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風のように世界を

どこへでも行く。どこまでも行く。金の翼でめぐる旅の話。

宇宙の聖母

2010-12-06 | イタリア
ヴェネツィア本島から船で一時間ほどの潟のなかに、トルチェッロという名の小さな島がある。すぐ手前のブラーノ島が、鮮やかに塗り分けられた家々とヴェネツィアレースで多くの観光客を集めているにもかかわらず、そこから船でわずか5分のその島を訪れる人は多くはない。
 冬ならなおさら。灰色の空とくすんだ暗緑色の海の間に溶ける潟の向こうの島には、わだかまるような時間の流れしか感じられず――まるで遊園地のように可愛らしいブラーノの家を見た目には、トルチェッロ島の影は寂しすぎるのかもしれない。

 船着き場から伸びる道はたった一本。運河沿いに島の奥へと続いて行く。
同じ船から降りた何人かは、いつの間にか視界からいなくなって。猫だけが遠くから、通り過ぎるわたしをじっと窺う。口笛を吹くと迷惑そうに背中を向け、友達になる気はないらしい。それでもすぐ逃げられるように身構えながら、かなり近づくまで動かないのは、餌を持っているのではないかと期待してのことか。
 小さな島の小さな運河は、運河というより単なる掘。流れは微かで、時が止まったようなこの島には相応しい。小さな家。小さな橋。場違いに洒落たレストランも一、二軒あるけれど、季節外れの今は客の影もない。静かだ。静かで寂しい。ここが昔この地方の中心都市で、万を超える人々が住んでいたことは伝説の類としか思えない。
 その頃の唯一の名残りはサンタマリア・アッスンタ聖堂――わたしが目的とする場所だ。当時の繁栄を示して、島とは不釣り合いに大きなバジリカ式の聖堂は、ブラーノ島からもその姿を望むことが出来る。聖堂と塔と。起伏のない島のランドマーク。島に着いたら、船着き場から聖堂まで、その塔を目指して歩けばいい。
 
 
 聖堂内に踏み入れた足が止まる。目が見る前に、その場所の空気が何かを感じさせる。ここにあるのは何か。わずかに狼狽えて周囲を見回す目に映るのは、黄金の中空に浮かんだ青い聖母。
 聖母は最初から圧倒的に迫って来るわけではない。至聖所は、そのモザイクが作られたという12世紀よりはずいぶん時代が下った頃の板絵に視線を遮られ、入口からはストレートには見渡せない。それでも黄金の鈍い輝きに誘われて足は自然にそちらへ近づく。意志ではない、誘われるように足が動く。
 聖母は黄金の天に浮かぶ。深い藍色の衣をまとって。細身の優美な姿は、しかし果敢なさや弱さとは無縁だ。若く美しく凛とした世界の母。しっかりと幼子イエスを抱き、足を踏みしめて立つ。全ての人が彼女の前に頭を垂れ、守護を祈り、賛美する。ここにいるのは全世界を統べる宇宙の聖母。

 わたしは祈りを呟いていた。一生に一つの願いをこの聖母に――願うに足る確かさを感じさせる。
 きっと願いはかなう。
 水が低い場所へと流れ、木が光の方向へ枝を伸ばすのと同じように自然にそう思えた。信じる努力でも熟考の結果でもない。“真に然り”という心で祈ることが出来る。信じる時の安らぎは、宗教者ではないわたしが初めて感じたものだった。

 いつまでもいたいけれどそういうわけにもいかない。入口に人の気配がしたのを機会に帰り支度を始める。名残り惜しく堂内を見まわせば、天井は船底を思わせる木組み。海がここまで来ている。そう思いながら聖堂を出る。もう来ることはないかもしれない。急ぐ旅行で立ち寄るには遠い島だから。
 だがこの聖母はきっといつまでもわたしの傍にいてくれる。島を出て、地球の反対側に戻ってもきっと。
 来た道を船着き場でゆっくりと帰る。出来る限りのことを覚えておくために、辺りを見回しながら。どんなに遠く離れても、二度と来ることがなくても、この場所が世界にあると思うだけで幸せになれる土地がある。トルチェッロ島はそんな場所の一つ。心にまた小さな明かりが灯る。


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白毫寺へ

2009-08-10 | 日本

 参道の途中で小雨だったのが大粒になった。早足で石段を登って行く。小さな門の瓦が濡れ始める。


 傘を持っていないわけじゃないけれど。
 本堂の、ささやかな軒下を借りて雨を避ける。石畳に降った雨粒は、天から落ちた後、名残惜しげに硬い石の上で小さな跳躍を繰り返す。――本降りだ。雨に叩かれた草が揺れる。屋根に当たる雨音が激しさを増す。他には何も聞こえない。わたしは目を伏せ耳を澄ます。
 千年、あるいは何百年かの昔には。
 同じようにここに立ち、雨音に耳を澄ました人間もいたことだろう。雨音の奥の、何かの兆しを聞きとろうとして。
 都外れの小さな寺。華やかな時代もあったのだろうが、きっとそんな時期はわずか。今の佇まいと同じように、時間がただ積み重なっていくような場所。心に鬱屈を抱く者が。秘かな願いに身を燃やす者が。ひたすらな平穏を求める者が。雨の降る日、迷い込むようにこの寺を訪れた。

