牧浜の寺に小網倉で亡くなったおじさんに線香をあげに行った。
小積浜から牧浜へ向かう道は聞いていた以上に悪路であった。
道中、「畳」で補修されている箇所もある。
牧浜にはボランティアのキャンプらしき設備もあった。
寺に行くと10体の骨壺が並んでいた。
こういう光景だとは当然覚悟の上だったが
いざ目の前にすると言葉を失う。
思えばおじさんは昨秋小積浜に行ったときに、
ふらっと車で立ち寄り、僕がつくったカレーをもって帰ったっけ。
(でも、車なのに、どうみてもどこかで一杯ひっかけた後にしか見えなかったなあ)
そのあと僕の祖母の葬式の時は受付もしてくれたなあ
といろいろと思い出しながら手を合わせた。
おそらく見つかることはないと半ばあきらめていたら
3月下旬に山に打ち上げられていたのを発見され
着ていた警備会社の制服で名前がなんとかわかった。
4月に行ったときはおじさんの姉は制服を丁寧に洗っていた。
「でも完全にきれいにはならないんだよね」と。
その後仮土葬され、津波から一か月たって火葬。
おじさんが墓にやっと入れるのは4か月たった7月の中旬の予定です。
結局、近い親戚で亡くなったのはこのおじさんだけであった。
父は「●●(おじさんの名前)が代表で逝ったんだよ」と。
小積浜から牧浜へ向かう道は聞いていた以上に悪路であった。
道中、「畳」で補修されている箇所もある。
牧浜にはボランティアのキャンプらしき設備もあった。
寺に行くと10体の骨壺が並んでいた。
こういう光景だとは当然覚悟の上だったが
いざ目の前にすると言葉を失う。
思えばおじさんは昨秋小積浜に行ったときに、
ふらっと車で立ち寄り、僕がつくったカレーをもって帰ったっけ。
(でも、車なのに、どうみてもどこかで一杯ひっかけた後にしか見えなかったなあ)
そのあと僕の祖母の葬式の時は受付もしてくれたなあ
といろいろと思い出しながら手を合わせた。
おそらく見つかることはないと半ばあきらめていたら
3月下旬に山に打ち上げられていたのを発見され
着ていた警備会社の制服で名前がなんとかわかった。
4月に行ったときはおじさんの姉は制服を丁寧に洗っていた。
「でも完全にきれいにはならないんだよね」と。
その後仮土葬され、津波から一か月たって火葬。
おじさんが墓にやっと入れるのは4か月たった7月の中旬の予定です。
結局、近い親戚で亡くなったのはこのおじさんだけであった。
父は「●●(おじさんの名前)が代表で逝ったんだよ」と。