そらのほん

空、陽の光、緑、柴犬など、毎日違う表情を見せる、身の回りのきれいなものを載せています。

常滑に旅に出る

2013-06-21 20:25:05 | 
常滑に旅に出る


今日は、かねてからの予定通り、海を見に小さな旅にでました

電車に揺られて1時間

雨が少し降っていましたが、美しい雨の季節、のんびり歩きました

とこなめの、やきものの散歩道


私の好きな映画「いま、会いにいきます」みたいな雰囲気が素敵でした








車をよけて土の上に足を乗せたら、底なし沼のようにずぼずぼと沈んでいくではないですか!
ショック!靴が!(お気に入りの花柄のじゃなくてよかった)でもへこむ。。
地元のおばあちゃんたちが心配してくれました。やさしかった。ここはやっぱり焼き物の土が豊富だから、あめが降るとぬかるむのかなあと思ったりしました。



オープンして1か月のお店を発見
素敵なお店です。
常滑では手に入りにくい生活雑貨と、知多の名産品を扱っていらっしゃいます。
知多のミカンジュース、紅茶、わかめ、ジャム
とてもおしゃれで美しく、優しく、温かく並べていらっしゃって、居心地がいいお店でした
やきものの道Aコース22番手前くらいだったかな、坂道の途中にありました



お店は広くて、奥まで3つのテーマごとに空間を区切ってありました。

私は今日海を見たかったのですが、

ちがうっ、こういう海じゃない

でも、いっか。セントレアまで行こうかと思いましたが、雨が降り始めて、断念しました。私は傘を、やきものの道のどこかに忘れてきてしまったのです。

私は今日、やきものの道にあるカフェでゆっくりお茶をしたかったのですが
閉まっていて(涙)

結局、家の近くのモスバーガーで、コーヒーを飲みました(笑)

そして、旅の後ですが、大好きなスピッツの新曲「僕はきっと旅に出る」を借りてきました(笑)
すごくいい歌詞でした
マサムネ大好き


そんなこんなで、ちょっと踏んだり蹴ったりな、常滑一人旅でした
でも、私はお出かけしてすごくうれしかったし、楽しかったです。
今日、行くって決めていたから。

美しい、雨の季節、ちょっとくらい濡れても平気。葉っぱについた雨粒を見ながら、しっとりした空気を吸い込みながら、たくさん歩いて、リフレッシュしました。
お店の新しいアイデアも、たくさん浮かびました。

そしてTOALHANTさんで買ったかわいいオリーブのちいさいうつわ。
これにお店の新しいお菓子を入れようと思いました。


旅は素敵。
おうちで待っていてくれる柴犬のこてつが、健康でいてくれるから、そしてだんなさんがいてくれるので、旅に出ることができます。
そしてだんなさんにも、同じように、何か素敵な自分の時間を味わって、幸せをたくさん感じてほしいいなあと思いました。
そんなだんなさんにお土産はラスクを買いました。

