(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十四章 親と子 六

2008-05-09 21:02:33 | 新転地はお化け屋敷
「成美さん、今日は飛ばしますねえ。うーん、来て良かったな、あたし」
「そう言われると少しやり過ぎたような気がしないでもないな。……うう、段々恥ずかしくなってきたぞ」
 珍しく庄子ちゃんが成美さんを責めるような物言いをし、言われた成美さんは途端に落ち着きを無くしてもぞもぞと蠢く。どうやら大吾の腕から脱出したいようだったけど、「やり過ぎの道連れだ」と大吾が離そうとしない。
 あらあら。
「うむぅ。まあ、無理に離れるほど嫌だというわけでもないのだが……」
 というわけで、結局現状維持のままです。これじゃあ殆ど羞恥プレイですが。
「ん? 今、何がどうなりましたか?」
「成美ちゃんが大吾くんから離れようとして、でも大吾くんが離してくれなくて、それで成美ちゃんが諦めちゃったところだよ」
 笑顔のまま首を僅かに傾け、非常に楽しそうに説明する栞さん。それを聞いた庄子ちゃんは、大吾にだけ向ける種類の表情を、やっぱり大吾に向けました。
「ほへー。兄ちゃん、粘着質だねえ」
「うっせえ。てか、粘着質って何だそりゃ」
「見たまんまだよ。見えてないけど」
「開き直ってんだよほっとけ」
「けだもの」
「クソガキ」
「なんだと! ……っと、成美さんに当たっちゃったら大変だから止めとこう」
 すっくと立ち上がり、片足を上げた姿勢で、目の前にいるのは大吾だけではないと気付いた庄子ちゃん。そのまま振り抜いていたら兄の肩口を捉えていたであろう半ズボンから飛び出す右のおみ足は、ゆるゆると名残惜しそうに直立時のポジションへ。
「おお、そうか。こうしてりゃオマエに殴られたりしなくて済むわけだ」
「人を盾代わりに使うな馬鹿者が」
「おぶっ!」
 成美さんの裏肘が、大吾にクリーンヒットしました。


「へー。アタシが独り寂しくカップヌードル食べてる間にそんな面白そうな話がねえ」
「そんな、唇とんがらせなくてもいいじゃないですか家守さん。って言うか本当にカップヌードルだったんですか」
「も、もう晩ご飯なんですから……」
「だってえー。せっかく今日はお仕事パスしてたんだしー。集まるんだったら声掛けてくれてもいいんじゃなあいー? っていうねー」
「集まるのはいつもの事なんですから、混ざりたいなら来てくれれば良かったじゃないですか」
「そうは言うけどさこーちゃん、やっぱアタシって年が一回りほど上だからさあ。大人気無いって言うの? だから、ねえ?」
「……家守さん、なんだかいつもとキャラが違いませんか?」
「だって冗談だし」
「……………」
「あはは、アタシが『大人気無い』とか今更でしょ? 自分でもそのくらいは分かってるからさ。――では、改めて。今日の献立はせーさんの大好物ですか」
「え、そうなんですか? 全然知らなかったです」
「実はそうらしいんだよしぃちゃん。何でも好きそうなせーさんでも、やっぱり特別好きなものってあるんだねえ」
「明美さんと清明くんもそうですよね」
「お、そりゃそうだ。盲点だったねえ。いいところに気が付いたねしぃちゃん」
「それよりも、冷める前に食べ始めませんか?」
「ふふ。孝一くん、お昼の事引きずってる?」
「そこそこには。作ったからには美味しく食べてもらいたいですしね。――それでは」
『いただきます』


『ごちそうさまでした』
 大きめのものが二つ、小さめなものが四つ、そしてその中間の大きさのものが三つ。同じ量の肉からそれぞれ作ったハンバーグは、そんな感じで個性が表れていたのでした。
「いやでも正直なところ、本当にアタシも混ざりたかったなあ。お昼の話」
