明日を見る放射線治療医から

人々へ
放射線治療医からのメッセージ
大切なメモ

医療過誤判例 重視される説明義務違反

2011-04-01 10:14:34 | 医療の問題
説明義務違反について重要な示唆が含まれている判決。

私は結果がよければ、あるいは変わらなければ、責任は問われないと思っていた。
たとえば、割り箸事件の判決。
 脳幹に割り箸がささる障害があればまず助からない。
 だから、見落としたことは逸失利益にはつながらない、として医療側の賠償責任は否定された。

 なんだか、得心が行かなかったけれど、世間というか、裁判所の考え方というものは、
 ”逸失利益”を重視するのだなと思った。

でもこの判決を見て、また、考え方を修正しなければいけなくなった。

 東京高等裁判所 2009年10月28日 判決 0020

 この判決文は探した限りはupされていませんが、DOCTOR‘S MAGAZINE(ドクターズマガジン)2011年4・5月合併号(No.137)に,「肺がん手術における説明義務~右肺葉中葉への転移について,医師の右肺葉切除手術前の説明義務を否定し,右肺葉切除手術中の説明義務違反を認めた裁判例-東京高裁平成16年10月28日判決,2009WLJPCA10280020-」として要点が掲載されました。

 同弁護士のサイトもぜひお尋ねください。
 http://medicallaw.exblog.jp/15114300/



◆ 事案
患者亡A(歯科医師)が,肺癌の疑いがあると診断され,平成8年9月9日,東京都立駒込病院に入院し,同月18日に肺葉切除手術を受け,同年11月14日に気管支断端瘻の閉鎖及び右有瘻性膿胸に対する手術を受け,平成11年2月24日に死亡した.
客観的には亡Aの肺がんは,ⅢB期でした.欧米をはじめ世界各国の趨勢は,ⅢB期は全く手術適応外でしたが、日本では,当時,ⅢB期についても根治的切除ができ予後が比較的良好と判断されるものについては積極的に手術を試みるという状況でした(今でもそういうところは多いかとおもいますし、私<明日を見る放射線治療医>はそれが悪いとは考えません).
亡Aは,被控訴人病院入院前から,癌が進行癌で手術をしても治る可能性が低い場合には手術を受けたくないと考えていました.このことを担当医師らは十分に理解していた.
術中の病理検査で,がんの肺内転移が確認でき,ⅢB期であることが判明しましたが,担当医師らはそのまま手術を続行した.
(したほうが得と判断されたということでしょう。癌を取らずに放置すると術後の治癒機転に促されて瞬く間に進行することが予想されます。私<明日を見る放射線治療医>のコメントです。)
◆ 判決
東京地裁平成15年10月9日判決は,術前,術中の説明義務違反を認めましたが,説明義務違反と死亡結果との間の因果関係を否定しました.
これに対し,東京高裁平成16年10月28日判決は,術前の説明義務違反を否定し,術中の説明義務違反を認め,その説明義務違反と死亡結果との間の因果関係を肯定しました.


確かに、医師たちは本人に説明したことと違うことをしています。ずいぶん時間が経過していますので、分かりやすくいえば、術後の経過がよくなかったことは、(本来本人が嫌だったという)手術を(本人の意思に反して)したからだ、という論理になります。

腫瘍の治療に携わる人ならだれでも、腫瘍であることを意識した手術と、良性病変に対する手術の方法が、根本的に違うことぐらい知っているでしょう。この手術が最初から癌に対する手術として行われたかどうかは、ドクターズマガジンの記述は、判決の文章の引用なので、あまり明確には書かれていません。

仮に、良性の腫瘍として手術するばあいでも、悪性病変が出ることがあります。
医師はそのときに、(意識の無い)患者さんにとって医学的にベストの選択をする権利と義務があります。
この判決は、その権利と義務の両方を否定します。

この判決は、憲法違反の要素を含んでいます。医師からその権利を取り上げて、下策な合意事項を墨守することが、ますます正当化されてしまいます。

 なにか想定外があれば、治療放棄することが、正当化されていいのでしょうか?
 日本はいつからこんな国になったのでしょう。
 私は基本は推進派ですが、こんな国にはもう原発を作るべきではありませんね。

:::::

”進行がんで治る可能性が低いなら、手術を受けたくない”
けれど、
癌でない可能性が高いので手術を受けることに同意して手術に入った
しかし
術中に癌であることの可能性が高くなった
そのときに
 中途半端に切り出した状態で手術を止めた方が患者さんの利益(リスク利益判断で)につながるのかどうか
 手術を続行したほうが利益につながるか

:::::
上の状態で私は、
 医師が判断する責任と義務があると思っています。
ヒポクラテスの誓い第4項
 ”自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない”


しかし
この判決は先例になりますので
私たちは
 常に最悪の事態も想定して患者さんの判断を引き出しておく必要があります。
 もし、想定外のことが起きた場合の、対応や責任・意思決定の所在も明文化し、”医師が判断する権利がある”ことを明文化する必要がありますね。

あと、ひとつ、私はこの裁判所は怖いなと思ったのは
 ”術中に説明していたら手術を継続していたとはいえない”
 としている点です。私たちは、手術中で(家族に?)、予想と違う(のでやめるべきかどうか?)ということを説明しなければいけないのか?(少なくともこの裁判長はそうすべきだと考えている。
 
 テレビでは手術場に家族を招きいれて説明するようなシーンの報道もどこかであったようなのですが、医師が離れるわけにもいかない状況で、
 それらを常態化することがよりよい医療につながるとはとても思えないのです。


 
 


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