LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

エゴと琴線

2013-09-06 09:04:52 | サイキックの眼

     
      
エゴと琴線
   
      
サイキック《透視》によるカウンセリングをおこなう中で、僕はすべての人の本質に触れるのです。
      
「自分を信じ、自分を大切に。」
すべての人に共通する大事なことは、これです。
      
「自分を信じ、自分を大切にすること。」
こうお伝えすると、続いてよくこのような質問を受けるのです。
    
「それは[エゴ]になるのではないですか?」・・・と。
      
とても多い質問なので。
今回は、[エゴ]とは何か?を解いてみたいと思います。
      
      
日本人が使う言葉の[エゴ]とは・・みなさんが思うに、自分勝手で我儘で、自分の事しか考えない、空気よめないイケ好かないヤツ。
とまぁ(笑)こんなふぅですよ・・・ね?。
周りの人からそんなふぅに思われては、たまったもんじゃない!。
人付き合いには十分気をつけて・・地雷を踏まないように・・、そうそう謙虚に?!ってカンジで・・周りに合わせて笑ってればナントカいけるだろう・・汗。
ハァ~ッ!疲れるぅ~!限界・・もぅダメ。
    
ダメって?!。何が限界なんでしょう?。
   
それは、自分の「自我」が我慢出来ないのです。
周りに合わせて、自我を抑え(殺し)続けることに限界を感じるのです。
   
「自分の思い通りにしたいっ!!」
「パァ~~~っと晴れ晴れした気持ちになりたい!!」
「他人の目なんて気にして生きたくない!!」
    
そう。世間ではこれが[エゴ]と呼ばれているものでしょう。
   
[エゴ]とは即ち。
=自我=利己主義=自分の利益だけを重視=他人の利益を軽視。
辞書ではこう書かれている。
   
僕が「自分を信じ、自分を大切に。」と、お伝えするのは、この[エゴ]とは違います。
   
本当の意味で「自分を信じる」「自分を大切にする」とは、
「自分の中の『琴線』に触れるものなのです。」
   
『琴線』に触れるとは、心の奥にある魂が、弦の如く震える感覚です。
自分の心や感情や、あらゆる感覚が、弦楽器のように震える感覚のことです。
   
そして、自分の中の、その震える『琴線』に触れる大切な事は、他者の中にある『琴線』にも共通するものなのです。
   
これを【共鳴】と言うのです。
    
自分の中の『琴線』に触れる大切な事は、他者の『琴線』にも【共鳴】します。
例えば、芸術作品。
その作家は、自分の中の『琴線』に触れる事を忠実に仕上げていく。
すると、見る側の心の中の『琴線』にも触れ、【共鳴】するのです。
   
      
解りやすくする為に、ここで[エゴ]をもう一度。   
      
「自分の思い通りにしたいっ!!」
「パァ~~~っと晴れ晴れした気持ちになりたい!!」
「他人の目なんて気にして生きたくないわ~~ぃ!!」
   
(笑)↑どうしてシラ~~ッとした気になるのでしょう?。
たまにはそんな気持ちで自由にしたいのは誰だって同じですが・・、羨ましくは思えません。
   
何故ならそれは、心の奥の『琴線』に触れないからなのです。
   
では何故?心の奥の『琴線』に触れる必要性があるのでしょう?!。
    
それは、自分の「全身」と「全霊」を感じる事が出来るからです。
   
「全身」と「全霊」を感じるコトとは、自分を実感出来るのです。
   
自分を実感出来るコトは、冷静で真っ直ぐな自己感覚です。
   
自己の『琴線』を信じて奏でるモノは、相手の『琴線』に【共鳴】するモノなのです。
    
なので、僕なりに意味を訳し直すと。
    
● [エゴ]=利己主義とは、『琴線』に触れ得ない心情。
   
と、こうなります。
    
   
深い心情。
魂の奥深くに在る『琴線』。
これを大切にしてほしいと思います。
自分が本当に大切に想うモノは、すべての人に共通するのです。
   
これが、「みんな平等で分かち合い、分け合いましょう。」と謳っているモノとは全く違います。
順序が違うのです。
先ず大切なのは、自分の『琴線』です。
   
例えば「サザンオールスターズ」や「ユーミン」が表現する楽曲。
多くの人の心の『琴線』に触れる内容です。
それは、作り手・アーティストが、自分の中の『琴線』に強く、忠実な感性が伴っているからと言えます。それが才能です。
彼らが[エゴイスト]=利己主義者ではないのは、人の深い『琴線』に触れている芸術を発信しているからなのです。
   
逆に、大事にされず・・すぐに色あせてしまい忘れ去られてしまう作品は、深い『琴線』に触れていない、うわべだけの文句を並べただけなので、大切にはされません。
   
ということは。
   
私達はみな、深い気持ち。『琴線』触れる気持ちを大切にしたいと思い、望んでいるのです。
   
それは探し求めるモノではありません。
僕の眼から視れば、すべての人の心と魂の奥深くに在るのです。
   
心と魂の奥深くに在る『琴線』に触れなければ、その存在を実感することは出来ないのです。
    
簡単なことではありません・・。
   
弦楽器を何度も練習するように、自分の心にも何度も触れる強さと忍耐力が必要となります。
各々自分の『琴線』に触れ合える人や、その人の造り出すモノにも、何度も触れてみて下さい。
これが「自分を信じる、自分を大切にする。」第一歩です。
       
『琴線』に触れ、震える感覚から始めるモノは[エゴ]ではありません。
それは、他者の『琴線』にも【共鳴】し、理解を深めあうからなのです。   
   
その瞬間が、幸福なのです。
    
    
[エゴ]とは、他者を不自由にさせることでしょう?。
   
「自分を信じ、自分を大切にする。」ことは、自分の心の『琴線』を自由に奏でることであって。それは他者の心の『琴線』をも自由へと促すことが出来るのです。
    
       
サイキック 山本 浩二
      
      

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