☆SABOR Y RITMO☆

キューバ・ダンス・子育て・スペイン語などなど・・・についてかおりが思うこと

踊れショーダンス

2005年08月26日 | Weblog
キューバにはほんとに色々な踊りと音楽があります。
サルサ、ソン、マンボ、チャチャチャ、ルンバ(ルンバも3種類あるよ)ヨルバ(いっぱい種類)アララ(あらら?じゃないよ!)フランコハイチアンーノ(いっぱい・・・)キャバレーダンス(無限)などなど・・・
ほんとに豊かな音楽と踊りの文化を持っています。
私がふかーく勉強したのは上記のアララとフランコハイチアーノ以外、くらいかな?
でE様はキャバレーダンス以外全部専門です。
フランコハイチアーノだけが専門と思ってる人もいるみたいだけど、ダンス芸術全部門での1級講師の免許を持っています。死んじゃう前に習わなきゃ。(おい・・・)

話がそれましたが、台風が来てお外に行けずひまだったので、キューバでとったビデオを整理して、見てみよう!とショーダンスのレッスンのときのビデオを出して見てみた。

私は何人かの先生にキャバレーダンス(キューバンショーダンス)を習ったけど、現役のショーダンサーの生活はとても大変だ。
朝(10時くらい)からバレエのレッスン、振りうつし、練習、おうちに帰ってシャワーを浴びてまた本番に出かける。
私がレッスンを受けていたのはこの彼女が家に帰ってきた時間を見計らった5時から6時半くらい。
彼女のレッスンや振り付け練習の都合に合わせて私も動くという感じ。
突然スケジュールが変わって、家に行ってもいないこともたまにあった。
そんなときはご近所さんが「Fue a ensayar」(練習に行ったよ)と教えてくれるから、時間ができた私はネイルをしに行ったり・・・
そしてたまに、オーディションを受けに行ったりもしていた。
海外公演があるカンパニーなどは人気で、受かった後も無給でのensayo(お稽古)が続く・・・

彼女はもともと新体操をやっていて、それからダンスに転向したのでものすごく体が柔らかくバレエもすごくうまい。華がある。普通に道を歩いててもダンサーオーラが放たれてて、私はすごく彼女に憧れる。現在形です。
でも人柄はキューバの田舎の女の子というか、本当に優しく飾らず、純朴な子だった。
レッスンの後に一緒に色々作って食べたり(うそ、私は食べるだけ)おしゃべりしたり、年も近くていい友達だったな。あ、これは過去形にしてしまった、いい友達、今も。

給料はというと、月収40ドルくらいみたいだった。
これは、大変なことですよ。
一般キューバ人の平均よりは多いけど、これじゃ暮らせないです。

でも言っていいですか?
苦しくても、給料が40ドルでも、私は彼女が羨ましい(現在形)。
ダンスの先生じゃないんよ。
ダンサーよ。

ああ、技術は追いつかなくても私だって踊ることが好きなんだよ。
そのためにキューバに行ったくらいなんだから、キューバの踊りと音楽が好きなんだよ。
踊っていて、教えていて、音楽を聞いて鳥肌が立つんだよ。
ショーダンスのレッスン始めてキューバで受けたときには、こんなに楽しくてかわいいダンスがあるんだと、感動しました。
忘れちゃいけない。
感動も、振りも・・・・・
もっともっと踊ろう!

※9月19日(月・祝)舞浜でE様とかおりでパフォーマンスします・・・
レッスンとドリンク+キューバ料理つきのパーティです。
よかったら来てね!

キューバ好き?

