(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十六章 蛇の道 四

2009-05-26 20:44:04 | 新転地はお化け屋敷
「あれ?」
 ジョンが清明くんの足元へ歩み寄り、するとそれを目で追う僕の視線も下方へ向けることになるのですが、そこである発見を。
「清明くん、ズボンの裾、それ濡れてない?」
「あっ、えっと、はい」
 隠そうとしていた様子もなかったのですが、しかし「見られてしまった」と言わんばかりな慌て混じりの笑顔。そういえば、僕もペットショップに向かってる途中で――ああ、さすがにもう乾いてるか。
「どうしたの? それ」
 改めて確認してはみたものの、自分のことなどどうでもいいこと。なので、清明くんのほうのズボンの裾について質問してみる。
「水溜りがある所でちょうど車が横を通って、その時に」
「こんな狭い道で水跳ねさせるようなスピード出すなってんだよねえ?」
 恥ずかしそうにしている清明くんに対し、庄子ちゃんは車の運転手に対する不満を隠しませんでした。もともと眉が釣り上がり気味な彼女ですが、それを考えても確実に怒っています。
 そんな庄子ちゃんに言葉を返すことはなく、清明くんはやや苦めに微笑みかけるだけでした。そして僕のほうを向くと、
「それであの、その時にジョンくんもちょっと濡れちゃったんで、部屋に戻ったら拭いてあげてください」
 言われてジョンの体を見てみれば、お腹の辺りの毛が水を吸ってぺたりとしていました。その一部分だけとは言え、大吾に手入れされたばかりのフカフカ感が台無しです。
「うん、分かった。散歩のおかげで機嫌も良さそうだし、拭くついでにちょっとじゃれ合ってみようかな」
 と言っても部屋に戻ればみんなが勢揃いなので、あんまり童心に返り過ぎるわけにもいかないのですが。犬に抱き付く大学生の男ってのは、それが一人でならともかく、人前ではちょっとアレな様な気が致します。
 ――というまさにそんな場面を想像したのか、にこりと微笑む清明くん。
「怒橋さんは、ここに寄るんですよね? じゃああの、僕はここで」
「うん。ばいばい楽くん、またいつでも呼んでね。学校でも、会う機会があったら」
「またね、清明くん。お母さんにもよろしく」
「ワンッ!」
 せっかく遊びに来てもらったのに玄関まででお別れ、というのも寂しいような気はするけど、事情があってそうせざるを得ないんだから、そこは割り切るべきだろう。
 この場の全員がそう考えたのか、それともそんなことをわざわざ気にしたのが僕だけなのか、別れ際の挨拶からは、既に次の機会への期待が感じられるのでした。
 清明くんが立ち去り、ならば僕達が次に向かうべきは102号室だ、と思ったら。
「あの、日向さん」
 立ち止まったままの庄子ちゃんから声を掛けられました。
「ん?」
「さっきの車の水跳ねのことなんですけど、清明くん、後ろから車が来てるって気付いてたんです。でも水を避けようとはしなくて、逆にジョンの横についたんです。道路の内側に」
 言われて、その場面を頭に描いてみる。ジョンの横というのがどういう位置なのかははっきりとしないけど、道路の中側、そして話の進み方から察するに――
「ジョンをその水跳ねから庇ったってこと?」
「それでもちょっと掛かっちゃいましたけどね、ジョン」
 肯定するよりも前に、嫌味っぽくそう返してくる庄子ちゃんなのでした。
 ただし、その表情はにこにこと。
「あたしは気付くのが遅れちゃって。でも一番外側を歩いてたから、濡れずに済んだんですけどね。――うーん、ああいうことが起こるかもって初めから気付けてたら、一番内側歩いてたんですけどねえ」
