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第4章 原因の2-萌える世界と都会に失われた純愛をめぐる異同と萌えの利点
萌える世界へようこそ
4.1 都会に失われた純愛
純愛とは何のものであろうか。小倉千加子氏は「若い頃に出会った恋人と、一生離れたくないと思ってしまい、一時の情熱に駆られて結婚を決めるような、一切の打算のない愛を『純愛』と呼ぶ」[35]と説明した。つまり、中学・高校時代の思春期に至る若者の二人は心と肉体を撫であって、経済的な条件を抜いて、相手を守るために生死を超克した愛情を指す。
現実の場合では学生時代を過ぎると、それは追いかけられないことである。しかし、恋愛シミュレーションゲーム[36]では、仮にゲームオーバーにしてもリセットした後、攻略を通じて夢見る相手と結びつける。仮にベテランにとってもかなり難しいゲームにしても、外見や経済的な条件を一切免除されたので、萌えOTAKUの場合にはもう現実の難しいモードから易しいモードに変えた。
実際、日本の大都会ではカネとカオを抜いた純愛はもう失われたか。2004年、純愛小説「世界の中心で、愛をさけぶ」からのブームを爆発した。小説は村上春樹の「ノルウェイの森」を超え日本国内小説の最大発行部数(321万以上、小学館のサイトより)を記録した。またその映画は2004年5月東宝系にて公開し、興行収入83億円、観客動員数620万人を記録し(2004年10月12日の日刊スポーツより)、この年の実写映画No.1になった。そして、映画の主題曲、歌手・平井堅さんの「瞳をとじて」はオリコン[37]年間シングルチャート第1位(83万枚以上)など驚異的な成績を収めた。
また、韓国ドラマ「冬のソナタ」(2002)は2003年4月からNHKで放送されて大騒ぎになって、いわゆる「韓流」[38]を大きく促進した。東京都知事・作家の石原慎太郎氏は「冬のソナタ」の例を挙げて、「あの騒ぎの根底にあったものは一種のノスタルジー[39]でしかなく、その主題はこの日本社会では風俗的にも失われた純愛に他なるまい」[40]と述べた。
それは現実的に両性はカネとカオを相互に求め合い、むしろ交換している時代で、「こうした性に関する情報の氾濫と便宜が保障された文明にあっては、人間はそうした氾濫の中でもはや、欲望との対極の抑制や禁欲によってこそ晶華(昇華)される性愛の甘美さ、その以前のステイジ(ステージ)として在り得る恋愛の悲痛な渇きを覚えることなどありはしまい」[41]と石原氏が続けて述べた。それで、なぜならそういう純愛作品のために泣くのは、心を澄める恋愛物語を探し、そして感情移入して、最高の山場にたどり着いて再会する、または離別するキスで涙が雫となって慟哭する。それはいわゆる「泣きゲー(ム)」[42]のシナリオの展開と似ているところが多いのではないかと思われている。
[35]小倉千加子.結婚の条件[M].東京:朝日新聞社,2003.28
[36]恋愛シミュレーションゲーム:現実恋愛を模倣するゲームを指す。男性向け、女性キャラクターを相手にするのは美少女ゲーム、ギャルゲー(ム)とも言える。
[37]オリコン:CD販売量序列チャートといった音楽情報サービスを提供する日本最大手の会社。
[38]韓流:「冬のソナタ」をきっかけとして、マスコミが大いに報道するようになって、2003年の半ばから始まった。特に同ドラマの主演男優「ぺ・ヨンジュン」が「ヨン様」と愛称をされるブームが中心として、日本の中高年の女性に大人気を博して、ほかの韓国ドラマ、さらに一般の韓国文化も熱中した風潮を指す。
[39]ノスタルジー(仏):ノスタルジア(英)とも、故郷や過去の時代を懐かしむこと。
[40]石原慎太郎.仮想と虚妄の時代―援助交際と純愛―[J].文芸春秋,2005,2005.5:274
