密かなる悪徳

~指輪物語と一緒に~

チョコレート工場

2005-09-14 00:46:44 | ファンタジー風
「チャーリーとチョコレート工場」を見てきた。金色の招待状ではなく、小さな映画チケットでも見学は可能。

もしかしたら以下にネタばれ的な部分があるかもしれない。

「パイレーツオブカリビアン」を見た後、ジョニー・デップの出演予定作品にこれがあがっていたので、あわてて原作を読んだ。旧訳だった。新訳がでていたことを知らなかった。原作には、シンプルなストーリーとは別に何ともいえない「気持ちの悪さ」があった。ブラックユーモアと言われるが、その言葉だけで説明できない。同じものをこの映画で見たような気がする。

児童文学のコーナーに並んだ本の映画化とは思えないほど、不安感をあおるオープニングの音楽と無機的な映像。歪んだレンズで眺めたようなどこかいびつな原作の世界は、映画のあちこちで再現されている。そういう意味では「ウォンカさん」(旧訳のワンカさん)はまさにその歪さの象徴だ。思ったよりも押さえた演技だったが、それでもハイテンションではしゃいだり、むっとしたりとくるくる変わる合間に見せるジョニー・デップらしい「奇妙」な表情が観客をますます混乱させる。彼の演技は「悪魔的」で好きだ。時折見せるトラウマも切ない。自分の子供たちに「パパ、変だよ」と言われるだけのことはある(が、いつも彼は変だと思う)。クリストファー・リーが出演していたのにはびっくり。最初は気づかなかった。道理で威圧感があるはずだ。あの矯正器具はなぜあんなに大型なのだろう。昔はあんなだったのか。子供たちも皆、典型的な「くそガキ」で、原作並にかわいくない。唐突に現れファンキーなパラパラ的ダンスと歌を披露してくれるウンパ・ルンパたちは強烈だ。映画館を出た後も、しばらくちまたに流れる音楽に乗って彼らが現れるじゃないかとわくわくした。こんなに変な人たちばかりの中で、チャーリーとその家族の暖かさが嬉しい。チャーリーのおじいちゃんはとてもラブリーだし、とっても優しい。そのほかにもいくつかのパロディがあったりと退屈しない。まるで遊園地にいるようなものだ。前回映画化された作品を見ていないが、この映画はかなり原作に忠実に作っていると思う。気持ち悪さもおかしさも。

最後に、予告の「PJのキングコング」に思いっきり笑ってしまったことを白状しておく

ドリームバトンを受け取りました

2005-09-04 09:14:07 | Weblog

先日elfarranさんよりバトンをいただいた。 頂き物はいつも嬉しいというホビット的習性に加えて、敬愛するelfarranさんからのバトンということで大変喜んで受け取らせて頂きます
「夢」かぁ。ここのところ見てないな。例のクスリを飲めば一発で見れるんだがなあ・・・あ、「イソバイド」のことだよ。誤解のないように。
誰に渡すかも考えないと・・・うーん
elfarranさん、もう少し考える時間をくださいねえ~

ところで、今朝、我が家の使令傲濫の毛繕いをしていると、ダンダンと音がした。ふと目を上げると、すぐ脇にある水槽のこちら側のガラス壁に、亀が「後ろ足2本」で立ち上がって、「前足」でガラスをたたいている。
一瞬目を疑ったが、明らかに「餌くれ~」というアピール。しかし担当外の私はこの亀に対して日頃のケアをほとんどしていないので、ヤツにはほとんど見知らぬ人のはず。よほどの飢えに耐えきれず、救いを求めたのだろうか。ちょっと切ない。しかし、こういう姿を見ると、案外動物たちはいろいろなことがよくわかっていて、結構何でもできるんじゃないかと思ったりする。人間が知らないだけで。


塔山

2005-09-01 00:38:46 | 指輪物語散策
ホビット庄から見た白い塔は境界線。映画のサムが躊躇したトウモロコシ畑?の見えない境界の外側と同じく、そこから先は異世界。なにやら知らない種族や怪物が闊歩していて、その向こうに海というさらに恐ろしく大きなものが広がり、それは未知なる国に続いている。小さいホビットたちにとっては本来知りえない世界であり、その境を示すエルフが建てた白い塔は、「知に対する禁忌」を意味しているのかもしれない。

「知は力」とはいうけれど、サルマンやデネソールのように「知で破滅」だってありうる。「知る」ことは「危険に近づく」ことであり、それは「死」や「悲しみ」につながってしまうことだってある。だから「知らない方がいい」のかもしれない。サムやビルボのような「剣呑」な輩以外のホビット庄の住人たちのほとんどが極めて良識派を通しているのももっともだ。塔山は「あこがれ」への道標ではなく、「ここから先は危険」の警告の標識となり、閉じることで小さな共同体を守ろうとする。理想郷は小国寡民がベスト。しかし、好奇心旺盛な自分は間違いなく剣呑組に所属している。そして、ガン爺に叱られる。

ついでに、この塔が「知」の象徴だからこそ、のちに塔山そばの西境に赤表紙本をはじめとする知的財産が多く保管されることになったのかもしれない、などと深読みしてみた。

ところで、あちこちで言われているように、確かに指輪物語には神が出てこない。ホビットたちには神はいない。これはすごい事だ。エルフもトロルもごっちゃにして、迷信をやたら怖がり忌み嫌うくせに、祭ったり鎮めたりということはしないようだ。怖いものをそのままにしておくなんてかえって怖いだろう?と聞きたくなる。京極夏彦のいうところの「怖いものを妖怪に押しつけてしまった」近世日本のシステムのように、ホビットたちは「怖いものをよそ者に押しつけてしまった」ので安心しているというシステムなのだろうか。
そういえば海も怖いらしい。ホビットたちは泳げないからかもしれない。が、それ以前に「海」とそのむこうの「西方」への畏れが潜在的に存在している、ある意味人間よりも敬虔なホビットたち、と見るのは穿ちすぎかなあ。

それにしても、こんな建造物が村から見える場所にあったら、普通は登ってみたくなるよね。無料の展望台だし。辺境警備の兵隊さんならお弁当を持って見学遠足に行くに違いない。近づきすらしないというのはよっぽど怖い噂があったんだろうか。死者の道みたいに。

ああ、フロドやビルボたちが灰色港に向かう途中で見学してくれるとよかったのに。ぜひ見たかったなあ。エルフが傍らに立ち、ひたすら西方を眺めた窓を。