心の窓

この世に生を受けた瞬間から
死に至るその時までの人生そのものが旅
私の旅の思い出

Healing Space RAINBOW

2022-05-04 10:44:01 | Healing Space RAINBOWのワーク

                                                                                                                                                                                     

                  虹・RAINBOWは「愛・調和・平和」を意味してると言われています。
                                人と人、人と物、そして宇宙へとつながる梯になるとも言われています。
                     そんな時間と空間を共有し過ごして頂く癒しの場 『Healing Space RAINBOW』です。
                                              


ご訪問ありがとうございます。
新しい記事はこの下にあります。
                  
尚、Healing Space RAINBOWの詳細は
カテゴリー『Healing
space RAINBOWのご案内』及び『Healing Space RAIBOW』にてご覧ください。

「私、人生、旅」2009年ペルー編の歴史的詳細は「1996年、1997年ペルー編」にUPしてますので
2009年は当時との違いや補足、エピソードなどをUPします。


古希をむかえ・・・

2016-10-04 01:26:42 | 私・人生・旅

2016年9月30日(金)

色々有った2016年だった。

50歳まで生きられるだろうかと言った状況の中

息子の家に招待されて70才の誕生日を迎えました。

夢のような古希祝いです。


綺麗な花束に思わず



お嫁ちゃんの手作り料理!とても美味しかった。




息子夫婦と孫と4人のパーティーも終盤に差し掛かると花束と傘の

プレゼントを手渡され胸がいっぱい!!

外出の度に傘を次々忘れて、とうとうビニール傘しか無くなってしまい「買わなくちゃ」と

つぶやいたのを聞いていたかのようにタイムリーに傘、ビックリ!!!

それに副作用で手指が痛む私を気遣い持ってる事を忘れる程に軽い傘。

私好みの色と縞模様:凄く高そう・・・

これは雨の日には持って出かけられない無くしたら大変

何の為にプレゼントしたんだ!の声が聞こえてきそう


何度も何度も難しい病に見舞われての70年!

乗り越えて来た私を知る息子始め殆どの人は言う。

あなたは死なない!

先生は絶対大丈夫!

お母さんは本当に何が有っても死なないね。

8月は抗癌剤投与中、肺炎になり入院。やっと退院して迎えたハースデーでした。

生きてて良かった!!生かされていることに感謝!!


又・・・入院!!!

2016-10-01 02:02:18 | 私・人生・旅

8月3日 10回目の抗癌剤投与。

昨年10月から開始。4週間に1度の投与でしたが回数が増すにつれて
副作用からの回復が遅くなる気がして・・・
だるくて動けない日が2~3週間になり残りの1週間で用事を済ます。

8月11日
6日~11日に39度の熱が続き息苦しく11日に救急で病院へ
しかし解熱剤を処方して頂いて一旦帰宅。

8月17日 入院
それでも熱は下がらず、呼吸も荒く17日に、たまたま電話をくれた友人が
生きも絶え絶えの私に気付き病院へ運んでくれました。即、入院!!!

肺炎でした。

8月18日 レントゲン、血液検査、CTなど。
検査の結果、肺に水が溜まってるとの事。

8月19日 背中から肺まで針を刺して注射器で水抜き?!?!
先生や看護師さんに『痛いですか?』と聞いても『痛いですが個人差が有るので・・・』と
何となく返事が曖昧で心配しながら処置室へ。
バタバタと器具などが用意されるとドキドキと鼓動は激しくなって息苦しい。

いざ、麻酔と言われ針が背中に刺さる。
何本か打つうちに痛みが増して『先生!泣いてもいいですか?』と訊ねたら『いいですよ』
の言葉と同時に看護師さんが手を握ってくれました。子供の様に声を上げて泣きました。

 
検体に出す分だけ取ったら残りの殆どは大きな容器に入れてました。
900ml有ったそうです。こんなに沢山肺の中に水が有ったなんて・・・・・

終ってからは麻酔がすっかり効いたのか全く痛くも何ともなく不思議な感覚でした。
でも夜中に今度は胸が痛くて朝まで眠れませんでした。
翌朝、Drに痛みを訴えると『水に肺が圧迫されて居たのが、水が無くなったスペースに
肺が広がるのでその痛みだから暫くしたら治まります』  『早く言ってよ~』
解っていたらあんなに不安にならなかったのに~

それから・・・

高熱、動悸、頭痛、息切れ、腰 肩 首 頭痛
検査と共に解熱剤、抗菌剤の点滴等々の処置。

20日~25日
高熱は解消するも微熱は残る
脈拍数135~145を往ったり来たり。

検査の結果は肺の水も癌細胞からではない。
高熱は抗菌剤点滴によって微熱程度までは下がる。



微熱と息切れのみ全快とはいかないがこれ以上入院しての治療はなし。
一旦26日に退院と言われたが26日は金曜日、自宅で何かが起きたら
土、日、で病院は休み。

主治医ではないDrが回診にいらした時にその旨を伝え退院日を28日(日)に延期して頂く。
幸いな事に延期したお蔭で土曜日の花火が病院の窓から良く見えました。
そして病室の窓から夏の富士山が・・・・・
夏の富士山は中々見れない。いつみてもやはり神々しい!
思わず手を合わせて祈る。『どうか、命永らえ癌が治りますように』と・・・

8月28日(日)
12日間寝たきりだったので歩けなくなる事を優先して退院。

自宅にて・・・

9月11日
筋肉はすっかり落ちてガリガリに痩せた体で家に帰って来たものの、
動悸、頭痛、咳、等々で起き上がる事も出来ません。
幸いヘルパーさんや友人が交代で来てくれて食事を作って食べさせてくれました。
退院から2週間程でやっと起き上がり動けるようになる。
家の中をウロウロ歩いて歩行訓練。

元気に回復したら又抗癌剤投与が始まると思うと心が重たい。
回数が増すにつれ副作用の回復が遅れる。
その上に今回は肺炎ななり更なる苦痛に抗癌剤の再会に恐怖さえ覚える。
今までは甘える事が下手でしたがこれを機会に皆さんのご厚意に甘え
いっぱい助けて頂きました。本当に有難うございます。感謝!!