[41]石原慎太郎.仮想と虚妄の時代―援助交際と純愛―[J].文芸春秋,2005,2005.5:274-275
[42]泣きゲー(ム):ギャルゲームやアダルトゲームにおいて、プレーヤーを作品のシナリオ、場面への感動、涙を大いに煽るゲーム類別。
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4.2 萌える世界を実写する可能性
それで、大都会には失われた純愛を取り戻すために、そのような作品を作って、そして感動する。しかし、それと萌えOTAKUの望む純愛は大変な隔たりがある。主に女性と一般の人は心も肉体も触れることができる愛情を求めている。一方、萌えOTAKUを望むのはデータベース、記号化された「仮想現実」の物語で作り上げられた美少女キャラクターに対するカルト的な傾倒を指す。
さて、萌える世界を実写する可能性があるか。少女漫画を実写したものが多いが、例えば「花より男子」(神尾葉子/集英社,1995)は日本だけでなく、台湾も版権をもらってドラマを作って、東アジアでは大ヒットを収めた。しかし、萌え作品を実写する問題点は、
1. 萌えは男性優位主義で物語を書くところが多いので、観衆は主に女性のドラマ、映画市場にとって興味があまりない;
2. 萌え作品は本来非現実的なものが少なくなく、例えば魔法少女、幽霊、延いては物の擬人化など空想的な属性は、三次元より二次元で表すほうがもっとよい。また、キャラクターに当たる美しい女優はあまりいなく、そしてアニメなどでは多彩な髪の毛を実際に表現すると、悪いものがおびただしい。例えば大ヒットした少女漫画の「美少女戦士セーラームーン」(武内直子/講談社,1993[テレビドラマ2003-2004])の実写ドラマの不評さによって、むしろ本来の作品のイメージを壊す可能性が高い;
3. 現実の人間の物語にしても近親愛[43]、ロリコン、ハーレム[44]など禁断のシチュエーションを用いた作品を道徳的に自粛した場合が多い。そのため、実写できる作品の数はどんどん下がった;
4. サービスシーンをカットすることできるが、女性からの過激的にいちゃつく動き、口癖、またメイドや巫女の萌え属性を含めた服装などを避けられないので、一般のドラマ、映画で映すと、なんか不自然な気分を漂う。
そういった制限によって、萌え作品はただ二次元に限ってしか表現できなく、むしろ二次元を用いて、現実にはほとんどありえない愛を試したいのではないか。特に現実の女にいじめられる萌えOTAKUにとって空想の空間で一時的に現実の悲しみを逃避して、非現実の愛で心を癒すのはもっと快感を取れるであろう。
[42]近親愛:妹・姉・母らと倫理で禁じられた肉親以上、まるで恋人同士の愛情を指す。
[43]ハーレム:日本ACGでは、イスラム教においての一夫多妻制以上、複数の女性キャラクターを相手して、交際・婚姻関係を維持している状態を指す。
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4.3 萌える世界の魅力的な利点
さて、どうして彼たちはカルト的に萌える世界に没頭するか。私は下記の利点をまとめた。
1. 男としての自尊を取り戻せる;女や恋愛資本主義に圧迫されている男は美少女キャラクターに優しく愛される、奉仕されるパラダイスによって、自分の憎しみ、怨みが解消できる。
2. 処女性を追求する欲望が叶える;多くのシナリオではヒロインが処女である設定が多いので、萌えOTAKUにとって純潔な聖女のように心に宿っている。
3. 二次元キャラクターの美しさ、青春が永遠に保てる;歳月人を待たず、人間は年寄りになる日が必ずあるが、キャラクターはまだ美少女のままを維持でき、「カオ」の価値が下がらない。
