江戸の笑いの海へ

江戸時代の笑い話や川柳の世界、そして、その当時の人々の暮らしぶりやものの考え方などを一緒に考えてみませんか。

道楽指南所

2007年02月25日 | Weblog
道楽のいろはを教えようという風変わりな指南所に弟子入り志願の男がやって来た。米屋の息子だという。さて、どれくらい素質があるものかと、師匠が「今年は随分と雨が降りましたが、米の相場はどうですか?」と尋ねてみたところ。

道楽指南所
「道楽指南所」へ米屋の息子来りて、「お弟子になりたき」と師匠に近付になり、一つ二つ話の上にて、師匠、息子に向ひ、「さて当年は、肝心の時分、いかふ雨が降りましたが、米の相場は何ほどでござる」。息子、「ハイ、サレバ、一向存じませぬ」。師匠、「ハア、よつぽど、お下地がある」。
                    『寿々葉羅井』(安永8年 1779)


羨ましいなぁ

2007年02月21日 | Weblog
今年七十五歳になる親父、連れ合いも七十二歳で元気、子や孫も元気。財産も存分にあり、何の不自由もない。「これは全て、神様のお蔭です。本当にありがとうございます」と、一生懸命に拝んでいたら、神棚に鎮座していらっしゃった夷(えびす)様と大黒様が小さい声で…。

夷大黒
豊かなる年の元日、仕合せなる親父、上下を着て神の棚に向ひて申すやう、「私、今年七十五、婆々も七十二にて、孫子も息才、掛屋敷も四、五カ所もこれあり、金銀に事も欠けず、何に不足もこれなし。これと申すも神々のお蔭、ありがとう存じます」と信心に拝みければ、夷大黒、小さい声にて、「何と、あの親父にあやかりたい」と仰った。               『軽口春の山』(明和5年 1768)


仙人の指

2007年02月18日 | Weblog
仲の良かった友人が仙人になった。その友人に2、30年ぶりに山の中で出会った。昔話に花が咲き、大いに盛り上がったが、いよいよ別れる時、仙人が、「お土産を差し上げよう」と、足元の小石を指差した。すると、その石はたちまち金になった。しかし、「いや、それはいらない」と応じると、「そうか、そうか、わかった。もっと大きなものが欲しいのか」と、とても大きな石を指差し、仙人はそれを金に変えた。ところが、「いや、それも結構だ」「じゃあ、お前は何が欲しいのだ?」。

仙人
心安い友達、仙人になり、二、三十年ぶりにて山中に逢ひ、昔語りに時を移し、別れて帰る時、仙人、「貴様に土産をやろふ」と、小石に指をさせば、仙術にて、忽ち金となる。友達、「私はあれは要りませぬ」と言へば、「それならば、もつと大きなが欲しいか」と、又、よほど大きな石へ指をさせば、又、金となる。又、「私はそれは欲しうない」と言ふ故、「それならば、何が欲しい」と言へば、「私は、お前の、その指が欲しい」。
                    『気のくすり』(安永8年 1779)


大入り満員

2007年02月17日 | Weblog
釈迦(しゃか)が嶽と仁王堂(におうどう)、人気力士同士の取り組みとあって、物凄い人出だ。チケットを持っていても、なかに入ることができない。「仕方がない、裏の方にまわって、囲いを破り、もぐり込もうぜ」と、囲いに穴をこじ開け、四つん這いになって入り込もうとしたら、係りの者に見つかり、「おい、お前、ここから入っちゃ、駄目だ」と追い出されてしまった。しかし、こんなことで諦めてたまるか。いろいろと思案を巡らし、今度は、四つん這いは同じでも、尻の方から、後ずさりしながら入り込んだ。と、やはり、係りの者に見つかってしまった。

角力(すもう)
釈迦が嶽に仁王堂ときては、近年にない大入。札を買つても這入(はい)られぬ木戸の込合(こみあい)。仕方なければ裏へ廻り、囲(かこい)を破り、犬のように這つて入りかかつた所、内に居る世話焼、見付け、「コリヤコリヤ、そこから這入る所じやない」と、頭を取つて押戻され、得(え)這入らず。しばらく工夫して、今度は尻から這入りかかつた所、又、内の世話焼、見付け、「コリヤ、そこから出る所じやない」と、帯をつかんで引摺(ひきず)りこんだ。                            『鹿の子餅』(明和9年 1772)


寒がりの男

2007年02月15日 | Weblog
えらく寒がりの男の話。
家中の戸締りをしっかりとしたが、どこからか風が入ってくる。「おい、この風は一体全体、どこから入ってきやがるんだ? 寒くてしようがねぇ」「はい、二階からです」「何? 二階からだと」。だったら…。

