LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

ダダモレ

2014-01-05 08:28:51 | サイキックの眼

ダダモレ
      
    
今回のお題は、ダダモレです。
      
漏れ続けている状態をさす言い方です。
      
ただただ・・、漏れ続けている状態のことをさす。
     
なにか自分にとって良いモノがダダモレて・・泉のように溢れているとすれば、それはパラダイスか?オアシスか?天国?!のような気分に満たされるのでしょうが。
      
例えば、原泉かけ流しの温泉に浸かっていると、その気分は味わえます。
でも・・原泉ダダモレの温泉とは言いません。笑
      
ダダモレとは、人間が関係し携わって・・。なお自己完結せずホッタラカシの状態の事でしょう。
    
ホッタラカシの泉。
ホッタラカシ・ファウンテン。
   
いえいえ。
ホッタラカシの底なし沼・・・です。
    
終戦後⇒高度成長後⇒そして高度成長末期も過ぎた今。
ホッタラカシのダダモレの産物で溢れかえっています。
それを維持し続ける為に、ホッタラカシの現状維持に努め生活している社会。
豊かさの象徴。豊かさの産物。
それらを・・早々にも懐かしむことはしても、無責任な気持ちになるのは何故なのか?。
   
高度成長。。というより、「高・速度・成長」といった方が解る。
一気に作り上げたモノに愛着はわかないのです。
二度と作るのが難しいような、手間暇と時間とを費やしたモノに、人は愛着と尊敬を抱くのです。
そればかりか、その時間と労力に安心をも抱けるものなのです。
      
原泉かけ流しの温泉に浸かった時もそうです。
長い時間と自然連鎖の中で培われた養分に、同じ生き物としてその永遠を感じるのです。
      
       
ここからが本題です。
ここまでは、社会や時代性のダダモレにザックリと触れましたが、ここからは、家庭内・家族問題のダダモレにボリュームを合わせていきます。
      
僕は様々な方への《透視》によるカウンセリングをおこなってきました。
      
昔の霊能者?の需要は(笑)、土地がどうとか・・先祖供養がどうとか・・出世や利益がどうたら・・。そんなことだけの心配だったのでしょう。
実際に僕のところにも昔は、「家の台所のリフォームをするのに、何曜日が良いでしょうか?」と、このような質問者もおられた。
「そんなん何曜日でも良いです!」
このようにお答えしていたら、依頼者は減りました。笑
      
そんな事よりも、もっと大事なことがあるのです。
    
僕がカウンセリングで最も大事な要点をお伝えすると、大体の方々は・・自分が見たくない・・蓋をしておきたかったことなのです。
僕は、その見て見ぬフリの蓋の中を視るのが仕事ですから。
人って・・その見て見ぬフリの・・ホッタラカシの壺の中身は無視して生きていきたいのです。
でも・・いつかはその壺は蓋がはちきれて中身が溢れ出てくるでしょう。
       
なぜ。
   
なぜ・・ホッタラカシの壺が一杯になるのでしょう。
   
もちろん、人それぞれの性格やクセもある。
今すぐに解決出来ない事は、誰だって持っている。
後でやろうと思って大事に保管している人もいる。
やりたくっても・・どうしても出来ない理由だってある。
そんなに何もかもうまく出来っこない。
    
そうです。
ホッタラカシにしたくてしている訳ではない。
    
では、しっかりと自己責任を持って自己解決出来れば良いですよね?。
   
それはそうだが・・。
だからそんなに何もかもうまくはいかないって!怒。
    
さぁて。
なぜでしょう。
それは。
         
『ダダモレ』だからです。
      
なにが、ダダモレているのでしょう?。
      
それは。
「やりっぱなし」の「ほったらかし」が『ダダモレ』原因の原点です。
    
「やりっぱなし」の「ほったらかし」は、その根拠が曖昧になるのです。
だから『ダダモレ』になるのです。
    
また逆に。根拠が曖昧だと⇒「やりっぱなし」の「ほったらかし」になり、『ダダモレ』状態になってしまう。
    
例えば・・自民党の十八番(オハコ)、お金のばらまきは⇒『ダダモレ』です。
何の根拠もありません。
なので誰もそのお金は大事に出来ません。
なのでそのお金で買ったものや造ったものは、「やりっぱなし」の「ほったらかし」状態になるだけなのです。
    
もとい。
家庭内。家族・親子関係のダダモレに話しを戻し。
      
僕は、《透視》カウンセリングする上で、依頼者の方のどの部分が『ダダモレ』状態になっているか?を視ることが多い。
何かが『ダダモレ』て、「ほったらかし」状態であるので、何も達成しない人生になっているのです。
      
