できるだけ歩く鳥

サラリーマンエンジニアによる日常メモ。たまにMac偏り気味。

「死ぬな」「逃げろ」メッセージの効果

2006-11-17 01:41:02 | diary
前から書こうと思ってた昨今のいじめ自殺関連の話、第1弾。
まずはとにかく自殺だけはしないで欲しい場合のメッセージ「死ぬな」「逃げろ」について。


とりあえず「死ぬな」という言葉は意味ないでしょう。

例えば、なんだか知らないけど大勢で陸上競技のトラックを何周もぐるぐる歩いているとします。その中に自分がいるとします。自分は歩くのにとても疲れてしまってもう止まろうと思ってます。そこでどっかから見ず知らずの人の声で「止まるな」という声がしました。

そもそも「なんだか知らないけど」歩いているだけだし疲れたんだから止まったっていいじゃないですか、しかも「止まるな」って言った人が自分の疲れをどうにかしてくれるわけでもないでしょうし。だいたい歩いて何の意味があるんすか、別にゴールとかあるわけじゃなさそうだし、意味わかんね。

…って感じじゃないでしょうか。


「逃げろ」というのは多少効果ありますが、これも効く人効かない人います。逃げるという概念の中に死ぬことが含まれていることがあるからです。

前の例と同じような感じでいきますが、疲れて止まろうかなと思ったときに「みんなと同じトラックをぐるぐる歩かなくてもいいんだよ」って誰かに言われたとします。止まるなとは言ってません、これ。そっか、じゃあ止まるか、って解釈もできちゃう。
これがもし、疲れて止まろうと思ったんじゃなくて、とりあえずこの競技場好きじゃないので他の競技場で歩きたい、とかだったら効果ありますし、他の競技場行っていいんだ?ってことに気付ければそれもまたよしです。


あくまでこの変な例えのノリで話進めますが、他の競技場ってのがあるってことを感覚的に理解し、しかもそこになんらかの希望が見いだせるなら救いがあるわけです。他の競技場を知っていても、どうせ延々と意味もなく歩くだけだろ、という場合はちょっと危ないです。
実は延々と歩いているようで、たまに他の競技場行ったり、休憩したり、そういうのを楽しんでいる人もいるってことに気付くのは、なかなか難しい話です。

やっぱり「なんでか知らないけど歩いている」状況に対して、なんらかの目的を見いださないと、止まるという選択肢は常にちらつくわけです。「なんでか知らないけど」って部分を意識しないか、まあそういうもんだと割り切るか、目的見いだすかで、それなりに歩いていく方法はいろいろあるわけですが、知識がつけばつくほど意識しないわけにはいかないし、割り切れるもんでもないし、目的なんてそう簡単に見いだせないでしょうし、難しい問題です。

日本の若い世代においては、止まることと歩くことは個人が持っている「権利」で、どちらの権利も等価であり、権利を行使する「自由」がある、なんて考えてる人は結構いるのではないでしょうか。


何の解決策も提示しないまま、しかも微妙に歯切れ悪い感じで終わり。

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