LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

みがわり

2015-12-03 07:38:53 | サイキックの眼

    
    
みがわり


人の人生の奥深くの間には、様々な迷路が視てとれる。

真っ直ぐに、ストレートに歩んで生きたい。
それが叶わないならば…それは日々の悩みとなって、理由も解らず悪戦苦闘もし、それが人生だからと、粛々と努力を重ねる。
そうしていれば、いつかは出口も見つけ出せて、なにかしら報われるようになるだろうと、そうする。

誰かの為に生きていく
誰かのせいで生きていかなければならなくなった
理由も解らず、ただ毎日を過ごす
そう言いながらも、生きていけるだけ良い
・・・ただ、
どうしようもなく不安が込み上げてくる。

生きている以上、免れない(まぬがれない)感情と不安です。

だから、その為の方策を考え、それを事前に用意し万全を期す手立てを取る。
その不安原因を研究し続ける人もいるし。
或いは、不安を感じないよう自我をを無くす人もいる。自我が無くなれば何も感じないので楽になれるのだろう。

人間にとって、人間の為の、不安の無い安全な仕組みを作り、用意すればするほど、・・・更に不安は大きくなるのです。

自由、不自由な人生。
それは、自分の意思で動けるか? または動けないか? と言うコトです。
何故に不自由が在るかというと、それは、自由な考えと自由な発想と自由な喜怒哀楽を与えられてない、許されてないからでしょう。

僕としては答えになっているのですが、まだまだ答えになっていない?笑

そもそも、『不安』 は、恐ろしいんです。怖いんです。
死ぬかもしれない。
働けなくなるかもしれない。
誰も相手にしてくれず、人間として扱われなくなるかもしれない。
住む家も、追われてしまうかもしれない。
そして、誰も愛してくれないかも・・・
死にたくない。

だから?

だから、自分の不安を拭うには、自分以外の人に代わって貰えばいい。
自分が不安に落とされる前に、他人を不安に落とせばいいんだ。
人生の不安に耐えられない。
だから、他者を不安の吐け口にしよう。
他人が傷つけば、自分の不安が和らぐ・・・

淋しいからペットを飼った。
どんどん弱ってきて、亡くなってしまった。
きっと身代りになって、天に召されてくれたんだ・・・

女だけの家族で、長男の代わりの婿養子を迎えた。
長男が出て行ったので、次男が兄の代わりをしなければならなくなった。
子供が出来なかったので、養子を迎えた。
自分が夢を果たせなかったから、我が子を身代りにその夢を託す。

身代り地蔵さんに参ってきた。
王家の墓にも、身代りの土偶や人型を埋葬した。(大昔の人、談)笑

自分の人生の中での、何らかの不自由から、人は身代り(身替り)を求めているのです。

過去の戦争や植民地政策、奴隷など、これも他人を奪うことで労働力の身代りにされる。
そして、そんなことは許されざるべきで、平等で平和な社会の実現をせねばならない!となる。
そしてまた次にはどうなるか?
理想的な安全安心の社会の中であっても、根本的な生きる不安はどこまでも続くわけで、その耐えられない不安の吐け口の身代りが欲しくなるのです。
そこから、虐めや虐待が発生する。

誰でも、痛みがある
実際の傷みは苦しいし怖い
不遇にも色んな出来事がおこる
惨めになるのが怖い。
そんな不安の身代りが欲しい。

だから虐待は無くならない。
人種を差別もしたがる。
性的欲求の犯罪だって、未熟な母親に愛されなかった人の…母性への欲求の身代りが欲しくて、未熟な性を求める。

■ 我が子を虐待する原因のひとつの親子三世代の図

第一世代
親が我が子を支配し身代りをつくる

第二世代
親に支配されていたので自我が無い
感情も自分ではコントロール出来ない
親の身代りなので、自分を出せない、
親の心配しか出来ない
自分が不自由な分、我が子を身代りに
コントロールしようとする

第三世代
親の身代りの為に、すべてが受け身になる
親がやらなければいけないことを押し付けてくる
感情も押し付けてくる→虐待

自分の事を自分でしない、出来ない、やらない。
身代りは、また身代りをつくるトコロテンの図です。
共通点は、自我・自己が育っておらず無いに等しい。
怖い言い方ですが、親の生霊のシステムがこれでしょう。
そして、自我が薄く、自己が不十分なので、不自由な人生にイライラが止まらず、それを子供に押し付けるのです。

この「身代り親子システム」のケースは多い。多すぎです。
怖い別名で言うと、『家庭内奴隷制度』です。
ずっと以前から、今までの他のブログ記事の中でも、幾度となく言ってきましたが、親と言う独裁者のいる家庭では、家庭内テロ、家族内クーデターがこれからもまだまだ勃発し続けるでしょう。
親子で命の存続の修羅場があったことを、毎日…ニュースで知らされます。
愛情ではなく、身代りにさらされてきたからなんですよ。

世の中が恐いから
世間が厳しいから
生きるのが辛いから
どうしようもなく淋しいから

だから強い愛情を持って恐怖に立ち向かい、協力し合う為の家族のはずなのに。

世の中の恐さを
世間の厳しさを
生きる辛さを
どうしようもない淋しさを

その耐えられない弱さを、身代りに我が子に向けてきたのです。

そんな子供は、また学校で・・・
身代りをつくるだろうし (虐める側)
身代りになろうとする (虐められる側)


サイキックの眼  ヤマモト・コージ