2005年08月24日 | Weblog
キューバ関係のテレビ、8月20日の深夜やってましたけど見た?
再放送の再放送(たぶん)だと思うけど・・
キューバ関係だから一応見るでしょってことで一応見ました。

この番組がそうとは言わないが、キューバを過大に美化しすぎるのはよくないと思う・・・
確かに、キューバ音楽はすばらしい。古い町並みもとってもかっこいい。
その音楽を生んだキューバという国もすばらしい。
でも、踊れないキューバ人もいっぱいいるし、ソンとかルンバとか特に踊れない人いっぱいだし、サルサを踊ってもリズムはめちゃくちゃな人いっぱいいるし、大体サイクロンとか来ると音楽どころじゃないし、それより何より今日明日あさっての生活のことの方が大変だし。
古い家、いっぱい雨が降ったあと太陽をいっぱい浴びるとそこから壊れます。特に地方。
フィデル様が明日何を発明するかわからないし。
ほんとに経済状態は最悪。
盗まないと生きていけないからしょうがないでしょの理屈が通用する国です。

日本に行くとき「今度キューバに来るときエアコンを日本から持ってきてくれたら、なんでも税関通してあげる!」といわれました。
キューバって炊飯器とかドライヤーとか、電化製品なんでもは持ち込めないからね。
しかしお金でなんでも解決できます。
そして役人でもタクシードライバーでも通行人で取れるところからはどこからでも取ろうとします・・・

ついでに書くと私がずーっと払っていたバレエのレッスン費用、カンパニーのお金係り(なんていうの?)がずーっとネコババしていて後から大問題になりました。
あ、思い出すだけで怒りが・・・
(このときは私はキレてmalas palabras(禁断ワード)炸裂させました・・・情けなし)

結論からいうとキューバにもいいところと悪いところがある。他のいろんな国と同じように。
ということです。
権力ある人は濫用しちゃうってのも日本と同じ。
権力は腐敗する by モンテスキュー 

でね、問題のNHKの番組なんだけど。
日本の人たちに広くキューバのことを広める。という点では意味があります。
しかし、だからといってニセモノはあかん。
たとえばソンはコントラティエンポでステップを踏むとか、そういうところが間違えられちゃうとしらけます。
サルサもさー普通にオドッテヨーー。
Si no sabe no te metaという言葉、サンファラエルだっけ、でかく書いてあるでしょ、壁に。
知らないんだったら首突っ込むなと。
プロというなら間違えないで。つーかほんとに知らんで正しいと思って踊ってるんだったら論外。

今度キューバ行くときはどーしようかな。
経済状況がさらに悪化してるみたいだから、誰とも友達になれないかもしれない。

ハピバースディトゥミー

2005年08月21日 | Weblog
わたくしごとだけど、誕生日でした。
28歳!
お母さんが生んでくれたおかげで、毎日楽しく生きることができます。
感謝の気持ちでいっぱい。ありがとう!
ということをメールで母親に送ったら、「わかればよい」と返ってきた。
・・・・殿(との)?

自分のためにプレゼントとかE様も仕事だし特に何もないけど、友達が写真を撮ってくれた。
誕生日のために何か願いをかなえてもらえるとしたら、E様が一日でも長く生きてくれること。
これはずっと何年も祈っていることだけど。

先に言うのはおめでとうを強要するみたいでイヤだから言わなかったけど、一日後ならいいだろうと思って浅草で行ったら、すばやくケーキを買ってきてくれて、いきなりおめでとうをしてくれた。
恥ずかしかったけど、嬉しかった。ありがとう。

目をそむけない!

2005年08月17日 | Weblog
なななななんと、可愛い可愛いうちのパソコンがついに電源が入らなくなり、3週間(予定)の修理の旅に出てしまいました。
E様はインターネットでキューバの新聞を読んだりラジオを聞いたりしてるのでかなりかわいそう・・・

新宿のビックカメラまでタイちゃんとパソコンを抱えて、電車で行きました。
そのときに隣に座っていたお母さんと女の子。
女の子はお母さんにもたれかかり、安心しきって眠っていました。
タイちゃんがお母さんをじーと見つめて、私とお母さんで話し始めました。
この子はお父さん外人さんかしら?と言われて、私がそうですというと彼女は色々と自分のことを話し始めました。
青森県からこっちに嫁いできたこと、故郷が恋しいがなかなか帰れないこと・・・
そして一緒にいる女の子について
「この子知恵遅れなんですよ」と、話し始めました。
子どもを連れて自殺するお母さんが多いみたいだけど、みんな障害を持った子どもの親じゃないかしら。
子どもが小さいころは何をやっても遅くて、たくさん叩いてしまったの・・
色々と彼女は語った、けど私は何も言えず女の子の右腕をさすり涙をこらえているのがやっとでした。
女の子が眠っているからと30分以上も目的の駅から過ぎていました。

