受験生のための『世界史B』

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受験生のための『世界史B』―イスラーム世界[(4)インド=イスラーム]

2013-08-01 16:11:51 | イスラーム世界
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 イスラーム世界の話がもう少し続くのですが、今日はちょっと現代の話から。

 みなさんは、インドという国をご存知ですよね。
 では、そのとなりにあるパキスタンという国はどうでしょうか。

 実は、インドとパキスタンはその昔ひとつの国でした。
 インドは18世紀以降イギリスの植民地となっていたのですが、第二次世界大戦の後、独立を達成します。その立役者があの有名な、マハトマ=ガンディーなんですね。
 ところが、その独立の際、インドは2つに分かれてしまったのです。

 何がインドとパキスタンを分けたのか?

 それは、ヒンドゥー教とイスラーム教という宗教のちがいでした。
 もともとインドにあった2つの宗教間で生まれた対立が、パキスタンの分離独立という結果を招いてしまったわけです。
 ガンディーはそれを嘆き、インドの独立記念式典には参加しませんでした。

 では、何故インドにヒンドゥー教とイスラーム教という2つの宗教が混在することになったのか?

 その問いの答えは、実は、今日ご紹介する13世紀ごろにあります。


 [イスラーム勢力によるインド侵入]

 前々回、トルコ人のイスラーム王朝として、カラ=ハン朝というものをちょろっと紹介したのを覚えていますか?
 同じように、アフガニスタンのあたりにガズナ朝というこちらもトルコ人の王朝が成立し、これがインドへ相次いで侵入を繰り返すんですね。
 その目的は、インドの豊かな富(寺院や財宝)の略奪でした。

 次いで、ガズナ朝から分離したゴール朝という国も、インドへ侵攻します。
 これに対してインドはどう対応したかというと、なんと、仲間割れのせいで反撃できなかったんですね。

 当時、インドを支配していたのは、ラージプートと呼ばれるヒンドゥー教勢力でした。

 つまり、インドにはもともとヒンドゥー教があり、そこにイスラーム勢力が侵入してきたということになります。

 13世紀、ついにインドにイスラーム政権が誕生します。
 奴隷身分からのし上がったアイバクという軍人によって建てられたこの王朝は、奴隷王朝というユニークな名前をしています。

 その後、デリーを首都にした王朝がいくつか続き、これをまとめてデリー=スルタン朝と呼びます。

 デリーの位置は……
 
 (Wikipediaより引用)

 ※ 現在のインドの首都、ニューデリーとは別です


 [インド=イスラーム文化の成立]

 イスラーム勢力の侵入によって、もともと信仰されていた仏教の消滅、ヒンドゥー教寺院の破壊など、インドには少なからず影響が及びました。
 しかし、何もイスラーム教が無理矢理にインドに押し入ったわけではありません。

 イスラーム教は、インドでの旧来の信仰とうまく結びついたり、ヒンドゥー教独特のカースト制度(また別の機会に説明しますが、とても拘束力の強い身分制だと考えておいてください)の中で弱い立場に置かれている人に受け入れられたりして、広く支持を獲得していったのです。

 こうして、インド=イスラーム文化ができあがりました。

 たとえば、タージ=マハルなんかは有名ですよね!

 

 これは、ヒンドゥー教とイスラーム教の文化が結合して生まれた建築物のひとつです。


 ……あれ、意外と仲良くやってるんじゃん、ヒンドゥーとイスラーム。
 なんで分離独立しちゃったの?

 その説明は、もう少し先に譲ることとしましょう。


 ◎今日のポイント
 ・奴隷王朝の開祖は誰か。
 ・奴隷王朝に続くイスラーム系のインドの王朝を総称して何と呼ぶか。
 ・インド=イスラーム文化の代表的な建築物を一つ挙げよ。

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