 
 丘の麓に在る白毫寺への道は、新薬師寺から歩くならば学校や住宅の多い普通の生活道路だ。しかし途中に、あまり人の通らない細い道がある。あった。わたしが訪れた頃には。
 本当に細い道で、真ん中に立って腕を真横に広げれば、両側の土塀に指先がついてしまいそうだった。だがその土塀は丈が低く、あまり圧迫感はない。普通に歩いていても、上部が崩れた部分から内を覗くことは容易だった。内は人気のない庭で、ただ草が茫々と繁っている。――時が止まったまま、何も変わらないように。
 この道は、過去への道。通る人間は時間の挟間に落ち込む。誰も気づかぬうちに訪れ去って行く通り雨のように、時間が目の前を通り過ぎて行く。そんな道を通ってこの寺へ辿り着いた。


 夢想は境内への足音で破られる。わたしと同じ現代人が、赤いデイバッグを背負って現れる。少しためらうように歩幅をゆるめ、近づいていいか気配をうかがう様子。
 ああ。今へ。戻ってきてしまった。
 内心で苦笑しながら雨宿りしていた本堂を離れる。夢は他人に迷惑にならないように見なければ。この場所を一人占めしていてはいけない。少なくともわたしはしばらく自分の時間を享受した。
 この人も過去へ行くのかもしれないし。
 目を合わせないようにしながら、すれ違う時には心の中でバトンタッチを呟く。――紫色の傘を広げる。途端に雨が道連れになる。
 
 すっかり濡れた雨の石段。わたしは白毫寺を後にした。

 
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巨大な虚なる空間

2009-06-25 | イタリア
 初めてのヨーロッパは。
 イタリア・ローマ・ヴァチカン・聖ピエトロ寺院。

 冬のローマは夜明けが遅い。朝七時近くになってようやく空の一部が紺色から朱色に変わる。ホテルで朝食を食べながら窓の外を見て、今日は晴れそうだと思う。ヨーロッパ、初めての一歩。
 ホテルはロシア大使館のそばにあった。街角を、通勤のために大勢の人々が早足で通り過ぎる。――イタリアだったら、みんなが朝からピッツァやエスプレッソを片手に「チャオ!」なんて、陽気な挨拶を交わすものだと思っていたよ。だが、大都市ローマのこの時間この場所は、勤め人が最短距離で職場に向かおうとする乾燥した場所だ。旅行者だけが場違いな笑みを浮かべながら浮かれた足取りで歩いている。


 パン屋から流れる焼きたてパンのいい匂い。走りだしたい心を抑えて、聖ピエトロ大聖堂前の広場へ、列柱の間を通って入り込む。
 来た。
 朝の光はまだ黄色味を帯びている。それに照らされた大聖堂の大理石の壁もわずかに黄色い。その上に広がる空はあくまでも清澄な青。広場の中心でぐるりと一回転してみる。大理石の列柱。飾られた石の彫像。
 ヨーロッパだ。時間の層が厚く堆積した場所。今踏んでいる地面の下には、ローマ帝国の栄光が、初期キリスト教徒の受難が、ローマンカソリックの繁栄と腐敗と衰亡が染み込んでいる。その記憶が無言のまま周りを取り巻く。
 わたしは笑って空を見上げた。


 聖ピエトロ寺院はその巨大さで訪問者を圧倒はするけれど、大きさだけならば、世界の隅々まで映像が届く昨今、それのみで目を瞠らせるものではない。だがやはり内部空間のバロック様式は、実際に見ると異様なほど華やかで、余白のない装飾を見慣れていない目には驚きだ。床から天井をゆっくりと見上げて溜息をつく。これを作るのに費やした時間と労力と財力は一体どれほど。
 はるか昔、ユダヤの地で生まれた新しい宗教は、歳月を経るうちに自らを肥え太らせて行った。この建物のどこにも、細々と迫害に耐えた初期キリスト者の影はない。ペテロの遺体の上に建てられたという言い伝えも、その骨が見つかったという知らせも、非キリスト者であるわたしには単なる知識であり、それによって感銘を受けるという性質のものではない。
 そんなことを思いながら大聖堂の床の上に立っていると、ふいに強い違和感に囚われた。――ここには「中身」がない。
日本の巨大な建造物を思い出してみる。古代の出雲大社。東大寺大仏殿。三番目は……。実際に見たことのある建造物で言えば、京都の知恩院本堂はその大きさに驚いた。近代に復元された大阪城も大きな建物に入るだろう。新しい建物としては東京都庁や横浜のランドマークタワー。
 しかしそれらは大きくはあるけれど、巨大な空間とは言えない。古代出雲大社が桁違いなのはその高さであって、本殿そのものの大きさは西洋の大聖堂とは比べるべくもない。大仏殿は大きいけれど、それは大きな仏像を入れるための容器としてだ。大極殿の空間も、おそらく広さも天井の高さも比較の対象にはならなかっただろう。
 聖ピエトロ大聖堂の高い天井。何のために彼らはこれほど巨大な空間を作るのか。過剰な華麗さで飾るのか。清貧は彼らの初期の教義であったはずなのに。