私は関係ないと思いたくない。
この日からこの親子のこと、そして見えないところで苦しんでいる人たちのこと頭から離れません。

本当に何もできない情けないほど無力な私ですが、何かできること考え続けています。
生きることが大変で甘えることが多いけど、自分にできること何かないか?
問題意識を持ち続けようと思う・・・

ブログにふさわしいか迷いましたが、私なりに思い切って書いてみました。
何かコメントを残していただけたら幸いです。

ところで今日タイちゃんは7ヶ月を無事に迎えました。
歯は下に2本見え始め、高速ホフク前進をします。
大げさじゃなく、命にかえても守りたい私のタイちゃん。
写真は生後2週間ちょっとの・・・
なぜなら最新の写真はパソがないからのせられない・・

VAN VAN 行ったよ!

2005年08月11日 | Weblog
行きましたよ、VAN VAN。1時間ほど遅刻したが。
もちろんべびーも一緒です。
ばんばんのメンバーにE様の国立芸術大学時代の同級生がいて、アシナガ家を招待してくれたのだ!
ちょとラッキー。

よかったーVAN VAN。キューバでのライブと違うのは、観客だけだった・・・
ヒネテーロもカルテリスタも警察もいなかった。
VAN VAN はいいなやっぱり・・・Es una musica cerrada この一言につきます。
初めて彼らの音楽を聴いたときの感動を思い出します。

Te pone la cabeza malaの歌詞をロベルトンが変えてたの気づいた?
最後の方、mala cabezaに変えて歌ってたんだけど、意味をちょぉっと変えてきましたね。
これから行く人、要チェキ!(死語)

キューバみたいにもっとお安く(っていうかタダとか)いつもばんばんが聞ければいいのにねぇ。
それは無理か・・・

それにしても久々に大暴れできたし楽しかった。
これもタイちゃんをみなさんが抱っこしていてくれたおかげです。
タイちゃんのこと心配してくれてありがとう、タイちゃんはクバーナだから大丈夫なの。
タイちゃんが一緒じゃなかったら、私とE様はタイちゃんのことが心配でライブどころじゃなくなっちゃうし。

ああ次は、てぃぶろんが来日してくれないかな、てぃぶろん・・・

※Es una musica cerrada: closed music とでも言いましょうか・・
※ヒネテーロ(女はヒネテーラ):主に外国人観光客の金目当てに仲よさそうに近づいてくるうざいキューバ人。
※カルテリスタ:スリのみなさん。
乱暴な説明ですいません。

日々是遭遇

2005年08月10日 | Weblog
家にいない。家にいない。私は本当に家にいない。
タイちゃんをベビカーに乗せ、階段もベビカーを担いで(だーーれも手伝ってくれないもおーーーん)どこへでも行ってしまう。
夜の六本木もなんのその、ベビカーで終電で帰ってきてしまう。

E様はふりつけ指導で帰りが遅くなるからと、タイちゃんと二人で、11時の六本木交差点。
キャバクラの客引き(多分)のおじちゃんが赤ちゃんをのぞきこむ。
かわいいね、男の子・・・?
「女です。」
色がちょっと黒いねえ。
パパが黒人だから。
そう、大変でしょう、不況だし・・家賃がもっと安くなればいいんだけどねぇ・・・
そうですねー・・
でも幸せ?
はいとっても・・
彼は優しい?
はい仕事一生懸命してくれるし・・・そちらも遅くに仕事で大変でしょう?
そうね、今お客さん少ないね・・
そおですか・・・
頑張ろうね、大変だけど頑張るしかないから
そうですね、頑張りましょうね
俺いつもここいるから
私もいつもここ通ります
気をつけてね
はいそちらも頑張ってください
じゃあ・・・・