その『ダダモレ』ているモノの原因を究明するにあたり、殆どが親譲りのモノの何か?と断定出来る。
   
なぜならその理由は。
自分個人の人生の中で、出来る限りの努力をしている。
やれる範囲で、やってきたつもり。
なのにどうして良い結果に結び付かないのだろう。
    
昔の霊能者だと、ここで先祖因縁説をとなえます。
      
これも間違いではありません。笑
しかし・・もっと身近なご先祖様が居るでしょう?。
    
親です。
    
      
誰だって問題は抱えています。
その問題解決の為に、人生を費やすものです。
    
それが・・・。
全く問題解決せずに、「やりっぱなし」の「ほったらかし」の家族・家系は非常に多いのです。
   
では、なにをもって「やりっぱなし」「ほったらかし」と言えるのか??。
   
それは、「問題を考えない人」の事です。
    
なにも考えない事が・・『ダダモレ』なのです。
なにも考えないコト自体が『ダダモレ』の始まりです。
    
問題解決の為に努力している家族は、ひとつひとつに結果が在り、根拠が明確に備わるのです。
    
「やりっぱなし」精神の家系では。
生活内容も「やりっぱなし」で生計を持ち。・・?。
人としての人生問題の何もかもが『ダダモレ』て、それは子供にシワ寄せが行き・・孫の代までで問題山積みとなり・・ゆくゆくは破綻です。
    
要は。
「ひとつひとつの人生問題を見つめ考え⇒噛み砕き⇒それを熟し⇒消化する術と精神を成長させること」が、最も大切なことです。
   
台所のリフォームの曜日など、どーでもいい事です。(しつこい!笑)
    
これをしなくても良かったのが、戦後の豊かだった?日本社会です。
何も煩わしいことを考えなくても、みな漠然と生きてこれたのです。それだけ「やりっぱなし仕事」「ほったらかし生活」で社会が成り立っていたのです。
その『ダダモレ』状態が、正しい社会の成功と位置づけされてきたのですから・・。
      
でも・・その『ダダモレ』のシワ寄せは、膿となって溢れはじめてきています。
    
考えなくても生きて来れた親世代。
考える力が萎えてしまった子供世代。
    
しかし・・。人間という動物として生きていく以上、悩み考えて、生きる力を実感し続けていたいものなのです。
それを話し合える親子関係が、最も重要だと思います。
   
笑ってぇ~!。
怒っちゃいゃん。
みんな仲良くねぇん。
なんか癒されるぅ~。かもしんな~い。
      
アホか。
            
「ひとつひとつの人生問題を見つめ考え⇒噛み砕き⇒それを熟し(こなし)⇒消化する術と精神を成長させること」が、最も大切なこと。
これが根拠の原点だと思います。
      
これが全く存在しない家庭には、これからも親子が殺しあうことが増え続けることになります。
何故ならば、親から『ダダモレ』てくる「ほったらかし問題」が、子供の人生に山積みされるからです。
それには、生きたダダモレ原因の親を無き者にするとしか考えなくなるからです。それほどに問題消化不良状態に陥り・・精神破綻寸前なのです。
      
怖い話しかと思いますが、僕は子供の頃から、未来社会は親子が殺し合う時代が来ると思い震えてきました・・。
昨今の親子殺人事件のニュースを毎日のように目にするたびに、また震える想いをしています。
    
理解しあいたい。
親が考え、出来る限り向き合う事が、子供にとっての一番の幸せです。
そうしなくても、社会が経済が成り立っている?のですから不思議です。
でも、もう限界でしょう。
福島第一原発事故のように、何も考えない結果・・汚染水は『ダダモレ』です。
    
アトピーや摂食障害、精神疾患の方が多いのも、偏った親からの『ダダモレ』が原因です。
精神が消化不良をおこし、破綻しかけている状態なのです。
(当ブログ内、他記事ご参照下さい。)
      
      
健全な精神。
これが、誰にも平等にあるのです。
それが歪むと、悩み・・病気・・悲鳴をおこします。
べつにルールブックやマニュアルに書かれていることが健全な精神ではありません。
自分が解っていることです。
自分を信じる事です。
ただそれだけなのです。
たとえ親が健全でなかったとしても、自分を信じることです。
たとえ社会が健全でなくても、ひたすら自分を信じることです。
   
      
「ひとつひとつの人生問題を見つめ考え⇒噛み砕き⇒それを熟し(こなし)⇒消化する術と精神を成長させること」が、最も大切なことなのです。
      
人間に関わっていない動植物は、常にそれを行い続けています。
      
       
本当の人生感。自己の在るべき根拠。
それには、『ダダモレ』の原因を減らしていく必要があります。
それは一度には出来ません。
先ず出来る事から、優先すべきことを知ることです。
厳密に言うと、知る勇気も必要です。
      
         
サイキック 山本 浩二
      
      

ブログ・トップページ  ■ ブログ・項目一覧 ≫
      
■ オフィシャル・HP ≫