 俗界に対しての力の誇示という側面は当然あった。質素であることは人を引き付けないが、豪華さは目を驚かせ、人を呼ぶ。だが、それだけが理由だというには過剰なエネルギーを感じる。遠い東の国の、簡素を旨とする美的感覚を持つ人間からすれば、ここまで飾る意味を権力の誇示のみとは思い難い。やはり根本には宗教的に肯定されるべき理由が含まれているはずだ、と思う。
 ――宗教は主張なのか。
 自分の存在を大いなる者に認めてもらうための。個としての人間が取るに足りない小さな存在であるのはわかっている。しかしそれに耐えられるほど人間は強くない。ならば、声を上げ続けることが天上へ向かって出来る唯一の行動。荘厳することで、捧げものをすることで、自分の存在に気づいて欲しい。有用な者であると認めて欲しい。際限なく華美になっていく過程には、そういう思いが込められているのか。
 神への訴え。その手段としての捧げもの。捧げるための荘厳。際限なく飾らなければ不安なほど、彼我の距離を感じていた人々。
 わたしはなにか悲しかった。バロックの華麗な装飾の影。潜んでいるものが多すぎる。パトロンたちはなんの疑問もなく豪華さを追求したが、しかしその背後には無意識の切ない叫びがあった。忘れないで欲しい、ここにいることを、救ってほしい、この世の終わりには。聖ピエトロ大聖堂の虚なる空間にはその叫びが残響する。


 交差部まで来て真上を見ると、そこには穏やかな表情のドーム――窓から差し込む光が確実に天の存在を感じさせる。
 光だけでは不安だったの?
 誰ともわからない誰かに向けて問いかける。最大の恩寵を、日々降り注ぐ陽光に感じても良かったのに。東から陽が昇り、西へ沈む。その変わらない営みを、人間に対する神の最大の恩寵だと信じられれば良かったのに。
 そうすれば過剰な装飾はいらなかった。
 天をもっと近く感じていられた。


 
 始めの一歩は聖ピエトロ大聖堂。
 わたしはいつも思い出す。
 夜明けのあの空を、大聖堂のあの虚なる空間を。



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いつか朝靄のなかの教会へ

2009-04-07 | ポルトガル
 谷間の真珠。
 そんな呼び名を持つオビドスは、慎ましやかで愛らしい町だった。
 町へ入る門はポルトガル独特の青い装飾タイルで飾られている。城壁は敵を防ぐために作られたはずだが、おそらくこの門はその役割を果たしたことがないに違いない。この寂しげで静かな青の下を、殺伐たる敵兵が通る姿は想像出来ない。ただ人を穏やかに迎えるために作られた門。汚れや傷も見える。今まで長い時を過ごして来た物の記憶。
 町は小さく、一周するのにもほんのわずかしかかからない。道も狭い。石畳の道。観光客のために、小さなお土産屋さんがささやかな細工物を並べる。白い建物の壁に鮮やかな色の花々が蔓を這わせる。ブーゲンビリア。ホクシア。窓にも鉢物が並べられる。壁の白に、花の咲く場所だけが所々紅い。訪れた人々はゆっくりとした足取りでそぞろ歩く。早足で歩くことに意味がないくらい、ここは小さな町だから。
 
 この町で一番大きなサンタマリア教会も、リスボンで聖ジェロニモス修道院を見てきた目にはとても可愛らしく映る。家々と同じく、教会の壁も白。ファザードがどこかアンバランスなのは、白い壁に対して入口がベージュの石の色のままであるせいだろう。入口の真上に据えられたマリア像のたどたどしい造型が信者と観光客を迎える。
 中に入れば壁は青の装飾タイル、アズレージョで埋められている。町の門と同じ寂しげで静かな青。全面をタイルで飾るのはイスラム風だろうか。バロックの祭壇と合わせると少し違和感がある。小さな町はその中に、過去から生きながらえた異国を抱える。