 そうなってたらそうなってたで、清明くんが後味の悪い思いをする羽目になってたような、という気がしないでもないです。なんせ自分が濡れるのを防ぐよりもジョンを庇ったような男の子なのですから。
 それに、
「庄子ちゃんの格好で足元が濡れるよりは、清明くんのほうが良かったと思うけどなあ」
「あー、そうかもしれないですけど……」
 長ズボンだった清明くん。対して庄子ちゃん、ズボンではありますが、裾の丈が短いです。もちろん家守さんほどではありませんが、いわゆる半ズボンというやつです。となればその足首は、脛くらいの高さまでなら靴下があるとは言え、晒されているも同然。濡れるとあれです、きっと冷たいです。
「でも所詮は水に濡れるってだけのことですし」
 なんと男らしい。
 そしてその男らしい庄子ちゃん、人差し指を立ててわざとらしい「得意げっぽさ」を作り、そして語ります。
「それに、こういうことは被害の程度の問題じゃないですよ。気遣いの問題ですよ。多分」
 やや自身が不足していたようです。
「そうまで言うならじゃあ、ジョンへの気遣いを見せられた側としての気分はどう?」
「えっ」
 背筋がびくり、そして立てた人差し指もびくり。
「そりゃまああの、そういう訊かれ方されたら――決まってるようなものじゃないですか、答えなんて」
 だよねえ。
「ワフッ」
 ねえ、ジョン。ちょっと濡れちゃったけど。
 さてさて、話が終わったところでいよいよ102号室へ庄子ちゃんを迎え入れるわけですが。
「今回、二つほどサプライズがあります。庄子ちゃん向けに」
「二つもですか」
「二つもです。でもまあ、入ってからのお楽しみということで」
「ですか」
「です」
 そんな前置きを挟んで、一名様ご案内。人数に起因する窮屈っぽさは気にしないでくださいお客様。気にするほどのご新規さんというわけでもないですけど。
『いらっしゃーい』
 みんなの前に庄子ちゃんを通すと、複数の声が歓迎。なんせ人数が人数なんで、ちょっとしたパーティーかのような雰囲気です。しかし繰り返しになりますが、庄子ちゃんにとってそれはいつものお出迎えで――
「…………」
 と思ったら、面食らったかのように立ち尽くしていました。首から上だけを動かして、大人数が適当にくつろいでいる部屋内を見渡して、
「すごい、みんな纏めて見える」
 それは、殆ど呟きに近い一言でした。もしかしたら傍に立っていた僕とジョンにしか聞こえてないんじゃないかというくらい、小さな小さな感激の声。
 大吾と成美さんについては、昨日の内に「見て」いる庄子ちゃん。それでもやっぱり、全員が勢揃いというこの場面には、思うところがあるんでしょう。
 そう、この部屋は今、とても窮屈なのです。そして窮屈さを作り上げている一人一人が、目を輝かせているお客様に微笑みかけています。照れているのはその兄だけです。
 しかし、
「……あれ? ナタリーはどこですか?」
 そう、体が細長いのであまり窮屈さの上昇には貢献しないであろうナタリーさんだけ、今ここには不在なのです。――ふむ、こっちのサプライズが先になりましたか。
「隣にいるぞ」
 ナタリーさんの名前が出た途端に複雑な表情になった成美さんが、私室へのふすまを指差します。「まあまあ、いいじゃないですか今その点は」と言いたいところですが、下手に口を開かないほうがいいのでしょう。なんたってサプライズなのですから。
「なんでナタリーだけこっちに?」
 なぜならサプライズだからですよ庄子ちゃん。というような台詞は誰の口からも出てこず、全員が無言でもって「ふすまを開けてみろ」と促します。
 いぶかしむように眉を寄せつつも、促されるままにふすまへ手を掛ける庄子ちゃん。
 すらり。
「…………」
 ふすまを開け放った庄子ちゃん、なんの反応もなし。しかしさあ、ここからどうなる。