風の吟味
寒の中に、寒いとて、鎖回して居けれども、風が来るにより、「この風はどこから入るぞ」。家の者、申すやう、「これは二階から参ります」「そんなら、風の来ぬやうに、梯子(はしご)引いておけ」。
                 『軽口はなしどり』(享保12年 1727)

亀の命日

2007年02月10日 | Weblog
江戸の笑い話のなかにも、鋭い切れ味を持つ話がある。

弁財天の縁日は、己巳(つちのと)の日。その帰り道に亀を買うことに。
「亀は万年も生きるというが、おい、亀売り、間違いなく万年生きる亀をくれ」と選んでもらった。念押しもした。
ところが、翌日、亀は死んでいた。押っ取り刀で駆けつけ、「おい、いい加減なものを売りつけやがって」と詰め寄ると、亀売りは?

放し亀
巳待(みまち)に弁天へ参り、下向(げこう)に、「放し亀、放し亀」と言ふて居る。「ヤ、万年、生きるものじやから、徳な買物。コレ、一疋買ふが、きつと万年請合ひのを見たい」「ハイ、これがたつぷりと万年の請合ひ」「キツト請合ふか」と念を押して買ふて帰り、泉水(せんすい)へ入れて置き、あくる朝見れば、死んで居る。「ヤ、憎い亀売りめ。いかに掛値(かけね)言へばとて、万年が一晩は、あまり憎い」と、池の端へ、又、駆けて行て、「コリヤ、万年の請合ひ、一夜に死んだが。コリヤどふしたものぞ」。亀売り、騒がぬ顔で、「ハア、コリヤ申し、夕べが万年目」。
                       『御伽噺』(安永二年 1773)


凄い腕前

2007年02月08日 | Weblog
物騒な話をひとつ。

すへ切り
剣術の師匠、「すへ切りといふ手の内をして見せん」と言へば、
弟子ども、「これは先生、拝見したい」「成(なる)程(ほど)成程、
しからば明日、人込みの所へ行つてから、
往来の者、いづれにてもお望み次第(しだい)、すへ切りにして見せ申さん」と、
弟子どもを同道して、人通りへ出(い)でて待つて居て、
「アレ、あそこへ来た男を切つてみせふ」と、
先生、立(たち)向(むか)ふて、抜くぞと見へしが、
刀を鞘(さや)へ、何事もなし。弟子ども、いかがと思ふ内に、
男、七、八軒歩みしが、首は前へころり。あとから、
「モシモシ首が落ちました」。
『聞上手』(安永二年 一七七三)

剣術の先生が弟子たちに、「すへ切りという技を見せてやろう」と言った。
「是非、拝見いたしたい」と弟子たち。
「ならば、明日。往来で、誰でも構わない、
お前たちの望み次第の者をすへ切りにしてやろう」ということに。
そして、翌日。
多くの人が行き交うなかで、一人の男に狙いを定めた先生、
一瞬、刀を抜いたかのようにも見えたが、
もうすでに刀は鞘に納まっていた。切られたと思われる男の方も、
何ともないらしく、そのまま歩いていく。
「どうした?」
「何だ? 何だ?」と騒ぐ弟子たち。
と、十メートルほど先まで歩いて行ったところで、
男の首が突然、コロリと落ちた。その男は、後ろを歩いていた人から、
「もしもし、あなた、首が落ちましたよ」
と教えられるまで、首を切られたことにも、
そして、首が落ちたことにも、全く気づかなかった。
それにしても凄い腕前、切れ味だ。

やかましい春

2007年02月03日 | Weblog
寒い土地では、考えられないものまでもが凍りつくという。

寒国
「其元(そこもと)の御在所は寒国と承(うけたまわ)る」「さようでござります。寒中などは、箸を膳(ぜん)へ置きますると、替へまする内に箸が膳に氷り付き、もふ食べます事はなりませぬ。ちよつと話をいたしましても、壁へ氷り付きまする」。客、「春はさぞ、喧(やかま)しうござりませう」。
                       『坐笑産』(安永2年(1773))
 
 これを現代的な表現に改めてみよう。

「あなたの国許は大変寒いところだと聞きましたが・・・」
「はい、寒い時分には、食事の御代わりをする時に箸を御膳に置きますと、そのまま凍り付いてしまいます」
「それはひどい」
「いやいや、そんなことはまだ序の口、話が壁に凍り付いてしまうことがあります」
「ほう、では、春になって、話が融けだしたら、うるさいでしょうね」
「はい、ぺちゃくちゃ、がやがやと」