 城壁の上に登ってみる。高く低く、カーブを描いて町を取り囲む壁。城壁を持たない国から来た者には、壁は町を明確に周囲と分けるための縁飾りと見える。縷々続く赤褐色の屋根と白い壁。一つ一つに住んでいるのは、人間ではなくドールハウスの人形たちかもしれない。
 町を囲む城壁から外へ目をやると、遠くに大きな建物が見えた。教会だろうか。畑の真ん中、四角ばってぽこりと立ち上がった姿は、その大きさにもかかわらずユーモラスだ。
 この町で朝を迎える贅沢をいつか味わってみたい。家々の白い壁はまぶしく光り、朝の空気は町をさらに魅力的に見せるだろう。起きだした町の人々は、見知らぬ顔であるわたしにも朝の挨拶を投げかけてくれるに違いない。少し引っ込み思案な笑顔で、おはよう、と。

 再び遠くの教会を見る。いつかあそこへ行ってみたい。畑に植えられているのは葡萄だろうか。葡萄畑の間を抜けて近づいて行くあの場所は、どんな風に見えるのか。かすむような朝の光。教会の鐘の音。葡萄の葉の朝露。道のはるか先、遠くをゆっくり歩く人の影――。


 ほんのわずかな滞在。名残惜しい目で町を眺めると、オビドスはやはり慎ましやかな佇まいで見送ってくれる。また来る時まで変わらないでいて欲しいと、去って行く身の勝手な願いを抱きつつ、わたしはまた次の場所へ運ばれて行く。

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天を突き刺す

2009-03-27 | アメリカ
 真下から見上げると、青い空に突き刺さるような真白なビル。資本主義の牙城、という言葉が頭に浮かんだ。――牙城というおどろおどろしい言い方はふさわしくないけれど。ビルの造型はのっぺらぼうと言いたいほどツルツルピカピカだし、エントランスのそばではプレッツェルの屋台も出て、子供たちがのどかに遊んでいる。
 だが資本主義の牙城というのはおそらく正しい。こののっぺらぼうのビルの中では、あまりに巨大すぎて口に出すのが恥ずかしいような言葉、「世界経済」の現実が動いているのだ。

 しかしわたしには世界経済など縁がない。用があるのは展望台。ビルへ入り、展望台へ向かうためのエレベーターを探す。通路にはちょっとしたアーケードがあり店が並ぶ。
 おっと。
 通り過ぎようとして、時計屋のショーウィンドウに目が止まった。時計にも貴金属にも興味はないけれど、そこにあったのは可愛らしい細工物。ファベルジェのイースターエッグがモチーフ。この街にはイースターエッグの収集で名高いフォーブスコレクションもある。いい記念になるだろう。値段もCDアルバム一枚分ほど。
 大きめのものから小さいものまで何十種類もあるうち、ピンクのエッグに心を決め、店に入った。店員はインド系かアラブ系の黒い髪の青年。「あのピンクのタマゴが欲しい」と言おうとして口をつぐむ。いかに商品とはいえ、突然タマゴではおそらく彼もわかるまい。ええと、細工物って何て言えばいいんだっけ。
 「どれ?」
と、彼はカウンターの向こうから出てきて訊いてくれる。ショーウィンドーまで引っ張ってきて指をさし、
 「あのピンクのやつ」
と言えば話は簡単。彼は緑の小箱に五センチほどのタマゴをそっと入れ、丁寧に包装してくれた。サンキューと言い合って別れる。一瞬の出会い。店員と客、それ以上でもそれ以下でもなく。


 展望台は思っていたほど混んではいなかった。窓から外を見れば眼下は海。島へ渡るフェリーが白い波をたてながら進んで行く。右手を高く掲げた女神像も予想よりずいぶん小さく見える。
 窓は足元ぎりぎりまでガラスになっている。最上階から見下ろすビルの真下。怖いもの見たさでじっと覗きこんで、車やバスが、地上で色とりどりの小さな虫みたいに動いているのを見ると――高所恐怖症ではなくても、さすがに腹の底がむずむずする。
 記念コイン製作機械が展望台の片隅にあった。一セントコインと些かの手数料を入れると、コインそのものを極薄の板状に引き伸ばし、そこにこの建物の安直なレリーフを刻印してくれる。こういうのは好きだ。やってみよう。
 わたしが入れた銅の一セント玉は、四センチ×二センチほどの歪な楕円になって機械から出てきた。小さくて安っぽくて、だからこそちょっと愛しい記念品。刻印された文字は、WORLD TRADE CENTER NEW YORK。


 この場所は、今はもうない。ピンクのタマゴを買った店も、わたしが真下を覗きこんだ窓も、記念コイン製造機械も。
 展望台から四囲の写真を撮ったのは、あの場所がなくなる二ヶ月前のことだった。もう二度と、あそこに立てないことをあの時のわたしは知らない。見降ろすブルックリンブリッジ、エンパイアステートビル、ハドソン川。あの景色が、間もなく二度と見られなくなることを。その時は誰も知らなかった。


 まだ財布の中には、あの時作ったいびつな楕円形のコインが入っている。時々取り出して眺める。あの場所の欠片を。街を足元に置いて景色を眺めた浮き立つ気持を。――あの機械は同じようなコインを何万枚作りだしたことだろう。
 世界中で何万もの人が、あの場所の欠片を心の中に持つ。今はもうない場所。無理やりに、唐突に、力によって消え去ったあの場所の。