 大きなハンバーグを二つ平らげた人が言う。
「お人形みたいに抱っこされてる成美ちゃん、すっごい可愛かったですよ」
 小さなハンバーグを四つ食べた人が言う。
「そこが重要なんですか」
 中くらいのハンバーグを三つ味わった僕が言う。まあ、結局食べた総量は同じなんですけどね。
 あ、そうそう。ちょっと心配だった焼き崩れもなく、今回はみんな大成功でした。特にハンバーグ四つの人とか。
「あー、でもなあ。アタシがその場にいたらだいちゃん、恥ずかしがって成美ちゃんを抱っこしなかったんだろうなあ」
「恥ずかしがってって言うか、家守さんが虐めるからだと思いますよ」
 天井を見上げて遠い目をする意地悪管理人さんに、苦言を呈してみる。「その場にいたら」という仮定の話なのに、「虐めるから」という確定的な言い方になるのはちょっと変かもしれない。けど、これが正解なんだから仕方が無いのです。
「そりゃそうだ。――あ、でも庄子ちゃんは? アタシじゃないにしても、お兄ちゃんがそんな暴挙に出たらそれなりに突っ込み入れそうなもんだけど」
「成美ちゃんが嬉しそうだったからだと思うんですけど、庄子ちゃんも嬉しそうでしたよ。『良かった』って」
「へえ、そりゃまた。結局だいちゃんはモテモテだったわけだ」
 片方は実の妹ですよ? と突っ込もうとしたけど、間違いでもなさそうなので開きかけた口を閉じておく。――と言って閉じたままにしておくのもなんだか間が悪いので、ならばと別の話題を探してみたところ、
「あ」
「ん? 孝一くん、どうかした?」
 思いつきました。話題。……ああ、でもなあ。あの時のみんなの反応を考えると、なんとなーく訊かないほうがいいのかなあ、なんて。
「こーちゃん?」
 でも「あ」とか言っちゃったしなあ。栞さんも家守さんも反応しちゃってるしなあ。誤魔化そうにも他の話題思いつかないし、うう、訊いちゃっても大丈夫かなあ。
「えっと、ですね」
 時間稼ぎにどうでもいい一言だけを口にしてみても、状況は好転せず。むしろ二人に「さあ話しだすぞ」という心構えを植え付けてしまったようで、無言の視線が痛いです。
 もう、言うっきゃないかあ。
「えーと、昼の話の途中であった事なんですけど……」

 そんなこんなで、あの時の事をしどろもどろながらも伝えてみました。大吾が何か言おうとして、庄子ちゃんに変態と罵られ殴られて、「そういう意味じゃない」と返しながらもじゃあどういう意味なんだとまでは結局説明しなかったあの時の事を。家守さんに話す時には飛ばされていた、あの時の事を。
「あー、なるほど。そりゃその話にもなるかぁ」
 すると家守さん、そんな事を言いながら困った表情。そして栞さんもそれに同じく。分かってはいたけど、やっぱり宜しくない内容の話なようで。
「えーと、言い辛そうだったら無理してまで訊こうとは思ってませんから」
 その場では無かった事にされ、時間と場所と相手を移してみてもこんな様子じゃあ、そんな台詞も言いたくなる。そりゃ本当は聞きたいんですけどね。
「楓さん」
「ん?」
 するとそこで、栞さんが動いた。唐突に立ち上がり、家守さんを呼び、そして、
「部屋に戻ります。色々な意味でくしゃくしゃになっちゃいそうですし」
「それは、教えてあげてもいいって事? こーちゃんに」
「はい」
「分かった。引き受けたよ」
「ありがとうございます。……ごめんなさい」
 最初からそう話し合う予定でもあったかのように滞りも無く相談を進め、最後にどうしてだか頭を下げた栞さんは、自分が使った食器をカチャカチャと重ね始める。そして「いやいや、謝らなくてもそれが普通だと思うよ」という家守さんの言葉に一度振り返った後は、すたすたとやや早足に台所へ。そしてそのまま、
「お邪魔しました」
 ドアの開閉音とともに。
「……あの……」
