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アメリカで乳がんと闘う

1年前女の子出産を終えアメリカで幸せに家族と過ごしていた主婦が突然乳癌と診断その瞬間からアメリカで乳癌と闘うことを決意

Prophylactic Mastectomy ~2009-05-09~

2009年05月09日 | 手術
アメリカでは予防的乳房摘出手術とその再建手術をする上で、対象者には保険が適用される。一昨日、5月7日に乳がんになった方とは逆側を予防的左乳房全摘し同時再建手術をしました。そして今回も手術前日の5月6日に母が日本からまたまた手伝いに来てくれた。突然気が変わったりしたらと思い、手術が終わるまではこの手術についてブログでは触れていない。右乳房の再建手術の続きが今年の9月頃に行われる前に良く考えた上の決断だった。乳がんになって、特に若年性乳がんなので医者たちからは、オプションとして予防的手術の候補者(片側が乳がんになったら自動的に保険適用候補者)であること、乳房の均等性と外見的に考えても利点なこと、ギルダズクラブの乳がんサバイバーの会員の多くの人にも「若いのだから、治療はアグレッシブに、片側も予防的手術するのを考えてみては?」とも当時アドバイスを受けていた。でもその時は、右乳房のことだけで精一杯だった。まさか当時は同時に両側の乳房を失うことなど想像もできなかっただろう。手術も終り、放射線療法が終り、ホルモン治療が始まった。自分の場合今までの治療とホルモン治療をしたので、腫瘍内科医によると10%の再発率だという。ただ個人差もあるので確実な数字ではない。今後、左側が乳がんになる確率などを聞いた。今後生きてゆく上で何十回のマンモグラフィーやMRIの検査の度に不安になったりとストレスのことを考えた。現に乳がんと診断されてからは、左側を毎日のように触診したりもしていた。そして乳房の両側を一緒に再建するので仕上がりもより良いアウトカムだという。最終的には医者と話し合い後、自分の意思で決めたことなので、今の所後悔はない。以前のリンパ節を一緒に取り除くような、大掛かりな手術ではなかったので比較的早いリカバリーも可能で、前回と同じく1泊で退院だ。今後徐々にエクスパンダーへ生理食塩水を入れて膨らませていくことになる。そして9月ごろに両胸を同時にインプラントへのすり替えする再建手術が行われる予定だ。

形成外科医との経過診察 ~2009-04-08~

2009年04月08日 | 診察
暫くブログをアップしていなかった間、色々のことがありました。ミシガンもようやく春になって暖かくなってきたと思った矢先、昨日と一昨日は雪が降り、昨晩の気温はなんと-3℃だった。約2ヶ月に渡り着用していた、エアギブスは先週の月曜日にようやく取れたので自分にもやっと春が来たような不思議な気持ち。普段は歩けるのが当たり前だと生活していて、この様なことがあると改めて、普通に歩けることに深く感謝する自分でありました。この2ヶ月間は実は夫婦揃って、骨折り状態(旦那は鎖骨骨折して手術!)とお友達の方々にはかなりお世話にもなりました。改めて本当に有難う...と言わせて下さい!とにかく夫婦揃って縁起が悪いと日本の両親は即、御祓いに出向き、護摩札とお守りを沢山送ってもくれました。今は2ヶ月使っていなかった右足のリハビリは1度手解きを受け、その後自宅で行っている。整形外科医曰く、ギブスが取れても暫くは車の運転は出来ないでしょうと言われたが3日後には余裕で運転出来るようにもなった。ということでやっと、放射線治療後のエクスパンダーの経過検診で形成外科医のDr.Sのオフィスへ出向いた。以前から説明を受けていたが、放射線が照射された箇所は日焼けした様になる。放射線治療中もその後も順調だったのに、その後、皮がむけていたが思うように綺麗にむけない部分を無理矢理こすり取ってしまったせいで、1週間前からその部分がこすり傷の様になってしまった。驚いたのは1週間経っても、まだ傷口が湿っぽい。やはり放射線が照射された部分は治り難いというのは本当だったのだと、深く後悔。今後、右胸に入っているエクスパンダーを取り出し、インプラントに取り替える手術は通常放射線治療の最低でも6ヶ月後に行われる。なので手術も今から数ヶ月も先になる予定だ。ああ~、夏は薄着なので胸元が目立たない服を選ぶのは実に難しいだろうと憂鬱に思う、今日この頃だ。

