出光美術館 王朝の恋 ―描かれた伊勢物語― ぎりぎりで間に合った。 電車の中で文庫を読んだ。 様々な恋を、 書画や工芸にしている。 楽しみたい。
昨夏の 「水と生きる」 展にも、 八橋蒔絵硯箱、 八橋蒔絵櫛、 伊勢物語図色紙貼交屏風などあった。
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blogでは ひとつだけ…
男が女のところに一夜きりで通わなくなった。あるとき、女が手を洗おうとして、盥の水に自分の姿が映っているのを見て
我ばかりもの思ふ人は又もあらじと思へば水の下にもありけり
(自分ほど物思いに沈む人はいないと思ったら ここにも沈んでいるわ) と詠み、
それを立ち聞きした男は
水口ミナクチに我や見ゆらむかはづさへ水の下にて諸声モロゴエになく
(そこに沈んでいるのは私ですよ) と返した。
蛙でさえ水の下で声を合わせて鳴くものを、 私もあなたと声を合わせて 悲しみに鳴いているのですよ と。
女の嘆きに 応和しようとする男。 ユーモアと 風雅を感じたり (第二七段 水鏡)
伊勢物語図色紙 水鏡 伝 俵屋宗達 (図録より) もう一枚の 大きな画像
織りこまれる和歌もすてき。 響きあう返し、 捻りがいい。 会話もこのように進んだら 愉しいでしょうね。 エピソードをじっくり読みかえす機会にもなった。
能のせかいも誘われる。
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職場が近かったせいで、 丸の内は懐かしい場所。 東京會舘でティータイム。 猪熊弦一郎のモザイク壁画はモダンな赤。 写真: 『都市・窓』 部分
必ず立ち寄った 東京中央郵便局。 以前は 地階に切手専門の部屋があって古いものなど何でも揃った。 小さなアートは短いものがたりを生む。 選んだ切手を封筒や葉書に貼って、 笑顔を想像した。きょうは、 湯島天神の切手を買って 掌の花見をする。 大きい画像
東京駅と昼の月 光りあふれる春も 風が寒い つめた~い
中央郵便局に,このような切手の隠し部屋があるのを知りませんでした。
八重洲口のレンガ造りの駅舎の上に昼の月、いい取り合わせですね。
諸声に感嘆の声を揚げる蛙さん、伊勢物語は想像の翼を自由に広げさせてくれますよね。尾鰭を付けて孵化させて、もう一つの伊勢物語を創作なさってはいかがでしょう。
”蔦の細道”のたらしこみに、たらしこまれています。登場人物の想いまで描けたら、絵の世界も文字以上に広がるのでしょうが・・・・
実は私、5日に鑑賞しました。
和歌で心を伝える雅の世界~心の奥での散歩でした。優雅な想いに膨らむような、正直を申すと「乙女チック」にもなったのです。
深い思いがそこはかとなく伝わる…素敵ですが、ふと誤解は無かったのだろうか?なんて思ってもいます。
自己中心的に考えたり、感じたりして、喜んでしまったり嘆いてしまったりはしなかったのだろうか?
受け取り方によっては…?
正しく人の気持ちを解釈できたのだろうか?
その頃の方々は、和歌に親しんでいたので解釈のルールがきちんとしていて、正しく伝わったのでしょうね。
実際のところ、顔を合わせて話をしていても、何を言いたいのか?
一生懸命に解釈しようと努めても、ややもすると誤解しているようなことも、誤解されるようなこともあって、苦しんだりもした経験がたくさんあります。それが恋なら悩み甲斐もあろうというものですが…。
まあ、そんなことを打ち明けたって仕方ないことでした。王朝でなくても「恋」は悩ましい、苦しいことです。しかし悩ましいほど、それは人を美しくさせるものです。
恋に恋するような、ちょっと若やいだ気持ちにもなって、帰路の電車でふうわりと座っていました。(うふ・・)申し訳ありません。私は何をコメントしているのやら?誤解しないでくださいね。私は女です!
こんな場所でお茶の時間… いつも寄るわけではありません。 久しぶりでした。弦一郎のモダン、きっとお気に入ります。
切手の部屋が無くなって残念ですが、1階でもかなりの種類が選べます。 赤煉瓦と大根の月 目にすることどもおもしろく。
蛙の合唱で育ちましたので。その他はboa!さんや、みなさんの部屋で学びます。
宇津の山、繁る楓 心細い道… 屏風はモダンなアートでした。 boa!さんの洗練された感性も広がります。
ただ字面を追い読むのでなく、ものがたりの内にある面白さに、すこし気づきます。虜になって、今年の課題に決まり。
昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける… 洗練された言動 憧れつづけます。
伊勢物語をつらぬく「みやび」の精神… 汲めども尽きぬです。 まだ入り口に立ったばかり。
何事もストレートな現代ゆえに、友情も、親子の愛も ひろく雅のなかに隠されているらしい。みやびをよく知って 活かしたいと思いました。