「……え、ぅあ!?」
 ふすまからやや間を置いて口を開け放った庄子ちゃん、驚いた鳥類のような甲高い声を上げました。そりゃそうだ、僕達だって似たような反応だった。
「こんにちは、庄子ちゃん」
「な、え、な、ナタリー……なの?」
「うん。幽霊を見られるようになったっていうことで、ちょっと驚かせてみたくなって」
 ふすまの奥からするりするりと出てきたのは、仰る通りにナタリーさん。
「でもあの、いや、えっとこれは」
 仰る通りにナタリーさんなのですが、庄子ちゃんは困惑をなかなか抑えられない様子。
「分かるんだけど、分かるんだけど……」
「良かった、大成功」
 いつも通りの平坦な口調でそう言って、ナタリーさんは喜びます。
 平坦な口調ながら、しっかりと頬を緩めて。

『しかも昨日、幽霊が見られるようになったんですよね。とても楽しみです』
 ジョンと清明くんとの散歩に出掛けた庄子ちゃんを想い、ナタリーさんはそう言いました。そしてそれから、暫くじっと考え事をしていました。それがこのサプライズだったのです。
 今日いっぱいという時間制限付きではありますが、ナタリーさん、家守さんに頼んで、人の姿にしてもらったのです。
 しかも、上半身だけです。人間の上半身にサイズを合わせてはいますが、下半身は蛇のままです。
 これを見て驚くなというほうが無理な話です。ファンタジーです。ファンタジー過ぎるので、家守さんから外出禁止を条件として提示されたほどです。
 しかし、です。下半身だけ蛇のままというのは、何も庄子ちゃんを驚かせるためではありません。程度を考慮せずにただ驚かせるだけというのなら、例え成美さんという前例があるにしても、単に人間の姿になるだけで充分でしょう。そこには、ナタリーさんなりの事情があったのです。

 サプライズ企画成功も、なんとか気を取り直した庄子ちゃん。ふすまを開いたその位置で座り込んだ彼女の前には、下半身だけとぐろを巻いて目線の高さを合わせるナタリーさんが。
「前に、家守さんの身体を借りて日向さんのお友達とお話したことがあるんだけど」
「へえー。えっと、乗り移らせてもらったってこと?」
「うん。でもその時、身体のバランスが全然取れなくって。だから高次さんにずっと支えてもらってたんだけど――」
 その話は、三日前のこと。プリンみたいな色の頭をした大学の先輩がここを訪ね、いろいろと事情があって、ナタリーさんが彼と話をすることになったのです。その彼は幽霊が見えないので、家守さんがナタリーさんに身体を貸したのですが、ナタリーさんは真っ直ぐに座っていることもままならなかったのです。なので今回、
「足の部分だけでもこうしていつも通りなら、大丈夫かなって」
 こういうことに。
「今も大丈夫そうだもんね」
「うん。それでも最初はちょっとふらついたけど、すぐに慣れられたかな。手っていうのはまだちょっと、上手くいかないけど」
 そう言ってナタリーさん、手の指を何度かグーとパーの形にします。しかし、チョキはありません。どうやら全ての指が同時に動いてしまうそうなのです。
「でも、腕の部分は大丈夫。それで庄子ちゃん、一つお願いがあるんだけど」
「なに?」
「抱き付かせてもらっていい?」
「え、いいけど……なんでまた」
 瞬間、庄子ちゃんの視線が泳ぎ、すっかり姿を変えたナタリーさんのある部分を捉えます。
 しかしナタリーさんは気付きません。と言うより、視線の移動を気にしていないのかもしれません。
「自分も人間の体だとどういう感触になるのか、興味があるの。少し前に哀沢さんに抱き締めてもらって、気持ち良かったから」
「ああいや、うん、身体がそうなったんだから、そういうことが気になるのは分かるけど……その前にナタリー、一つ訊いてもいい?」
