LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

ババヌキのような

2015-01-10 07:51:06 | サイキックの眼

     

ババヌキのような


カウンセリングのご依頼を受けるにあたり、その方がどんなカードを持っているか?を透視《=サイキック》を用い視定めます。
カードと言っても、占いのようなカードなどは無く(笑)、僕の言うトコロのカード?とは・・、人やモノの内側に視える『在るモノ』です。

『在るモノ』とは、僕の視えている、その人の内側に存在しているモノ。
「存在しているモノ」とは、デジタル的に言うと・・その人のデータということ。
その「データ」或いは・・「原材料」「レシピ」、こういったモノを一気に視て定めていく。

そんな中で、ご依頼者の悩みを解消するヒトツの在り方として、トランプゲームのババヌキのようなスタイルを用いるのです。
と・・言っても、そんな単純な作業ではありません。
あくまでも読んで戴いている方々に解りやすくトランプカードで、それもババヌキで比喩しています。

〔ババヌキ〕 ※ ウィキペディアを参照されると結構オモシロイ

ババヌキは、言わずと知れたゲーム。
同じ数字をペアにして先に上がった者が勝ち。
ゲームの中では、自分の手持ちのカードは見て解る(笑)。
そして相手方の手の内の見えないカードにハラハラしながら上がりを競い合う。

さて、ここからが本題となります。

トランプゲームのババヌキでは、自分の手持ちのカードは見て把握出来ています。
それが・・・
「人生の悩み?」となると、自分の手の内のカードが何なのか?が解らない状態なのです。

自分の手持ちのカードが解らない。
手持ちのカードが有るのか無いのか?も解らない。
不本意なカードが手元に溜まってしまって、どうしていいのか解らない。
何が必要で、何が不要なのか知り得ない。
ただ漠然と持ち歩いている。
使い方が解らない。

つまり
自分が、何番?のナニ?カードか?解らない。
何が?ナニして?ナンだんねん?!ってーのが悩み?ですわな。
(関西のオバハン風に言うと!笑)

それを人間・・どのようにして問題解決の入り口に立てるようになるか?
それは
↓↓↓
『手持ちのカード数字と⇒同じ数字のカードを手にする人生努力をし⇒数字と数字をペアにして⇒それで上がることが出来ると⇒人生の問題解決が出来るのです』
なので、ある種・・ババヌキのゲーム原理?と同じと言えます。

それには、自分がどのようなカード数字を持つ人間か?を先ず知る必要があるのです。
こう書き表すと・・なんだか四柱推命?とかの占いのようにも見て取れますね。
僕は占いのレベルのことはよく解りません。
占いでも計り知れないコトの中で、私達は生きていますから、僕にとっては占いは物足りない。

僕の眼から視た世の中は、バラバラのトランプカードが散乱しているような感じに視える。

過去のトランプカード
誰の落としモノかわからないカード
踏みつけられてしまったカード
擦れて汚れて数字が見えなくなったカード
他人のカードを平気で横取りしてる人
カードを偽造して大量にばら撒いている団体
誰からも見捨てられて・・再生不可能に近いカード
自分で自分のカードを破いてしまう人
未来のトランプカードといったダミー商品を買いたがる人
他人の輝かしい?ようなカードを崇拝する人
他人のカードを支配してコントロールしたがる人
同じカードらしきモノ同士が嫉妬しあう
自分のカードに不満したり
逆に・・満足しなさい!と説教する人

解りやすいでしょう?
僕の眼には、毎日がこうです。
ずっとこのように視えています。
これが普通なのでしょうね。
「人間だもの」みつを・・みたいな。(失礼)

自分の持ち得た数字カード。
こんな表現をしていたら、ますます占い鑑定みたいに見えますね。笑
あなたの数字の出し方は・・など。

僕の言いたいのはチィと違います。
確かに数学的にも言えますし、その研究も進んでいるでしょう。
相性の良い数字と数字は何でしょう?!とか。
今回、解りやすく「数字」とか「カード」という表現を用いていますが、
数字では測りきれないレベルは刻々と増え続け、変化もし続けています。
昨日の数字は、今日では変わってしまっている。
こんな言い方をすると・・もぅ頭がクラクラするレベルです。

そうではなく
『自分の置かれた立ち位置とは何か?』
と言う事が・・すべての〔要〕です。
世間ではそれを運命と呼ぶのでしょうか。

ジグソーパズルではないが、すべてのピースが合わさると、スッキリすると同時に、なんの魅力も失せてしまいます。
ババヌキも、ゲームが終了すれば・・結果ナニも残らない。
バラバラのカードを数人で分けて、お互いにカードを引き当てて、数字と数字をペアにして、手持ちのカードを捨てていき、問題が解消しスッキリして終える。
(この事は、相当深い原理なので、またの機会に詳しく。)


次に記す↓ココが一番大事かも知れません。

皆さん思い当たる事として・・・
嫌だと思っているコトや事象が・・何度でもやってくるコトってありますよね。
避けても避けても・・向こうからやってくる嫌なコト。
これも原因不明の悩みとなってしまうような。
それは、自分の持っている「嫌いなカード」と合わさろうとする現象です。
自分が避けている嫌なコトと⇒同じ嫌なコトが合わさろうと呼び合うんです。
オカルト的な現象説明ではありません!笑
自分が自ら求めているコトなんです。

