LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

ゼロ歳時の欲求

2015-10-05 08:21:53 | サイキックの眼

      
      
ゼロ歳時の欲求
     
      
産まれてスグに求めるもの。
    
何かを求めている。
ナニか?なんて…解らない訳はない。
「産まれたら何を求めますか?」
「あなたが産まれた時、なにを求めたでしょうか?」
なんていう質問を問うてみたら、きっとみな同じ気持ちから答えが思い浮かぶだろう。
それを笑って答えられるか?
或いは…答えを心の奥に飲み込んで、深く考えて息苦しい気持ちになることも。
    
産まれ出た時の、
トツキトオカの中で生命が始まった時も、
生命の欲求に応えがあったかどうか?
    
産まれ出て、欲求の無い子はいないでしょう。

草花の芽だって、双葉がひらけば必要なモノを求めます。
野生の鹿も、産まれ出たら求め、
そして親鹿はそれに応えます。

つまり、『欲求と応え』の話しです。

「人生の最初の欲求」
「人生最初の応え」
これが、長く短い人生を左右する。

究極論ですが、究極でも何でもなく…ごく普通の事です。
赤ちゃんは「生きていく為の何か?」を欲求し、
親は「生きていく為の何か?」に応えるのです。
そうして、欲求が満たされるのです。

「生きていく為の何か?」とは、それぞれです。
草木は、種の中に栄養を仕込むでしょうし、
卵の周りにエサを用意する動物もいる。
犬や猫は、ずっと赤ん坊から離れない、親はそれだけの栄養を蓄える。
猿や、鳥や、カエルは…

いいえ、我々人間は…
欲求を探しています
欲求とは何か?と、答えを算出し続けています。
欲求を我慢します。
欲求を我慢させます。
欲求に応えるのが面倒で…逃げ出したくなる。
欲求に誰も応えてくれないので、イライラします。
欲求不満解消方を欲求します。
欲求不満解消方が欲求不満になり、更に欲求不満になる。

求めるものに、応えが欲しい。
求める気持ちに、応えが欲しい。
答えが欲しい訳ではないのです、応えが欲しい。
他人の答えや、大先生の唱える答えではない。
この細胞や血が、肉体や精神が求める応えがみな欲しいのです。
それに応えられるのは、それぞれの親だけです。

親から教わりたい。
生きる厳しさや強さという愛情は、学校や行政や宗教やルールからのみで教わりたくないのです。

0歳時(0歳児)の欲求が満たされていないのが人間。
なので、それに応えられる大人が居ない。
だから、欲求の応え方が解らないから、子供が恐い。
どうしたら良いか解らず、子供に欲求を我慢させる。
親も我慢してきたので、子にも我慢させる。(無意識に)
そして、なんらかの欲求不満の解消に明け暮れる人生が成立する。

「生きていく為の何か?」
動植物のすべては、それぞれの境遇に必要なモノを親から託されています。
与えますし、教えます。
それは、親が知っているからでしょう。
一番大事なコトを知っているから、応えることが出来るのです。

欲求不満は、欲求不満を産むだけです。

0歳時に、欲求に応えが無かったのです。
要求しなければもらえなかった…
要求してももらえなかった…
我慢するしかなかった…
我慢すれば褒めてもらえた
褒められても不満を感じるようになった…
仮のモノやニセモノで不満を解消するしかなくなった
金で買えるモノで補うしかなくなった。

一番欲しいのは、
「生きていく為の何か」 です。
「生きる為に培った何か」 です。
そこから得て学んだ労力と強さ、その上にある賢さと優しさ。
それが、欲求の原点ではないでしょうか?

これらを我慢しては生きていけなくなります。
生きる気欲が解らなくなります。
探しても探しても見つかりません。
不安になります。
生きるのが恐くて、苦しくなるのです。

生き方を解いた本をどんなに読んで、そこに答え?が書かれていたとしても、応えは帰ってきません。
納得は出来ても、応えはないのです。
なのでより更に生きるのが恐くなり、苦しさが増すのです。
有名な作家や芸術家が晩年自ら命を絶つのは、これが理由です。
どんなに高度な文学や芸術を生み出せたとしても、「生きていく為の何か?」には及ばないのです。

赤ちゃんは欲求します。
我々大人みんなもそうだったはずです・・・
0歳時の欲求と、その応えの有無や在り方、環境によって人生は左右します。
左右という表現は、「生きていく為の欲求」を真っ直ぐに言えなくなるだろう…という意味合いです。
我慢し続ける為に、右にそれたり…左にそれたりしてしまう。
「応えられる親」とのキャッチボールがどれほど大切か?ということです。

何歳になってからでも構いません。
自分に正直になるにはどうしていけば良いか?
正直でないとはどういうことか?
苦しく我慢してきた心を正直に認める作業は大変です。
ですが、認める強さは大切です。

赤ちゃんの泣き声に
子供のしつこい質問に(笑)
正直に自分の言葉で応えられる大人に。

子供が一番求めているのは、
親が持っている「生きて行く為の何か?」を知り得たい事なのです。
親が積み重ねてきた生きる経験を知りたいのです

本当の欲求とは
本当の欲求不満とは?
心の奥の自分と正直に向き合ってみてほしいと思います。


サイキックの眼  ヤマモト・コージ