また、旅に出ようと思います。

kanon゜・*:.。. .。.:*・゜

春の夕暮れ

2013-04-24 11:34:43 | はな
はるのゆうぐれ
歌いながら犬と歩く散歩道
色とりどりの世界
美しい春の花たち

久々に、まじめな犬話

2013-02-06 21:09:09 | 柴犬のこてつ


雨が上がったので散歩に行った

風が冷たかったけど、春の気配がして嬉しかった

相変わらず、こてつの「警戒解除」の練習は続けている

果てしなくてもう嫌になることもたびたび

飼い主もほめてくれ!と思ったこともたびたび

ああ、またほえてる、とイライラすることもたびたび


そんななか、ふと気がついて、やり始めたことがあるの

この前の心理学セミナーで学んだ、プラスストローク

こてつにプラスの声をかけてあげるの

だって、子犬のときに「お前はほんとにいい子だね。かわいいね」って言ったら、ほんとに可愛くて、よその人にもいい顔って言われるようになったし

人間も、犬も、ストロークが必要なの、プラスの。

吠えないで!って気持ちじゃなくて、こんな気持ちでこてつに教えてあげたら良いんだ

「どうぞこてつのこころが安心でいっぱいになって、立派な成犬になりますように。あんまりたくさん吠えなくても大丈夫になりますように」

これだ!と思って、

こてつがゆったりする食事直後に(いつも擦り寄ってくるから)たくさんなでて、そう言ってあげている

今日は佐川さんが宅急便を持ってきても2回しか吠えなかった

まあ偶然かもしんないけど

でも、無視しないでちゃんと気持ちを向けてあげると、やっぱりかわってくる

穏かだ

心の中が安心で満たされて、しっかり自立した犬に育ててあげたい

それから、自分自身にも、毎日たっぷりのプラスストロークを

だんなさんにも、プラスストロークを


もちろん、警戒解除の練習は続けている



朝日

2013-02-04 14:02:23 | 

光る犬

2013-01-27 09:16:24 | 



夕方の空

2013-01-24 14:10:05 | そら

脚本を書き直す。

2012-12-18 09:51:47 | love
日ごろ生活していると、なぜかいつも同じパターンになって、苦しい思いをすることがある。

たとえば「苦しい。つらい」と言うと、「あんただけじゃなくてみんな同じ」と必ず言われ、私の個別の「苦しい」は、いつの間にか削除されている。

他にもいくつかのパターンがあり、どうにも息苦しいそれらを、どうにかして改善したいと思っていたけれど、どうにも核心まで手が届かず、苦しいもどかしい、挙句にはそのパターンにはまっていたい思いをする、の繰り返しの中にいた。

ところが、最近「交流分析」について書かれた優しい心理学の本をよんで、その核心に、不意に手を触れることが出来た。

自分を苦しめるそれらのパターンは、幼い頃から、自らが生き延びてこれるように、幼い私がかきあげた、「こうやって生きれば、この世の中を生き延びていける」という、現実認識の脚本だった。

それはちょっとしんどい生活環境の中から生み出されたものだった。
幼い私にとって、世の中は、守ってくれる大人もいない、存在をあっという間に消される、夢も希望もないがっかりなところ
だった。
その認識のまま、大人になった今も、その脚本を生きていることに、


最近気がついた。


その脚本を、では、書き直して、今の大人の私が、最善と思える考え方を選び取っていく上で、いろんなことに気がついた。

今の社会では、同じように幼い頃の家庭環境で傷ついた人が、ものすごく多いこと。おそらく、傷ついていない人はいないこと。

でも、親や家庭環境を悪く言ってはいけないという文化なので、苦しいということがいえないこと。

みんな等しく同じような苦しみを心に持っているから、「つらい」と言ったら(私だってつらい)と、その心の中にある気持ちが刺激されてしまうから、「みんなおんなじ。あんただけじゃない」といいたくなってしまうこと。

こういう仕組みがあるから、いつまでも核心に。。。「家を批判してるわけではなく、ただ事実としてつらかったし苦しかった」。。。ということを、いえないこと。認識できないこと。

みんな等しくつらい気持ちを持っている、ということは、最初とてもショックだった。
でも、それは、今は時代の変わり目なのではないかと思った。親世代では、自己のアイデンティティーを打ち出せない時代だったと読んだことがある。
でも今は、「自分とは」、自分のことを知ろうと出来る時代で、その境目に、私たちはいるのではないか、と思った。


去年大きな地震があって、一瞬でたくさんの人がなくなって、それをリアルタイムで私たちは見て、本当に衝撃を受けた。生き方も時代も、大きく変わるときになった、と思った。

私も、あなたも、もし言葉にする量が違っても、等しく傷ついているのなら、もうこれ以上の傷つけあいはいらないと思った。頑張ってるのに頑張れ、といったり、苦しんでいるのに、受け止められなかったり、批判したり、十分にやっているのに完璧を求めたり。

