別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

辰砂丸文角瓶

2010-10-20 | アートな時間

  駒場東大前、 学生に混じって小雨の中を急いだ。 目指すは日本民藝館。  

   河井寛次郎 -生誕120年記念展-

 栄誉等に対して無欲であった河井寛次郎の卓抜した芸術性。 簡素で重厚な形をした筥、鉢、扁壺、壺、皿など(パンフレット参照) 

 

 ・辰砂丸文角瓶  辰砂釉の紅い色に惹かれる 
  モダンな丸文    陶芸を彫塑や絵画のようにみてしまう
   

  京都の記念館でたくさんの作品にであったばかりだ

柳邸で

  

  ほか 柳宗悦が起こした民藝運動、 蒐集品を鑑賞。

1階 第1室 丹波の古陶 
     丹波焼  質素の美  模様に 流した線  用の器
     大甕

      第2室 西洋の陶器 
     花喰鳥文スリップウェア (1754 イギリス)
           オーブンから食卓へ

    第3室  日本の絣
  絣は、 模様を決め、 寸法を計り、絣の部分を一々糸でくくり、藍甕に漬ける。 捺染でやったら楽なものを、わざわざ絣に織るのは、織れあがったものが、まるで違う持味になるから
  二重三重の工程、 模様のズレ。 この不自由さが美しさを生む、工藝の神秘な法則がここにも読まれる… (織と染  柳宗悦)

 

  2階 朝鮮時代 (1392-1910)の諸工芸 
  柳が集めたもの
   李朝の陶磁器はじめ 木工品 金・石工品 民画など
   

  濱田庄司 バーナード・リーチの陶器。 棟方志功の板画作品。
  河井家に現れた若き日の棟方志功は、 家族に猫の「熊助」二代目と思われた。 寛次郎のユーモアと民藝の仲間、 お互いを尊重し切磋琢磨する交遊。   

   工芸的文字  -仏教絵画を中心に-
 書として書かれたものが繰り返し書かれ模様のようになる。
 画のような味わいになる文字  ゆっくりかみしめたい。 
  仏教絵画、 牛玉宝印ゴオウホウイン(神社や寺院が発行するお札、厄除けの護符のこと)など展示


 

 つづいて 西館  柳宗悦邸 見学

 愉しいエッセイも浮かんでくる。 浮世絵を贈ったお礼にロダンの彫刻が届いた日。 夢のようなできごとは、 当時21歳の柳が横浜まで迎えに行くようすから

  ここにいると 歓喜のさまが踊り出す。 書斎には白樺派の作品が並んでいる、 ほのぼのとなった。   

  撮影できなくて残念。 断ればできたのでしょうか。 
  ほかのblogに たくさん載っています。
     
            -☆-  
 

   河井寛次郎作品 パンフレットより

  上段 左から
  辰砂筒描角筥   シンシャツツガキカクバコ
  練上手鶉文角鉢  ネリアゲウズラモンカクバチ
  
  鉄呉須丸文隅切鉢  テツゴスマルモンスミキリバチ
  呉須筒描扁壺   ゴスツツガキヘンコ

  鉄釉白流蓋付壺 テツユウシロナガシフタツキツボ
                  鉛釉象嵌皿    ナマリユウゾウガンザラ

 

 

 

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2 コメント

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用と美 (ふくら雀)
2010-10-25 21:30:43
民芸はあたたかですね。ものの用には何の役も果たせぬ下手な絵を画いて喜んでいる身には忸怩たる物があります。本物の用に叶うものは飾らなくても真実美しいものが多いように思います。民芸館も立派になっているようです。やはり河井寛治郎がお目当てだったようで、”当り”でした。私は実物の河井作品との最初の出会いはこの民芸館でした。
日本近代文学館もすぐ傍ですし、駒場一体は面白い街歩きが楽しめますね。
この記事と、105歳のお母さんの記事を見落していました。私の姑も可愛いおばあさんでした。いつもニコニコ顔で、感謝の言葉を述べてみんなに愛されていました。ご長寿も、体に故障を抱えてでは、ご本人も周りの人も、おめでたいとばかりはいえませんが、痛みが何もないとは羨ましい幸せなお方ですね。最高齢まで長生きされることでしょう。
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美をさぐる ()
2010-10-26 10:32:37
 民芸は伝えます「健康で素朴 活々としている美… もとより美は至るところに潜んでいる、雑具の中にある美」を見いだして

 モチーフにもいえそうです。高価な物を並べなくても、ふだんの暮らしの中にあるおもしろい形や色などに驚いて。

 「何の役も果たせぬ絵を画いて喜んで」お描きになるかたが、そのことでこころが躍り輝いていれば良いのではありませんか。プロではありません。段階を踏んで得てきたものこそ尊い気がします。 と偉そうに
 ひとには言いますが、自分では叶いません。生涯に 一点でもと思います。

 母には自分のこれからをかさねています。ありがとうございます。

 
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