 止める暇すらなかった、という言い訳じみた言葉が頭に浮かぶ。早足だったとは言え歩いて、しかもわざわざ食器を台所に運んで、それからドアを開けて出て行ったんだから、止める暇はいくらでもあった。だけど僕は、
「それじゃこーちゃん、話すよ?」
 話を聞きたかったから。
「……ありがとうございます」
 ごめんなさいも付け加えるべきだろうか。たった今の栞さんみたいに。
「回りくどく言っても仕方ないから、一言で言っちゃうよ?」
「はい」
 一度、深呼吸。
「――どうぞ」
「幽霊は、子どもが作れないの」


「なあ、怒橋」
「なんだ?」
「結局庄子には言ったのか? 昼に言わなかったあの話」
「ああ、言った。つーか、別れ際に訊かれた」
「そうか。……反応はどうだった?」
「もうちょいで泣く寸前だったな。それと、思いっきり謝られた」
「……そうか。わたしは――なんだ、経験があるからそれほどでもないが、お前や喜坂はやはり、辛いのだろうな」
「いや、少なくともオレはそんなでもねえな。だからっつってベラベラ喋るような事じゃねえっつうのは、そりゃやっぱ、あるけどよ」
「そうなのか? 悪い事ではないが、なんと言うか……意外だな」
「だってオマエ、実感ねえよんなもん。自分の子ども欲しいとか、んな大層な話考えた事ねえし――ってぇ! 何言ってんだオレ!」
「……あ。や、すまん怒橋。これはその、誘導しただとかそういう意図はないからな?」
「あ、あってたまるかっての!」


「……………」
「驚いた? やっぱり」
 こくり、と首だけで肯定する。声は出なかった。
 正直な話、頭のどこかで気付いていたような気もした。だけど面と向かって実際に知らされてしまった今となっては、どっちでも同じだ。
 僕は今、驚いている。どのくらい驚いているのかが自分でも分からないくらい、驚いている。という事は多分、その驚きようは相当なものなんだと思う。
「『無から有は作れない』ってやつなんだろうね」
 家守さんが言う。
「身も蓋もない言い方すると、幽霊って死んじゃってるわけだからさ。それってつまり、命がないって事なんだよね」
 命がない。
 だから、新しい命が作り出せない。
 ――と、いう事なんだろう。普通の人達となんら変わりなく生活していると言うのに「命がない」というのも妙な話だけど、それでも幽霊というのはそういうものだから。意識から抜け落ちる事がある――と言うか抜け落ちっ放しだけど、本当に一度、死んでしまっているから。
 だから僕は、納得せざるを得ない。栞さんに、みんなに、命がないという事を。
「こーちゃん」
「はい」
「常に意識してなさい、とまでは言わないけど、分かっててあげてね。アタシ達とはやっぱり違うところがあるんだって」
 こういう事を柔らかい口調で、微笑みさえしながら話せる家守さんは、
「……はい」
 多分――と言うか確実に、何度も何度も、「こういう場面」に遭遇しているんだろう。もちろん場数の問題だけじゃなくて、家守さんの人柄もあるんだろうけど。
 ……正直、嫉妬すらしますよ。
「栞さんに、悪い事しましたかね」
 僕がもっと、家守さんみたいにしっかりしてれば、栞さんに嫌な思いさせる事も減らせるでしょうに。最近は減ってきたけど二人でいるだけで泣き出すとか、今みたいに部屋を出て行ってしまうとか。
「ん? ――あはは、しぃちゃんが出て行っちゃった事? それなら別に気にするほどの事じゃないと思うよ?」
「え? でも」
「辛い話だっていうのも全く無いわけじゃないだろうけどさ、それ以上にほら、何て言うかなー」
 こっちの言葉を遮って説明を始める家守さんはしかし、半分楽しく半分困ったような表情で、天井へ向けた人差し指にくるくると円運動をさせる。どうやら適切な言葉を探しているらしい。