そして・・・・・

9月が過ぎ30日は70才の誕生日(古希祝)
よくぞ生きたものだと我ながら喜びに胸がいっぱい。
沢山の人に助けて頂いて今日も生きています。

親一人子一人で母を置いて先に死ねないとの思いで抗癌剤を受け入れました。
究極の選択でした。
母亡き今はもう止めて例え寿命が短くなっても自分らしく生きて行きたいと思いました。

次の抗癌剤投与は11回目、そして昨年10月から始めて丁度1年になる。
Drは今の薬が効いているので効かなくなるまで続ける事を提案。
今回のアクシデントはもう、そろそろ投与を止めたらどうかと神様が言ってるのかな?

次回はどうするのか決めかねて時間は過ぎていきます。


とうとう、その日が来てしまった!

2016-07-20 09:24:27 | 私・人生・旅

29才から女手ひとつで私を育てくれた母でした。

4年前の胃癌手術以来

ペースメーカー装着,

2015年1月08日:右足冠動脈および下肢動脈:形成術(カテーテル治療)

2015年2月13日:左足下肢動脈硬化症(カテーテル治療/札幌時計台記念病院副院長:北の名医 浦沢一史Dr)

等数々の治療も乗り越え、大学病院の諸先生方の『もう大丈夫、すべて治療は終了!』と嬉しいお言葉を頂いて退院。

 ミラクル母さんとして今年3/25、88才のお誕生日を迎えました。

そして…

お誕生日には元気だった母、たった1か月の4/23に・・・・・

町内やお寺サンの役員等々を務め、出しゃばっていると嫌われているのではないかと心配だった母。

4/23に召されるまでの2ヵ月、帯状疱疹や血行不良により足の痛みを訴え(足首から指先まで黒紫に変色してました)

振り絞るように「痛いよ~痛いよ~」どれほど痛かったかと思うと胸が締め付けられる思いです。

何とか痛みだけは取り除いてあげたいと必死でホームの看護師長さんに、お願いしましたが叶う事なく耐えながら逝った母。

痛みに耐えながら薄れゆく意識の中で癌治療中の私の体を心配し「早く帰ってゆっくり休みなさい」

と言って手を握ってくれた母。

そして。。。

今までは私が母に頬ずりして来たのに、骨と皮だけになった細い腕を懸命に挙げて

私の首をしっかりつかんで自分の頬に私の頬をくっつけてそのまま暫くじっとしていました。

母の温もりを感じながら、お別れなのかな。。。。。と

私が幼かった頃からお寺再建に貢献させて頂いたそうで

ご住職から法名に院語(通常は頂けないそうです)を頂き驚きました。


通夜、葬儀には現役を退いて久しい88才の母には余りある参列を頂き

死後、自宅を訪ねて下さる方々から初めて沢山の方に愛され「優しく抱きしめてくれました。色々教えて頂いた」

と聞いて私の知らない母に出会いました。私には全く見せなかった母の顔。

素敵な生きざまを見せてくれた母に感謝。

更に納棺の時には折に触れて着ていたお気に入りの絞りの着物を着せてあげました。

その時、住職から「私が使っていたものです」と言って

思いがけず袈裟を着物の上に載せて頂いて、ご住職に導かれて逝った事と思います。


今年70になる私。

70年にわたり母と二人で生きて来た私には思い出が多すぎて寂しさ、悲しさ。

我慢強い母が「痛いよ~痛いよ~」と言ったのは余程痛かったのだろう!!!

毎日あの声を聞きながら何もしてあげられない自分が辛すぎて、

今私に出来る事は・・・

何度も何度も病院に行かせてほしいとお願いするも叶わず・・・

24時間眠らせてあげる事・・・それも叶わず。

母に「ごめんね。ごめんね。」すると母は

「私はここに居たら誰かが助けてくれるから幸せだよ」

「それよりあんたの方が家に帰ったら一人だから心配

早く帰ってゆっくり寝なさい」と・・・痛みに耐えながら私を心配する母でした。

最後には痛いよ~の声も力尽きたのか薄れて行った。

あの声は生涯忘れる事は無いでしょう!

今でもあの時、病院に行かせてくれたら延命は出来なくても

せめて痛みだけでも取り除いて穏やかに逝かれたのではと・・・

介護施設とは何なんでしょうか・・・

未だに答えが見つかりません・

でも唯一の幸せは70歳になるまで母と暮らせた事です。

感謝と労いで送り出してあげたい。お疲れ様でした。

とっても可愛い88才のおばあちゃんでした。

痛かったね。辛かったね。でも、もう全て解放されて楽になったね。

沢山の愛をありがとう💓

皆さん!長い間、大変お世話になり有難うございました。


日々衰えていく母を思う

2016-06-21 03:03:29 | 私・人生・旅

癌治療をしながら母の看護、介護で過ごした4年でしたが・・・

壮絶な母の生き様、死に様をを目の前にして、あまりの辛さに心の整理がつきません。

整理がつくまで暫くはお休みさせて頂きます。

長い間、更新も出来ずに過ごしていましたが訪問して頂いて有難うございます。

再会までにはそんなに時間はかからないと思います。

その時には又是非訪問して下さい。宜しくお願い致します。