月曜日が休刊日のため、屋山さんの論壇も一日ずれました
論壇 屋山太郎
「今に生きている」歴史
<1200年間有効な聖徳太子外交>
日本の歴史を振り返って、その時代の指導者の考え方や政治の結果が「今に生きている」と実感させる時代が2つある。一つは聖徳太子の功績と二つ目は明治維新だ。
聖徳太子は七世紀の初め冠位十二階と憲法十七条を定めた。冠位十二階というのは十二段階の官職で、当時ならどこの国でも世襲が当たり前。その時代に豪族に独占させないように能力によって登用したというのは大変な見識だ。十七条憲法の一条は「和を以って貴しと為す」で、私は昔「和」というのは事を為すに当たっての方法論で目的ではないはず、だから憲法としてはおかしな条文だと思っていたが、のちに全く浅はかな理解だったことに気付いた。当時、日本列島には様々な人たちが渡来してきた。このため政治の最大の目的は争いを避けることだった。争わないためには宗教戦争などもってのほか。在来の大和民族は古来より伝わる神道を守り、新たに仏教が伝わればそれも受け入れる。日本人の宗教への寛容さはこの時代に身につけたようだ。神仏習合はその典型だろう。されにもう一点。太子は重要な外交方針を決め、それが千二百年にわたって有効だったことだ。その外交方針は中国や朝鮮半島という中華圏からの離脱を決意したことだ。隋の煬帝は激怒したが、当時の国際情勢から、日本を征伐することはできなかった。太子は外交感覚にも優れていたということだろう。
明治維新によって日本は幕藩体制から一気に中央集権国家に脱皮し、欧米並みの国民国家を形成した。このスピードと完成度の高さは欧米の驚嘆の的だった。欧州に駐在している時、何度も「日本の近代化」の話をしてくれといわれたものである。東洋の小国がどうして近代化できたかを探ると江戸時代まで溯らなければならない。士、農、工、商の順で階級社会が形成されていた。「士」は支配階級だが働かないで食べているのだから、清貧に甘んじ、高い仁徳を備えていなければならないと「士道」を説いたのは、儒学者の山鹿素行である。これがのちに武士道といわれるようになる。食べられない武士は寺子屋を開いて、町人、農民の子供たちに勉強を教えた。こういう時代が二百余年も続いたのだから国民道徳が高揚したのも当然だ。
<近代化に成功した明治維新>
究極の武士道は佐賀の葉隠で「武士道は死ぬこととみつけたり」という。明治維新が成功したのは支配階級の武士が自ら死ぬことを決したからだ。世界の歴史に、支配階級が自らを滅することを選んで革命を成就したという例は日本以外にはないだろう。
私がこの話をすると外国人たちは首を振って長嘆息する。その時、私は自分の祖先たちの美学を改めて誇りに思うのだ。
今年は新しい教科書を採択する年だ。さる雑誌に頼まれて中学校の新しい「歴史教科書」を比較してみた。私が日本史で重要時期だと指摘した聖徳太子と明治維新についてまともに記述しているのは扶桑社の教科書だけだ。他の七社の教科書のうち東京書籍は日露戦争に触れているが、社会主義者の幸徳秋水などが「開戦に反対した」と書いてあるだけ。どっちが勝ったのかも日本海海戦も連合艦隊司令長官・東郷平八郎のことも書いてない。大国ロシアが日本に敗れたことは近代世界史の幕を開く大事件だった。その証拠にトルコでも北欧でもラベルに東郷提督の写真を貼った「トーゴー・ビール」が売られているのだ。青少年に恥をかかせるような教科書は止めて貰いたい。
(政治評論家)
うーん、明治政府を「国民国家」と呼ぶのに少し違和感が・・・
明治維新は世界でも例を見ない革命です。しかし、その主役は下級士族、まあ、日の当たらなかった連中ですが、高等教育も受けた「エリート」。そのエリートたちが革命を推進した。
そのため一般の民衆にとってはさして革命において変化がなかった。
(フランス革命なんて民衆を巻き込んだためギロチンで粛清の嵐でしたね)
明治維新が犠牲が少ない革命だったのは「民衆」を置いてけぼりにした「エリート」の間の政権交代だったことが大きいと思います(その後明治政府は必死に国民国家を作り上げましたが)
まあ、明治維新の特異性は授業でしっかり教えるべきですよね。
日露戦争についても20世紀当初の重大事件ですし、「日本海海戦」も古今例を見ない海戦により、相手をほぼ殲滅、という大勝なんだから教えてあげないと。
