韓国の歴史教科書に、韓国兵がベトナム戦争でやらかした犯罪行為の記述はあるのか
韓国の中学か高校で使う歴史の教科書には
「ベトナム戦争にも韓国は参戦しました。そしてわが国の兵隊は略奪・暴行・強姦といった犯罪を犯しました。その結果、ベトナムには多くの私生児が生まれました」
こういう内容の記述はないのでしょうか。
ないのが当たり前です。
いまだに、韓国軍の虐殺をベトナムに謝罪していません。金大中が謝罪しかけたけど、取り消していた。
韓国の金大中大統領は先ごろ韓国を訪問したベトナムのチャン・ドク・ルオン大統領に対し、韓国軍がベトナム戦争に参戦したことについて「謝罪」したが、その後、野党サイドや退役軍人らから「謝罪はいきすぎだ。参戦将兵の名誉を傷つける。大統領の歴史認識を疑う」として批判の声が出ている。韓国軍はベトナム戦争に際し米国の要請で1964年から1973年にかけ延べ約30万の兵力を派遣し約5千人が戦死した。
しかし韓国政府としてはベトナム共産化を防ぎ自由民主主義を守るためで侵略ではなかったとの立場から、92年の国交樹立以降も「不幸な時期があった」として「遺憾」は表明したが謝罪はしなかった。ところが、金大中大統領は先週、訪韓のルオン大統領との首脳会談で「不幸な戦争に加わり、本意ではなかったがベトナム国民に苦痛を与えたことについて申し訳なく思う」と初めて謝罪した。
これに対しルオン大統領は「韓国の参戦でベトナム人に苦痛があったという指摘もあるが、両国は未来志向的に関係を構築していかなければならない」と述べ過去には関心を示さなかった。ベトナムはベトナム戦争に勝利したとの立場もあってどこにも謝罪は要求しておらず、米国も謝罪はしていない。今回の金大中大統領の突出した発言は、参戦当時、韓国軍の一部に残虐行為があったとする国内の左派や進歩派の最近の主張を意識したものではないかとの見方もある。
この発言を最も批判しているのが野党ハンナラ党の朴槿恵副総裁。ベトナム参戦を推進した故朴正煕大統領の長女だが、金大統領に対し「自由民主主義体制に対する確固たる信念」がないと語りその「国家観」に疑問を呈している。このほかベトナム派遣軍司令官を務めた蔡命新、李世鎬の両氏も大統領に公開質問書を送っている。」(8月29日産経新聞朝刊より)
99年5月256号ハンギョレ21
"1969年 10月14日, ベトナム南部パンラン地域で、韓国軍人らがリンソン(Linh Son)寺の僧侶に向かって銃器を振り回す事件が発生した. サイゴンの報告によれば、韓国軍一名がリンソン寺でベトナム女性に戯れようとして住持僧に追出されると、これに激怒, 同僚を誘って銃器を乱射したことが明らかになった. <AFP通信>は、この事件で71歳の住持僧, 69歳の老僧, 41歳の女僧, 15歳の修行僧 等 4人が死亡した事実をベトナム政府が公式に認めたと報道した.(<人民軍>紙 1969. 10. 24)"
韓国軍に殺されたベトナム人の数は、公式統計だけでも 4万1450名だ.)
韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる.
1965年 12月22日, 韓国軍作戦兵力 2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に500余発もの大砲を撃ち込んだ後、“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”というスローガンの下、 捜索掃討作戦を繰広げた. 彼らはこの村で12歳以下の22人の子供, 22人の女性, 3名の妊産婦, 70歳以上 6名の老人を含む, 50余名を超える良民を虐殺した.
"… などは、子供を出産して二日目に銃で射たれて亡くなりました. 彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に投げ捨ててありました. 妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり, 子宮が外に出ていました. 韓国兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して, 子供の頭を切り取って地面に放り投げ, あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てました.
彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し, ある子供のからだを持ち上げて、樹に投げつけて殺した後、焚き火に乗せました. そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…"
パンランで別れて二日ぶりにクィニョン市を調査中の‘私と私たち’一行から電話がきた. “見つけました! 当時調べた、現人民委員会 主席の話です.” 1966年 3月19日と20日の二日間にわたった‘ベトナム中部各地の戦争犯罪調査会議’で韓国軍の罪悪性を毎々に明らかにした話だ. “手にしている、この資料がますます 恐ろしくなりますね. ひょっとすると、わたしたちはこの資料をもっと補充しなければならないかもしれません. ビンディンソンを中心にこの資料に紹介された4地域だけでなく、韓国軍の虐殺現場が他にももっとあるというのです.” 当時の報告によれば、66年 1月23日から 2月26日までの約一ケ月間、猛虎隊 3個小隊, 2個保安大隊, 3個民間自衛隊により、この地域だけで、計1200名の住民が虐殺されて, そのなかにはひとり残らず抹殺された家族が8世帯にもなった. また、1535軒の家屋と850万tに達する食料が焼き払われ, 649頭に達する水牛が銃弾によって死んだり焼き殺された.
