小野寺 喜佐雄の試案

バンド“極東ピーコック”のドラマー、小野寺 喜佐雄による不定期ブログ!宣伝も兼ねて。

ZAZEN BOYSのライブを初めて見た。

2024-09-07 13:34:35 | 日記
場所は、恵比寿LIQUIDROOM。今年あたまに10年以上ぶりに発売されたアルバム『らんど』のレコ発と銘打たれたものではなく、LIQUIDROOM創設からの何周年記念イベント。MCの内容からZAZEN BOYSの出演は恒例行事らしいことが判った。
猛暑の渋谷を闊歩、駅前で不意に催される大夏祭りの騒音に面食らい、ポケットから落としたスマホを首一面タトゥーの入った若いにーちゃんに拾っていただくなどありつつ、途中ファッションビルへ冷房目当てに逃げ込みながらも、なんとか会場へ到着。
わけあって心身ともに磨耗していたこの巨漢と待ち合わせてくれたのは、映画館バイトで知り合って数年来の仲であるキャパ広やすらぎ後輩女子。細身の彼女にまるで介助される老人のように付き添われゆっくり会場内へ。フェス慣れしている後輩女子、大変頼もしかった。
チケットは完売で当日券なし、遅れて入った場内は観客でぱんぱん。ひと目見て年齢層が幅広いことが分かる。なにくそとさも余裕のある顔を作って、後輩女子を空いているスペースへ誘導。人混みに焦り、緊張でくらくらと目の前が暗くなっていく感覚を覚えていることを必死で隠した。この後輩女子と会うたびに繰り返す悲しき恋愛変遷を聞いている間にバンドは登場した。
向井秀徳の白髪がかっこいい。カシオメンが最近のカシオメンそのままの佇まい。MIYAは沖縄でBleachを見て以来で懐かしい。松下敦の体躯、動きや呼吸の一つひとつが見逃せない。アレンジにアレンジを重ねた現在の「RIFF MAN」から演奏は開始された。
ライブハウスは何年ぶりだ。音圧が、得体の知れない興奮を呼び覚ました。
『らんど』収録曲の徹底した過酷さ、ハードさもあってか、暴れるような観客は一人もいない。みな思い思いに体の軸を揺らして楽しむ。必死で拍子を数えて聴いてるような俺みたいな奴はどれぐらいいたんだろうか。
『らんど』はほぼ全曲披露していたが、俺は「ブルーサンダー」「ブッカツ帰りのハイスクールボーイ」が特に好きで、どちらのプレイも最高だった。既存曲よりも『らんど』楽曲のうねりの方が自然に聴こえる。現在のメンバーのガッとくる感じはこれなのだ。「ポテトサラダ」で鍵盤を弾かない向井秀徳がバンドを文字通り指揮し、会場は笑いとキメの一体感でとんでもないことになっていった。恐ろしい。日本武道館の椅子が小さいことが懸念事項だが、やっぱり記念すべきライブは今後も見に行きたい。
この日は個人的に青春の『ZAZEN BOYS 4』の曲を多めに演奏していたが、4ピースの音以外の機器を用いずにロックのアレンジで披露された「I Don't Wanna Be With You」に皆驚いていた。寂寥感を伴う、電子的な負荷の強い四つ打ちの心地よい曲だったものが、さらにもの寂しさを増して迫ってくるギターが中心の別物に変わっていた。泣きのターンか、まずい!と隣の友人の存在を過剰に気にしながら涙腺を堪える。
大量の人間に囲まれている窮屈さや、その場から消え去りたくなるよう致命的な不安さはもう吹っ飛び、頑張ってここに来れてよかったと本当に思えた。こうして勝手に救われる人が何人もいるはずだ。皆に聴かれるバンド、心の底から羨ましい。
中盤のMCで、懇意にしていた銭湯からの裏切り、そして断絶を表明した抱腹絶倒のおやじトークを繰り広げてくれた向井秀徳、話の中でこれ以上は敵わんという局面になると「心のダンビラを抜いたよね」と口にしていた。腹から笑わされた。
松下敦のドラムは、リーダーの身体性にとことん忠実で、しかしその場の予期できない流れ、広がりをしっかり押さえ付けて自分の元へ回収していく、まるで機械による格闘技を観戦しているような壮絶なスタイルだ。動画の小窓などからは到底伝わらない迫力を実際に体感出来た。最高に楽しかった。