 (ただし消え去った場所があそこだけではないことを忘れたくはない。あの時起こったことの映像は目を疑うほど衝撃的で、心に刻みこまれてしまったけれど、世界中では「消え去った場所」が生まれ続けている。ニュースにもならない「消え去った場所」。この存在をも忘れてはならない)


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羊のように

2009-03-17 | イギリス
 この辺は雨が多いから、とB&Bの奥さんは教えてくれた。テレビではウィンブルドンテニスが映っている。あっちはずいぶん天気が良さそうなのに。目玉焼きとベーコン、オレンジジュースの朝食を終え、窓の外を眺めると空は灰色。六月の湖水地方は、長袖を二枚重ねても寒かった。

 牧草地と道を区切る石積みには苔がみっしりと生えている。やはり間違いなく湿気の多い土地柄なのだ。濃い木々の緑も重く見える。灰色の空を映した湖の色も暗い。
 ウィンダミア湖を対岸へと渡る。船というにはあまりにもフラットで大きい。道路をそのまま切り離したアスファルトの筏のような物体。車が数台乗りこんできた。車専用の渡し船なのか?このまま乗っていていいんだろうか。いかにも観光客然とした自分が場違いな気がして、そわそわと落ち着かない。
 対岸で、ニア・ソーリーへの道は山の森の中へ続く。人気のない静かな森。羊歯の群生。鮮やかなピンクのジギタリスが高く頭をもたげる。しかし日本の山道と比べると光が入って明るい。たしかにここなら、うさぎのピーターが青い上着を着て振り向くかもしれない。
 森を抜けると緩やかな起伏の牧草地へ。どう見ても私有地だが、一応標識があり、通ってもいい場所らしい。だが牛の横をすり抜けて歩くのは――少し怖かった。
 
 通りすがりのゲストハウスの前庭に植えられた花々。賑やかな色彩で訪れる人を出迎える。その代わり人間は誰も見当たらない。出迎えは花に任せているのか。
 こんなところに住むのは、どういう気分なのだろう。周りはどこまでも牧草地。集落とはいえ、パブが一軒あるかないかのささやかさ。スーパーもなければコンビニもない。本屋もない。映画館もない。観光客向けの安直なミュージアムは、ウィンダミアやホークスヘッドにいくつかあるが、住民が見てそれほど楽しいものでもないだろう。外から取り込めるものはごく限られている。
 外から取り込めないとしたら、その精神生活は自分の内部で豊かに発酵させるか、あるいは身近な人々との交流によって刺激を受けるしかない。今の時代、テレビやネットは世界をとても近くしているが、バーチャルなものより五感で得られるものの方が、より強い影響を持つのは当然のことだ。
 心静かに満ち足りて。あるいはどこか遠くを夢見て焦燥に駆られつつ。ここの住人たちは果たしてどちらの心で日々を送っているのか。――集落を通りぬけてもやはり人影はない。

 雨。細かい雨。
 灰色の空から、我慢しきれなくなったように雨が降って来る。運が悪い、とは思わない。さっきから降らないのがむしろおかしいような空模様だったから。それでなくてもイギリスは、毎日決まった時間にきちんきちんと雨が降る国だ。紫色の折り畳み傘を広げる。傘の陰に隠れると、世界はその大きさに縮む。傘に当たる微かな雨音を聞いているのは自分だけ。
 小さな湖の脇を通って。雨に濡れてますます暗い色になる木々を眺めながら。寒い空気を頬に感じつつ歩く。
 雨の中、羊たちは黙々と草を食んでいる。ただ地面だけを見つめて、そばを通り過ぎるわたしの方はちらりとも見ないで。彼らにとっては足元の青々とした草だけが世界。小さな世界の大きな幸福。
羊の姿を見ながら、まるで悔恨のような思いが湧き上がる。
 こんな風にも生きられるのかもしれない。いつも“ここではない、どこか”を目指すのは間違っているのかもしれない。大きな幸福に突き当たるのは宝くじに当たるような夢物語。であればすぐそばの極小の幸福を楽しんだ方が賢い。遠くを見ずに。大きなものを求めずに。目の前の幸福だけを見て。

 羊のように。羊のように。
 新しい呪文を心で呟きながらわたしは歩く。そろそろ宿へ帰らなければ。そして明日はこの土地を発ち、また別の町へ行く。ここではないどこかへ。――古い呪文と新しい呪文では、どちらが心に棲みつくのか。今はまだわからない。