ホルモン療法開始!~2009-02-26~

2009年02月26日 | ホルモン療法
ホルモン療法は内分泌療法とも呼ばれ、女性ホルモン/エストロゲンの刺激により増殖する、ホルモン依存(感受)性乳がん対する治療法。アメリカでは乳がんの約7~8割がホルモン感受性乳がんといわれる。病理検査で自分の乳がんはエストロゲン&プロゲステロン受容体が検出されたので、ホルモン療法は必修なのだ。医者の説明によると、この種の乳がんは女性ホルモンに影響されやすく、エストロゲン&プロゲステロンを受容して細胞分裂を繰り返して大きくなるので、その働きを妨げるために最低5年間はこの治療が必要とされる。手術療法、化学療法と最近終わった放射線療法、そして最後の補助治療、ホルモン療法は体内に残っているかもしれない微小がん細胞に対しての最終治療、プラス再発を抑える予防ケアなのだ。自分は閉経前ということもあって、癌内科医のDr.Zの指示で以下の薬が処方された:

1)LH-RH(=luteinizing hormone-releasing hormone/黄体ホルモン分泌刺激ホルモン)抑制剤のLupron→最初の3ヶ月は月1回注射、3ヵ月後から3ヶ月に1度の注射。閉経前にはLH-RHは脳から卵巣に信号が送られて分泌されるので、Lupronを使ってLH-RHの働きを妨げるそうだ。

2)抗エストロゲン剤のタモキシフェン→1日1錠投与の経口剤。これは、がん細胞のエストロゲン受容体に結合して、エストロゲンを取り込めなくするという。

今現在、臨床試験の閉経前の患者が対象で、化学療法で弱ったと思われる、骨を強化そして骨吸収と骨形成のプロセスをバランスよく繰り返せるように骨の再生を補助するだろうという、Boniva(Ibandronate Sodium)を毎日1錠を内服している。アメリカのTVコマーシャルでも良く耳にする、このBonivaは通常閉経後の女性の骨粗しょう症などのトリートメントに多く持ちいれられている。とにかく、今までの治療と比較すると、いたって容易で、治療をしているという実感もない。そして乳がん治療の最終段階に踏み入れたわけだから、内心、ほっとしている。既に3日前から飲みはじめた。後はこつこつと、日々積み重ねが重要視されるので、毎日忘れずに内服するように心がけようと思っている。



放射線療法 終了!~2009-02-17~

2009年02月17日 | 放射線療法
今日をもって合計30回、6週間に及んだ放射線治療が終わった。1月初旬から通院していたこの時期のミシガンは最も寒い時。でも2月中旬にもなると冬至から大分経つので、太陽の位置が幾らか高くなってきたようだ。日中も晴れると車の中は太陽の日差しだけで暖かく、春の気配もする程だ。さて、放射線治療中に知り合った、Sさんは40歳代、通院中は毎日待合室でよく喋った仲間。彼女はジャマイカ出身で旦那さんとお子さん2人以外の家族はみんなジャマイカに居るそうだ。乳がんと診断されて、母親が6ヶ月間アメリカに来てサポートしてくれたとのこと。精神的にも肉体的にも、本当に辛かったことや放射線治療の副作用に悩まされて、毎日治療に来るのがイヤでイヤで…と愚痴も溢していた。昨日は一緒にこの壁を乗り切ったSさんの治療最終日でお別れを言った。数日後にはジャマイカに帰り休養するのよっと今まで見たことの無い笑顔を見せて旦那さんと手をつないで病院を後にした。とうとう、今日私にもその待ちに待った瞬間が来たのだ。旦那と娘も治療最後の日を一緒に見守ってくれた。この病院では放射線療法終了後に、患者が“達成の鐘”を鳴らす。自分はこの鐘を鳴らしながら、“ここまで乳がん治療をやり遂げたから、少しは一息つける”とそんな気がした。今まで目の前にあるものを着実にやり遂げて行き、前進あるのみだと胸に言い聞かせていた。でも今の時点から何か、やっと過去を振り返えり、よく頑張ったと思える。でも完全に安心できるわけでもない。放射線療法の副作用も勿論忘れてはいけない。自分は照射中に起こる急性反応(照射皮膚の灼熱感や発赤など)は無く、今の時点では日焼けして熱っているような状態だ。だた、治療が終了してから6ヶ月~数年経過後に生じる晩期反応(主に間質細胞・血管内皮細胞の障害)というのが出る可能性も無いとは言えないという。だから不安だと言えば不安、でもそれを言い出したら、乳がん治療中はきりが無いことを知っている。だから自分に出来ることは前向きに物事を考えて、与えられた今を有り難く思い、1日1日生活していくことだ...