極東ピーコックは3rd Album『匣』を全国リリースし、レコ発をせずに潜伏中。
事情が事情で、空白の期間について自分から何か言うことは憚られるものの、確実に言えることといえば、次のアルバムを制作しているということだ。
デモは半分以上あがっていて、岡田さんの作る曲は、ちゃんと腰を据えて前を向いていると感じられる素晴らしいものになっている。
これもまた、時間をかけて仕上げたい。
生きてるねーお前らと言われるように。

男性が人生で最もぽんこつになる日、

2022-11-25 23:57:42 | 日記
焦る気持ちはなし。
卒業する思いもなし。
大事に育てたものと訣別する感じもなければ、
新しい肉体が出来る予感もなし。
忘れるべきものなし。
始めるものもなし。
くだらない日々は尚忙しく、
嫌いなものは好きにならない、
同僚に出し抜かれることさえやむを得ないが、
思いがけず落ち着いた心で空いたベッドを見つめている。
部屋には誰も来ない。
さっき食べた丸源は二、三口しか味がしなかった。
店員とまともに喋れなかった。
本当によく、ここまで一緒に頑張った。
全部が楽しく、懐かしさと寂しさに対してひたむきに、
素晴らしい時間を作った。
そのまま走り抜けた。
私は嬉しい。
あなたが誇らしい。
会わせたかった人はたくさんいるが(信じられますか?)、
会わせられる人もまだ十分いる。
明日はおそらく、何一つも言葉にならんのでしょう。
集中し、必死になって受け止めるだけ。

嬉しい。
本当に。
嬉しい!
嬉しい!!!
ありがとう。
嬉しい!

どうせ眠れないならと、

2021-11-23 14:28:25 | 日記
半ば自暴自棄に文章を書き始めてみる。
これだけ何もしないで待っても、起き上がっても寝転んでも腰をゆっくり捻ってみても状況は一つも変わらない。
気持ちを落ち着けるだか何だかの薬を飲んだところで、自分の行動を恥じながら思い返していたら脳みそのどこかで薬の効果を阻害する透明な物質が分泌されてんだろうから、効き目なんてたかが知れている。
どうしようもない日はどうしようもない。明日が休みなのが幸いか、はたまた休みであると認識してしまったことが遠からず原因となったのか。
これだけ気が立っていると部屋の暗さには全く動じなくなる。何時間真っ暗にいたところで何の感慨もない。
最近、立て続けにホラー映画やグロテスクな殺人描写のあるアクション映画を見て、多少なりとも暗がりの黒色の奥行きに恐怖を覚える時間もあったはずなのに、こういう夜は頭が実は冴えていて何の怖さも感じられない。扉の後ろや窓の外すぐのところに人の体や顔が潜んでいる訳がない。
不貞寝も失敗した。
ミス、ミス、ただミスをした。一日のどこかで、きっと大きなミスを犯した。
他人が見れば面白くもなんともないきっかけの積み重ねが、これ程までに俺の体と頭を押さえつけようとしている。
5時半を過ぎた。夏ならもう諦めている境界線。
俺は、俺の周りの友達には逆の奴がやけに多い気がするのだけれど、不安になっても見知らぬ女と会ったり抱いたり抱かれたりしたいと発想することがない。不安に押し潰されそうになったときに、知らない異性の心や肉体が欲しいと思い至ることがない。想像は出来る。俺の身体は動かない。
ベッドの横に敷いた布団の上でピューピュー寝ている、おそらく一生力強く生き抜くことを自他共に保障されたと錯覚させられるぐらい生命力の色が濃く光っている最強のパートナーの寝息に耳を澄ましたり、何十回も剥がす布団をかけ直したり、数時間おきにちゃんと手足があるか、汗だくになっていないかを確認しながら日の出を迎えることもしょっちゅうで、自分としては気に入っている幸福な時間だと俺は捉えている。何千日繰り返したことか。
自分の発言で不快な思いをさせた後でも、すんなり一人で寝てくれる逞しさに何度驚かされ、救われたか分からない。
同じ量、この人に返すことが出来るだろうかなどと心底つまらない考えへ思い至ったところで、不意に意識が途切れる。
俺の人生の周りには、自殺する人が多すぎるように思う。
これまでの人生において、即実行せよという先生と、ひたすら待ちなさいという先生が両方とも何人も現れた。どちらも説得力のある持論が多かった。やり方は自力で探す他ない。
扉の後ろで明らかに何かが動いた気配があったが、寝ている間こいつに何をされようと知ったこっちゃない。こいつは絶対にパートナーを狙わない。俺にだけ働きかける。意識が飛ぶ寸前に、ぽんと様々な方向に背中を押す、邪悪な何者かであることは間違いない。見てみぬふりをして、気にしていないことをアピールするのだ。
寝室を危険な場所にしないよう片付けることは、この生活において最も欠かしてはならない仕事の一つってことを言いたかった。