はあーーーーせつないな・・・・と苦しくなった胸で、しかし誰も手伝ってくれない乃木坂駅のホームへの階段を、大きくなってきて重いタイちゃんつきベビカーをわっせわっせとおろす。
千代田線に乗り込んで、たまたま隣に座っていたのは真っ黒な肌の色をした男性だった。

Do you speak english?
Spanish.
日本語は?
はい話せます。
赤ちゃんすごくかわいいね。男の子?
「女です。」
すごく元気ね。
全然寝ないんです。
強いんだ・・すごくかわいいね、僕は子供いないけどお兄さんに子供いるの、今3ヶ月、この子の名前は?
タイニー。
タイニー、おいで・・・
タイちゃん、抱っこしてもらっていいな・・・

途中の駅で降りるまでずっとお話して、彼が下りたら反対どなりに座っていた若い男性二人が話しかけてきた。

あの人パパですか?
パパじゃないんです、たまたまあった人、彼はガーナの人らしいけどうちのパパはくーば人です。
赤ちゃんめっちゃ可愛いですね、女の子でしょ?
そうです♪
めっちゃ可愛いですねー今何ヶ月ですか?
6ヶ月です
いいな子供ちょー可愛いな~俺も子供欲しいな
作ればいいじゃん新婚だし
新婚なんですか?
先月結婚したばっかりなんです
へー、あ電話じゃないですか?奥さんですか?
嫁です、ちょっと出ますね、あもしもし?今松戸・・・

たまたま同じ駅で降りた彼はベビカーの階段の上げ下げを手伝ってくれ、私を年下と思い込んで「頑張ってね」と言って奥さんの迎えの車を待つためそこに残り、私は先にタイちゃんと歩いて行った・・・


タイちゃん、タイちゃんのこれからの人生ステキな出会いがたくさんありますように。
タイちゃんはたくさんの人に抱っこされて、大きくなったんだよって言ってあげたい。
ママからタイちゃんにあげられるのはせいいっぱいの愛情だけなの。


なんとなくせつない夏の夜。
明日もタイちゃんとE様と出かけよう・・・
また私たち家族にすてきな出会いがありますように

天国で会いましょう

2005年08月09日 | Weblog
イブライム・フェレールが亡くなりました。
彼はもう人生ものすごーく後半になってから、キューバから旅立ち、世界中で、そして日本にも来て、その歌声で賞賛を浴びることになりました。
それまでは靴磨きを生活のためにしていたと言っていました。
もしライ・クーダーが彼らをプロデュースしていなかったら、彼の人生はどうなっていたんだろ・・・
イブライムフェレール。
静岡でブエナビスタのライブで彼を見たときは、メガネドラッグの白いタオルを首にまいていました(本当)。
彼のソンをよく聴きましたこれからもまたたくさん聴くと思います。

彼の死によって私とE様はなんとなく暗くなってましたが、なんとつい先ほどノエルニコラまで亡くなってしまったニュースを目にして愕然としました。58歳。若すぎます。
知らない人も多いかもしれないですが、ヌエバトローバの創設者(fundador)の一人です。

すばらしいミュージシャンが亡くなるというのはとても悲しいことです。
彼らの人生はどんなものだったのだろう。
幸せだったかな・・そうであってほしい。
ミュージシャンとして生きられたこと、私から見たらとてもうらやましい。
たくさん苦しいこともあったかな・・・やっぱりねきっとあっただろうな・・・

天国でもすばらしい音楽を披露していることでしょう。
彼らと天国で話をしたいと思います。

Quise esconder mi alma, pero se me ve
Quise esconder mi alma, pero se me ve...


(心の中を隠そうとしても、どうしても見えてしまう・・・)こんな感じかなあ。

Son oscuro/Noel Nicola