『レ・ミゼラブル』バリケードデイ二日目。
というわけで、本日はグランテールについて。原作ではアンジョルラスと対照的な存在でありながら、そのアンジョルラスを熱烈に崇拝する男として描かれる彼のミュージカル版に於ける立ち位置や、アンジョルラスとの関係性について、「赤と黒」「共に飲もう」の歌詞の変遷、映画との異同などに言及しつつ、ブロードウェイ初演キャストの(そして10周年記念コンサートの)グランテール役アンソニー・クリヴェロさんの演技を中心に考察しています。
1. 赤と黒(Red and Black)
皆様既に御存知と思いますが、街角で出会ったコゼットに一目惚れのマリウスは「ABCの友」の会合でも気もそぞろ(舞台版では遅刻してアンジョに叱られる)。それをからかうグランテールと、目的を忘れるなと諭すアンジョルラス──この三人を中心としたナンバーです。
この時のグランテールの歌詞を直訳すると
「こいつぁびっくりだ マリウスもついに恋に落ちたか これまで彼が『うー』だの『あー』だのため息をつくことなんてなかったのに 戦いで勝利を収めようと話している時に ドンファン気取りで現れるとは オペラよりも面白いぜ」
ですが、この「戦いで~」の件り、現行舞台、また映画でも、原語は
You talk of battles to be won.
です。
しかし!ロンドン初演時には、この主語の「You」は「We」だったのです!
これが現行の「You」になったのはブロードウェイ初演からのこと。それによって何が変わったかと言うと、元々は「おれたちは革命について話し合っているのに」と、あくまでもマリウスをからかう台詞(歌詞)であったものが、アンジョルラスにもその皮肉の矛先を向けることとなったのです。
もちろん現行舞台でも「マリウスをからかう」ことに重点を置いたり、真面目な会合の場を混ぜ返してその場のウケを狙ったり、道化て和ませたりするような演技・歌唱のグランテールもいます。
ではブロードウェイ初演のグランテール、アンソニー・クリヴェロさんの演技や歌唱がどうだったかということについては、彼が同じ役を演じた10周年記念コンサート(TAC)のそれが参考になると思います。
というわけで、昨日も貼った動画をもう一度。(追記:当初貼っていたものが削除されてしまったので、同じシーンの別動画を貼り直しました)
アンジョルラスは同じくブロードウェイ初演キャストのマイケル・マグワイア。マリウスはロンドン初演キャストのマイケル・ボール。
マリウス-アンジョルラス-グランテールは、映画でもこのシーンで微妙なトライアングルを形成していましたが、TACの三人のケミストリーは更に面白いことになっています。
ご覧になればお判りの通り、「You talk of battles to be won.」の主語「You」、彼の歌唱に於いては一般用法の you ではなく、マリウスをからかうように見せて、はっきりアンジョルラスへと向けたものです。「きみたち」ではなく、アンジョルラスただ一人を指しての「You」。
歌い方も嫌味と言うか皮肉たっぷりですが、そもそものBW初演盤でこの件りを聴いて更にびっくり!TACの比ではない、それはもう激烈イヤミな歌いっぷりではありませんか!
いやはや、これを聴いてしまったらもう他の人のグランは聴けなくなるんじゃないかと思うほどの強烈さ!「"ooh" and "aah"」の後には「ヒャハハハハ!」などという笑い声まではいっている始末で、そりゃアンジョさんじゃなくてもムカつくよ…と思いました。
TACも、当のマリウスが「うふふ♪」とか照れ笑いする一方、アンジョとグランの間に流れる冷たい緊迫感漂う空気がたまりません。これはコンサートならではの構図と距離感が効を奏していると思います。
その後でマリウスを説得にかかるアンジョの "Who cares about your lonely soul?" 演じる人によってかなり違いますが、マグワイアさんの「きみの孤独な魂など知ったことか!」の情け容赦なさは、ヒド過ぎて笑っちゃうと言われています。しかしこれ、グランにムカつくあまり「おまえも余計なこと言うな」を含んでこんな口調になってるのかも知れませんね(笑)。
多くの舞台版グランテールさんたちは(映画版ブラグデンくんも)、この後半、マリウスの心が再び「革命」に戻ってくる辺りの合唱に一応唱和しているんですが、クリヴェロさんはTACを観る限りそこには加わっていません。おそらくBW版もそうだったのでしょう。
原作とは違い、どう観ても聴いても、アンジョルラスに「愛してる」だの「きみを信仰しているよ」なんてことは言ってなさそうなグランテールですが、一方、このやさぐれたシニカルな態度の陰で、彼が本当は何を思い何をアンジョルラスに伝えたいのかということも何となく察せられる歌唱であり演技であるところが、また素晴らしいと思います。
2.共に飲もう(Drink with Me)
バリケード内でABCの学生たちによって歌われるナンバー。映画での歌い出しはグランテールでした。しかし、舞台版を知る人たちの間では「グランのソロパートが省かれている!」と騒がれもしました。
と言うのは、現行の舞台版では、この歌の歌い出し部分はフイイ、プルーヴェール、ジョリーの3人が担当、グランテールには別のソロパートがあるからです。
Drink with me to days gone by
Can it be you fear to die?
Will the world remember you
When you fall?
