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東京新聞「あの人に迫る 高野昭博」

今回は、6月29日付東京新聞夕刊第4面「あの人に迫る 高野昭博」をご紹介します。

高野氏は、生活保護を受給しながら生活困窮者支援をしている方です。

 お笑い芸人の母親の生活保護受給をめぐる報道をきっかけに、生活保護バッシングがやまない。受給者が十年前から二倍近い約二百十一万人に増え、政治家らは「予算の膨張を食い止めなければ」と強調する。生活保護を受けながら埼玉県で生活困窮者の支援活動をしている高野昭博さん(五七)は、路上生活の体験談も率直に語り、冷静な議論を求める。(白井康彦)

 (生活保護がテーマのテレビ番組に実名で登場されていましたね。)
 生活保護を申請しようとする人について、親族の援助の義務を強めて保護費を抑えようという議論が高まっている。親族に援助ができない理由を家庭裁判所で説明させよう、という案まで出た。こういった状況が続くと、親族に迷惑をかけられないという思いで、申請をあきらめる人が増えてしまう。現実には、生活保護を受けようとする人の親族も貧しいことがほとんど。無理に援助する親族が増えると、共倒れのようになるケースが増えかねない。不正受給もマスコミ報道でクローズアップされたが、不正受給の金額が生活保護費全体の0.4%を下回っている。

 (一部の報道は特殊事例を持ち出しての生活保護バッシングのように思えます。)
 精神的にダメージを受けた人が多い。「スーパーに代わりに買い物に行って」と私に頼んできた女性もいる。「保護費で高いものを買っているのではないか」と近所で思われたりするのが嫌なのだろう。受給中の人だけの問題ではない。生活が困窮していて今後、生活保護の申請をしようかという人がそうしにくい雰囲気になりつつある。
 二〇〇八年のリーマン・ショックの影響で日本でも「派遣切り」などによる失業者が増えた。「年越し派遣村」が東京・日比谷公園に年末につくられたのが生活保護が急増するきっかけの一つになりました。
 私も派遣村の話はテレビで見ていた。生活は苦しかったが、そのころはまだ何か人ごとのように思えていた。〇九年の八月に路上生活者になったが、当時は生活保護の申請をすれば路上から抜け出せるという考えがなかった。今でも、生活保護を受けることが可能な状態なのに保護が受けられないと思っている人が多いのが実態だ。保護が受けられる人の中で実際に保護を受けている人の割合は三割程度という説もある。

 (世間には、「生活が困窮するようになった原因をつくった本人が悪い」などと自己責任を強調する人が少なくありません。)
 中高年になってくると、失業したときに再就職活動を続けてもなかなかうまくいかない。仕事が確保できても待遇がひどかったりする。私は今までずっと独身。四十五歳までは大手百貨店の正社員だった。親を介護するため仕事を休む日が続き、会社にこれ以上迷惑をかけられないという思いで退職した。次に拾ってもらったのはスポーツ用品店。ここも正社員だったが、経営不振で人員削減を始めたので自分から身を引いた。三番目と四番目の勤め先は小さな会社で不安定な雇用。ともに経営不振で最後は給料ももらえず、辞めざるを得なかった。

 (生活保護を受けている人も、ハローワークに通って就職活動をします。高野さんは五十七歳。その年齢では難しいですか。)
 二年余りの間、月に二、三十回ハローワークに通い続けたが、面接まで進んだのはたった一回。そのときも生活保護を受けている話をしたとたん、「人のお金で生きている人間は雇えない」と断られた。働ける年齢で病気でない受給者は「自立しろ」と繰り返し言われるが、生活保護からの出口は現実にはすごく狭いので厳しい。
 ホームレス状態になったきっかけはアパート代を二カ月滞納したこと。両親は既に亡く、兄とも疎遠だったので頼る先がなくて路上生活になった。寝場所は埼玉県内の公園や地下通路。その地下通路には十数人の路上生活者がいた。賞味期限切れの食品をコンビニから手に入れて配る人がいたりして、何とか食べ物にはありつけた。昼間は図書館で過ごすことが多かった。夜中に公園の水の出るところで洗濯したり体を拭いたりした。地下通路で横たわっているとき、中学生にジュースの缶や火のついたたばこを投げつけられたこともある。同じ公園を寝場所にしている人同士でも会話はそれほど多くなく、ほとんどの人は孤独だった。
 「なるようにしかならない」と割合楽観的だったけど、路上に出て二カ月後ぐらいにショッキングな体験をした。駅のホームが見渡せる場所でたばこをすっていた時、入ってきた電車に六十代ぐらいの女性が飛び込み自殺したのをまともに見てしまった。女性は服装や荷物から路上生活者に思えた。「自分もいつかああなるのか」。足が震えて涙が流れた。

 (生活保護を申請し、路上生活から抜け出せた。)
 〇九年の十一月十五日、私がいた公園で反貧困ネットワーク埼玉の弁護士や司法書士らがビラ配りをして路上生活者らに生活保護を受けるよう説得した。私たちは半信半疑だったが翌日に役所に行って受給の申請をした。路上生活者が九人で、法律家などの同行者が十人以上。役所の担当者は、路上生活者が一人で来ると厳しい態度を取ることが多いが、法律家など生活保護に詳しい人が同行していると柔軟になる。このときもそう。私の場合は、一時間ほどの話し合いで生活保護が受けられることになり、その四日後にはアパートに入居できた。

 (路上生活から抜け出せたときの気持ちは。)
 夢か現実か。大げさかもしれないが、「命をもらった」という感じだった。なので、そのまま反貧困ネットワーク埼玉の活動に参加させてもらった。私も路上生活者らに声をかけて回って生活保護の申請を勧め、必要があれば路上生活者に同行して役所の窓口に行く。埼玉の反貧困運動は横のつながりが強い。弁護士、司法書士、社会福祉士、当事者などいろいろな立場の人が連携している。

 (そういった活動で埼玉県内では路上生活者は減りましたか。)
 最低賃金や国民年金の年金額の引き上げ、雇用状況の改善などで、生活困窮者そのものを減らしていくのが根本的な対策だと思う。
 私が路上にいたころと比べると、路上生活者はかなり減ったと思う。ただ、新しく路上に出てくる人も多い。東京から流れてくる人も目立つ。生活保護受給者を劣悪な環境の賃金住宅に囲い込む「無料低額宿泊所」という貧困ビジネスが広がっているのは問題だ。受給者が生活保護費を役所からもらったとたん、その大半を宿泊所が押さえてしまったりする。狭いスペースに住まわされ、提供される食事の質は悪く、無給で働かされている受給者もいる。貧困ビジネスにだまされた経験者は多く、人間不信に陥っている人が少なくないのです。


 仮にブラック企業に就職して保護を辞退したとしても、それが本当に望ましいこととは言えないだろう。 長引く不況で就職口が少ないなか、受給者に対して自立の圧力だけ強めるのはとても危険である。
 そもそも生活保護は最低限の生活を保障するにすぎない。 生活保護受給者とまともな仕事を結びつけ、まともな生活を送れるような制度を用意することこそ、生活困窮者を減らしていく上で非常に重要であるだろう。

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