そこには憔悴しきった表情が写し出されている。
洗面台に取り付けられた冷たい鏡。
お風呂の湯気で曇った鏡から、だんだんとその姿が露呈されていく。
鋭く深い目の中に、一体何が写し出されているのだろうか・・・。
知っているのはその鏡とおれ自身だけ。
それはもう一人の自分。
悪魔。
そこには間違いなくもう一人の自分が目の前に存在する。
冷たく凍えてしまいそうな目は、自分の心をも凍らせていく。
自分 . . . 本文を読む
彼の名前はハウル。
悪魔との取引で心を奪われた悲しい青年。
悪魔に売った心と引き替えに、彼は魔法という力を手に入れた。
彼は魔法を必要としていた。
それは本当の自分の醜い姿を隠すために・・・。
彼は魔法を使って着飾った。
髪を金色に染め、派手な服に装飾品。
誰もがその姿に見とれた。
周りの人の心を奪った。
美しく、自信に満ちあふれた出で立ちに、彼の魅力は装飾された。
しかし、彼の本当の姿は醜い獣 . . . 本文を読む
おれは子供の頃から親の期待を背負って生きてきたような気がする。
それはもしかしたら自分の思い過ごしかもしれないけど、いつも親の目ばかりを気にして生活していた。
すべては親に褒めてもらうためにやっていたような気がする。
勉強も運動も、自分が関わるすべての事に親からの評価ばかりを気にして生きていた。
幼少時代はそれがいつの間にか自分へのプレッシャーとなって、押し潰されそうになるのを必死でこらえていた。 . . . 本文を読む
最近は「優しさ」について考える事が多くなった。
ただ漠然と「優しさとは何か」と考えると意外に答えは見つからないものである。
その答えを探す旅の途中で様々な事に出くわし、そしてまた考えさせられていく。。。
ある本にこう書いてあった。
「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」と。
これは昔の人が言った言葉だろう。
誰が言ったのかは記憶にない。
しかし、この言葉には幸せ . . . 本文を読む
このように文章を書き始めてから、かれこれ5年ほどが経過しています。
おそらく200くらいの文章がおれのパソコンに眠っています。
これを始めたのも、常に自分自身の成長を確認するために他なりません。
たまに過去の文章を読み返すことがあります。
確かに変わっていることは多く見受けられます。
ただそれが成長なのかは分かりません。
これをおれは「変化」と呼んでいます。
しかし、唯一変わっていないのが常に . . . 本文を読む
いつも年が明ける前から今年の目標を決めているのですが、なかなか今年は定まりません。
これも大殺界のせいなのでしょうか・・・。
おれは今までいろんな事を挑戦し、経験してきた。
サッカー
サーフィン
ロッククライミング
自転車とランニング
でも、どれも極めることなく挫折してきた気がする。
親にも「三日坊主」と言われ、何かを始めてはやめる時期を伺っているようだ。
今となってはアメリカンフットボ . . . 本文を読む
人は必ずしも思った通りの人生を歩んでいるわけではない。
それが小さな事でも大きな事でも、なんかしらの矛盾を抱えて生きているものだ。
社会に出るような年になると、その矛盾が自分の表面的な部分に露出してくる。
仕事をしていても、頑張っているものの足をひっぱたり、出る杭は打つといった習慣がどの職場でもあるものだ。
もちろんおれのやり方が全て合っているとは到底思えないし、むしろ常に自問自答を繰り返しては . . . 本文を読む
明けましておめでとうございます。
文章を書くこと自体が久しぶりだから何から書こうか悩んでいます・・・。
何度かこちらを訪問してくださった方々、更新が遅れてしまってすみません。。。
では、まずは去年を振り返ってみようと思います。
去年は「和」のテイストにかなりはまったような気がします。
座禅から始まり、京都・伊勢・長野県への旅行。
習字、水墨画。
餅つき。
これは年を明けてからだけど、着物を着て . . . 本文を読む
おれの中には二人の自分が存在する。
それはどんな時にも自信に満ちあふれた自分と、小さなことでもクヨクヨと考えては落ち込んでいく自分。
そんな二人がおれの中のバランスを保っている。
それは自分で選択することは難しく、朝起きたときにまるでルーレットのように決まる。
最近は、その幅が著しく大きいことに自分を制御できないでいる。
制御というよりも、うまくその感情を受け入れられていないのか・・・。
まる . . . 本文を読む
人間、誰でも近道を行きたくなるものです。
もちろんそう考えるのもおれも同じ。
多少の険しい道のりでも、距離が近いというだけでそっちを選んでしまうことがあると思います。
特に山なんかを思い出してもらえば分かりやすいはずです。
では心の中はどうでしょう?
「禅」の教えでは、心の在り方を「道」として捉えています。
もしかしたら心の中も山道のように近道ばかりを進もうとしているのではないでしょうか。
. . . 本文を読む