Could it be your death
Means nothing at all?
Is your life just one more lie?
「革命に命を捧げることに意味はあるのか?」と仲間たちに問いかける内容で、グランテールというキャラクターを表す上で重要なパートでもあり、映画でも是非聴いてみたかったという声が上がったのも納得できます。
ところがこのパート、実は元々ロンドン初演時には存在しなかったのです!
グランテールの担当パートは歌い出し部分。つまり映画はロンドン初演版準拠だったということになります。
その最初期版の舞台映像は下の動画でご覧になれます。ブロードウェイ初演直前の特集番組なので、パート2合わせてそのリハーサル風景なども観られるという貴重なものです。
余談ながら、この中で「過去の映画化作品」として紹介されているのは、1935年のアメリカ映画『噫無情』です。主演はヒュー・ジャックマンの比ではない「美しすぎるジャン・ヴァルジャン」フレドリック・マーチ。しかしこれ、英米圏の『レ・ミゼラブル』映画化作品の中では傑作だと思いますので、機会とご興味がありましたらご覧になってみてください。
映画のグランテール役ブラグデンくんのインタビューやDVD特典などを見ると、後の方のソロパートも一応撮影はされていた模様で、もし将来エクステンデッド版などが出されるのなら、その時には是非そちらのバージョンも収録してほしいと思います。アンジョルラスの反応も見てみたいと思いますが、ただでさえいっぱいいっぱいな状態のアーロンのアンジョルラスでは、ますます自らを追い込んでしまいそうな気もします……
そして、このソロパートがいつ加えられたかと言うと、これまたブロードウェイ初演時からなのです。
多くの舞台版グランテールは、主語の「you」を一般用法の「you」として、内省的また厭世的に、或いはそこにいる仲間たち皆を「you」と呼んで「本当にこれで良かったのか?」と問いかけるような歌い方、演じ方をしているようです。特に新演出版は、はっきりそういう演技になっています。
それを聴く周りの皆も冷水を浴びせられたように項垂れたり、その歌を止めさせようとしたり、時にはいきり立ってグランに掴みかかろうとする演出もありました。
ところが、そのソロパートを最初に歌ったクリヴェロさんの演技や歌唱は、それとは一線を画すものでした。
下の動画、バルジャンがバリケードでジャベールの命を救うところからはいっていて、そちらのお二人(コルム・ウィルキンソン&フィリップ・クォースト)の演技もまた素晴らしいです。
一般用法の you でもそこにいる皆を指すのでもない。
ここでも、グランテールにとっての「you」とは、アンジョルラスのこと。
彼はアンジョルラス一人に向けてこれを歌っています。怖れるように、囁くように。
世をはかなんでいるのではない。革命を批判するのでもアンジョルラスを責めるのでもない。自らの死を怖れ、不安を訴えるのでもない。
きみは怖くないのか、と問いつつ、彼自身が怖れているのは、ただ「アンジョルラスを失うこと」だけ──
この歌をこういう風に歌うグランテールを、私は寡聞にして他に知りません。
クリヴェロさん演じるグランテールにとって、この歌は初めての、そして唯一の、アンジョルラスにのみ向けた愛の言葉であり告白であり、自らの真情の吐露であります。
そして、TACの映像を観ると、それを聞いたアンジョルラスは、そっとグランテールの傍らに寄り添い、その肩に手を置くのです。
この時のアンジョの心情がどういうものであったか、実はあまりよくわかりません。ここに到ってやっと、彼もグランの本当の気持ちを理解し受け止めた──ということでしょうか。または「天使」がようやく一人の「人間」としてグランテールに寄り添ってくれたということなのか……
しかし、それまでずっとアンジョルラスを見つめ続けて来たグランテールの方が、その想いを吐露し、互いに少し見つめ合った後は、もう彼を直視できず、視線を逸らせてしまう──
この辺り、ブロードウェイでの初演時にどう演じられていたのか、是非知りたいところです。
何にしても、その後の「グランテール」像の基礎を作ったのがBW初演のクリヴェロさんだということは間違いないと思います。
そしてまた、かねてよりの主張ですが、「アンジョルラスとグランテール」の関係性のスタンダードを築いたのもマグワイア&クリヴェロであり、揃ってTACキャストに選ばれたのはそれが理由だとも考えています。
ブロードウェイ初演でグランテールにこれほど強烈で極端なキャラクター付けがなされたのも、一方にいるのがマグワイアさん演じる長身イケメンに加えクセのないストレートな美声の、これも強烈にヒーロー的な「最強アンジョルラス」だったので、彼と対比的存在として印象づけるためだったのだろうというのが自分の見解です。
25周年記念コンサートのハドリー・フレイザーさん演じるグランテールについては、DVDが普通に出回っていることだし、ここをお読み下さっているような皆様なら多分ご存知だろうと思いますので……(笑)
しかし25thの彼らに関して、私自身は、果たしてあれは「アンジョルラスとグランテール」なのか?という疑問を抱いてもいます。もちろん好きですし、いろいろな意味で(笑)観て楽しいのは確かだし、原作または通常舞台版に於ける彼らをああいう形で或る意味昇華(消化?)したものだと理解してはいるのですが……どうも申し訳ありません。これもまた個人的見解です。