Felineの札幌の日々

カリグラフィーを忘れたカリグラファーangelic felineの怠惰な札幌生活。

アーツ・アンド・クラフツ運動の一端  ディッチリングの村から

2005年03月02日 00時24分49秒 | Calligraphy
何度か来日もしているイギリス人のカリグラファー、Ewan Clayton(ユアン・クレイトン)氏の1時間の講演の模様がウェブ上が見られる。

私はラファエル前派の絵が好きなので、ラファエル前派兄弟団の一員だったウィリアム・モリスや派にきわめて近いところにいたジョン・ラスキンらの関わった19世紀のアート・アンド・クラフツ運動のことは、なんとはなしに見聞きしているつもりだったが、ユアンのかなり突っ込んだ話を聞いて今までほとんど知らなかったのだということがわかった。
直接聞いてもらうのはこちらからだが↓
http://www.ischool.washington.edu/iql/conference/program.html
ダイジェストというか、簡単に印象に残ったことを書いてみたい。(サイトでは5月11日の夕方から入る)

ユアンはロンドンから南(?)へ約1時間の通勤距離にあるディッチリングという村(というか共同体)で生まれた。共同体はそれぞれアートや工芸に関わる人々が都会を離れ、この地に工房を建て、寄り集まってできたもので、銀細工や織物作り、大工仕事などそれぞれが別々の仕事をするギルドとなっている。イギリスのカリグラファーの大家エドワード・ジョンストンも、妻が肺結核だったためにこの地へ療養をかねて移り住んで来た。共同体の中心にはチャペルもある。アーツ・アンド・クラフツ運動に関わった人々は、アングリカンからローマン・カトリックに改宗した者達がほとんどで、朝・昼・夜とチャペルに集い、祈りを捧げるという、かなり信仰熱心な人々だったそうだ。(そういえば、オックスフォード運動といってアングリカンのニューマン司教 ーのちのカトリックの枢機卿ー らが一斉にローマ・カトリックに改宗し、英国内に多くの影響を与えたのもこの時期と重なっている。)

ユアンの祖父は機織り職人だった。
共同体はほとんど米国のシェーカー教徒のように自給自足の生活で、金銭的は乏しかったが非常に精神的に豊かな生活を送っており、それぞれが共同体のメンバーのために芸術的な作品を提供しあうことで成り立っていた。作品を売って金銭を稼ごうという気持ちはさらさらなかった。ある者はキッチンの壁に壁画を描いたり、別の者は売れば高価であろう凝った銀細工のブローチを作るといった具合である。

アーツ・アンド・クラフツ運動は産業革命への反発から生まれた。人間が単なる歯車の一つにされてしまう流れ作業は人間の価値を貶める。ディッチリングなどの共同体では、各人が最初から最後まで自分の手で仕上げ、生活を彩る作品を作り上げる極めて人間的な生き方だ。自分の生活や作品作りに意味があることを感じ取りながら生活の質を高めて行くのである。ユアンは学校に行くまでそれがかなり特殊な生活であることを知らずに育った。

1920年代には日本からアーツ・アンド・クラフツ運動の実践を学びたいと陶芸家のショウジ・ハマダがやってきた。ハマダは4年間生活したのち、日本へ帰り、東京を離れて益子の地で陶芸を始めた。
ユアンが1998年に来日したとき、益子を訪れ故ハマダの工房に飾られた世界各地の工芸に囲まれたとき、初めて生まれ育ったディッチリングのアーツ・アンド・クラフツ運動の意味を理解したという。

今までアーツ・アンド・クラフツ運動というとモリスの名しか思い浮かばなかったが、生活の中に美しい工芸を取り入れ精神的に豊かな生活を実践する人々がかなりいたということ、それが日本にまで影響を及ぼしていたのだということ、改めて学べる良い講演だった。


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