まだまだそんな人に感心されるほどじゃあないですよ。孝治さんのパンとは違って、趣味の範疇でやってる事ですし」
「そうか? たまに集まって食ってる時もみんなから評判いいじゃねーか。オレも好きだぜ? オマエの料理」
「あ、いや……」
 それはありがたい事にそうなんだけどさ大吾、時と場合によってはこういう言い回しも必要だったりするんだよ。僕の料理をストレートに好きだと言ってくれるのはもうこの場でお礼が言いたいくらい嬉しいんだけどさ、別にいるでしょその台詞を言う相手は。そっちにストレートになってあげようよ。
 すると孝治さん。
「頬が緩んでますよ日向くん。やっぱり嬉しいですよね、自分が作った物を美味しいと言ってもらえるのは」
 ああ、孝治さんもそうなんですか。さすがにこれだけ似てるだけあって意見も一致しそうですね。プロのパンでも一般人の料理でも、仕事でも趣味でも、食べ物作りの根本は同じなんですね。なんかもう、料理やっててよかったなあ。
「………孝一と孝治サンってなんつーか、似てるって言うより殆ど同じなんだな。マジでスゲーわ。服さえ同じだったら一日くらい入れ替わってても気付けねーかもしれねえな」
 む。それはそれで少し寂しいような気も。
「うーん、それでもし椛さんに気付かれなかったら新婚の身としてはショックだなあ」
 そしてここでも一致する意見。問題無く気付かれなさそうだった。
「ワンッ!」
 自分という個としての存在価値が揺るぎそうになったその時、裏庭のほうから犬の吼える声が響いてきた。その声の主はジョンだったけど、お世話係が気にかけたのはどうやらもう一方のほうなようで。
「あ、やっべえ。さっさと行かねえとマンデーにぐちゃぐちゃ言われちまうな」
 月曜日の散歩はジョンとマンデーさんが二人きりで行くから、本日の大吾の仕事はお二人の毛繕いだけ。そしてどうやらそれを忘れていたようで。


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