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薄紅色の鳥の魂

2009-03-07 | 日本
 ある年の春、山形県の赤湯温泉に行ったことがある。
 日帰りのドライブ、他の場所にも行った帰り路だったので、赤湯に着いた頃は夕方だった。目当ての共同浴場で一風呂浴び、外に出たところで幟に気づく。
 〝赤湯 桜まつり〟
 自分が住む街の桜はとうに散っていた。山を一つ越えて、まだここには花が残っている。この土地の、冬の長さと厳しさが心をかすめた。
 行ってみようか。誰かの一言で話は決まった。桜まつりの会場は辺りを見回せばすぐわかる。おそらく赤湯の町ならどこからでも見える小高い丘、その名もゆかしい烏帽子山。昔からの国見の山なのだろう。今は八幡宮が鎮座している。丘に提灯の灯が連なっているのが見える。
 ゆっくりゆっくり歩いて行く。春の夕闇は湯上りのそぞろ歩きにふさわしかった。


 祭りに感じる懐かしさは幼い頃の思い出のせいだろうか。それともそんな記憶を持たない都会育ちの人間も、同じように懐かしく感じるのだろうか。
 近づく一歩ごとに嬉しかった。山をほの紅く染める祭り提灯。広告が無造作に書かれ、それそのものには美しさなどないというのに、見ると心が和むのはどうしてだろう。わたあめや焼きそばの屋台、あの雑然とした佇まいも、優しく見られるのはどうしてだろう。この場所にいる人々を皆愛しく思う。与謝野晶子は昔歌った。清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵あふ人みなうつくしき。
 桜はもう過ぎ加減だった。座り込んで宴会をしている人は少なく、終わりの寂しさがうっすらと漂い始めている。丘を巻くように頂上へと続く道。丘にそれほどの高さはないので、道も少し歩くと終わってしまう。左右の桜を見上げながら名残の春を楽しむ。


 その時、風が吹いた。桜を散らす。
 風に散った花びらは真っ暗な夜に溶けて行く。ひらひらと命あるもののように躍って、そしてふと見えなくなる。華やかで切ない告別の舞は、桜だけが持つ特権。咲いて散る、その短さゆえに。
 花びらはこの世で死んだ、まだ幼い鳥の魂だ。
 薄紅色の、まだ悲しみに染まらない魂の。
 ふと手を伸ばす。闇に溶ける前に拾い上げれば幼い鳥は息を吹き返す。――でもそれは鳥の幸せなのか。


 そろそろ帰るよ。背後からのんびりとかかる声。祭り提灯の下の仲間たち。わたしは踵を返す。元いた場所へ戻るために。
 風は吹き、花びらは散り続ける。
 指先をかすめて、遊ぶように散っていく花びら。追ってはいけない。鳥の魂は夜の向こうの異界へ向かって、自由に飛んでいくままに。そしていつか世界を内包する卵として、また戻ってくればいい。
 伸ばした手を、伸ばしたままで見送る。薄紅色の鳥の魂。


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夜明け前

2009-02-27 | オランダ
 デルフトの中央広場に面した場所に宿をとった。
 街の規模にふさわしい小さな広場は、中央広場という名のイメージとは無縁の素朴な場所だった。たしかに東側には新教会の塔がそびえ、それと正対して西側には堂々たる市庁舎が建っている。だがそのどちらもがどこか小作りで、ミニチュアのように愛らしい。例えば、小さな子供がタキシードを着て、大真面目に蝶ネクタイを締めているような。どこへ行くの、おしゃれして、とからかいたくなる。
 宿はB&B。立地の割には値段が安く、内装は実に日常的だが明るくて広い。部屋は二階にあり、窓からは中央広場と市庁舎がよく見える。なかなか良い根城になりそうだ。今夜は早く寝よう。明日から、行きたい場所は山ほどある。


 ――地震か?
 耳元で大音響が鳴った時、最初に思ったのはそれだった。むりやり目覚めさせられた頭はなかなか動いてくれない。ベッドに半身を起して身構えたまま、暗い中で記憶を反芻する。ここはどこか。ここはデルフト。中央広場沿いの安宿。着いて一泊目の夜。
 また大音響。部屋の中の様子は暗くてわからないが、音はどうやら外からしているらしい。まるで壁がないのではないかと思うほど近く聞こえる。何が起こっているのか。これだけの音がしていて、建物の中が静まり返っているのはどうしたことか。カーテンを引き、外の様子を窺う。
 うわ。
 秋の夜空が、漆黒からわずかに濃紺に変わりかけた夜明け前。部屋から見下ろした中央広場は、照明で煌々と明るく、更に何十というテントと車で埋め尽くされていた。先ほどの大音響は、テントの設営の鉄パイプがぶつかる音だったらしい。時刻を確認すると、思っていたより遅く、朝六時過ぎ。北緯五〇度の日の出の遅さを実感する。だが、何をするとしても朝の六時にこの騒がしさは尋常ではない。道路工事らしくも見えるが、それにしてはテントが整然と並び過ぎている。イベントの設営にしても時刻が早すぎるだろうに……
 