人から言われて嬉しかった言葉みたいなの、

2021-08-16 22:43:06 | 日記
久しぶりにいただいた。

「腎臓が良い数値を保っている間に、
痩せないといけませんよ。
ここね、脂肪が厚すぎて肝臓が前からだと見えなくなっている。
向こうで用意された食事には、立場的にもちろん手をつけないといけないでしょうし、
その分普段の晩飯を減らしてバランスをとる。ね。
体の調子を整えて、偉い人になる準備をしないといけませんよ。
偉い人になる必要はないんだけれども、いつ偉い人になるかは分かりませんからね。
偉い人崩れになるのが一番良くないね、偉い人崩れは駄目だな。
色々な経験をして、何かが出来る人になっておくのがいいね。
何かが出来る人に、色々出来る人になっておく。健康体のままで。
自分の道を探すには、それがいいでしょうね。」

リハ

2020-08-30 11:30:08 | 日記
 先週から今週にかけて仕事が忙しい。うちは職種的にエッセンシャル・ワークとか呼ばれる類のもので、コロナ禍でもリモートワークは行われず通常通り職場へ出勤を続けている。感染者が出ないのが奇跡だと言えるほど、対策は決して十分であるとは言い難い職場環境だ。それを皆で工夫して改善しよう、という流れに持っていけないほど個人それぞれが抱える仕事が多く、忙しい。直接的に人様の為になる仕事ではあるため、日々心してかかっていることに変わりないのだが。なんとかもう少し楽に、余裕を生んであげられないもんか。自分の仕事を減らす工夫をし続けていたものの、この一ヶ月ほどで数人職場を去ることが決まり、彼らにふった仕事がほとんどこっちに戻ってくる。やるせないが、新たにふれる場所を探さないといけない。同僚と共倒れになる前に。思いの外、向上心を持って真面目に仕事のことを考える日々。最後にドラムを叩いたのがいつの日だったか思い出せない。体感では2ヶ月以上は過ぎた。筋力も落ちてるだろうし、何よりスティックの跳ねっ返りのインパクトを味わっていないブランクが恐ろしい。叩けば響く、を実感していない身体。なまりなんて言葉じゃ表し切れない喪失が起こっていることは間違いない。楽器を毎日触れる離れを増設したい。俺も伊豆に居を構えるべきだろうか。そこで一日中楽器を触ってスピーカーでCDを聴いて、大きなスクリーンで映画を見て過ごすために何が出来るか、何をしているかを真剣に考えなければいけないんだろうか。30台前半を「まだ若いんだ!」と叫んだ木梨憲武の顔を思い出す。あれは若手俳優に言ってたんだったっけ。岡田将生や福士蒼汰、三浦春馬。芸人やミュージシャン同様、失われたというイメージを付与された俺たちの世代が狼煙を上げるのはいつか?実は既にそれは上がっていて、表立ってはいないがそれぞれが革命的な動きを始めている。胎動が起きている。果敢に挑戦している。聡明さはなくとも、胡散臭いと言われようと、あらゆる「面倒臭い」と戦いながら武器を磨く狭間の若者たち。昭和と平成の溝でもがく俺たちが、一見つまらないプロジェクトの中に放り込まれても特異な存在感を放っている事態に、皆気付かないふりをしているだけだ。
 それにしたって一つ下?の踊ってばかりの国の最近のリリース持続が素晴らしい。良作をコンスタントに、解き放たれたかのように力を抜いて作り続けているじゃないか。楽しげに、昭和世代の残滓を香らせながら平成、令和に一致するつもりもなさそうな彼ら。「Orion」なんて涙なしに耳に出来ないでしょう、俺たち。あのばかでかいアコースティックギターの迫力に笑わされつつも、切実な解放の喜びがあの映像には確かに映っている。Sufjan Stevensもスマパンも新譜を出す。SuiseiNoboAzが無観客配信ライブでロングセットの演奏を披露。LOVE PSYCHEDELICOがLady Maddonnaをテレビで歌う映像を見てバッド・トリップを起こしそうになった。