心の窓

この世に生を受けた瞬間から
死に至るその時までの人生そのものが旅
私の旅の思い出

心が助けられた日

2013-08-31 10:28:13 | 私・人生・旅

Yちゃんからの心のプレゼント!
肺癌治療から肺炎治療に至る1月から8月現在に
至るまでの間に限られた人にしか病を知らせなかった
のですが・・・


私の大好きなピンクローズ色のバラの花を
持って来てくれたSYちゃん。少しでも心を
和ませてあげたいという思いが伝わって来ます。


そして・・・Cちゃんからの心のプレゼント!
翌々日、突然電話が鳴り響きCYさんから箱根温泉へのお誘いが!!
   
ご主人の運転で箱根湯本の日帰り温泉へ連れてって頂きました。
新しく出来たばかりの日帰り温泉『箱根湯寮』へ
それぞれが離れ屋式で個室になってます。部屋には露天風呂が
有りゆっくり1日過ごしました。
お値段も部屋によって一部屋3,800円から5,800円で
リーズナブルでしたので私達は『紫陽花』と言う5,800円のお部屋にしました。
 hakoneyuryo@odakyu-hotel.co.jp


   
露天風呂は部屋続きで設置されてるので、室内からは目隠しになるものが無いので丸見え。
躊躇していたら、ご主人が映画のスクリーンの端から登場したかと見紛うばかりに全裸で大事な所はタオルで隠して
ソロソロと入浴。
思わず目のやり場に困ったものの見て見ぬ振りが出来る中年女子軍団の恐ろしさ(爆笑)

その後・・・

女子が入浴。すると黒1点のご主人は露天風呂に背中を向けて一眠り!!

あ~~~気が付かなかった
女子軍団もそうすれば良かったのに

今年1月から治療の為、一人で運転は勿論、外出も
出来ずストレスが溜まり始めた時にお誘い頂き
久々のドライブ&温泉にすっかりリラックス!!
私と母の為に箱根まで連れて行って頂いて心から
感謝の1日でした。


帰りに小田原でかまぼこで有名な「鈴廣」に寄りました。
以前と同じ場所だったかな?
ビルの様にきれいに建て替えられていたので驚きました。

そして・・・


良かった!!!

2013-08-21 13:20:53 | 私・人生・旅

8/19(月) 8/5から2週間目の診察日でした。

ステロイドが、いきなり2,5mg⇒1mgになりました。

そして次回診察日の9/2までに何事も無ければステロイド卒業です

ステロイド卒業の後には放射線治療や肺炎の治療等々で低下した体力
免疫力や抵抗力はUPして行くでしょうが・・・・・
自分なりに食事療法、睡眠は勿論ですが心身共にゆとりある過ごし方を優先し
その上で呼吸法、瞑想、健康飲料等々試みてより健康で元気に余生を過ごしたいと思います。

昨年12月、肺癌発覚して以来、検査や治療,緊急入院等々夢中で過ごした8か月。
振り返ってみれば、良く耐え頑張ったと今更ながら自分をいっぱい褒めてあげたいです。

これも頑張るように支えてくれた息子たち他多くの友人、Dr、看護師の方達のお蔭です。
それに息子の結婚式を控えていたことが、今にして思えば頑張りの源だったと・・・

「なんで今なの?」と思った事が、今だから頑張れたんですね。
目に見えない大きな力によって仕組まれた出来事だった様な気がします。
まだまだ元気で生きて行かれそうです

今夜は満月です。
10:44 みずがめ座にて
満月は願い事が成就しやすいと言われています。

癌の残存か、放射線照射の炎症が残っているのかの判断が不可能
なので経過観察を継続と言われた部分が、この先,きれいに消えてく
れます様に祈ります。


自宅療養と称して!