 ナタリーさん、眉をひそめます。
 庄子ちゃん、咳払いを一つ。
「なんでそんなにバインバインなの? 胸」
「胸? バインバイン?……ああ、これ?」
 ナタリーさん、自分の胸元へ視線を落とします。家守さんから借りた黒シャツの胸部は、その家守さんに負けないくらいに膨らんで――いえ、盛り上がっていました。膨らんでいたなんてレベルじゃないです。
 話の外側では、成美さんが不満そうな顔に。その隣の大吾は、知らん振りのままジョンを拭いています。とっくに拭き終わっていてもおかしくはないと思いますが。
「多分、家守さんが目の前にいたからだと思う。人間の女性だと大人らしい身体つきがどういうものなのかって、参考にしたんだろうね。無意識に」
 もちろん、人間の大人の女性が皆して家守さん並だということはありません。ですがしかし、そこは蛇のナタリーさん。人間とはまるで身体の構造が違うわけですから、その時その場にいた人間の大人の女性である家守さんを、「人間の大人の女性の見本」として意識したのでしょう。仕方のないことだとは思います。
 とはいえ見本にしたのはその部分だけのようで、背格好はなかなか判断し辛いにしても、顔が似ているということもなく目尻は垂れ気味、髪の毛は男の子のように短いのでした。
 ナタリーさん、どうしてよりによって胸だけを。
「えーと、じゃあ」
 再び視線を泳がせる庄子ちゃん。ゆっくりゆっくり移動したその先には、不満そうなままの成美さんが。
「皆まで言ってくれるな、庄子」
「ご、ごめんなさい」
「わたしは、大人だとかそういうことを気にしなかったというだけだ。だから、今は大人の姿になれはするが、年齢のほうもこの通りだ。人間の姿になって実体化さえできれば、あとはどうでも良かったのだからな。……あの時は、だが」
 不満そうな表情で不満そうな台詞を放った成美さんは、不満そうな溜息を盛大に。胸の前で組まれた両の腕には、何らの反発力も加わっている様子はありません。皆まで言いはしませんが、皆まで表してしまっています。
「んなに言うんだったら、ナタリーみたいにすりゃ良かったじゃねえか。一回猫に戻ったあん時に。大人の姿になれるようになったのだってあん時なんだし」
「そ、それはお前が――いや、すまん。大人気なかった……」
 昔の話を持ち出す成美さんに、少し前の話を持ち出して大吾が反撃。しかし珍しいことに、今回は大吾の言い分がもっともで、言い返そうとした成美さんが黙ってしまいました。
 しかし、「それはお前が」の続きは何だったんでしょうか?
「なんだ兄ちゃん、成美さんになんか言ったのかあ?」
「いや、オレにも分かんねえ。何だったんだ成美? オレあの時、何か言ってたっけか」
 そんな怒橋兄妹に不満そうな表情が一変、俯いてしまう成美さん。
「あの時がどうだったとかじゃなくてだな、その……お前は、この姿のわたしを好きになってくれたわけだし……」
「……あー、地雷踏んだ。庄子、オマエが何でも突っ掛かってくっからだぞ」
「ごめんなさい」
 以上、兄妹とカップル混成の三人組でした。
「そういうわけでナタリー」と庄子ちゃんが話題を切り替えようとします。
「抱き付きたいっていうのは全然オッケーだよ。どんと来い」
 恥ずかしそうにしている成美さんと大吾に注意を奪われていたナタリーさんは、ぱっと庄子ちゃんを向き直りました。
「ありがとう庄子ちゃん。それじゃあ」
 顔付きのほうでは大変に、声のほうでも多少ながらお喜びなナタリーさん、腕を広げて待ち構える庄子ちゃんにその胸、もとい、身体を押し付けます。腕も使って庄子ちゃんをしっかり抱き締めますが、
「ぐおおぅっ」
 ここで庄子ちゃん、乙女らしからぬ妙な声。胸については覚悟済みだったと思うのですが、はて、どうかしましたか?
