沖縄タイムスに衝撃のニュース。
以下引用
沖縄ジャズ協会会長の屋良文雄氏が8日午前10時5分、
前立腺がんで入院していた那覇市内の病院で死去した。
70歳。那覇市泊出身。
引用終わり
1995年の8月。
きしの屋、本格的な沖縄通い最初の旅のおはなし。
前日の夜に友達になったばかりの民謡酒場のオーナーに連れられて訪れたのは、
泉崎病院の向かいにある細い階段をのぼったお店でした。
ライブハウス「寓話」
むせ返るような外の暑さを吹き飛ばすガンガン効いた冷房の中、
泡盛と共にいただく屋良さんの奏でるスウィンギーなピアノは、
どこまでも伸びやかで明るく、そして軽やかにきしの屋の心に染みわたりました。
ステージを降りれば、フツーの酔っ払いオジサンになる(笑)屋良さんと
明るいママ奥さん、黙々と料理を作る控えめな息子さん。
ご家族でつくるこの店の雰囲気は、
きしの屋が理想にしている「いい酒・いい人・いい音楽」が三拍子揃った素晴らしい空間。
一度足を運んだこの夜から「寓話」の虜になってしまい、
それがいままで続く沖縄通いのキッカケになったようなもんです。
それだけ屋良さんのピアノと寓話の空気感が大好きでした。
昨年11月。
mm@妻と寓話に行った際には、すでに屋良さんは入院中で、
それでも奥さんは「車椅子でもピアノは弾けるから大丈夫~」って明るく仰っていましたが、
まさかこんなに早く訃報に接するコトになるとは…。
今夜は、屋良さんのCDを聴きながら泡盛をいただこうと思います。
心からご冥福を祈りつつ…。
合掌。
以下引用
沖縄ジャズ協会会長の屋良文雄氏が8日午前10時5分、
前立腺がんで入院していた那覇市内の病院で死去した。
70歳。那覇市泊出身。
引用終わり
1995年の8月。
きしの屋、本格的な沖縄通い最初の旅のおはなし。
前日の夜に友達になったばかりの民謡酒場のオーナーに連れられて訪れたのは、
泉崎病院の向かいにある細い階段をのぼったお店でした。
ライブハウス「寓話」
むせ返るような外の暑さを吹き飛ばすガンガン効いた冷房の中、
泡盛と共にいただく屋良さんの奏でるスウィンギーなピアノは、
どこまでも伸びやかで明るく、そして軽やかにきしの屋の心に染みわたりました。
ステージを降りれば、フツーの酔っ払いオジサンになる(笑)屋良さんと
明るいママ奥さん、黙々と料理を作る控えめな息子さん。
ご家族でつくるこの店の雰囲気は、
きしの屋が理想にしている「いい酒・いい人・いい音楽」が三拍子揃った素晴らしい空間。
一度足を運んだこの夜から「寓話」の虜になってしまい、
それがいままで続く沖縄通いのキッカケになったようなもんです。
それだけ屋良さんのピアノと寓話の空気感が大好きでした。
昨年11月。
mm@妻と寓話に行った際には、すでに屋良さんは入院中で、
それでも奥さんは「車椅子でもピアノは弾けるから大丈夫~」って明るく仰っていましたが、
まさかこんなに早く訃報に接するコトになるとは…。
今夜は、屋良さんのCDを聴きながら泡盛をいただこうと思います。
心からご冥福を祈りつつ…。
合掌。