4. 恋愛相手転換の自由度が高い;ソフト、フィギュアなどを放棄しても、ネットオークションらを利用して売り、一部の代金を取り戻せ、また新しい作品を選べる。しかし、人々に送ったプレゼントの返金を求める可能性はほぼゼロである。また、彼女を傷付ける恐れも一切必要がない。
5. ハーレムを軽易に作れる;一部のゲームのシナリオの中で、ハーレムの物語を味わえる。また、複数の作品のキャラクターを自分でクロスオーバーしても平気である。
6. 資金や心掛けを投入する必要度が低い;人間は貪欲なものでありながら、ゲームソフトやキャラクターグッズの定価があり、ずっと安い。また、ソフトを一度プレーした後セーブして、数ヶ月間にやめても大丈夫である。
7. 難しさが低い;人間の心には不可解なものが少なくないが、ゲームの難所を解くところが多くにしても、攻略を通じて解ける。
8. 安定さが高い;品物を一度買った後、ずっと自身のものである。
実際、上記のポイントは自己中心のことがいっぱいあるのを認めなければならないが、それは萌えOTAKUが今の世代に夢見る大和撫子を探す道である。現実女性に対する憧れを放棄し、「オタクたちが趣味の共同体に閉じこもるのは、彼らが社会性を拒否しているからではなく、むしろ、社会的な価値規範がうまく機能せず、別の価値規範を作り上げる必要に迫られているからなのだ。」[44]一方、男だけでなく、女も二次元を通じて美男子キャラクターと純愛に浴びられて、それで「腐女子」[45] 、「やおい(801)」[46]などの文化も派生した。
[44]東浩紀.動物化するポストモダン オタクから見た日本社会[M].東京:講談社,2001.43-44
[45]腐女子:男性同士の間の恋愛関係を描いた小説や漫画を愛好する女性を指す俗称。
[46]やおい(801):女性向け、男性同士の間の性愛関係を扱う小説や漫画らの俗称。
続き:「萌えOTAKU」の産生の原因とその現状をめぐる基礎分析(正文6)
第4章 原因の2-萌える世界と都会に失われた純愛をめぐる異同と萌えの利点
萌える世界へようこそ
4.1 都会に失われた純愛
純愛とは何のものであろうか。小倉千加子氏は「若い頃に出会った恋人と、一生離れたくないと思ってしまい、一時の情熱に駆られて結婚を決めるような、一切の打算のない愛を『純愛』と呼ぶ」[35]と説明した。つまり、中学・高校時代の思春期に至る若者の二人は心と肉体を撫であって、経済的な条件を抜いて、相手を守るために生死を超克した愛情を指す。
現実の場合では学生時代を過ぎると、それは追いかけられないことである。しかし、恋愛シミュレーションゲーム[36]では、仮にゲームオーバーにしてもリセットした後、攻略を通じて夢見る相手と結びつける。仮にベテランにとってもかなり難しいゲームにしても、外見や経済的な条件を一切免除されたので、萌えOTAKUの場合にはもう現実の難しいモードから易しいモードに変えた。
実際、日本の大都会ではカネとカオを抜いた純愛はもう失われたか。2004年、純愛小説「世界の中心で、愛をさけぶ」からのブームを爆発した。小説は村上春樹の「ノルウェイの森」を超え日本国内小説の最大発行部数(321万以上、小学館のサイトより)を記録した。またその映画は2004年5月東宝系にて公開し、興行収入83億円、観客動員数620万人を記録し(2004年10月12日の日刊スポーツより)、この年の実写映画No.1になった。そして、映画の主題曲、歌手・平井堅さんの「瞳をとじて」はオリコン[37]年間シングルチャート第1位(83万枚以上)など驚異的な成績を収めた。
また、韓国ドラマ「冬のソナタ」(2002)は2003年4月からNHKで放送されて大騒ぎになって、いわゆる「韓流」[38]を大きく促進した。東京都知事・作家の石原慎太郎氏は「冬のソナタ」の例を挙げて、「あの騒ぎの根底にあったものは一種のノスタルジー[39]でしかなく、その主題はこの日本社会では風俗的にも失われた純愛に他なるまい」[40]と述べた。