2013-08-14 11:33:59 | 私・人生・旅

長年、公私共に忙しく過ごして来た私でしたが
自分で自分を忙しくしていると、どこかで分かって
いても休もうとしなかった約40年

例年なら2,3年に一度は聖地へ浄化の旅をしてリフレッシュ&パワーUP
してから皆様とお目に掛からせて頂いて来ましたのに・・・・

今回の3年間は・・・・・

私はシェーグレン症候群により涙が出ないので眼球が傷つき
傷の治療と共に白内障手術治療をしました。

そして母の胃癌手術

母の失明寸前の眼科手術

交通事故

新しく早期発見した母の胃癌手術

追い打ちをかけるように2012年12月11日
(私が肺癌発覚、しかもⅢ期のB限りなくⅣ期に近く手術不可能)
3年間は殆ど母と私の診察で一日おき位に通院してました。

こんな時、人は大抵「悪い事って重なるのよね。とか悪い年回りかしら?」と思うでしょう。
私も、そう思い運の悪さを恨んだりして。。。

でも少し落ち着いてくると・・・

2009年のマチュピチュの旅、以来3年目ですが聖地への旅では無く

『そこに居て心身の苦しみを十分に経験しどう乗り越えたら良いのかを学び

自分癒しと浄化をせよ』言われてる様な気がしました。

すると、気持ちがとても楽になり周りが良く見えます

今回の肺癌と肺炎によって・・・
今までに何度も何度も警告を頂きながら見てみない振りをして来たことへの
最後の警告として与えられた有り難きメッセージとして、素直にに受け入れました。

ゆっくり休む事が自分癒しに必要なんだと40年振りに改めて感じました。
のんびり、好きな事をしながら童心に帰った日々を過ごしています。

肺炎治療はまだ続いてますが、5月から始まったステロイドも

3か月後の8月5日には2.5mgへと10分の1に減りました。

退院後2週間おきに経過観察をしてますが、その度に血液検査、
レントゲン検査です。今の所は数値も検査の度に下がり順調に回復
してます。

19日には再度経過観察診察です。ステロイドが終了してくれることを
祈ります。


初めて難病になった時を切っ掛けに町内の夏祭りにはお神輿を担ぎ始めました。
思えば3年前から担げなかった!!

そして毎年担げるとその年は元気で居られると自分で勝手にゲンを担いでました。

7月最終土曜日と日曜日は毎年町内の祭礼です。
ステロイドを服用してる間は抵抗力が低下するので
感染症や肺炎の逆戻り等の危険性が指摘されました。
人ごみは避けマスクは必需品として家にこもっていましたが。。。

「セイヤ!セイヤ!」の担ぎ手の声が聞こえて来ると。。。。
でも衣装を着て行くと担いでしまうと思い私服で行きました。
でも???
思い切ってほんの少しの間でしたが担がせて頂きました。
不思議な事に咳も、熱も、呼吸困難も起きなくてビックリ、
今年は大丈夫!!と思えました。

信じる事はわが身を救ってくれます
病は気から・・・


退院~自宅療養

2013-08-03 21:01:57 | 私・人生・旅

結婚式が済んで病院に戻ってから4日目
検査の結果が良かったので5月30日(木)午前中退院

☆リンパ節に転移してた3か所は消失

☆原発は5cm⇒2,5cm弱に縮小
  これが原発部位の残存であるのか放射線性の
  炎症であるかの判断は不可能。

☆頭部への転移は無し。


結婚式の為に抗癌剤を控えたのですが・・・
今後の治療法を検討
(1)診断時の病期(ステージⅢB、リンパ節に3か所転移)から
   全身性の抗癌剤による治療を追加検討。
   しかし、通常と異なる治療の為、抗癌剤の追加によりどの程度の
   メリットが期待できるかと言う具体的な効果の報告はない。

(2)追加治療をせず、腫瘍マーカーやCT等画像検査で再発が疑われる
   時まで経過観察する

どちらを選択すべきか、次回検診日(6/10)まで考える時間を頂きました。
そして・・・
(2)を選択する結果を用意して2週間後の検診に行きました。
   抗癌剤は多種多様に開発されて副作用が少ないのもあるそうですが
   私の所へヒーリングに来て下さる殆どの人が抗癌剤による副作用(衰弱、脱毛)
   に苦しんでいる姿を思い出し、出来る事なら抗癌剤は避けたいと思いながら行きました。
   するとDrの方から検討の結果(2)で行きましょうと言われホッとしました。

残るは肺炎の治療
入院中5/10から始まったステロイドによる肺炎治療、1日1回5錠服用。
そして・・・ステロイドはDrの指示により減らして行かないと危険だそうで
検診日の度に1錠づつ減らしていけました。
5/10 25mg
5/28  20mg 
5/30 退院
6/10  15mg
6/24 10mg
7/08 7,5mg
7/22 5mg