嫌なコト自ら求めている?
そうです
何故かと言うと、その嫌ゴトを解消したい作用が働くからです。
例えば仮に・・
「私は〔スペード♠⑨〕のカードが大嫌いです」
としましょう。
すると・・
〔 ♥⑨ ♦⑨ ♣⑨ 〕 の同数⑨のトランプカードが集まって来るのです。
何故?嫌いなカードと同じ⑨の数字ばかり引き寄せてしまうかというと、
それは・・・ ババヌキのように   上がりたい・・上ろうとしたいからなのです。

例えば

「私!⑨ の人って大っ嫌い!!二度と会いたくない」

「どうして!?⑨ の人とばっかり出会うの?怒」

「何を言ってる!お前の方こそ ⑨ じゃないか!」

「私のドコが ⑨ だっていうのよ!あなたの方こそ ⑨ じゃないの?!怒」

ようするに似たモノどうしの喧嘩です。
自分の持っている ⑨ のカードが嫌いなので、同じ ⑨ のカードを持った人と出会うのです。
何故?出会うのかは ババヌキのように ゲームを上がりたいからです。
つまり ⑨ の意味を理解するには、同じ ⑨ のカードを持った人を理解する必要性が出てくるのです。
⑨ と ⑨ が、お互いが向き合い努力し、理解し合えた時、⑨ の呪縛が解けて、⑨ が愛おしくなる。

この例の場合、⑨ は産まれ持っているカードです。
例えば、親に ⑨ の数字をバカにされトラウマになったとします。

⑨ の数字が嫌になりコンプレックスになる。
⑨ を捨てて、別の数字を求めるようになる。
⑨ の数字を持っている人を見かけたら(親と同じように)バカにする。
また逆に、他の⑨数字の人からにもバカにされる。

自己の ⑨ の数字を許し認めない限りトラウマ連鎖は続く。

見たくなかった ⑨ のカードを見つめ直す必要性に悩む。
親からバカにされた ⑨ に自信が無い。
⑨ さえ無かったらこんなに苦労せずに済んだ。
⑨ から逃げたい。

でも・・⑨ の同じ数字で悩んでる人が他にも居ると知る。(仮に)
⑨ の数字の人同士、その苦しさや・・良さを理解し合う。
⑨ を自らバカにしてきたことを恥じる。
でも・・それを最初にバカにしてきたのは親だったと振り返る。

⑨ は、同数の ⑨ とでしか理解し合えないモノがあるでしょう。
自分を肯定し愛するには、同数の ⑨ と出逢い理解を深める必要があった。

ゲーム終了 → いち上がり(嬉)

自分のコンプレックスを逆なでするような、嫌なコトが人生に起こり続ける原理が、この例で理解して戴けると思います。
俗に言う・・反面教師もこれでしょう。

人生は ババヌキのようなモノ なのです。
ひとりでは解決しないのかも知れません。
相性の良いカード数字の人との出逢いを求めますが、
同じカード数字の人との出逢いの方が、より難しく、より要となるでしょう。

もし自分が 〔♠ ⑤〕 のカードを持っているとしたら、
トランプカードの全52枚の中で、同じ⑤の数字の人は
〔♥ ⑤〕〔♦ ⑤〕 〔♣ ⑤ 〕の3人だけです。
他の数字の48枚の人とは、なんらかの違いから相性が合うでしょうし、嫉妬もおこり難い。
ですが、同じ ⑤ の数字同士は・・嫉妬し合うこともあるだろうし、同種同士すぎて互いが見え辛い。


僕は、《透視=サイキック》によるセッションをおこない、
カウンセリングご依頼者の方の内なるすべてのカードを《視キワメ》ます。
(※キワメる=究める・極める・窮める←意味としては全て)

どのようなトランプカードの持ち主であるか?
どれぐらい使いこなせているのか?
どのような扱いをしてきたか?
そこから何を求め、何を避けているのか?、その全てを解読します。

つまり、自分の持つ、無二のカードを良く知って、
使いこなす技を知り、どのような努力が向いていて、
どのように愛し、理解することが出来るのか。
これを説明します。
もちろんそのカードには、360度と・・裏の裏までの深い範囲もあるのです。

今回の説明の通り
人生は、良くも、悪くも、自分が蟠って(わだかまって)いるモノと、出くわすのです。
それは、その蟠りを解消したいからです。
解消するには、その蟠りを理解する必要性が発生します。
なので、蟠りゴトは、何度でも目の前にやってきます。

それは、避けて通れたり、オマジナイ?などで跳ね返したり?とかは無理。
そんなことをしたら、余計に束になって目の前に帰ってくるでしょう。

そうではなく、先ず、蟠りや悩みと向き合うことです。
自分のカードを無視せず、握りしめる勇気を持つことです。
それが何なのか?を知り尽くすまでやってみること。
嫌だと思うコトの中に、自分の答えがあるモノです。
目を背けず、先ずみて見るコト。
そして自分のカードと、嫌だと思う・・その他者のカードと照らし合わせてみることです。
そうすれば、いつの日にか、ちゃんとゲームは上がれます。

ババヌキのように
 


サイキックの眼  ヤマモト・コージ