論壇 屋山太郎
「今に生きている」歴史
<1200年間有効な聖徳太子外交>
日本の歴史を振り返って、その時代の指導者の考え方や政治の結果が「今に生きている」と実感させる時代が2つある。一つは聖徳太子の功績と二つ目は明治維新だ。
聖徳太子は七世紀の初め冠位十二階と憲法十七条を定めた。冠位十二階というのは十二段階の官職で、当時ならどこの国でも世襲が当たり前。その時代に豪族に独占させないように能力によって登用したというのは大変な見識だ。十七条憲法の一条は「和を以って貴しと為す」で、私は昔「和」というのは事を為すに当たっての方法論で目的ではないはず、だから憲法としてはおかしな条文だと思っていたが、のちに全く浅はかな理解だったことに気付いた。当時、日本列島には様々な人たちが渡来してきた。このため政治の最大の目的は争いを避けることだった。争わないためには宗教戦争などもってのほか。在来の大和民族は古来より伝わる神道を守り、新たに仏教が伝わればそれも受け入れる。日本人の宗教への寛容さはこの時代に身につけたようだ。神仏習合はその典型だろう。されにもう一点。太子は重要な外交方針を決め、それが千二百年にわたって有効だったことだ。その外交方針は中国や朝鮮半島という中華圏からの離脱を決意したことだ。隋の煬帝は激怒したが、当時の国際情勢から、日本を征伐することはできなかった。太子は外交感覚にも優れていたということだろう。
明治維新によって日本は幕藩体制から一気に中央集権国家に脱皮し、欧米並みの国民国家を形成した。このスピードと完成度の高さは欧米の驚嘆の的だった。欧州に駐在している時、何度も「日本の近代化」の話をしてくれといわれたものである。東洋の小国がどうして近代化できたかを探ると江戸時代まで溯らなければならない。士、農、工、商の順で階級社会が形成されていた。「士」は支配階級だが働かないで食べているのだから、清貧に甘んじ、高い仁徳を備えていなければならないと「士道」を説いたのは、儒学者の山鹿素行である。これがのちに武士道といわれるようになる。食べられない武士は寺子屋を開いて、町人、農民の子供たちに勉強を教えた。こういう時代が二百余年も続いたのだから国民道徳が高揚したのも当然だ。
<近代化に成功した明治維新>
究極の武士道は佐賀の葉隠で「武士道は死ぬこととみつけたり」という。明治維新が成功したのは支配階級の武士が自ら死ぬことを決したからだ。世界の歴史に、支配階級が自らを滅することを選んで革命を成就したという例は日本以外にはないだろう。
私がこの話をすると外国人たちは首を振って長嘆息する。その時、私は自分の祖先たちの美学を改めて誇りに思うのだ。
今年は新しい教科書を採択する年だ。さる雑誌に頼まれて中学校の新しい「歴史教科書」を比較してみた。私が日本史で重要時期だと指摘した聖徳太子と明治維新についてまともに記述しているのは扶桑社の教科書だけだ。他の七社の教科書のうち東京書籍は日露戦争に触れているが、社会主義者の幸徳秋水などが「開戦に反対した」と書いてあるだけ。どっちが勝ったのかも日本海海戦も連合艦隊司令長官・東郷平八郎のことも書いてない。大国ロシアが日本に敗れたことは近代世界史の幕を開く大事件だった。その証拠にトルコでも北欧でもラベルに東郷提督の写真を貼った「トーゴー・ビール」が売られているのだ。青少年に恥をかかせるような教科書は止めて貰いたい。
(政治評論家)
うーん、明治政府を「国民国家」と呼ぶのに少し違和感が・・・
明治維新は世界でも例を見ない革命です。しかし、その主役は下級士族、まあ、日の当たらなかった連中ですが、高等教育も受けた「エリート」。そのエリートたちが革命を推進した。
そのため一般の民衆にとってはさして革命において変化がなかった。
(フランス革命なんて民衆を巻き込んだためギロチンで粛清の嵐でしたね)
明治維新が犠牲が少ない革命だったのは「民衆」を置いてけぼりにした「エリート」の間の政権交代だったことが大きいと思います(その後明治政府は必死に国民国家を作り上げましたが)
まあ、明治維新の特異性は授業でしっかり教えるべきですよね。
日露戦争についても20世紀当初の重大事件ですし、「日本海海戦」も古今例を見ない海戦により、相手をほぼ殲滅、という大勝なんだから教えてあげないと。