次回検診日には何mgになるのか分かりませんが
順調に回復することを願います。

そして残存部分が放射線性の炎症であります様に、
又再発しませんように祈るばかりです。
祈りは通じる信じて生活環境も整え新たな人生の旅に
出ようと思います。

肺炎の治療に緊急入院してから1か月と言う長い様で短かった入院期間に
多くの人との出会いや、Drの思い、ナースとの温かい交流、
そして・・・
同室の患者さんとの出会いに我身の幸せを改めて感じました。


留袖

2013-08-01 13:22:02 | 私・人生・旅

癌宣告を受けた日に、友人Sさんが来宅。
今まで幾多の病を克服して来たかしれません。
それにしても3か月後に息子の結婚式を控え。
86才の母を見送るお役目が済んでないのに何で今なの?何で肺癌なの?
乗り越えようと思えば乗り越えられる。でも、もう病を克服する気力も体力も無いので
今回ばかりは、このまま静かに永遠の眠りに付きたいと思わず言ってしまいました。
するとSさんはかける言葉が無い様でしたが・・・

翌日・・・
『これ、母の形見だけど、着てくれる?』と大きな包みを持って我が家に来てくれました。

   
源氏物語の絵巻図が描かれた素晴らしい留袖でした。そして長襦袢は表に出る事は
無いのに、絵巻に散りばめられた花びらが刺繍されたました。
更に帯に至っては・・・
紫式部が光源氏に宛てた手紙の文面が、これも表面ではなく帯の裏側に
更に帯の柄の中に縫いこまれてました。

こんな素晴らしい留袖は一生着る事は無いと思いました。
見ただけで高価な物ばかりで、もし汚したら弁償出来ない。
するとSさんは『汚してもいいからこれを着て、結婚式に出席して!!』
それでも汚してしまったら・・・
この容態ではとても出席出来ないと思い半ば諦めにもにた感情に
折角のご厚意でしたがお断りしました。

そして病院のベットで何となく青い空を眺めていたら
最初で最後の息子の晴れ舞台を何とか見届けたい。
そして、わざわざ持って来て私に生きる希望をもう一度!
生涯着る機会が無いであろう素晴らし留袖でしたので
思い切ってお借りしました。

もし、出席出来ない状態だったら、お借りした留袖を着て、人目に
付かない所から、そっと見ていようと思ってました。
息子にその時の席を会場の打ち合わせの中に入れてほしいと告げると、
そんなこと言わずに出席出来るから
頑張ってと励まされて、先ずは結婚式に出る事だけを考えて過ごしました。
そして・・・
迷いから脱出し前を向いたら
みるみる回復し涙と笑顔が入り混じる5/26を無事に過ごしました。


そして、後日、日本橋のきもの辻クリーニング専門店に
我が家まで来て頂いてクリーニングの有無を選定して頂きました。
するとあまりに高価なもので驚かれてました。
『どなたからお借りしたんですか?』と聞かれ???
やっぱり私の物ではないと思ったんでしょうね(当たり前よね

貸衣装やさんは勿論店頭に並ぶ事も無い高価なものだそうです。
クリーニングを依頼してお持ち帰りいただく前に貸して下さったSさん
には申し訳ないと思いつつ
『帯、留袖、長じゅばん等々1式でお幾ら位するのでしょうか?』
すると『○○千万単位でしょうね

えっ!!!
真実を知らないってすごい事です。
初めから知っていたらとてもお借りできるものではなかった。
それを承知で貸して下さったSさんの『何とか生きる希望を持たせよう。
結婚式に出席する事を目標に見せてくれた留袖。
彼女の語らずして心を救ってくれた事に心の底から嬉しく感謝』

そして・・・
今度こそ元気に治って退院しようと決意新たに病院に戻りました。
この時も咳や、めまい等々で自分で運転出来ないと知ると
皆が送って行くと言ってくれて。。。
わたしは何と幸せ者でしょう!!

病室に戻ったら、ナースセンターの方々、そして同室の
患者さんたちが元気な声で『おめでとう!お帰り!』と迎えて
くれました。
もう不安は有りません。治ると信じて・・・・・

検査の結果が良ければ30日には退院です。