それは現実的に両性はカネとカオを相互に求め合い、むしろ交換している時代で、「こうした性に関する情報の氾濫と便宜が保障された文明にあっては、人間はそうした氾濫の中でもはや、欲望との対極の抑制や禁欲によってこそ晶華(昇華)される性愛の甘美さ、その以前のステイジ(ステージ)として在り得る恋愛の悲痛な渇きを覚えることなどありはしまい」[41]と石原氏が続けて述べた。それで、なぜならそういう純愛作品のために泣くのは、心を澄める恋愛物語を探し、そして感情移入して、最高の山場にたどり着いて再会する、または離別するキスで涙が雫となって慟哭する。それはいわゆる「泣きゲー(ム)」[42]のシナリオの展開と似ているところが多いのではないかと思われている。
[35]小倉千加子.結婚の条件[M].東京:朝日新聞社,2003.28
[36]恋愛シミュレーションゲーム:現実恋愛を模倣するゲームを指す。男性向け、女性キャラクターを相手にするのは美少女ゲーム、ギャルゲー(ム)とも言える。
[37]オリコン:CD販売量序列チャートといった音楽情報サービスを提供する日本最大手の会社。
[38]韓流:「冬のソナタ」をきっかけとして、マスコミが大いに報道するようになって、2003年の半ばから始まった。特に同ドラマの主演男優「ぺ・ヨンジュン」が「ヨン様」と愛称をされるブームが中心として、日本の中高年の女性に大人気を博して、ほかの韓国ドラマ、さらに一般の韓国文化も熱中した風潮を指す。
[39]ノスタルジー(仏):ノスタルジア(英)とも、故郷や過去の時代を懐かしむこと。
[40]石原慎太郎.仮想と虚妄の時代―援助交際と純愛―[J].文芸春秋,2005,2005.5:274
[41]石原慎太郎.仮想と虚妄の時代―援助交際と純愛―[J].文芸春秋,2005,2005.5:274-275
[42]泣きゲー(ム):ギャルゲームやアダルトゲームにおいて、プレーヤーを作品のシナリオ、場面への感動、涙を大いに煽るゲーム類別。
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4.2 萌える世界を実写する可能性
それで、大都会には失われた純愛を取り戻すために、そのような作品を作って、そして感動する。しかし、それと萌えOTAKUの望む純愛は大変な隔たりがある。主に女性と一般の人は心も肉体も触れることができる愛情を求めている。一方、萌えOTAKUを望むのはデータベース、記号化された「仮想現実」の物語で作り上げられた美少女キャラクターに対するカルト的な傾倒を指す。
さて、萌える世界を実写する可能性があるか。少女漫画を実写したものが多いが、例えば「花より男子」(神尾葉子/集英社,1995)は日本だけでなく、台湾も版権をもらってドラマを作って、東アジアでは大ヒットを収めた。しかし、萌え作品を実写する問題点は、
1. 萌えは男性優位主義で物語を書くところが多いので、観衆は主に女性のドラマ、映画市場にとって興味があまりない;
2. 萌え作品は本来非現実的なものが少なくなく、例えば魔法少女、幽霊、延いては物の擬人化など空想的な属性は、三次元より二次元で表すほうがもっとよい。また、キャラクターに当たる美しい女優はあまりいなく、そしてアニメなどでは多彩な髪の毛を実際に表現すると、悪いものがおびただしい。例えば大ヒットした少女漫画の「美少女戦士セーラームーン」(武内直子/講談社,1993[テレビドラマ2003-2004])の実写ドラマの不評さによって、むしろ本来の作品のイメージを壊す可能性が高い;