 ああ。目の前の光景の意味にようやく思いあたり、わたしは声を上げた。朝市だ。搬入の品物はまだ見当たらないが、たぶん間違いない。そういえばこの広場の名前はMARKT。英語で言えばMARKETではないか。
 納得、そして苦笑い。これはとんでもない所に宿を取ってしまったのかもしれない。これから三日、毎朝この音に起こされるとしたら。ヨーロッパでは鐘の音がうるさくて起こされると時々聞くが、朝市設営の音も騒々しさはその比ではない。全く音楽的要素がないために、騒音として直接に耳に飛び込んで来る。
 でも、まあいいか。
 まだ暗いうちから働く人々。テントに隠れて人の姿はあまり見えないけれど、きっと白い息を吐きながら黙々と働いているのに違いない。普段の生活では触れることのない、街のそんな部分に出会うのも旅。毎朝この時間に起こされても、昼寝をすればいいのだし。
 後で朝市に行ってみよう。どんな店が並ぶのか、もう楽しみになっている。


 何年か前に「真珠の耳飾りの少女」という小説を読んだ。この街に生きて死んだ画家フェルメールと、そのモデルになった小間使いの少女の密やかな繋がりを描いた話だった。――そう言えば、少女が結婚する相手は、デルフトの市場に店を出している肉屋の息子。彼がいたのは、まさにこの市場。


 翌日、町外れの水門と新教会を廻った後、ようやく市場へ足を向けた。さっきまでの混雑はもう落ち着いて、他人と押しあいながらでないと進むことが出来なかった通路も、今は品物を見つつ自分のペースで歩ける。
 パン。チーズ。果物。靴下。CD。手芸用品。時計。洋服。朝市と蚤の市が一緒になったような品揃えだ。生活に根付いた市だとわかる。きっとフェルメールが生きていた時代から、ずっと続いて来たものなのだ。
 果物屋の屋台で、マスカットを房で買う。おばさんは愛想も何もなかったが、時間が遅いせいか少しおまけをしてくれた。だがそれに気づいたのは部屋へ戻って釣銭をポケットから出してから。お礼を言うにはもう遅い。窓から見下ろす市の屋台は半分ほどがもう店じまいをして、あの果物屋も見当たらなくなっていた。明日、また会えるだろうか。

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輝く赤と空の青

2009-02-17 | 日本
 土地には固有の空気がある。光の強さと湿度、温度。風の強弱。全てがその土地の空気を作り上げる。それはどんなに映像や写真を見てもそこでなければわからないもの。飛行場から一歩踏み出して、あるいは駅のプラットホームに降りて。ああ、と深呼吸する。体が最初にその土地を知る。
 九月の沖縄の光は、北国生まれのわたしには強烈だった。体に重みを感じるほどの強い光は、それまでの人生で味わったことはない。ここは南の国なのだ、とわかる。ここの光はわたしが今まで光として知っていたものとは別のもの。全く違う土地なのだ。


 首里は小高い丘。まずは守礼門を通り抜ける。門と呼ぶにはあまりに軽やかな、ふわりと浮かぶフォルム。この門は人を締め出すために作られたのではない。迎えるために作られた、おそらく世界でも珍しい門。
 高台の正殿への道は上り坂。辺りの風景に目を止めるふりをして、時々立ち止まる。日差しの重さがのしかかる。九月の暑さは予想よりもきつく、秋風など小指の先の気配すらない。遠く那覇の町並みが白っぽく広がっている。
 首里城は、後にそのいくつかを見ることになる沖縄独特の城(ぐすく)の到達点だ。がっしりと組まれた石垣は優美な曲線を描くけれども、それと同時に威圧もする。しかしいくつかある門の上に乗った櫓は控えめだ。小さな島の中でも権力争いの闘争はあったのだろうが、世界の歴史に触れた目には、昔の琉球での戦いは微笑ましいほどささやかなものに思われる。小さな国での小さな争い。――微笑ましい争いなど有り得ないが。

 復元されたばかりの本殿は観光客で溢れていた。内部には真っ赤に塗られたばかりの塗料のにおいがまだ残り、人の多さと相俟ってその場所を単なる書割に見せる。昔の姿をしのぶよすががない。もう少し時間が経ってから訪れた方が良かったか。少なくともにおいが消えている頃まで。
 だが内部を見た後、御庭(うなー)に降りて正殿と向かい合った時、わたしはこの時期にここに来たことに感謝した。
 塗りたての、眩しいばかりに濃厚な赤。青い空を背景に立つ。強い日差しだからこそ、その鮮やかな赤が映える。この天地にはこの色でなければ。この赤がこの土地の色。
 正殿の唐破風の飾りは紅型に似た賑やかな色遣い。昔、これに劣らぬ艶やかな衣をまとった男女が、この御庭を埋めたこともあるだろう。紅白の線がくっきりと引かれた御庭の、華やかな宴の場面を想像する。強い光は色をますます鮮やかに見せただろう。それはきっと色の海。花畑にいるような。
 正殿の前に向かい合う石の龍柱だけが灰色のまま、ずっと黙って立っている。翁のおかしみと似通うユーモラスな表情で。