「ナ、ナタリー。シャツの下これ、ノーブラなの? すっごい自由なんだけど」
「ノーブラ? ってなに? あれ、何か間違っちゃったかな」
 なんということか。
 ――なんということか。
「いやあ、そこまで面倒見ちゃうのは逆にいやらしいかなってさ」
 家守さんからはそんな弁明。分からないでもないような気はしないこともないですが、ただしそこでにやにやしてはいけないと思います。
「あの、家守さん、ノーブラって何なんですか?」
 庄子ちゃんに抱き付いたままではありますが、ナタリーさんは不安そうです。問題の大小どころか問題が何なのかすら把握できないんですから、そりゃあ眉も八の字になってしまうというものでしょう。
「ふむう。んじゃあナタリー、ちょっとそっちの部屋で話そうか。説明する責任はアタシにあるだろうしね、この場合」
「は、はい」
 家守さんに誘われて庄子ちゃんから離れ、一緒に私室のほうへと進み入るナタリーさん。その表情はますます不安でいっぱいなようですが、説明が終わればさぞ拍子抜けすることなのでしょう。
 私室へのふすまがすたんと閉じられ、黒シャツのお二人の姿は見えなくなりました。

「ほら、こういうの。これをナタリーが付けてないって話だね」
「へえ……。あの、何のために付けてるんですか? これ」
 何と言うかこう、いろいろと妄想を掻き立てられるような会話がふすまの向こうから漏れてきます。実物見せたほうが手っ取り早いってことなんでしょうけど、家守さん、できれば声を落としてくださいよ。
 まあ、落とされたら落とされたで聞き耳立ててしまうんでしょうけど。男として。
「栞さん栞さん、あの、凄かったよさっき」
 一方で、女の子の方も大興奮です。男ほどには不順な興奮ではないんでしょうけど。
「そ、そんなになの?」
「うん。何かもう、違う生き物を二つ、間に挟んでるみたいな感じだった。あれじゃあ抱き枕なんて不要なんじゃないかってくらい」
 栞さんと庄子ちゃんは話をしているだけ、そして成美さんは静かに佇んでいるだけなのですが、何故だかその女性三名へ顔を向けることができません。くそう、なんてやましい心なんだ。
 自分で自分に悪態を吐きつつ、ふすまの向こうの会話もこちら側の会話もやっぱり気になる。そんな僕のもとへ、ややごっつい人が擦り寄ってきました。
「いやあ、ごめんね日向くん。楓のおかげで居心地悪くしちゃったねえ」
「いえいえ、ナタリーさんは喜んでましたし」
「おや、男前な意見だね。いろんな意味で男らしい」
「いろんな意味で、ですか」
「そりゃもう。男じゃなけりゃあ、そもそも居心地悪くなることもないんだしさ」
 結局そこなんですよね、やっぱり。ふすまの向こうもこちら側も、女性陣は居心地が悪いなんてまるでなさそうですし。成美さんはまあ、別だとして。
「高次さんは平気なんですか? 男ですし、それに家守さんですし」
「そこはむしろ逆にねえ、ここで平気じゃない男は楓についていけないと思うんだよね」
「おお……」
 これは良い意味で男らしい。謙遜は無しでビシリと言いきり、かといってそれは理由のない自分自慢というわけでもなく、相手の女性を想うが故の強気なのでしょう。それを笑顔のままで言ってのけるというのがまた、どっしり構える安定感を醸し出しているといいますか。
「いやでも、楓と付き合ってりゃ大概の人はそうなるんだろうけど。俺も初めはビックリしたもんなあ」
「ビックリ、ですか」
「そうそう。楓と俺って仕事で出会ったんだけど、仕事中の楓って真面目だし、スーツ着てるのもあって格好いいんだよ。だからまさか普段がこんな感じだとは思いもしなくてさ」
「それでもやっぱり、お付き合いは続いたんですよね?」
「落差に驚いたってだけで、気に入らないわけじゃないしね。余計に惚れ込む結果になって今に至るわけですよ」
 高次さんとしては、家守さんという女性の自慢話をしている真っ最中なのでしょう。だけど僕は、「へええ」なんて唸りながら、高次さん自身の懐の広さにこそ感心しているのでした。他のみんながこちらに耳を傾けていないのが勿体無いと思うくらいです。
