オーストリア出身の作曲家ローベルト・シュトルツの作品に「プラーターに再び花が咲き」があります(邦題はいろいろとあります)。ウィーンに春が来て、花が咲き、心躍る様子が歌われています。
ウィーンは映像でしか景色を知りません。「第三の男」のラストシーンは、主人公がコートに身を包み、確か街路樹の葉がはらはらと落ちています。寒くて、色彩も白黒だからと言うのではなく単調です。これは秋のようですが、冬の景色も想像がつきます。それが春になり、陽光が降り注ぎ、花が咲けば、一気に心も軽やかになります。シュトルツの3拍子の曲がよく合っています。
日本でも春が来ました。事務所から少し離れたところに早咲きの桜があります。まだ開花時期が来たか来ないかのころに、その桜を見やると咲いていました。今年の春の到来を感じました。その時、ふと少し沈む気持ちで「またこの季節が巡ってきたか」と思いました。
春は、卒業式と入学式の季節です。私の場合、しばらく勤めた予備校を辞めて、司法研修所に入所したのが春でした。春は、住み慣れた世界に別れて、新しい世界に入る季節です。慣れた世界と別れるのは寂しいものです。新しい世界に入ることは、夢と希望で語られることが多いのですが、私にとっては未知の世界に入る不安なことでした。今や、春も何も構わず、時はただただ過ぎているだけです。それでも、過去の痕跡から、春になると寂しさや不安が思い起こされます。
そして桜です。明るい日差しを浴びて、そこかしこに淡い光を放って咲き誇る桜を見ると、春の美しさを感じざるを得ません。しかし、その美しさは長くは続きません。春の盛りは瞬く間に過ぎます。桜の美しさは、儚さを意識させます。
シュトルツの曲のように、手放しで春の陽気さを讃えるのではなく、春の陽気さを感じつつも、そこにほんの少し混じる暗い色を感じます。「またこの季節が巡ってきたか」の思いは、混じった暗い色のなせるわざです。