ユーニッヒ

仕事の話もたまには書くかもしれません。

春に思うこと

2014-03-27 11:19:26 | 日記・エッセイ・コラム

 

 オーストリア出身の作曲家ローベルト・シュトルツの作品に「プラーターに再び花が咲き」があります(邦題はいろいろとあります)。ウィーンに春が来て、花が咲き、心躍る様子が歌われています。

 

 ウィーンは映像でしか景色を知りません。「第三の男」のラストシーンは、主人公がコートに身を包み、確か街路樹の葉がはらはらと落ちています。寒くて、色彩も白黒だからと言うのではなく単調です。これは秋のようですが、冬の景色も想像がつきます。それが春になり、陽光が降り注ぎ、花が咲けば、一気に心も軽やかになります。シュトルツの3拍子の曲がよく合っています。

 

 日本でも春が来ました。事務所から少し離れたところに早咲きの桜があります。まだ開花時期が来たか来ないかのころに、その桜を見やると咲いていました。今年の春の到来を感じました。その時、ふと少し沈む気持ちで「またこの季節が巡ってきたか」と思いました。

 

 春は、卒業式と入学式の季節です。私の場合、しばらく勤めた予備校を辞めて、司法研修所に入所したのが春でした。春は、住み慣れた世界に別れて、新しい世界に入る季節です。慣れた世界と別れるのは寂しいものです。新しい世界に入ることは、夢と希望で語られることが多いのですが、私にとっては未知の世界に入る不安なことでした。今や、春も何も構わず、時はただただ過ぎているだけです。それでも、過去の痕跡から、春になると寂しさや不安が思い起こされます。

 

 そして桜です。明るい日差しを浴びて、そこかしこに淡い光を放って咲き誇る桜を見ると、春の美しさを感じざるを得ません。しかし、その美しさは長くは続きません。春の盛りは瞬く間に過ぎます。桜の美しさは、儚さを意識させます。

 

 シュトルツの曲のように、手放しで春の陽気さを讃えるのではなく、春の陽気さを感じつつも、そこにほんの少し混じる暗い色を感じます。「またこの季節が巡ってきたか」の思いは、混じった暗い色のなせるわざです。

 

 

 


関西に春は来た

2014-03-26 17:19:21 | インポート

 

 奈良の東大寺のお水取りが終わりました。京都にいたころ、今の季節に阪急電車に乗ると、駅でお水取りのポスターをよく見ました。お水取りを観に行こうと誘う観光のポスターです。お水取りには結局行ったことがありません。3月の寒い時期の夜に奈良に行く気にならなかったからです。

 

 お水取り。私は、松明が二月堂を走っていく光景を思い浮かべます。多分誰しもがそうでしょう。調べてみると、お水取りは、修二会の別名でした。修二会は3月に入って2週間続く法要です。そして、修二会の終わりの方で、若狭井の水を観音さんに供えるために汲む行事があり、これが本来の「お水取り」でした。通常、松明が走るあの行事もお水取りと呼んでいるので、お水取りが何個もの意味をもち、何ともややこしい話です。

 

 学生時代のことです。何を見たくて行ったのかは今では覚えていませんが、3月に東大寺に行きました。東大寺は今でも時折行きますが、僧侶を見ることがありません。ところが、そのときは僧侶を何人も見かけました。寺に僧侶は当たり前ですが、東大寺では新鮮な感覚でした。長い松明が建物に立て掛けられていて、お水取りの関連の行事が行われていることがわかりました。そのとき、私が印象深く思ったのは、建物の中で、僧侶が椀に盛ったご飯を食べていることでした。

 

 はてさて、そのように記憶していますが、そのようなことが本当に行われているのか。何かの記憶と混同していないかと疑ったのですが、調べると修二会では、ご飯を食べる行為が行事の一つでした。修二会に参加する僧侶は、昼にとるその食事が一日の唯一の食事で、しかもその後しばらくは水を飲むこともできないのだそうです。私の記憶は正しかったのです。

 

 お水取りの意味によっては、私は実際にはお水取りに行っていたことになります。松明の方のお水取りは多くの人が見たことがあるかもしれませんが、私の見た「お水取り」は見た人は多くはないでしょう。稀な「お水取り」の瞬間に立ち会っていました。

 

 

 


久々の講師

2014-03-04 10:41:11 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ある場所で、遺言に関するセミナーの講師をしてきました。かつて予備校講師であった私には久々の講師の仕事でした。

 

 私が勤めていた予備校は、講師は、予備校の発行した教科書に沿った講義をする必要はありましたが、どのような話をするのかは、講師の裁量に委ねられていました。講師は、教科書に出ている重要事項をつないで、自分なりに話を組み立てていました。講師時代の最後の方ですが、ある大学に派遣されて行ってみると、予備校からの指示が間違っていて、指示されていた内容とは異なる内容の講義をしなければならないことがありました。大学でその日使う教材を見たのですが、確か初めて見るものでした。しかし、講義が始まるまでの時間で話を組み立てて講義をしました。

 

 予備校の講師時代には、そこまでできたのですが、今回は話の組み立てに時間がかかりました。教材は、自分で作っていて、遺言に関する重要事項をまとめていました。重要事項をちりばめながら話を組み立てればいいのですが、なかなか話が決まりませんでした。講師を辞めてから時間が立ったこともあるのでしょう。他にも、実務経験を盛り込んで、法律の話をするという、予備校の講師をしていたときにはしなかったことをしなければならないことも原因です。

 

 セミナーが近づくと、話の組み立てを考え、声を出して講義の練習をしながら歩いて帰っていました。一人で話す姿はすれ違う人には不気味だったかもしれません。

 

 セミナー当日は、緊張しました。ふと、予備校の講師としてのデビューの時を思い出しました。あの日も初めてのことで大変緊張しました。そして、話の内容は何度も検討して講義をしましたが、早すぎてついていけないと苦情が来て悔しい思いをしました。フラッシュバックでした。

 

 とにもかくにも、私のセミナーは終わりました。終わった後は、軽い自己嫌悪に陥りました。あそこはこう話せばよかったという思いがあったのです。この気持ちも、長い間忘れていた講師の講義後の気持ちでした。