フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

2005-03-20 10:32:54 | 展覧会

去年、国立西洋美術館アンリ・マティス (Henri Mathis) 展を見に行った。NHK テレビ『色彩の画家マティスの世界~幸せ運ぶ色の旅人』 や『世界美術館紀行 南フランス・最も美しい礼拝堂』で、改めて彼の芸術と人となりに触れたからだ。ついでにフィレンツェ展を見るために東京都美術館に立ち寄った。そのロビーで、闇の中の光に包まれた不思議な絵が載っている展覧会のチラシを見つけて、すぐに惹かれた。それがジョルジュ・ド・ラ・トゥール (Georges de La Tour, 1593-1652) という、17世紀以来3世紀に渡って埋もれていた、フェルメールにも喩えられているというフランスの画家であったのだ。

私にとって全くの発見だったので、すぐに画集を仕入れ少しずつ見ては楽しんでいる。なぜだろうか、どの絵もこちらに届く何かがある。おそらく、光と陰影もさることながら、絵の中でどのような物語が広がっているのか、ということに想像力が掻き立てられるからではないか。文才があれば、一つの絵から novella でも書けそうな感じである。ひょっとするとすでに書いている人がいるかもしれない(もしあれば、是非読んでみたい)。

ネットでも彼の作品はいろいろと紹介されているが、こちらのサイト (1, 2) が揃っている。TV東京「美の巨人たち」でも、『ラ・トゥール 「常夜灯のあるマグダラのマリア」』 が放送されているようだ(2005.2.19)。花粉が収まってから上野まで行ってみたい。

先日広告に釣られて買ってしまったアンドレ・マルロー (André Malraux) の « Ecrits sur l'art» (古今東西の美術について縦横無尽に論じつくしているような感じで、到底読みつくせない。)に何か書いていないかと feuilleter して (ページをぱらぱらとめくって)いたら、La Tourに関する記述が見つかった。拾い出してみる。

Latour ne gesticule jamais. En un temps de frénésie, il ignore le mouvement. Qu'il soit capable de le représenter bien ou mal ne vient pas même à l'esprit : il écarte. Son théâtre n'est pas le drame de Ribera (1591-1652), c'est une représentation rituelle, un spectacle de lenteur.

「ラ・トゥールは、絵の中ではどのような状態にあっても決して人を動かさない、動きを無視する、ひとつの静謐な儀式なのだ」 と書かれている。確かに彼の絵には何かをやっているようでも動きがなく、それが故に見るものをそこに引き込む強い力を持っていると薄々感じてはいたが、マルローがこの本の中でラ・トゥールの本質を的確に表現してくれていた。


ラトゥール展にて (7 mai 2005)

コメント (2)
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