 そしてその人差し指がぱたと円運動を止めると、
「子どもがどうたらの話を、今現在付き合ってる男の人とするのはねぇ。まあこーちゃん大学生だし、年齢的にはギリギリオッケーな話題なんだろうけどさ」
「……あっ、そ、そうですね」
 クリティカルにこちらの余裕の無さを浮き彫りにされたのでした。変に深刻ぶって何やってんの? ってなもんですよああ恥ずかしい。
 すると家守さん、ここでぱっと何かを思いついたような顔になり、「あ」と小さく呟いた。
「言わずにおいてたら、悪い事したって勘違いしたまましぃちゃんに謝りに行くこーちゃんが見れたかも? うわー、もったいない事したなぁ」
「か、勘弁してくださいよ」
 行動を読まれていた。完全に。しかし家守さん、「でもま、それはそれとして」と話題を切り替えてきたので、これ以上弄り倒される心配はなさそうだ。ふぅ。
「もしこーちゃんがこれからずっとしぃちゃんとお付き合いするつもりなら、いつかちゃんと考えなきゃならない事だしね。真剣になれるって分かっただけでも良しとしておくよ」
「はあ」
 生返事。先の事なんて全然考えた事なかったしなあ。
 そりゃまあ、場所がここだから、今は何の問題も無く付き合ってられるんだろう。子どもどうたらの話だけじゃなく、色々な面で。
「今はもうひったすらイチャイチャしてあげてね。本当に困った時に険悪になっちゃうか、それとも一緒に頑張れるかは、やっぱり二人がどれだけ親密かによると思うからさ」
 そんな真顔でイチャイチャって言い方はどうかと思いますけど。どうせだったらいつもみたいに意地悪な顔で言ってくれたほうがまだ答えやすいですよ。
 ――とは思ったけど、それについての返答はどっちにしろ同じわけで。
「えっと……それについては、今のところそれなりに自信がありますと言うか」
「キシシ、そっかそっか。お昼のだいちゃんとなっちゃんに負けないくらいには、頑張ってね」
 それはにさすがに負けるような気がしますが。人前で抱きつけるようにまでならなきゃ駄目ですか?
「じゃあアタシはそろそろ。この後しぃちゃん呼んでヨロシクするのも、明日からのお楽しみにしとくのも、どうぞご自由にね」
 言い、立ち上がり、栞さんと同じように食器を重ねて持ち上げ、台所へ歩みだす家守さん。僕はそのお見送りと、ついでに自分が使った食器を同じく台所へ運ぶため、その長い後ろ髪のあとをぺたぺたとついて行く。
「そいじゃあ明日から学業のほうも、頑張ってね」
「も、ですか?」
 尋ねたところ家守さんがちょいちょいと指を差すのは、台所の奥。そこにあるのはトイレと、その隣に風呂場なんですけど何でしょう。
「お隣さん」
 その更に向こう側でした。
「何なら今日中に頑張ってくれてもいいんだけどね」
 そう言って、反論は受け付けないとでも言いたげに手をひらひら。最後に「ばははーい」と付け加えて、結局本当に何も言わせないまま家守さんは去っていきました。
 ――うーむ、今日中……と言われても、この時間に一度帰った人を呼び戻すっていうのはなんだか非常識な感じもするし間も悪い。


 というわけでさっさと「今日中」を諦めた僕は、何をするでもなく就寝準備。毎日わざわざ畳んで押入れに入れる必要もないのではないだろうか、とここへ越してくる前のベッドを思い起こさないでもない平らな布団を床に敷く。ぽふんと音。
 うーむ、無意味に二段ベッドじゃなきゃ持ってきたんだけどなあ。ベッド兼物置としては大活躍だったんだけど。
 なんて以前の家をちょっぴり懐かしんでいると、
 こんこん。
 ――と、どこからか音。見ればそこはどう見ても壁。察するに、薄壁一枚向こう側と言ったところ。鼠でも走ってるのかな?
 しかし、またもこんこん。移動はしてないようで、だったら鼠がその場で足踏みを?