 そしてそうしているうち、ノーブラの謎を解消したナタリーさんと解消させた家守さんが、ふすまの向こうから。
「お騒がせしましたー。ごめんねえ、時間とっちゃって」
「ごめんなさい。話を聞いたら、大したことじゃなかったのに」
 一方はからからと笑い飛ばしながら、そしてもう一方は照れた笑みを浮かべながら現れました。しかしまあ、謝られはしても、謝られるような事態だったと思っている人はいないでしょう。
 そんなわけなので、
「驚いちゃってごめんねナタリー。それじゃあ、もう一回」
「ありがとう、庄子ちゃん」
 改めて、ぎゅう。
 今度こそはゆっくりとその感触を確かめると、垂れ気味の目をうっとりと細めたナタリーさんは、庄子ちゃんの耳へ囁くように言いました。
「自分も同じ身体だからかな、すごく気持ちいい。やっぱりこういうのは同じ生き物同士のほうがいいんだろうなあ」
「でもナタリー、同じ生き物同士だと、なかなかこういう事する機会ってないもんだよ? あたしも気持ち良いけどさ」
「そうだよね。私も蛇同士でこういうことした経験って、殆どないし」
 蛇同士。抱き合うと言うよりは、絡み合う、ということになるんでしょうか。……いえ、決して不純な意味合いでなく、事実を表す言い回しとしてですが。
「例えば、恋をした相手とか」
「え、ああいやまあ、そりゃそういうことになるんだろうけど」
「その時はもっと気持ち良いのかなあ、やっぱり」
「うう、それもまあ、そりゃそうなんだろうけど。でも何で急にそういう方向?」
 返答を思いつけはしても、それを口にはしにくいようなナタリーさんの疑問。抱き合ったままで困り顔というのも傍から見ていて奇妙な光景ではありますが、それを実践している庄子ちゃんの困惑はそれ以上なのでしょう。
 そして仰る通り、唐突でもあります。が、僕達からすればそうでもなかったりもします。
 その辺りの説明は清さんから。
「ナタリーは近頃、そういう方面のことが気になっているらしいですよ。昨日私と出掛けていたのもそれ繋がりですし」
「そうなんですか」
「だって、今日も家守さんと高次さんが……あ、すいません、まだ秘密なんでしたよね」
 はい不意なタイミングで庄子ちゃんへのサプライズその二。別に言い出す機会を計っていたとかいうわけではないんで、気にしないでいいですよナタリーさん。
「え? 家守さんと高次さんがどうかしたの?」
 秘密と言われたって気になるものは気になって当然です。なので庄子ちゃんがナタリーさんへそう尋ね、しかしその回答はご本人様方から。
「本日付けで正式な夫婦になったんだよ、アタシ達」
「ついでに俺は、名字が変わって家守高次になりました」
「わあ、おめでとうございます!」
 その正式な夫婦になりかつ高次さんの名字が変わるまでのプロセスは行き当たりばったりに過ぎたりもしますが、結果は結果。庄子ちゃん、自分のことのように大喜びです。
 が、喜び過ぎました。
「庄子ちゃん、ちょっと、苦しいかも」
「あっ、ごめんごめん」
 抱き合ったまま興奮してしまったので、ナタリーさんを目一杯締め上げてしまっていました。
 ふんわりと脱力。
「その時にね、夫婦になって帰ってきた家守さんと高次さんが、何だか難しそうな形で抱き合って、そしたら家守さんがとっても幸せそうだったから。だから、好きな相手とだったら、もっと気持ち良いのかなって」
「いや、お恥ずかしい」
 あの時には涙を浮かべさえした家守さんですが、今では恥ずかしそうに頭へ手を当てるだけ。庄子ちゃんのためにここでもう一度あの瞬間の再現を、と思わせられるくらい、リアクションに雲泥の差があるのでした。
「難しそうな形っていうのが気になるけど」
「それはえっと、確かこう……」
 お姫様抱っこという言葉をご存じない(あるわけないですが)ナタリーさんは、実際にその形へ移行しようとします。


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