昨日の日経新聞の夕刊、15面。
坂東眞砂子さんのエッセイ、「でこぼこ」を読んで、作家根性を感じた。
坂東さんといえば、同、日経のコーナーに執筆した「子猫殺し」。
http://blog.goo.ne.jp/ranrarararan/e/f67e83e417c8a919ca0540d7cdaa9879
日経はこのまま首をすくめて、嵐が通り過ぎるのを待つかと思いきや、先日、
有識者(?)のコメントを出していた。
全体的に“激しく非難”ってのは、なかった。
まぁ、いろいろ都合もあるのだろう。
今日のエッセイ「でこぼこ」は、坂東さんの住んでいるタヒチの家の話。彫刻家
の友人につくってもらったその家は、まっすぐでなく、でこぼこで不便なことも多
い。でっぱりに体をぶつけることもしばしばらしい。
そこから「平らでまっすぐな道や空間は、人の反射運動能力も減退させる」と、
現代文明に警告を鳴らし、 「これは、人の意見についてもいえる。痛くない、快
適な、平らな意見が、今の社会では好まれ、ちょっとばかりでこぼこしていると
厭われる。痛いもの、耳にして快適でない意見に対しては、でこぼこ道と同様
に、平らにしようという動きが働く」
と執筆している。
──作家やのう。
どこにも「猫」を匂わせることは書いてない。
でも、あきらかに「子猫殺し」の反論を受けてのエッセイでしょ?
私は「子猫殺し」の内容について、どうこう言うつもりはない。
坂東さんは、なぜ、あえて「エッセイ」にしたのか?
小説なら、逃げ道をつくれたのに。
そして、今回の「でこぼこ」。
文章を書く人間の、意地を感じた。
本来「エッセイ」は、ストレートなものが多い。(「子猫殺し」もそう)。
「でこぼこ」は、裏読みエッセイ。そのまま読むと、日常エッセイだが、行間には
びっしりとメッセージが。
こういうものを読むと、「作家の武器は、ペン一本」だと、しみじみ思うねぇ。
現代は、「武器はキーボード」の作家が大半だろうが。
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