くるぶしの骨が!~2009-02-10~

2009年02月10日 | 日常生活
昨日は春を思わせる程、日中は暖かかった。夜に氷点下になり溶けたしまった雪が
凍り、外の水溜りがアイス板になってた!アイス板を歩いた時に、気が付いたけど時は既に遅し!右胸のエクスパンダーを守りに入り、転び方が悪く右くるぶしを捻挫?!ゆっくりだったら歩けたし、翌日の放射線治療の後に医者に見てもらうことにした。病院に着いてからは車椅子で行動。いつも待合室にいる患者さんたち、スタッフなどに大変驚かれた。同じ病院の救急ケアに早速足を運び、レントゲンを取り、医者のアシスタントは“捻挫のようね、2,3日後から徐々に回復するでしょう。貴方以外にも同じ状況で捻挫した患者が数人いたわよ。”と言われた。“念のためにレントゲン科の先生にレントゲン写真を診てもらってから、帰っていいわよ”とアシスタントは診察室を後に。戻ってきたらとっても険しい顔に。自分はてっきり、“もしかしたら癌の転移では?!”なんて本当ドキドキだった。診断はくるぶしが折れていて、抗がん剤で骨も弱くなっていることも関わってるかもとのこと。なんと、放射線治療残り5回で車運転できない、またまた旦那にも迷惑が掛かり、もしかしたら友達にも迷惑掛かるかも…これから6週間はギブスとまつば杖のお世話にもなる予定。生まれて始めて骨まで折って、乳がん治療に…本当に憂鬱です。

放射線治療、3分の2終了!~2009-02-03~

2009年02月03日 | 放射線療法
時の流れに全てを任せ、気が付けばもう放射線治療も残り10回。自分は事をする前は何かと億劫になってしまったり、必要以上に神経質になったりそれだけで精神的にも参ってしまう性格。乳がんと診断されてから、不思議なことに目の前の障壁を心に受け入れた瞬間から万事思い通りに事が進み、スムーズに時が流れたような気がする。今では待合室で待っている人や自分の前に治療を受けている患者さん、放射線治療をしてくれるスペシャリスト達と顔をあわせるのが日課になり、親しみや喜びを感じる。お互い励ましあったり、情報交換したり、何気ない会話に癒されている気もする。患者の中には放射線治療での副作用が辛いので、今にでも取り止めたい人達、私の様に何の副作用もない人達そして、年齢層も様々だ。ただ気付いたことは80%の患者には付き添いがいる。娘さんだったり、旦那さんだったり、友達だったりと毎日付き添っているのに関心させられる。放射線治療期間は娘はデイケアなので、この機会を良いことに治療の後は自分の時間だ。ショッピングに行ったり、友達とランチしたり、家でくつろいだり…あと2週間でこの生活が終わるのもちょっと寂しいかも?!

放射線治療、3分の1終了!~2009-01-20~

2009年01月20日 | 放射線療法
今日はアメリカ44代目大統領の就任式でもあった。午後12時を回ったと同時にブッシュ氏からオバマ氏にバトンが渡される。丁度、オバマ氏が演説する時間ぐらいに自分は治療室に入ることになる。テレビでも朝から特番が組まれていて、病院に行く途中にはラジオでもその模様を流していた。お昼時なので、待合室で食事をする人もよく目にする。今日はハンバーガーを噛り付いている人、コーヒーを飲んでいる人、編み物をしている人も皆、就任式を見ていた。やはり、オバマ大統領が演説している間に放送で自分の名前が呼ばれた。治療室に入ったらテレビが点いていて、思いがけなく治療中に演説を聴くことが出来た。なんとも、複雑な気持ちになったけど、治療中に歴史的な演説を聴けるのもめったにないものだと思ったら、とっても感動した。最初は毎日病院に通うのが6週間続くと思うと憂鬱になっていたけど、慣れると如何って事も無く時が流れる。やっぱり、毎日病院に足を踏み入れるとさすがに自分は病気なんだと思ってしまうし、放射線治療をする人々の多くはかなり病んでいるので、毎日気の毒に思ってしまうから、出来ることなら早くこの生活から抜け出したいと思うのが心境だ。残り3分の2もこの調子であっという間に終わってくれることを祈る!

放射線療法いよいよスタート ~2009-01-07~

2009年01月07日 | 放射線療法
放射線療法とはがん細胞や乳房内にマイクロ、微小ながん細胞が残っている可能性や再発防止の為に、外側から高エネルギーのX線をあてて、増殖を抑えたり、死滅させたりする為に行われる。局所に受けるので、全身への影響は少ない。しかし一度照射した部位には再度照射することが出来ないという。同部位に一定量以上の放射線しか受けられないのだ。治療は痛みを感じなく、副作用も少なく、その割には効果があるということで知られる。自分の場合は右乳房摘出したが、腫瘍の大きさが3.2センチだったので胸壁へ照射そして、リンパ節への照射が目的とされる。自分の放射線治療についてを簡単に説明すると以下のような流れになっている:

①診察→放射線腫瘍医のDr.Gが病理検査やその他の検査結果などによって、治療方針が決定。

②治療計画→Dr.Gの治療方針を基に、CTシミュレーターやX線シミュレーターを使用して、どの部分に照射するか確実な位置を決定する。モルディングと言って、自分が治療台に寝そべり、頭の上に両手をおいた状態の“型”を取り、そのモルディングに自分の名前が書かれ毎回の治療に使われる。腹の両脇と右胸にピンポイントのタトゥーを入れられる。実際の治療の際にこのタトゥーを印に照射位置を決定する。