 夕方、日差しが傾いて。王家の墓である玉陵には誰もいない。石の沈黙。鳥が素早く水色の空を横切る。
 あるいは園比屋武御嶽。石門の前に小柄な女性が座り込み、何事かを祈っている。捧げられた供物と、そのそばに咲く赤いハイビスカス。

 この島にはまだ祈りが生き残っている。忘れてしまえば死者は死の国のものだが、この島では死者へ語りかける祈りは絶えることがない。三線の音色に。かちゃーしーの手振りに。泡盛の澄んだグラスの中に。鳥のように飛び回る魂への呼びかけがある。
 魂たちはそれに応え、生者を優しく見守っている。時に含み笑いをしながら。生者にその笑いは聞こえないけれど、優しさは伝わる。だからこの島の空気はまろやかなのだ。しっとりと重く、密度の濃い。これがこの土地の空気。


 三線の音色を聴いた。辺りを見回しても、どこで弾いているのかはわからない。ただ風に乗って、音だけが聞こえて来る。
 その後に唄う声が追いかけて来た。渋味の勝った老人の声。気負わず、語りかけるように。声はやがて空へと消えた。


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きんぽうげ笑う

2009-02-07 | イギリス
 古い街を訪れるのは雨模様の日がいい。
 傘をささずに歩く細い道。ノルマン時代の壁の跡が雨にわずかに濡れ、静かに佇む。
 あなたは何を見てきた。
 壁に手を触れてそっと囁けば、長い話になるよ、と答える。長くてもいいよ、と返事をすれば、またそのうちにね、とはぐらかす。通りすがりの者へは語りようもないほど長い話なのかもしれない。
 
 満開の紫色の木の花。名前は知らない。
 枝に重いほどびっしり咲いて、雨に色を増す。


 カンタベリーは巡礼の街だった。天を指す塔を持つ大聖堂。殉教者トマス・ア・ベケットの墓。ロンドンからなら徒歩で三日の距離を、おそらく多くの者は楽しんで歩いたことだろう。たとえばチベット・カイラスの麓を巡る巡礼のような厳しさはこの場所にはない。南イングランドのゆるやかな丘の稜線を見ながら、歩くのに良い季節に、人々はカンタベリーを目指した。
 今のカンタベリーは落ち着いた地方都市。過去の歴史を映して古い建物が残る。街へと入る門。小さな教会。崩れかけた壁。メインストリートを歩けば、店構えも古の佇まいを残す。エリザベス一世の肖像がパブの看板として人を呼ぶ。
 まるで人懐こい猫のように、大聖堂の塔はあちこちから顔を覗かせる。屋根の向こうに、あるいは建物と建物の間から。知らず知らずのうちに足が向く。人通りが多くなればもう間もなく大聖堂だ。古拙なキリスト像を掲げた境内への門が目の前に現れる。像の下に、おそらくは街の有力者のものであったのだろう古い紋章がずらりと並ぶ。
 聖堂内へ一歩足を踏み入れれば、そこにあるのは天へと伸びる石の林。柱は分裂し、一本の太い柱ではなく、細い幹が何本も集まった木になっている。頭上はるかにある身廊の天井は、分かれた枝が作るアーチ。まるで樹齢千年にもなる大木のよう。深い森の底から人間は、巨大な空間を見上げる。静かだ。観光客のシャッター音とフラッシュ、囁き声が途切れることはないけれども。
 

 小雨が止んだ空は灰色のままだが、もう傘はいらない。雨の後の澄んだ空気のなか、弾むように大股に歩いて行く。町外れ、聖アウグストゥス修道院跡。ここには大聖堂の人ごみも華やぎもない。廃墟はぽっかりと、ただ在るだけの呑気さで訪問者を迎える。かろうじてかつての建物の大きさを示す崩れた壁。昔クリプトだった場所には、今は緑の草が生えそろう。
 まどろむ石たちの穏やかさ。訪問者をちらりと見やり、その無害を見て取ると、彼らはまた午睡に戻る。過去の日々の夢を見るのが好きなのだ。

 あなたは何を見てきた。
 問えば目を閉じたまま、彼らは意外な気軽さで歌う。
 生も死も。信仰も堕落も、殉教も。
 人が味わう全てのこと。
 ここを訪れた全ての風と、毎年花を咲かすきんぽうげ。
 何一つ見逃したものはない。何一つ忘れたものはない。


 風が吹くと花が揺れる。緑の野に咲く黄色のきんぽうげ。小さな花は笑いをこらえる少女のように身をふるわせる。野に透明な笑いが満ちる。いつまでも聞いていたいような心地よい笑い。射し始めた日差しが黄色を鮮やかに浮かび上がらせる。
この笑いが止むまで待っていよう。風に吹かれて。まどろむ石と共に。


 
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