ある雑誌の今月号に
子どもたちをいじめや荒れから守るためには、
教師自身が「後ろ姿で導く教師」になることが大切だと書かれてあった。
その通りだと僕も思っている。
生徒は担任に似ると言われる。
人は、いつも一緒にいる人から影響を受けやすいからだ。
生徒は、どうすれば先生はほめ、どうすれば叱られるかを毎日のように見て観察している。
子どもたちはその先生の考え方・生き方に大きな影響を与えられる。
似てくるのは当然だ。
ここで問題なのは、その先生の考え方やいかにということだ。
正しい考え方をしている先生なら、その先生に習うことのできる子どもたちは幸せだ。
だが、正しい考え方をしていない先生も世の中にはいる。
そういう先生にあたると、子どもたちは自分の正しい考えを否定され、悩む。
(親が家庭で言っていることと、担任が言ってることが違うと2重人格になる可能性も)
正しいことをすると先生から非難され、正しくない行いをする生徒を養護する。
そんな先生に習うと、正しい考えを持っている子どもたちの性格は壊されてしまう。
故に、まず教師は、正しい善悪の判断基準を持たねばならない。
これを持ってない教師のクラスは荒れる。
厳しくしないといけないところで厳しくできず、生徒は図に乗ってしたい放題になる。
そのためには何が必要か。
学ぶこと。
学び続けること。
そして、自己変革し続けること。
それが大事だと思う。
教師が自分に甘いと、生徒はよく見ていて、そこをついてくる。
人の前に立つ以上、人に指導することができる前提は、それだけのものを持っているかどうか、持とうと努力しているかどうかだ。
それがない教師なら、今からそれを身につける必要があるだろう。
教師が自分に厳しく努力する姿勢は、必ずオーラのように見えない力で生徒によい影響を与え続ける。
私も、もう一度原点に返り、
「後ろ姿で導ける教師」となれるよう頑張ってみたい。
いつまでも熱い心を失わないように。
周りに良き影響を与えることができるように、また頑張ってみたい。