「孝一くん」
 おや、鼠が鳴いた。栞さんの声のような気もしたけど、まさか壁の中にいるはずもないしねえ。
「寝ちゃった?」
「起きてますけど」
 鼠と会話してみました。明確に日本語だという事は、サンデー達みたいな幽霊さんなのかもしれない。
「あ、良かった。でも……うーん、どうしようかな」
「……あの、ここってそこまで壁薄かったですっけ? 栞さん」
 鼠なわけねーだろって事で。
「ん? あ――ううん、そんな事ないと思うよ。今栞ね、一番そっち側の壁まで顔埋まってるから」
「何やってるんですか一体全体」
 想像するに、お隣の部屋ではシュールな光景が展開されてる真っ最中だと思うんですが。
「えっと、お話したいなって。でももうこんな時間だし、そっちに行くのも悪いから」
 そりゃまあ、僕もそんな事考えましたけど。と言うか、「壁抜け禁止」のルールは……こっちに入ってきてないからギリギリオッケーって事なんでしょうか。まあ、僕としてはそのまま壁を抜けて入ってきてもらっても結構なんですけどね。
 でもそれはそれとして、今のこの状況。壁です。
「だからって壁と話するのもなんだか、気が滅入りますよ」
 これだったら鏡と喋ってるほうがまだ……いや、それはそれで気持ち悪いかな。僕が一方的に。
「だ、だよね。こっちも真っ暗だし。だからどうしようかなって」
 はて、どうしたものか。半分破ってるようなものだけど栞さんは一応ルールを守るつもりだろうし、だからって玄関から堂々と招き入れるのは体裁的に駄目。どっちについても「気にするな」と言われれば、そりゃそうなんですけど。
 うーん、壁と玄関が駄目となると? 部屋の入口と周囲が駄目――そうだ、出口。
「ベランダに出るとか?」
「あ、それいいね」
 言ったは良いものの、寒そうな気が。夜であるのは当然の事、それに加えて寝巻きですし。


「寒っ」
 やっぱり。
「だ、大丈夫? 無理してもらわなくてもいいよ?」
「大丈夫です――けど、取り敢えず上着取ってきます。……栞さんは?」
「幽霊は暑さ寒さに強いんだよー」
 と、へっちゃらそうに腕を広げてみせる、薄ピンクの寝巻な栞さん。その頭にいつもの赤いカチューシャはなく、窓から差す明かりで照らし出されるのは鮮やかな茶色の髪の一色のみ。
 そうそう。すっかり忘れてたけど、こんなところでも幽霊とそうじゃない人には差があるんだった。
 ――というわけで、どうにも着心地が落ち着かないけど、寝巻の上からトレーナーを着込んで再度ベランダ。植木の一つでも置いてあればもうちょっと見栄えもあるんだろうけど、この204号室のベランダには現在、何も無い。その事が体感温度の低さに拍車を掛けているような、そうでないような。
「ありがとう、出てきてくれて」
「まあ、僕も話をしたいと思ってましたふぃ」
 寒さのせいか、ちょっと噛む。栞さん、ちょっと笑う。
「ふふっ。それで、どうだった? 楓さんから話聞いて」
 何の話かは、尋ねるまでも無い。こっちだってそれについての話がしたかったわけだし。
「うーん……まあ、まずはやっぱり、びっくりしましたよね。そりゃ」
「だろうね。誰でもそうだと思うよ」
「でも――なんて言うか、ピンと来てない部分もあるんですよね。まだまだ自分には関係無い話と言うか、対岸の火事と言うか」
 そりゃそうだ。「幽霊には子どもができない」と言われたって、そもそも子どもを欲しいと思った事が皆無だし、更に言うなら僕は幽霊じゃないし。……まあ、後者はその、今目の前にいる恋人の事を考えると無意味ですけどね。むしろ無意識的にその恋人を思い描いてしまうのを、誤魔化そうとしていると言うか。
 すると、栞さんの表情にちょっとだけ陰りが。これもまた、そりゃそうだ。僕は「自分には関係無い話」と言い放ったのだから。
「先に言っておきますが、今のは僕が子どもをどうのこうのと思った事が無いって意味で、ですからね」
 僕が、の部分をかなり強調して、言葉をぶつける。栞さんの口からその曇った表情に見合った言葉が放たれるのを、防ぐために。
「そ、それもそうだよね。栞だってそんなには――楓さんからその事を教えてもらった時以外は、あんまり気にした事って無かったし」