韓国の中学か高校で使う歴史の教科書には
「ベトナム戦争にも韓国は参戦しました。そしてわが国の兵隊は略奪・暴行・強姦といった犯罪を犯しました。その結果、ベトナムには多くの私生児が生まれました」
こういう内容の記述はないのでしょうか。
ないのが当たり前です。
いまだに、韓国軍の虐殺をベトナムに謝罪していません。金大中が謝罪しかけたけど、取り消していた。
韓国の金大中大統領は先ごろ韓国を訪問したベトナムのチャン・ドク・ルオン大統領に対し、韓国軍がベトナム戦争に参戦したことについて「謝罪」したが、その後、野党サイドや退役軍人らから「謝罪はいきすぎだ。参戦将兵の名誉を傷つける。大統領の歴史認識を疑う」として批判の声が出ている。韓国軍はベトナム戦争に際し米国の要請で1964年から1973年にかけ延べ約30万の兵力を派遣し約5千人が戦死した。
しかし韓国政府としてはベトナム共産化を防ぎ自由民主主義を守るためで侵略ではなかったとの立場から、92年の国交樹立以降も「不幸な時期があった」として「遺憾」は表明したが謝罪はしなかった。ところが、金大中大統領は先週、訪韓のルオン大統領との首脳会談で「不幸な戦争に加わり、本意ではなかったがベトナム国民に苦痛を与えたことについて申し訳なく思う」と初めて謝罪した。
これに対しルオン大統領は「韓国の参戦でベトナム人に苦痛があったという指摘もあるが、両国は未来志向的に関係を構築していかなければならない」と述べ過去には関心を示さなかった。ベトナムはベトナム戦争に勝利したとの立場もあってどこにも謝罪は要求しておらず、米国も謝罪はしていない。今回の金大中大統領の突出した発言は、参戦当時、韓国軍の一部に残虐行為があったとする国内の左派や進歩派の最近の主張を意識したものではないかとの見方もある。
この発言を最も批判しているのが野党ハンナラ党の朴槿恵副総裁。ベトナム参戦を推進した故朴正煕大統領の長女だが、金大統領に対し「自由民主主義体制に対する確固たる信念」がないと語りその「国家観」に疑問を呈している。このほかベトナム派遣軍司令官を務めた蔡命新、李世鎬の両氏も大統領に公開質問書を送っている。」(8月29日産経新聞朝刊より)
99年5月256号ハンギョレ21
"1969年 10月14日, ベトナム南部パンラン地域で、韓国軍人らがリンソン(Linh Son)寺の僧侶に向かって銃器を振り回す事件が発生した. サイゴンの報告によれば、韓国軍一名がリンソン寺でベトナム女性に戯れようとして住持僧に追出されると、これに激怒, 同僚を誘って銃器を乱射したことが明らかになった. <AFP通信>は、この事件で71歳の住持僧, 69歳の老僧, 41歳の女僧, 15歳の修行僧 等 4人が死亡した事実をベトナム政府が公式に認めたと報道した.(<人民軍>紙 1969. 10. 24)"
韓国軍に殺されたベトナム人の数は、公式統計だけでも 4万1450名だ.)
韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる.
1965年 12月22日, 韓国軍作戦兵力 2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に500余発もの大砲を撃ち込んだ後、“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”というスローガンの下、 捜索掃討作戦を繰広げた. 彼らはこの村で12歳以下の22人の子供, 22人の女性, 3名の妊産婦, 70歳以上 6名の老人を含む, 50余名を超える良民を虐殺した.
"… などは、子供を出産して二日目に銃で射たれて亡くなりました. 彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に投げ捨ててありました. 妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり, 子宮が外に出ていました. 韓国兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して, 子供の頭を切り取って地面に放り投げ, あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てました.
彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し, ある子供のからだを持ち上げて、樹に投げつけて殺した後、焚き火に乗せました. そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…"
パンランで別れて二日ぶりにクィニョン市を調査中の‘私と私たち’一行から電話がきた. “見つけました! 当時調べた、現人民委員会 主席の話です.” 1966年 3月19日と20日の二日間にわたった‘ベトナム中部各地の戦争犯罪調査会議’で韓国軍の罪悪性を毎々に明らかにした話だ. “手にしている、この資料がますます 恐ろしくなりますね. ひょっとすると、わたしたちはこの資料をもっと補充しなければならないかもしれません. ビンディンソンを中心にこの資料に紹介された4地域だけでなく、韓国軍の虐殺現場が他にももっとあるというのです.” 当時の報告によれば、66年 1月23日から 2月26日までの約一ケ月間、猛虎隊 3個小隊, 2個保安大隊, 3個民間自衛隊により、この地域だけで、計1200名の住民が虐殺されて, そのなかにはひとり残らず抹殺された家族が8世帯にもなった. また、1535軒の家屋と850万tに達する食料が焼き払われ, 649頭に達する水牛が銃弾によって死んだり焼き殺された.