伊豆伊東の 裏町小路 まるで私が子どものころのような わびしい夜。ふるさとの小さな商店街が 浮かび上がる。酔っ払いのおじさんが 寿司折りをぶら下げて フラフラと歩いていた。でも伊東は 赤ちょうちんはあるけど 誰も歩いていない。でも私は 懐かしくて この裏小路が好きだなぁ。
誰も通らない 山のこみち おっちゃんと一緒にお散歩。ひとりだったら寂しくて とても行けない山道 どんなところでも おっちゃんと一緒なら歩いて行ける。長い間 ずーっと一緒に歩いてきた人生のように これからもずーっと一緒に行くんだ。足も痛い私には短い散歩も かなりつらい。でもおっちゃんと巡りあって23年間 一日も離れたくない。だけどおっちゃんは仕事の出張で ヨーロッパや アメリカに行ってしまう。山のなかに取り残されて ひとりぼっち。でもノラだったネコを育てて いつもひっそりとそばにくっついてくる おとなしいきのちいさなぺーを抱きしめて ぺーのつやつやした背中に涙をポロンと落とす夜 何度あっただろうか……病気でなかった頃は 仕事一筋でぺーのことを 一人ぼっちにしていたんだよね。ごめんね ぺーちゃん この森のなかに たったひとりぼっちで 長いこと 留守番させてさぞ寂しかっただろうね。
中伊豆にある小高い丘から 見下ろすと 小さな村里がひっそりとよりあつまっている。 息子夫婦の小さなアパートも 見えるはず。重なりあった山々の上に まばゆい夕焼けのそらが輝いている。中伊豆の風景は 何十年前とあまり 変わらないに違いない。 風習も人情も。
伊豆下田に 水仙が岬いっぱいに咲く美しい海辺がある。爪木崎という。下田で教室をはじめる何十年も前にひとり旅で 訪れた。以来何十回も 水仙の咲く冬の海に行った。 球根を買ってきて さくらのしたに植えた。かつて活躍してくれた車が 夕日を浴びてさみしげにじっとしている。 沼津 三島かんなみちょう 土肥 伊東 修善寺 なかいず 伊豆長岡 下田と9教室を走り回って仕事を共にしてくれた車 各教室に大量のレッスン教材を乗せて山を峠を 海辺を 走ってくれた車 ありがとうね。過労で身体を壊してハンドルを 握れなくなったいま 車をみると胸が痛む。
今しも太陽が落ちて行く。 冬の夕空が淡いブルー 薄いクリーム 輝く太陽をバックに さくらの樹が 美しいシルエットを描いている。往診の先生が今日も姿勢正しく歩いて帰っていった。看護婦さんをつれて 週一回きちんときてくれる。御年は召しているけれど しやっきりして 頼もしい。かなり年の離れた美しい奥様がいる。先生の人徳なんだろうなぁー…しあわせそうな先生の人生が うらやましいと思うことがある。
山奥の窓辺に 春の香りが柔らかく漂う。 身体の痛みをこらえて 小さな田舎の花屋さんまで おっちゃんがつれていってくれました。 寄せ植えしてくれたのは おっちゃんです。私は庭の花を植えました。雑草をとり 枯葉を払い おっちゃんは枝を切り ずいぶん庭も すっきりして明るくなりました。 でも昔に比べればまだまだ荒れています 少しずつきれいに片付けたいなぁ。ゴミとりのおじさんたちに花御殿と呼ばれていたころのように……
我が家の周りは森がいっぱい。その森に夕日が沈んでいく。 天城の山に吸い込まれていく金色の太陽 だあれもいない夕焼けこやけ ちょっぴりさみしい ひとりぼっち 幼い頃を思い出す。お父さん おかあさんがいたころの ちっちゃいみいちゃんになった気がする。なんでかな?
山々を越えてみどりに染まる林を抜けて ようやく辿りついたのは透き通った小川のある小さな村里 川にかかる木橋も 童話の世界のように可愛い。 街灯が すずらんの花の形をしていました。林をわけいって 山奥に入って行くと ある地点から 急に 木々が白樺林になって…その木々のした一面にすずらんが どこまでも……花には少し 遅かったけど まるでおとぎ話のなかに入ったみたいな ほわーんとした静けさ ロマンチックなすずらんの里 ようやく見つけたよ。 花の盛りにまた来たいねといって 夢のようなすずらんの里をあとにしました。
伊豆船原峠を走っての帰り 土砂降りの雨風に 車を止めて 一休み。向こう側には山々があるのに 雨と霧でなにも見えない。 土肥教室のレッスンが終わったころは小雨だったのに さすがに険しい峠道 葉桜になった木々が 荒々しくうねっている。まだまだうちまでは遠い。 気合い入れて ひとっ走り帰ろうか。可愛いぺーのまつあの 愛しい我が家に向かって……