 各部屋それぞれのベランダは、僅かばかりではあるけど離れている。手擦りさえなければ一歩で悠々と跨げるその隙間の向こうで、そうは言いながらも表情は晴れない栞さん。
「でも……やっぱりちょっと、落ち込んじゃうかも。今は」
「……僕は、どこまでも栞さんを困らせてるんですねえ」
 落ち込む理由を、『今は』が何を指しているのかを、栞さんはまだ言っていない。だけど僕はそれを勝手に判断し、勝手に自分の事だと解釈し、勝手におセンチになり始めた。勝手に、独りでに。
「もちろんその、今すぐどうこうってわけじゃないよ? でもね、ずっとずっと先の事を考えたら、気にしないわけにもいかないから」
 勝手な僕の考えを、栞さんは否定しない。つまりは合っていたという事なんだろう。
「だったら今訊いてみます? そのずっとずっと先とやらに、僕がどう答えるか」
「ううん、止めとくよ。だってそれは結局『今』どう思ってるか、の話になっちゃうもん」
 そりゃまあ、もちろんその通り。なんせ今は「子どもをどうのこうのと思った事が無い」んだから、どうのこうの思った時の事なんて完全に想定できる筈も無い。
 栞さんは、にっこりと微笑んで続ける。
「だったら、訊かなくても分かってるから。分かってるのに言わせちゃうのは、ただの甘えたがりさんだしね」
「それはそれで魅力的ではあるんですけどねえ」
 それでも。僕が今どう思っているかという話であっても、栞さんが今抱えている不安を取り除く材料くらいにはなるはずだ。だったらそれは、甘えたがりなんてものではないと思うんだけど……恐らく栞さんは、それを良しとしていないんだろう。僕を頼る――栞さんの立場で考えるなら、事ある毎に、とでも頭に付けたほうが正しいのかもしれない――という事を。
 もちろん僕はそんな事を気にしたりはしないけど、確かに逆の立場なら、できる限りは避けたくなるのかもしれない。
「前にも、こんな話したっけなあ」
「え、なんて?」
「いえいえなんでも」
 繰り返すつもりはないので誤魔化しておく。夜中の屋外で大声出す羽目になるのも勘弁だしね。
「それより栞さん、前はその格好で出てきた時、慌てて引っ込んでましたよね?」
 誤魔化しついでの話題転換。目線を顔から下へ落とし、薄ピンクの寝巻をまじまじと眺めてみる。結果、「え?」と胸元を見下ろす栞さんは「あ」と小さく呟いた。
「いやでも、その……こ、孝一くんだけだったら、見られてもいいかなって――って言うか、今孝一くんに言われるまで全然気にしてなかったよ」
「それで、気にしちゃった今はどうなんですか?」
 すると栞さん、ぴっと胸を張って腰に手を当て、威張るように言う。
「大丈夫、恥ずかしくない。と思う」
 胸を張った割に、胸を張り切れていないと言うか。
 こういうある種の滑稽さがこの人の魅力なんだろうなあ、と現在の彼氏としては思うわけです。滑稽、なんて口にしたら怒られそうですけど。
「まあ、こっちからすれば普段着とあんまり変わってないんですけどね。同じような色ですし」
「そう? ……うーん。ホッとすればいいのか、それとも怒って何か言い返せばいいのか、微妙なところだなあ」
 普段着と変わらないというのはつまり可愛いという事なんですけど(そりゃあスカートじゃないとかノースリーブじゃないとか色々違いはありますし)、どうやら怒られるような言い方だったようで。うーむ、難しい。
「まあ、いいや。ねえ孝一くん、小さい子どもって好き?」
 え。
「えっと、それって」
「好きかどうかってだけ。それ以上深くは考えてもらわなくていいよ」
「……好き、ですね。どっちかって言うと」
「そっか。栞も好きだよ、小さい子ども。可愛いよね」
 そう言って、栞さんは微笑む。いつも楽しい時にそうするように。でも、他意がないならこのタイミングでその質問はしないだろう。と言うより、今回このベランダに出てきたのはそもそもその辺りの話をするためだったんだろうし。


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