③治療→週末と祝日を除く、週5日を6週間、合計30回の治療が行われる。実際のX線照射は一瞬で終わるのだが、セットアップに時間が掛かるので、全て合計して10分で終わる。毎週水曜日の治療後に治療の経過、皮膚の変化や体調、質問などDr.Gとの簡単な経過診察がある。

今日の初めての治療はなかなか緊張した。まずは、受付に設置してあるスキャナーに自分専用のカードをスキャンする。この入力で治療室の係りの人が治療の為の設定を開始するという。服を着替えて、女性待合室で放送で自分の名前が呼ばれるまで待ち、その後治療室の前にある椅子で待つことになる。待合場所にはコーヒーやチョコレートやキャンディーが用意さえていて、テレビも設置されている。予約時間は毎回12:24PMと細かいのだが、やはり10分前後のズレはあるようだった。実際の治療も10分ぐらいで、モルディングのお陰で楽な状態で治療が受けられた。これから2月17日(火)まで通うことになるが、娘はこの6週間は毎朝8時から午後5時までデイ ケアに入れる契約をしてある。


リンパ浮腫専用アームスリーブとグローブ~2008-12-18~

2008年12月18日 | リンパ浮腫関連
先日、リンパ浮腫予防目的の為に専用の腕圧迫用の弾性アームスリーブとグローブを処方された。このスリーブとグローブが2日前届いた。放射線治療が終わり、リンパ浮腫専門医のDr.RのOKが出るまで朝から夜寝る前まで着用することになる。かなりの弾性で着用するのにも多少時間が掛かる。今だ圧迫されている右腕は違和感があるし、特にグローブは手や指が使いにくくなるので結構困っている。写真で見ると分かるように、一見マネキンの腕と手の様にも見えるので、娘は指をさして、“あーあーあー”と不思議そうに何かを訴えられることしばしあり。ああ、これが冬で良かったと思う。このアームスリーブとグローブは厚手だから夏だったら右腕だけ細くなることは間違いないだろう。リハビリの運動の方も続けているが、今では腕をぐるぐる回せるが、腕を後ろに反ると多少は脇の下は張るぐらい。日増しに元の状態にもどりつつある。このままリンパ浮腫にならないように祈る!


リンパ浮腫専門医と初診 ~2008.12-05~

2008年12月05日 | 診察
丁度1週間前、サンクスギビング祝日の翌日に母は日本へと帰国した。手術から3週間の間、家事や娘の世話をしてくれた。自分の右胸を摘出するという手術はきっと心にも体にも傷を負うものだろうと人はいうが、生きる為の手段として潔く受け入れられたのもきっと愛する人や大切な人々が自分の為に完治を祈ってくれていたからだろう。乳がんが発覚して、母は今年の4分の1はアメリカに滞在していたことになる。娘はすっかりグランマっ子になって、母が去った後も部屋に姿を探しに行ったり、母が付けていたエプロンを引っ張り出して来て、私に付けろと訴えたりもしていた。母が去ってから、旦那も出張へ行った。通常生活に戻ったのだ。月曜日には娘を連れて形成外科へエクスパンダーに75ccの生理食塩水を注入しに行った。水曜日には娘を連れて、リンパ浮腫専門のDr.Rとの初診があった。アメリカでは乳がん手術の後遺症・リンパ浮腫になる人は約20%だと説明を受けた。リンパ浮腫(二次性)とは、手術でリンパ節を切除したり、放射線治療によりリンパ管が細くなったり、途切れたりすることでリンパの流れが障害され、リンパ液が皮下に留まることで生じるむくみや腫れのこと。小さな切り傷や火傷、擦過傷など手術側の腕に何らかの傷を負ったときにも発病したり、5年後~10年後に発病したりもするという。Dr.Rは術後のリハビリ方法の説明、そしてリンパ浮腫予防目的の為に専用の腕圧迫用の弾性アームスリーブとグローブの処方してくれた。これは放射線治療をしている間は日中着用するように言われた。Dr.Rとの次回の診察は放射線治療後だ。乳がんの治療以外にも、乳房再建やリンパ浮腫など新たな課題が発生する。乳がんが発覚してからほぼ6ヶ月、精密検査、外科生検、化学療法に右乳房全摘出手術などはもう過去のことに。今思うと、自分は将来や先のことはそれ程考えず、その時その時を歩んでここまでストレスを感じなく来れたのだろうと思う。これからも、あせらず自分の前に現れるものから一つ一つこなして行けば、ほぼ通常の人と同じような生活ができる、そう確信している。