そうじゃなくて、同じように、今、ここまで生き延びてきた強い魂をたたえ、そんな相手に敬意を持って、悲しい気持ちは癒し、今、幸せに平和に生きる。
そんな方法でも、十分にやっていける、と私は思った。
そして、そんな風に思ってあいてを見たら、今までとまったく違って、ものすごくうまくいろんなことが進んでいく。

その脚本は、自分を守り、命を未来につなげるために、幼い自分が作ったもの。幼い自分は、絶対に幸せになれるし、自由に生きれる、だから大人になるまで頑張って!と、自分を信じてそうしてくれて、今大人になった私はここにいる。
その
小さい私の努力に報いるためにも、今、自分が幸せになる考え方を選び、やってみる。
過去は消せないとよく言われるけれど、過去の私と今の私は共にタッグを組み、お互いを信じて、いつでもお互いの味方だった。

そこに家族批判はないと思う。

自分を、そして相手を、厳しく罰したり、甘い、と言い合いながら進むのではなくて、

共に頑張ってきたもの同志としてたたえあう。
そして
悲しみは癒す。
更に、今幸せに生きる。

それが、これからの時代に求められてくるものなのかなあと、思った。

人が、本来の人らしいあり方で生きること。


まだ、私の中には古い脚本がたくさんあって、今日もそのパターンにはまって、ちょっとだけへこんだけど、

この新しい考え方は、私の中の新しい礎、信念になった。

良かった!


ちょうど新月から少し過ぎた頃で

新しい私の始まりが、始まっているんだって、思った。







冬のお散歩、寒い日

2012-12-01 21:13:26 | そら


犬のお散歩に行くと友達に会った

いつも会えるわけじゃないから嬉しくて、寒いけどずっとお喋りした

今日は4人で、そしてわんこ2匹でお喋りした

冬の風がとても冷たくて、空をぴかぴかにした

たのしくてうれしくて、ただただいっぱい笑った

きれいなもの

2012-11-26 15:08:00 | 
きれいなもの。


秋の終わりの寒い朝




朝日に光る木




キラキラ光る初霜



輝く並木道




遠くに昇った薄い月、もうすぐ満月。大きくてきれいなアールを描く円

犬とケンカしてわかったこと

2012-11-05 14:53:16 | 柴犬のこてつ
先週の私は、こてつにかまれてばかりだった、しかもマジ噛み。かなり痛くて、いらっとする。
こてつはじぶんのいやなことをされたら、怒って噛む。首輪を強くひっぱりすぎたとき、分けわからずにおもちゃを取り上げられたとき、ご褒美をくれなかったとき。
今まであんまりそんなことなかったのに。

怒るのは正当だし、自己表現できるから、こては大人になってきたってことかも。

でも、絶対に人を噛んではいけないって、教えなきゃならない。

私はいつも方程式とか因数分解のようにものを考えていくのだけど、こんな風に思ったの。

こてつは自我があるからかむ

いつもこてのお世話してるのに、何で私の言うことをきいてくれないの!

他者のためにやることって、ほぼ100パーセント見返りは期待できないんじゃないの

①私の意識が自分でなく他者に向いている
②こてに自我があるように、私にも自我がある
 じゃあ、お互いの自我を尊重だ

自我
↓こては(年齢的にも)思春期なんかな

じゃあ、おやばなれ、こばなれのときかなあ

自我がでてくるってことは、そのこが成長して、自分の意思を持って生きていく(生きている)という気持ちが芽生えてくること

もう仔犬の時みたいに、可愛い♥だけじゃいけないってことで。
こてが出来ない事(ごはんの用意、シャンプー、糞をかたづけるとか)はしないといけないけど、一匹の成犬として尊重しなきゃいけない

ゆうことを聞かせる、から、何のためにそれをさせるのかをよく考える、に、シフトしなきゃ。

自分のゆうことをきかせて(そして優越感)のために「フセ」を教えるのか、ドッグカフェに行って、お互いに気持ちよく過ごせるためにおしえるのか
そういう自覚、ひつようじゃん