3. 現実の人間の物語にしても近親愛[43]、ロリコン、ハーレム[44]など禁断のシチュエーションを用いた作品を道徳的に自粛した場合が多い。そのため、実写できる作品の数はどんどん下がった;
4. サービスシーンをカットすることできるが、女性からの過激的にいちゃつく動き、口癖、またメイドや巫女の萌え属性を含めた服装などを避けられないので、一般のドラマ、映画で映すと、なんか不自然な気分を漂う。
そういった制限によって、萌え作品はただ二次元に限ってしか表現できなく、むしろ二次元を用いて、現実にはほとんどありえない愛を試したいのではないか。特に現実の女にいじめられる萌えOTAKUにとって空想の空間で一時的に現実の悲しみを逃避して、非現実の愛で心を癒すのはもっと快感を取れるであろう。
[42]近親愛:妹・姉・母らと倫理で禁じられた肉親以上、まるで恋人同士の愛情を指す。
[43]ハーレム:日本ACGでは、イスラム教においての一夫多妻制以上、複数の女性キャラクターを相手して、交際・婚姻関係を維持している状態を指す。
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4.3 萌える世界の魅力的な利点
さて、どうして彼たちはカルト的に萌える世界に没頭するか。私は下記の利点をまとめた。
1. 男としての自尊を取り戻せる;女や恋愛資本主義に圧迫されている男は美少女キャラクターに優しく愛される、奉仕されるパラダイスによって、自分の憎しみ、怨みが解消できる。
2. 処女性を追求する欲望が叶える;多くのシナリオではヒロインが処女である設定が多いので、萌えOTAKUにとって純潔な聖女のように心に宿っている。
3. 二次元キャラクターの美しさ、青春が永遠に保てる;歳月人を待たず、人間は年寄りになる日が必ずあるが、キャラクターはまだ美少女のままを維持でき、「カオ」の価値が下がらない。
4. 恋愛相手転換の自由度が高い;ソフト、フィギュアなどを放棄しても、ネットオークションらを利用して売り、一部の代金を取り戻せ、また新しい作品を選べる。しかし、人々に送ったプレゼントの返金を求める可能性はほぼゼロである。また、彼女を傷付ける恐れも一切必要がない。
5. ハーレムを軽易に作れる;一部のゲームのシナリオの中で、ハーレムの物語を味わえる。また、複数の作品のキャラクターを自分でクロスオーバーしても平気である。
6. 資金や心掛けを投入する必要度が低い;人間は貪欲なものでありながら、ゲームソフトやキャラクターグッズの定価があり、ずっと安い。また、ソフトを一度プレーした後セーブして、数ヶ月間にやめても大丈夫である。
7. 難しさが低い;人間の心には不可解なものが少なくないが、ゲームの難所を解くところが多くにしても、攻略を通じて解ける。
8. 安定さが高い;品物を一度買った後、ずっと自身のものである。
実際、上記のポイントは自己中心のことがいっぱいあるのを認めなければならないが、それは萌えOTAKUが今の世代に夢見る大和撫子を探す道である。現実女性に対する憧れを放棄し、「オタクたちが趣味の共同体に閉じこもるのは、彼らが社会性を拒否しているからではなく、むしろ、社会的な価値規範がうまく機能せず、別の価値規範を作り上げる必要に迫られているからなのだ。」[44]一方、男だけでなく、女も二次元を通じて美男子キャラクターと純愛に浴びられて、それで「腐女子」[45] 、「やおい(801)」[46]などの文化も派生した。
[44]東浩紀.動物化するポストモダン オタクから見た日本社会[M].東京:講談社,2001.43-44
[45]腐女子:男性同士の間の恋愛関係を描いた小説や漫画を愛好する女性を指す俗称。
[46]やおい(801):女性向け、男性同士の間の性愛関係を扱う小説や漫画らの俗称。
続き:「萌えOTAKU」の産生の原因とその現状をめぐる基礎分析(正文6)