正直に、自分のゆうことをきいてくれるこてがかわいいとおもっていた部分もあって、そういう自分も否定しないし、本心で。

そういう時期があったからこそ、こての「おや」として、次に何を私はしないといけないのかを、自分でわかって、良かった。
ずっとこてにべったり、こてもべったりの時期も楽しかったし、可愛かったけど、ずっとその時期が続くのではなくて、互いに自立する時期が来ること、それがわかることが、私はとても嬉しかった。

わかるだけで終らせたくない。

噛んではいけないよ
でも私もこてがおこるようなことをしていないか気をつけて。
そして、こてにはこての、私にはわたしの双方の意思があることが大切だ。
こてにべったりの時期があったからこその次のシーズンで、何も間違いも失敗もない。

そして昨日はこての大好きな「タオル引っ張りっこ」をしてあそんだ。こては嬉しくて、う~う~と唸って引っ張ってきた
目がキラキラしてる

ほら、自分のゆうことを聞いてくれるこてじゃなくても、こてはこてのままで十分可愛いでしょ!

かくして、わたしとこてのハネムーンは終了した。
こては、こてだけど、一匹の犬に戻った。
それは私の視界をすっきりさせて、より幸せな気持ちで、こてと時間を共有できる。

ほら、思い出して。
もともと犬は苦手。生き物を飼うのも苦手。触るのもちょっとごめん、だったじゃん。
別にそれでいいんだって。そんな私のままで、全然いいんだって。

いい人でなくていいから、私は私の自我を、手放したくない。

小さい頃から、正当な理由もなく「お前は我が強すぎる」「自分の意見を言いすぎだ」と大人たちから言われてきて、自分でよく考える余裕もなく、「自分の意見は言ってはいけないんだ。いい子にしないと嫌われてしまう」
と思っていたけど

自我を手放しちゃったら、「こてつはなんで私のいう事を聞かないの!毎日お世話してるのに」

あらあら、なんてこと。すっかり自分じゃない誰かに入り込んでしまっていた。

噛まれたら腹も立つ。言うことをきいてほしい。優越感だってある。
それでも更にお互いのよりハッピーな関係を目指して行きたい。

それにはお互いの自我を尊重することが欠かせなくて、そうなったら、お互いに自立するしかない。

それって、自分の意見を言わないようにすることより、ずっと素敵じゃないか!私にとって。

日本人は、自分のことを自分でほめたり認めたりしない文化だと思うけど、そういうのは敬遠されてるけど、本とはすごく大切なことだと思う。

自分は世界にたったひとりしかいないのに、それを差し置いて、恋人とか、ペットとか、何か他のものにのめりこんで、自分を置いてけぼりにしたら、それはやはり自分の心は悲しむだろう。悲しいから更にのめりこんじゃって、どうしようもなくさみしくなって、そこには相手の、そして自分の、自我は何にもなくなって
つらいよね。

だから愛されたいって願う歌やお話が多いのかしら。
でもそれはだれに?
って、考えたこともなかったけど
じっくり考えたらそのからくりはこんなふうだとわかった。

自分のこと、ちゃんと見て、ちゃんとほめて、育てて、たっぷり愛したら、どれもこれも愛しくなるね。だんなさんも、犬も、友達も。

そしたら「こてつは何でいう事聞かないの!こんなに世話してるのに」なんて、思う暇もないね。(笑)


何で、犬一匹にそこまで考えるの、って思う人もいるかも知れない。
私も時々そう思う。
でも、犬は犬だけど、犬は生き物でもあって、自分の暮らしに新しい生き物が加わるということは、やっぱりこういう風に、いろんなことがおこって、考えて、気付いて、新陳代謝がおきて行くものだろうって、私は思う。
きっとそれは、恋人が出来たとき、新しい友達が出来たとき、結婚したとき、いつか子どもが生まれたとき、ぜんぶ同じことなんだろうって、思えるのだ。










こてつと見るそらはきれいだね。